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2010年1月

2010年1月31日 (日)

10.01大田原通信 日曜日

日曜日ですから、お客様の出足は悪い。

どうなるかなと思っていると、午後になってから盛り上がってきた。

結果は、ものすごい成績でしょう。

 
店長も、月末の今日の高い予算に不安げでありましたが、安心なさったと思う。

この方は、宇都宮で最初に「匠の技展」をやったときの販促部長で、一生懸命応援してくださった方。

最近まで池袋にいらして、昨年の3月から大田原に赴任。

こういう催事に理解ある店長で、心強いですね。

もっとも、先代の店長も大切して下さいました。

 

昨日は寝不足。

ゆっくり眠れますようにzzz

 

2010年1月30日 (土)

10.01大田原通信 国宝の豚肉

大田原の3日目。

相変わらず暖かい。

一昨年は雪の降った日がありましたが、全くその気配がありません。

こういう気候は、着るものを売っている身には堪えますね。

 
 
全体の売り上げを見ますと、絶好調!

予算・前年とも二桁の伸びだそうです。

ある出展者は、都心の超一流百貨店よりも良い。

 

終了して、皆さんをホテルに送り届けると、そこに星野先生が迎えに着てくださった。

恒例の食事会です。

今回は、洋傘の中島さんをお誘いしました。

結婚式場の様なところに連れて行かれますと、グランドピアノの置いてある大きな部屋に通され、そこにピアニストがいらっしゃいました。

彼の伴奏で、ジャズのスタンダードを何曲か歌った。

観客は、星野先生と中島さんとピアニストのお弟子さんだけ。

会場は、明日の宴会の準備中という色気のない環境でしたが、それなりに歌って参りました。

その後、いつものサスケへ。

 
九州直送の烏賊とカンパチは絶品。

烏賊げそを炙ってモッツァレラチーズをまぶし、星野先生が作った玄米を煎った振り掛けをかけた料理も絶品。

烏賊の素材も良いのでしょうが、チーズも結構でした。

メインディッシュは、ハンガリーの「国宝の豚」と呼ばれるマンガリッツァ豚のしゃぶしゃぶ。

野菜は、星野先生指導の無農薬野菜。

これまた結構でありました。

酒は静岡の純米酒。

これも結構。

結構づくしで、星野先生にホテルまで送っていただき、後は寝るだけという、これまた結構なことでございました。

 

2010年1月29日 (金)

10.01大田原通信 二日目

眠れるかなと懸念をしつつ寝ましたが、夜11時に寝て起きたのが朝8時。

なんと9時間の熟睡!

よく寝ました。

 
おにぎりとカップ蕎麦で朝食をとると、出発の時間が近づいてきた。

あわてて顔を洗いひげを剃ると、鼻の下を削ってしまって血まみれ。

ティッシュで傷口を押さえながら運転して、出勤いたしました。

 
鼻を押さえている私を見て、風邪を引いていると思った手描き友禅の内山先生から薬を頂いた。

せっかくですからそれを飲むと、ものすごい眠気が襲ってきた。

9時間も寝た私が、休憩室で1時間ほど昼寝。

 
終わってから、ホテルの食堂で懇親会。

ここはたぶん、工事に来た方々の泊まる様な所なんだと思います。

だから、夕飯の量が充実している。

その定食とお酒だけで、懇親会が出来てしまいました。

 
全体の成績は、目を見張るようです。

この催事を仕切っている企画会社の神田さんも、一安心でしょう。

 
今日も眠れますようにzzz

2010年1月28日 (木)

10.01大田原通信

私の車で送り迎えをするのは構いやしませんが、問題はちょっと古いディーゼルエンジンなので、暖めないといけないということ。

9時集合でしたので、8時45分にエンジンをかけた。

ところが寒いと思ったら、とんでもなく暖かい。

おかげでエンジンは快調であります。

 
この催事は多分、この会場を使ったイベントでは上位の売上げを誇っていると思われます。

つい最近まで催事初心者だった洋傘の中島さんも、「売れそうな百貨店ですね」と言い出した。

これ以上田舎の百貨店はないと思いますが、なかなかなのですよ。
 

歯茎の調子がよろしくないので、昼飯はカレー蕎麦におにぎり一個。

終わる頃は、腹がぺっこぺこ。

皆さん、食品売り場で夕飯のお買い物です。

ここは3階建てで、1階が食品。

デパ地下は駐車場です。

 
食材が、これぞ百貨店とも言うべき物で、肉も野菜も魚もパンも、みんな高品質でそこそこのお値段。

売り場の成績もよろしいとのこと。

近隣のスパートとは、完全に差別化が出来ているようです。

 
そこで半額になったお刺身と、サラダと天ぷらを買って夕飯としました。

 
初日の成績もまずまずだったらしい。

結構なことです。

 
帰ってきてゆっくり夕飯を取り、お風呂に入るなんて事をしていると、もう10時半だ。

有り難いことに、眠気も刺して参りました。

さて、寝るとしますが、問題は本当に眠れるかどうかだけれど、こういう不安が、旅先では起こる。

でも、寝ましょう。

お休みなさいzzz

2010年1月27日 (水)

日本酒

大田原の搬入日です。

車に荷物を積んで、栃木県大田原市の東武百貨店大田原店まで参りました。

何故車かというと、ホテルが百貨店から遠く、アクセスが自家用車を使うしか無いからでしてね、私ともう一人が車を出して、毎日ホテルと百貨店を往復いたします。

搬入口につきますと、親切にも誘導してくださる方がいる。

ドアを開けてみたら、武田刃物の旦松さん。

「お車でいらっしゃると聞いて、そろそろかとお待ちしていました」ですって。

すごい人ですねぇ。

もちろん、荷物下ろしも運びも、全部助けていただきました。

ありがとうございます。
 

車の便が悪いくらいですから、食べる方も困る。

今日はなんと、洋傘の中島さんと二人でスーパーマーケットに行って、食材を買ってきて、部屋で一人で一杯やりながら夕飯です。

私は新潟の酒が好きで、それも大吟醸などという凝ったくさいものはダメで、せめて純米酒という当たり前の酒がよろしいのですが、そのスーパーの酒売り場に好みのものがワンカップのスタイルで置いてあった。

20100127181140_5

特別な酒でも何でもないと思うけれど、昔から飲み慣れた酒で、二本買ってきて飲みましたが、結構でしたね。

日本橋三越前の、新潟の蕎麦屋にもこの酒は置いてあります。

 
私は、香りの強い酒がダメな程度で、不味くなければ好みもありません。

それでも好きですから、目の前に出されれば、余程のことがない限り頂きます。

 
「酒」という雑誌がその昔あって、そこに随筆を書いていた日本酒のソムリエなんぞと言われたHさんという方が知り合いで、新潟のよい酒を沢山頂いておりました。

そうでなくとも、祖母が新潟出身ですし、近所の酒屋が新潟の酒を主においていたのです。

親父殿や爺様達は贅沢もので、家に伏見の酒の薦被りが無かったことがないな。

「酒を冷やで飲むなんて事はしちゃいけないよ」なんて教わって育ちましたが、旦那衆としての教育だったんでしょう。

庭の手入れをしている植木屋が、三時休みに、縁側で休みながら、沢庵をポリっとやって、コップ酒をキューーーっと旨そうに呷る姿が私にこびりついていて、その記憶が私を飲み助にしたのかもしれません。

 
福島の酒も好きですね。

赤坂の「カッパ亭」で紹介したワインのソムリエが飲んでいるという「大七」という福島の酒は、飲んでいないにしても、我々北関東の人間で知らないものはいないでしょうね。

頃合いの山の斜面には、白い大きな文字で「大七」とだけ、看板が書かれているので有名なのです。

この酒は、北海道のサミットで出されて有名になったのだとか。

酒にも歴史ありです。

もちろん、山陰の「月山」も大好きですよ(*^ω^*)ノ彡

 
大田原は米所。

おいしい野菜を作っている知り合いの農家も、沢山いらっしゃる。

一週間が楽しみです。

惜しむらくは、歯が痛い(。>0<。)

2010年1月26日 (火)

神社と歯痛 

朝起きたら、歯茎が痛い。

朝食も食べずに、大平山神社に初詣。

沢山神様がいらっしゃる神社ですから、充実したお参りが出来ました。

歯が痛いけれど、名物の卵焼きを食べようかと思ったら、お店はみんな閉まっておりました。

朝の十時半頃でしたから、まだ早かったのかも知れません。

閑馬に来てから初めて伺うので、新しい道を探しましたら、葛生原人の山を越えて栃木市に抜ける道を発見。

約20分短縮できました。

 
あまりに腹が減ったので、ファミレスに入って雑炊を食べましたが、半分しか食べられなかった。

帰ってきてから「新デントヘルス」を付けたら痛みが楽になり、インスタントラーメンが食べられた。

これで、空腹からだけは逃れられました。

そして美味かったな。

大好物の「札幌一番」!

浪人時代の思い出の味です。

2010年1月25日 (月)

野焼き

日々、やることが新しく出てくるから、完全なる休みというものは、もはや望むべくもありません。

今日は、税理士さんが入らして年末調整。

その間に村井先生が来て、お隣の木に成っている柚を頂き、村井さんの手を通してジャムとなって、我が手元に来る予定です。

税理士さんと打ち合わせしていると、外がなにやら煙が出ている。

村井先生のことだから、野焼きだと思ってテラスから見てみると、案の定でした。

20100125153433 先生は名人でしょうから、車の近くで燃やしても大丈夫だとは思いますが、気になって、全てを移動いたしました。

ついでに私も野焼きのお手伝い。

こういう仕事はわくわくしますね。

そして、ストレス発散になる。

おもしろくなって、年末調整の全てをほっぽり出して、後は夕方まで野焼きに励みました。

気持ちよかったな。

こんな事をして歳をとれれば、この上もありません。

ありがたい時間をいただきました。

2010年1月24日 (日)

里山再生

日本の山が荒れていると云います。

木を切らないからですね。

紺邑は木灰の灰汁で藍染めの液を作りますが、肝心の木灰が日本にはない。

やはり、木を切らないからです。

 
それでも杉や檜は、伐採することに補助金が出る。

しかし、それを片づけたり運んだりする費用には、補助金が出ません。

そちらに金がかかるので切ることもしないから、山林が荒れる。

間伐したとしても、切りっぱなしで放置されるから、大雨が降るとそれが沢に貯まり、水害の原因になる。

雑木には補助金も何もないから、切る人もいない。

だから雑木林は荒れ放題です。

 
そこに、森林ボランティアと言って、山のために間伐をしている人が近くにいらっしゃる。

そもそも国有林の管理をなさっていたのですが、今は荒れた山の手入れをボランティアでなさっている。

雑木を切っているのですが、切ったあとの木を利用する人がいない。

誰もいなければ、放置せざるを得ないけれど、それでは山は良くならない。

 
誰か雑木を必要な人はいないだろうかと、紺邑に相談があった。

紺邑は、雑木を燃やした灰が必要だ。

雑木は薪ストーブの薪として必要だ。

閑馬には、薪ストーブの家がたくさんあり、その家の人達は薪を欲しているから渡りに船で、近所に呼びかけたら、今日だけで15人の人があつまり、山へ柴刈りに行って参りました。

20100124140529 急坂ですから手で運びました。

ちなみに、白いセーターに黒のパンツが私。

20100124140821 こんな風に、約90センチの長さに切っておいてくださった。

太いものは、持ち帰ってから薪割りです。

20100124140612 老若男女交えてみんなで運び、何台もの車に山と積んで紺邑に帰ってから分配。

皆さん知り合いじゃない人もいるから自己紹介していただくと、大阪から、埼玉から、東京から、横浜から移住した様な方々で、これで新しいご近所づきあいとネットワークが出来ました。

山には雑木が、それこそ山のように生えております。

今後は薪に困ることもなくなりました。

山の木を切って里山の環境を守り、木を燃やして暖をとり、灰は私どもが使わせていただき、灰汁を取った灰は、陶芸家が釉薬に使います。

日本古来の循環型社会が、閑馬に再生されようとしております。

2010年1月23日 (土)

紺邑の正月休み

昨日までだと思っていたら、明日までが正月休みでした。

それでも色々あって、今日は灰の整理と地元新聞社の取材を受けました。

 
閑馬・飛駒というこの辺りには、工芸家が沢山集まっております。

紺邑などの染色関係、木工、陶芸。彫金、竹墨、絵画、織物などなど。

何故なのかと、記者は疑問に思ったらしいのですが、その感覚は鋭いし、ありがたいと思いましたね。
 

紺邑に限って云えば、工芸家が集まっているから、閑馬に来たわけではありません。

閑馬に来たら、工芸家が沢山いたと云うことだし、たぶん、皆さん同じだと思う。

日本中に「工芸村」みたいなものがあって、自治体の援助やら何やらがある意識的に作られたコミュニティと違い、私たちは自然の集まりだ。

そこがまたおもしろいと思っています。

 
それをネットワークしたら、何かが起こるかもしれないと、最近考えております。

2010年1月22日 (金)

「かっぱ」と「カッパ亭」

紺邑にとっての正月三が日が、今日で終わります。

全日休むというわけにもいかず、結局は、藍甕の手入れをしてくたくたになってしまいました。
 

夕方腹減って、何気なくパソコンのスイッチを入れたら、何故か「牛の煮込み」を思い出した。

それも30年以上も前に、駒沢までわざわざ食べに行った店で、酒もなければビールもなく、ただただ煮込みとご飯だけ食べさせた店で、名を「かっぱ」といいました。

今でもあるかなと調べてみれば、まだ健在らしい。

時にはタッパウエアーみたいなやつを持って行って、おみやげにしてもらっていた。
 
 

カッパで思い出したのが、赤坂の「カッパ亭」。

私のことを「社長!」と呼ぶ、東京で唯一の店。

グルメブームなんて云うよけいな事があって、当時はなかなか入れなかった。

常連の私たちにとっては大迷惑でしたが、ブームの頃は行くたびに満席で、テーブルが空くまで、近くの喫茶店で待たされた思い出があります。

今でも年賀状が来ますが、ネットで調べてみたら、こういうブログがありました。

写真を見ると、マーちゃん、太ったねぇ。

私と同い年だし、私も太った。

 
こんな事を思い出すと、私も昔は食いしん坊だったらしい。

牛丼なんていう下世話なものも、新橋に美味しい店があって、某有名タレントと京都の木工の人間国宝の息子とわざわざ食べに行ったものだ。

なんでこんな事を思い出したんだろうな!?

 
それにしても、甕の手入れでくたびれました。

もう休もうかな。

2010年1月21日 (木)

北風

足利や群馬に比べれば、佐野市山間部の北風はたいしたことはありませんが、なにせ気温が低いから、冷たく感じは致します。

昨日今日とポカポカ陽気でしたが、明日は寒くなると云う予報です。

冬型の気圧配置だそうで、夜になると工房が揺れるほどに風が吹き出し、風呂場の換気扇がピューピューと寒い音を立てています。

風の音を聞くと、つい最近では、佐野市七軒町の工房を思い出します。

染め場が北を向いていて、もろに風を受けていましたのでね。

藍甕が無く、木樽の風呂桶に藍を建てる、いわゆる「正藍冷染」という染め方でしたから、温度管理に苦労いたしました。

それに比べれば、今は天国にいるようですね。

 
私たちにとって、ようやくの正月休みになっています。
 

私たち世代にはお馴染みのカントリー&ウェスタン「北風」
スティールギターがピューピュー泣いております。

http://www.youtube.com/watch?v=0FaCl_VTHbU

白いなぁ~!

2010年1月20日 (水)

小春日和

暖かい1日となりました。

夢に見た昼寝もさせていただいた。

車に乗って少々用を足したのですが、車中は暑いくらいだった。

ふと「小春日和」という言葉が頭に浮かんだけれど、あれは秋ではなかったかなと思って調べると、「晩秋から初冬にかけての暖かな日和。小春とは、旧暦一〇月の異称」と辞書にはありました。

英語では「Indian summer」というのは知っておりました。

美しいスタンダードの名曲がありますのでね。

ちょいと「Singers Unlimited」の美しいハーモニーをお楽しみ下さい。

http://www.youtube.com/watch?v=Jz37dIh8y2E&feature=PlayList&p=8CF6BE2D43E5A315&playnext=1&playnext_from=PL&index=89

2010年1月19日 (火)

10.01宇都宮最終日 催事に歴史あり!

宇都宮最終日。

明日、ようやく休めることになる。

次は、同じ東武宇都宮百貨店の大田原店です。
 

私が本当にお世話になった元催事課の責任者だった鈴木さんが、最後の最後に売り場に来てくださった。

定年はとっくに過ぎておりますが、なかなか辞めさせてもらえず、今は美術にいらっしゃるとのこと。

それほどの人望と力を持った方です。

 
東武宇都宮百貨店の「職人の技展」は、私と組紐の平井と水晶の大森君の三人で、鈴木さんにお願いして始まったもの。

それまでは、関東では高島屋系列の「伝統展」以外に、工芸ばかり集めた催事はありませんでした。
 

東武百貨店船橋店の職人展は、当時(十数年前)のKさんという催事担当次長が、宇都宮の鈴木さんに「何かおもしろい催事はないか」と相談があり、私と鈴木さんと二人で船橋まで行って説明して始まったもので、鈴木さん無くして船橋の催事もないのです。

宇都宮も船橋の「職人の技」も、その実現には平井組紐と大森水晶の力が大きく、特に平井は、船橋で催事をやることに思い入れがあった。

今年は一人娘が結婚し、平井組紐に跡継ぎが出来、めでたい新年を迎え、船橋が新婚夫婦の初めての仕事となった。

私も陰ながら二人を応援しようと、新年会を名目に、彼らの存在を仲間にお披露目をしようと思っておりましたし、大森君も久々に船橋まで来てくれたので、彼は下戸ですが、飲めないなりに楽しいひとときを過ごそうと思っていたのでありますよ。

大森君は新婚夫婦と親しく話しもせずに先に帰ってしまい、残念な事でした。

 
鈴木さんの気配りは今でも細かくて、金沢の俵さんが明日から大田原に行くと知ると、わざわざ私の所に俵さんを連れて来て、大田原の話を私にさせる。

そして、俵さんが安心して大田原で仕事が出来るようになさるのですね。

あるマネキンさんは、「鈴木さんが私たちの支えなの」なんて云う。

ある元部下は、「サラリーマンとしては、ああいう風になりたいという一つの目標ですね」なんて云う。

そういう人です。
 

今日は4時閉場でしたから、随分早く帰って参りました。

明日の目標は、たっぷりと昼寝をすることだ。

2010年1月18日 (月)

10.01宇都宮通信 パーカッション ソロライブ

宇都宮の六日目。

ちょっとの時間ですが、鼈甲の田川弟さんと親しくお話しできた。

付き合いは20年近くになりますが、最近は滅多に会うこともなくなりましてね、今回、久々に一緒に仕事が出来たのです。

これも、担当の酒見君のおかげだな。

 
さすがに月曜日になりますと、食品への客足も少ないようです。

私も、何もない日となった。

 
帰りがけ、佐野でパーカッションのソロライブがあるというので、急に誘われて行って参りました。

パーカッションの世界は私には親しく、ミュージシャンの知り合いも沢山いますが、皆ラテン音楽で日本を代表するような人達です。

そうなれなかった一人は、さる超大物歌手のバンドのパーカッションを担当して、そのまま彼の所属する大手プロダクションに入って、夜中のアマチュアバンドのコンクールみたいな番組のプロデューサーとなり、沖縄出身のバンドの面倒なんかを見ていたらしい。

その後輩が閑馬に出入りして、「○○か」という歌手を連れてきたと言うわけです。

この辺りが、タレントとミュージシャンの違いですが、日本のミュージックシーンでは理解されないところだな。


それはそうとこの人は、アフリカの楽器なんかを使い、ソロ活動を主にしているらしい。

こういう世界もあるのだなという感想ですね。

 
明日はいよいよ最終日。

明後日は、ゆっくり昼寝がしたいな。

2010年1月17日 (日)

10.01宇都宮通信 親鸞のお寺

私は昔から年寄りが好きで、1日話していても飽きません。

もちろん、人にも寄りますが、自分が年寄りになってきた今でも、それは変わらないな。

 
福岡の八女の近くから栃木に越してきた方と、藍染めについて随分長くお話しさせていただいた。

どうも以前、益子から私の所に電話して来た方のお知り合いらしいと判明。

八女と言えば久留米絣だから、知識もあるし、物作りが大好きなのだそうな。

この方は先日、東京ドームのキルト展に行って、若い職人から藍染めの話を聞いてきたらしい。

その人の話の内容は、私も一々納得。

お名前は忘れたけれど、しっかりとした藍染めをなさっている人らしい。


親父殿の工房で買ったベストがお気に入りで、その修理を頼まれた方もご来店。

御年78歳だけれど、宇都宮から真岡まで約30キロ以上を、自転車で走るとおっしゃる。

42歳の時、病弱な小学生の子供二人を連れて、大阪まで約700キロを自転車で走ったと言って、当時の新聞記事を見せていただいた。

アラスカにも行った何処へも行ったと、話に終わりがない。

真岡の話から二宮尊徳と親鸞聖人の話に飛び、皇太后のスーツを縫った話から、ジョー・ディマジオとマリリンモンローの来日の時の話など、多岐にわたった。

「私は変人だと言われる」とご自身でおっしゃるけれど、私も変人だと思うな。

真岡市に専修寺と云うのがあって、親鸞聖人が起こした唯一の寺なんだそうです。

こんな事は全く知らなかったけれど、調べたら真宗高田派本寺専修寺と云って、なんと格式の高いことか。

本山が三重県の津市にあって、真宗高田派本山高田山専修寺と云うのだそうな。

佐野と真岡は栃木県の西と東で、随分離れていますが、私は何も知らなかった。

親鸞は、茨城に20年滞在したのだそうな。

そこで、今年の2月6日(土)から3月22日(月)まで、茨城県立歴史館で「親鸞ー茨城滞在20年の軌跡ー」という特別展があるという。

この方は変なことも云っていて、二宮尊徳が栃木県二宮町で生まれたと思いこんでいるので、小田原と尊徳の話をしたら、「なんであんた、そんなこと知っているの?」ということになって、「これも何かの縁だから、上げるよ」といって、親鸞のチラシを頂いた。

私も、何かの縁だと思いましたね。

 

商売はともかく、そんな出会いを楽しんでおりましたら、亡くなった斎木さんの奥様がお嬢様をつれて入らしてくださった。

目には涙があふれているけれど、無理もありません。

2月22日に49日をおやりになるそうなので、私もお線香を上げさせていただこうと思います。

2010年1月16日 (土)

宇都宮通信 もう土曜日だ!

今年は暖冬だと、誰が言ったか。

とんでもなく寒いですね。

毎朝2時か3時に閑馬に来て仕事を始める人に聞くと、そのころは氷点下8度だそうな。

宇都宮まで約50Kmを、1時間20分程掛けて一般道で通っている私は、朝8時に工房を出るわけですが、7時半頃にエンジンを掛けて暖めないと寒くて走れません。

やはり山間は、町とは随分違いますね。

 
  
宇都宮の催事は、実に好調に推移をしているようです。

昨日は、店長に朝礼をいただきましたが、相変わらず元気でしたね。

この成績が、その元気を後押ししているのでしょう。

 
 
紺邑は、担当の酒見君には迷惑を掛けますが、滅多にお会いできない方々とお話したり、全国の食料品を買ったりと、のんびりと気楽に楽しませていただいております。

思い出すと、親父殿は「物産展」が大好きだった。

その血が流れている私も、嫌いじゃないな。

 

2010年1月15日 (金)

冬の藍染め

六月の藍染めのお話が出たので、こんどは冬の藍染めについてのお話。

 
藍染めの液の温度は、20℃から25℃くらいが良いとされています。

紺邑では最近は、温度も測りませんが、だいたいそのようです。

温度が高過ぎれば藍は疲れるし、下がれば縮こまって動かなくなる。

ですから、冬は温度を上げ、夏は下げてやらなければならないから、甕を地中に埋めるという知恵を、日本人は働かせたのでしょう。

 
一般に、藍甕を四つ並べ、その中央に火壺を作って温度管理をしていた。

冬場、火をきらさないようにするには、大変だったろうと思いますね。

今でも、久留米絣の山村さんの所は、そういう構造になっています。

 
藍を建てるにも、冬は夏の倍くらい時間が掛かります。

 
 
藍染めは、洗いが肝心です。

その水が、冬は冷たい。

親父殿の工房では、横を流れる川で洗っていた。
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これが冷たいなんてものじゃなく、痛い。

軍手をはめ、その上に厚めのゴム手袋をしても痛い。

川で洗ったものを、急いで染め場の横の、井戸水を貯めた水槽に持って行って水に手を入れると、まるでお湯のように暖かく感じたものです。

地下水は、一年中温度が変わりませんから、ありがたいものです。

 
染めたものを干すのは天日干しですから、外に干します。

これが赤城おろしの空っ風の中だから、これまた寒い。

 
寒い冷たい痛いだから、冬場の藍染めはつらいかもしれません。

 
さて、紺邑でもやはり冬は寒いし冷たいけれど、痛い程じゃありません。

それでも洗いは地下水だから暖かい、と思いきや、出しっぱなしにしていないと、やはり冷たくなってしまう。

出しっぱなしにしていると、水槽の周辺が水浸しになるから、時々は止めなきゃならない。

止めると冷たくなる。

 
藍甕を暖めるには、電気の力を借りています。

それでも直ぐに冷める。

 
やはり、冬場の藍染めは、少し大変ではありますね。

2010年1月14日 (木)

六月の藍染め

宇都宮の二日目。

朝礼に寄れば、初日は随分良いスタートを切ったようです。

特に、我々工芸部門が良いという。

はてさて何故かと思いきや、売り上げを見たら皆さんものすごい数字。

たいしたものだし、さすがに1億催事です。

 

さて、表題に「6月の藍染め」と書きました。

この1月に何事かとお思いでしょうが、お客様とそういう話になったと言うことです。

この方は、京都まで藍染めを買いに行かれるのだそうな。

それも、何とかという染色作家グループの作品を置いている店ではなく、私も名前は存じ上げている、さる高名な染織家のお店。

そこで、「藍染めは6月が一番良い」と言われたのだそうな。

私は、出来れば6月は藍染めを休みたいと思っているから、その話を不思議に思った。

その訳は、梅雨時だからです。
 

 
私は、ウールだろうが正絹だろうが、全ての藍染めを天日干しします。

それによって、洗濯にも紫外線にも強い藍染になるからです。

曇りや雨の日の藍染は、色落ちしやすく日焼けもしやすい。

なぜかなんてどうでもいいことで、とにかくそうなんです。

だから、梅雨時の6月は良い事がない。

これは紺屋の長年の経験だ。

この高名な染色家がそんなこと言うはずないと思って、「その人が言ったんですか?」と聞けば、「お弟子さんのような店の人です」というお答えだった。

それならばわかるけれど、雨ばかり降る季節が藍染めにいいなんて、ずいぶんいい加減なことを言う店員というかお弟子ですが、理由は分からなくもない。

つまり、季節的に暖かくなって、藍建てと管理に気温がちょうどいいと思い込んでいるのでしょうね。

そういう面もなきにしもあらずだけれど、こと藍染めに限れば、雨の多い季節はいけません。

ところが、この店員と言いましょうかお弟子は、「六月は、藍染めの色が良い」と言ったのだそうな。

これまた困ったもので、季節に関係なく良い色を出そうとして出すのが職人でしょうに、それを季節に頼っちゃいけませんっての。

こういうふうに、経験もせず、知りもしないのに分かったようなことを言うのを、「知ったかぶり」と言い、その態度を「訳知り顔」と日本語では言うのでしょう。

それをお客様は信じ込む。

これは「罪作り」でしょうね。

2010年1月13日 (水)

宇都宮通信 初日

今回は、宇都宮まで車で通います。

出発時間は朝8時の予定でしたが、イノシシの罠の様子を見に入らした星野さんと新年の挨拶などをしていると、8時20分になってしまった。

国道293号線一本で宇都宮に9時37分に到着し、駐車場の屋上に止めて走って会場に着くと、ちょうど朝礼に間に合った。
 

落ち着いてから、回りを見渡すと、懐かしい顔が一杯。

印傳の山本さん、鼈甲の田川弟さん、翡翠の青木君などなど。

皆さんに挨拶して営業が始まると、私をこの催事に誘った担当の酒見君がやってきて、「職人展じゃありませんから、楽しんでください」と言ってくれたので、気が楽になりましたね。

 
こういう物産展には、紺邑は年2回の栃木・福島物産展しか出ませんから、あまり馴染みがありませんが、朝からものすごい数のお客様。

そのほとんどが、食品目当てですから、私たち工芸のコーナーは閑散たるもの。

ちょっと焦りますけれど、皆さん「午後からでしょう」なんて落ち着いたものです。

 
終わってみると何とか成績になりましたけれど、家から通い、マネキンさんも頼まず、経費がほとんどかからないので、経営的にはありがたい。

実は、DMを昨日出したので届くのは今日。

ですから、紺邑のお客様がいらっしゃるのは、たぶん明日からでしょう。

 
宇都宮の寒さは、新潟の青木君が「絶対に新潟より寒いです」と主張するくらいです。

風邪を引かぬように、楽しみたいと思います。

2010年1月12日 (火)

お好み焼き もんじゃ焼き

工房のある佐野市閑馬町で冬を越すは、今年が初めてです。

思った以上に寒い。

午後には雪が降るかもしれないという予報で、雨が降り出した。

「雨は夜更け過ぎに 雪へと変わるだろう」なんていう歌の歌詞を思い出しましたが、幸い雨のままで、夜の八時過ぎには上がっておりました。

その間、何をしていたかというと、DMを出しに行ったついでに、足利でお好み焼きを頂いておりました。

お好み焼きというと、関西と広島でしょうが、関東にだって昔からあって、特に我がふるさと足利は、もんじゃ焼きは子供のおやつ、お好み焼きも町内に一軒はあると言うほどに、お馴染みでありました。
 

足利では、自分で焼きます。

ソースの好みも、甘い、辛い、ウースター、醤油と、自分の好みで選ぶから、大勢で食べると、大抵、ソースだ醤油だと口論になって、またそれが楽しい。

「もんじゃ焼き」は、「もんじ焼き」とも言います。

文字を書くように焼くからと、昔は言っておりましたが、真偽は知りません。

今のように、具を土手のようにして、その中で焼くなんて言う豪華なことはなく、ただただ粉を溶いた汁を焼くだけの素朴なもの。

腹の足しにもなりませんが、これが駄菓子屋のように町中にあって、学校帰りに食べていたもので、子供の小遣いで十分食えた。

それが高価で凝ったものになりましたね。

 
ネットのどこかでもんじゃ焼きのことを書いたら、東京のある人に、「もんじゃ焼きは東京のローカルな食べ物だ」と、私が知ったかぶりをしているとの揶揄したコメントを頂いたことがある。

この人が無知だっただけのことでしたが、説明したら直ぐに理解した。

こういうネット上の誤解や思い込みに対する説明は面倒でね、今では放っておくことにしております。

 
13日から、宇都宮の催事が始まります。

お近くの方は、お遊びに来てくださいませ。

2010年1月11日 (月)

10.01日本橋通信 最終日

ついに最終日。

日本橋を乗り切るには、体力と気力を要します。

だから疲れは、文字通り心身共にです。

 
今回の目玉商品のウールケープが、期間中に出来上がったものが2着残っていましたが、これが2着とも売れてついに完売。

最後の最後まで忙しく過ごさせていただいて、紺邑としては文句のない成績で新年を迎えることが出来ました。

それはこの催事も同じで、予算を大きくクリアーし、予算の125%アップという大目標も達成してめでたしめでたしでしょう。

 

久しぶりに閑馬に帰って参りました。

部屋にはいると、温度は3℃。

ストーブを入れて小一時間たっても11℃。

コートを着たまま、熱燗を飲んで暖まっております。

 
明日は宇都宮東武百貨店に参ります。

2010年1月10日 (日)

10.01日本橋通信 日曜日

三越の「匠の技展」は、本館7階で大々的にやっておりますが、同じ階の新館ギャラリーでは、「アンコールワット展」が開催されています。

これが土曜日に増して大盛況で、入場者制限が出るほど。

入場を待つ間に「匠の技展」を見学なさっているのか、ものすごい数のお客様がお見えになりました。

問題は、この動員を、どうやって売り上げに結びつけるかと言うことでしょう。

お買い物なさるのはやはり、従来の日本橋三越のお客様だと感じは致しますね。 

紺邑は、大変な数のお客様の流れとは無縁に、こつこつと商売させていただき、三越としては可もなく不可もなく、他の百貨店ならば3日分くらいの成績を上げさせていただいた。

  
全体を見れば、そりゃー成績に凸凹あるにしろ、もうすでに予算は達成。

たぶん、前年実績もクリアーするでしょうから、名物担当のKさんも落ち着いたものです。

日本一の百貨店で開かれる日本有数の規模のこの催事が、もしもこけたとしたら、今年の我々の百貨店催事の行く末は暗かったでしょうが、まずまずと言うところでしょうか。

しかし、催事(職人展)をやめる店も出てくるでしょうし、事実、そんな話は具体的にあります。

こういうときこそ、私たちは協力し合う必要があるのではないかと思いますね。

また、そういう姿勢も必要でしょう。

開催期間中、百貨店の催事関係者が全国から見学に入らしていたようです。

今日だけでも、何人に挨拶されたことか。

中には、挨拶されない方もいらっしゃいますけれどね。

彼らは何を見、なにを感じたことか。

正月、日本中で職人展が開催されていますが、私が参加した船橋と日本橋は、まずまず成功だったと思いますし、紺邑としても申し分ない成績でした。

その他はどうだったか定かではありませんが、聞くところに寄れば、それほどのことはないらしい。
 

 
搬入を入れれば、昨年暮れから2週間たちました。

出展者達にも、さすがに疲れが見えます。

明日はいよいよ最終日だ。

2010年1月 9日 (土)

10.01日本橋通信 土曜日

土曜日からの三連休が勝負!っと云われております。

だから、ちょっと気合いを入れて望みました。


 

通りすがりの夫婦連れの奥様の方が、「男物はある?」と、作務衣の事を聞く。

「ございますよ」とお答えすると、ご主人がそれを見る。

背が低めで小太りな方。

「採寸してお作りしますよ」と云うと、「気に入った。おい!作ってもらおう」とご主人が言うと、最初に「男物は?」と聞いた奥様が、突然態度を翻して「さっき買い物したでしょ!もういいの」と反対されてこの話はお流れ。

ちょいと高価な物だから、残念至極。

 
ところがです、しばらくしてこのご主人が帰ってきて、「おい、あいつをまいてきたからサイズを測ってくれ」とおっしゃる。

面白いお客様で、「オレは会社を首になってな、サンデー毎日なんだ」なんて云う。

良く聞くと、大きな会社のオーナーで80歳だから引退しただけのこと。

書道をなさるというので「袖は七分にしましょう」と云うと、「オレは身体の全部が七分なんだ」なんてお答えになる。

この間、値段は一切お聞きにならない。

これが、三越のお客様の特徴です。

最後の最後に、「ところでいくらなんだ?」と聞かれ、「○○万円です」というと、「へぇ、わりかし良い値段だな」とだけ。

「お帳場に回しておきましょうか?」と聞くと、「そうしてくれ」で終わり。

久しぶりに三越本店に居る気がしましたね。
 

 
DMの記述間違いでお電話したお客様に、お二人入らしていただいた。

これが望外の喜びで、甲斐があったというものです。

岡本さんには、わざわざお運び下さいましてありがとうございましたm(_ _)m

2010年1月 8日 (金)

営業

今日は三越に行かず、朝八時過ぎからお詫びの電話を掛けまくり、お客様に笑われながら、午後一時過ぎまで過ごし、受話器を当てる耳が痛くなるほどだった。

「栃木県の藍染めの紺邑でございます。DMの記載に間違いがございまして・・・」と始め、事情を説明して「お詫びと訂正のお電話でございます」と云うと、お客様によっては大笑いされ、「朝からこんなに笑わせてもらって、あなたには悪いけれど、ありがとう」なんて言われながらも頑張った。

一時半過ぎに飛び出し、一路神楽坂へ。

なんと言いましょうか、50歳を過ぎた中高年齢層の、健康やライフスタイルを考えていこうとする会社がありまして、そこに営業に赴いたわけです。

私はこういう営業が苦手なのですが、ご紹介くださった方に同行していただきました。

そこの店長に藍染めのお話をさせていただきましたが、話題は多岐にわたり、営業なのに楽しい時間を過ごさせていただいた。

「お互いに、出来ることをやりましょう」と言うことになり、それは何かをこれから考えるわけですが、日本橋にも来ていただくことになりました。

 
 
そこから練馬区成増へ。

さて、どう行ったらよいか分からない。

一番近い駅は「牛込神楽坂」なので、とりあえず行ってみて、光が丘まで行ってからタクシーを使おうと言うことになった。

ところがこれが、都庁前で上りから下りに乗り換えなくてはならないらしい。

車内の路線地図をじっと見つめていた同行者が、「ここで降りますよ」と突然言い出して、「東新宿」で下車。

新都心線とか言うのに乗り換え、「これで成増まで行けます」というので安心していると、池袋を過ぎてしまった。

今度は私が路線地図を見る。

どうも、次の駅で降りてまた乗り換えると「地下鉄成増」という駅に行ける。

同行者に聞くと、「それそれ、その駅の上のビルです」というのでまた乗り換え、ようやく到着。

いやはや、東京を地下鉄で歩くには、相当な知識と経験を要しますね。

 
さて、ここは旅行会社で、バス旅行の企画をするところ。

団体客を紺邑の工房に招こうという魂胆です。

以前に一度来ておりますが、その確認と言いますか、念押しみたいな事なので、話はあっという間におわりました。

こういう事も、営業では必要なのかもしれませんが、私だけなら出来ませんね。

ご同行いただいた方の熱意なのでしょうが、本当にありがたいことでした。

 

日本橋には戻らず、電話をするために、まっすぐに帰ってまいりましたが、今度は渋谷まで一本で行けた。

便利で簡単な面もある。

都会は目が回りますね。

2010年1月 7日 (木)

10.01日本橋通信 好事魔多し そしてまた新年会

久しぶりに、順調な新年を迎えさせていただいております。

ところが好事魔多しとは良く言ったもので、船橋のDMの日程の記載に間違いがあって、お客様と百貨店に迷惑を掛けてしまった。

この次の連休までに、DMを出した皆さんに訂正とお詫びをしなくてはなりませんから、一軒一軒お電話差し上げることにしました。

皆さんに電話すると、さすがに笑われておりますが、実に申し訳ないことを致しました。

中には久しぶりにお話する方もいて懐かしく、災い転じて福となすよう、心からお詫びすることに致します。

その中のお一人には、「毎日ブログを見ています」と言われちゃった。

ますます恐縮ですが、日本橋でお会いできそうで楽しみにしております。

 

朝礼で、本店長からご挨拶を頂いた。

予算を25%超えている数字もさることながら、店全体の成績を、この催事が押し上げているという実感があるとおっしゃっていただいた。

出展者数は100社もいるけれど、そのチームワークは抜群で、みんな協力し合って仕事をしているというのも、その原因にあるかと思います。

今日は、2週間催事の谷間のような日でしたが、隣の船ダンスが爆発していましたね。

それをみんなが喜ぶところが、この催事ですね。

明日も連休前の辛抱の日かもしれませんが、お馴染みのご来店に期待いたしましょう。

 
今日は若手連中の新年会だそうな。

鼈甲のシンちゃんが、一生懸命まとめているようだし、3500円で飲み放題の料理八品という居酒屋でやるのだそうで、無理が無くて結構ですね。

「私は?」と聞くと、「入れません」と即返事が来た。

私も今年還暦だから仲間に入る気もありませんが、気持ちの良い断られ方だったな。

ではこの業界で若手とは何歳くらいまでか?

たぶん、40代まででしょうかね。

2010年1月 6日 (水)

10.01日本橋通信 改めましてvol.1

船橋が終わり、商品も人も日本橋に集中できるようになって、今日が初日です。

新しい商品も届き、売り場は一新されました。

 
いざ始まりますと、これがあまり忙しくない。

昨年の暮れは、松坂屋本店も船橋も午前中が忙しかったので、どうも不安になる。

午後になって割合大きな目が開きましたが、これが最終日までの取り置きでしてね、今日の実績になるわけでもなく思うように伸びません。

2度目のご来店という親子連れがいらっしゃり、ケープがお気に召しているご様子だ。

それは、今回の三越のチラシにもホームページにも紹介されていますから、ご興味あればご覧下さいませ。


紺邑では以前、ウールのマントを作っておりました。

仙台三越のお客様から、「風が中に入らなくて暖かいから、ケープにして」とご注文を頂いて以来、ここ何年間はマントをやめてケープを作っております。

今年はそれを全面的に押しだし、デザインも少し変えてみたのですが、これが好評で、暮れから新年に掛けての紺邑を支えてくれています。

特に写真のケープは、ウールツイードのおしゃれなもので、これをどうしようかを迷っていらっしゃる。

悩んだ末にお買い上げ頂いた。

彼女にしては、ちょっとお高い買い物であったのかもしれません。


その後、成績は伸びません。

全体も、今日は低調な様子だ。

昨年の今日も、やはり低調だったそうです。

 
ちょっと疲れて、休憩室で仮眠をとって帰ると、もう一段高価なアルパカのケープが売れておりました。

これは簡単に決まったようです。

売れた商品の数は少ないですが、成績は十分となりました。

全体も夕方挽回して、前年をクリアーしたらしい。

この勢いでは、この時期の最高記録を出しそう。

この不景気の時代に、どういう事なんでしょうね。

主催する企画会社の勢いも、あるのかもしれません。

2010年1月 5日 (火)

10.01船橋通信 最終日

早いもので、船橋東武も最終日となりました。

朝礼に寄れば、予算達成は確実な情勢。

時節柄、低い予算ではあったけれど、前年実績も超えているようだ。

紺邑はと申しますと、四日目にして前年実績を超えさせていただいている。

しかしです、商品の数は実に少ない。

三越本店と同時期開催で、分散しているためです。

船橋には年に3回来ておりますが、3回ともどこかと同時開催で、ここのところ、船橋だけに力を傾注することが出来ておりません。

お客様が沢山いるところですから、これが残念でね。

たぶん、希望的観測ですけれど、船橋だけでやらせてもらえれば、この倍以上の売り上げが取れると思っております。

 

さて、最終日も、何となく商売をさせていただき、このご時世では、最低限の目標は達成させていただきました。

会場全体にはものすごい勢いが感じられて、結果はまだ知りませんが、1日で相当な売り上げが出来た様子です。

担当者の顔にも、ようやく安堵の色が見え、実にめでたい年明けとなりました。

これも、みんなで力を合わせた結果であって、決して一人の力で出来たことではない。

それを肝に銘じ、感謝しなければなりません。

私が催事の最終日に、会場全体を回って、一人一人にご挨拶させていただいているのは、こういう感謝の気持ちを表したいからです。

ところが今回は、終わり頃になって急に忙しくなって、挨拶回りが出来なかった。

そうしたら皆さん、私の所にわざわざ挨拶に来てくださった。

順番待ちのような状態になってしまって恐縮でした。

 
私としては、相手にこういう気遣いをさせてしまうことが嫌で、こちらから挨拶回りしているという面もあるのですが、でも、ありがたいことでした。

商品を荷造りして、筆の鉄ちゃんと帯の松原さんの荷物も一緒に、赤帽で日本橋に運びました。

およそ20分くらいであっという間に到着。

藤田君達が手伝いに来てくれて、あっという間に搬入が終わりました。

日本橋の成績はどうなっているかと思ったら、これがものすごい数字。

予算どころか、前年実績を大幅にクリアーしておりました。

さすがですが、これが景気が良くなる兆しであれば、ますます良いですが、果たして如何に!

髪結い

昨夜、不愉快な思いを抱えて帰りますと、カミサンが三女に髪を切ってもらっていた。

長い髪をバッサリとショートカット。

終わるとすっきり。

 
三女は、小さいときから、人形をもらうと髪を切って遊んでいたくらいで、髪結いは天職だと自分でも云っている。

実は私も、髪を切ったりセットしたりすることが大好きで、多少、その血を受け継いだのかも知れないし、本人もそう思っているらしい。

 
厳しい専門学校に入り、その世界の上場企業に就職も出来たのだけれど、最初から自立を目指し、修行もたっぷりして、異例のスピードでスタイリストになり、今はフリーで活躍している。

彼女のカットは、長持ちすると評判だし、髪を相手にしていると、全く疲れないらしい。

天職だと思うのも、解ります。

 
ついでと言っては何だけれど、私も初めて髪を切ってもらった。

私もすっきり。

2010年1月 4日 (月)

10.01船橋通信 新年会

船橋の六日目。

朝出勤すると、人形の小島が私の所に来て、「昨日の朝礼で、昨年の実績を四日目にして超えた業者として、大川さんと私が紹介されてましたよ。如何に昨年が悪かったかと言うことですね」なんて、自虐的なことを言った。

しかし、まさしくその通り。

今日も、すでに昨年実績を超えた業者が紹介されていましたが、意味は同じ事ですね。

そんなことも、冗談で済むのが、船橋の良さ。
つまり、みんな、仲間だと言うことです。

 
今日は恒例の新年会で、総勢22名が集まることになった。

みんな仲間内で、誰が偉いも偉くないもなく、主役も脇役もないはずだった。

  
会場にちょっと遅れて着くと、見知らぬ顔が一人いる。

鍛冶屋のお客だそうな。

これで、和気藹々になるはずだった会が台無し。

みんな最後まで気を遣わせられ、気を遣わないまでも気は許すことなく、一部の人達は先に帰ってしまった。

日本橋の新年会とは、比べようのない、節度のない新年会になってしまいました。
 

その人がどこの誰かは知らされたけれど、鍛冶屋以外には何の関係もない事だ。

出席予定者の一人は、個人的な予定が入ってこの会を欠席したけれど、鍛冶屋も、この人との付き合いが大切ならば、そうすれば済むことだったはずだし、この新年会は、鍛冶屋が居なくては成り立たない会でもない。

みんなをこの新年会に誘ったのは私。

申し訳ないことをしました。

 
それでも、会を仕切ってくれた長谷川君には、会費を決めて会場と折衝をしてくれたり何ダリ、ご苦労様でした。

この不快さは、どこでどう解消したらよいのか分かりません。

今回は、私がここまで書くほどに、不愉快だったと言うことです。

読んでくださった方々にも、申し訳ない<(_ _)>

2010年1月 3日 (日)

10.01日本橋通信 新年会

毎年恒例の新年会が、三越に出展している仲間内で開かれるという伝言が、カミサンからありました。

三越の閉店時間は午後7時。
船橋は午後7時半。
新年会は7時半からだというけれど、船橋から行くと、早くても8時を過ぎる。

年寄り連中の集まりだから、解散が早い。

せっかく行っても、話も出来ないのではおもしろくないなと考えていたら、「お父さんが日本橋をやればいいじゃないの」と三女が言った。

そりゃ簡単な解決策だというので、私が日本橋、カミサンが船橋という布陣で、本年3日目を迎えることになりました。

 
日本橋三越は、実にスケールの大きな催事です。

たぶん、日本一でしょう。

文字通り、北は北海道から南は九州沖縄まで、全国から100社程集まって、2週間に渡って催事が行われています。
 

三越本店の年末年始は、日本の正月の風情が残っていて、私は大好きですが、お客様にもそれなりの興奮のようなものが感じられるし、それがまた、非日常的な百貨店らしい雰囲気を醸し出しております。

お客様も、東京のホテルで年越しをされた方々など、日本中からお見えです。

それに今日は、箱根駅伝の復路の日でもありますし、そのゴールは三越本店の直ぐ側ですから、百貨店内の賑わいは、人に酔うほどにものすごいものでした。

紺邑も、おかげさまで近年にない成績を上げさせていただいたし、全体の成績もすばらしかったらしい。

 
その所為もあってか、新年会は和気藹々。

私も気持ちよく、適度に語り、酔い、娘の所に無事帰って参りました。

例年なら、飲み過ぎて近くのホテルに泊まるところですが、時節柄、みんな控えめで、その節度も大切なことだと思いましたね。
 

控えめなのは、料理の頼み方にも出ていました。

この新年会は日本橋の寿司屋でするのですが、この不景気では、幾ら勘定をとられるか分からない。

私たちにだって懐具合というものがあるし、何せ仕事の旅先だから贅沢も出来ません。

そこで、料理の値段を決めて店に任せ、飲み代別の宴会にしたら、昨年よりも随分安くついたらしい。

この気持ちよい新年会は、私より年上の、幹事の努力のおかげです。

ありがたい事ばかりの年明けとなりました。

2010年1月 2日 (土)

10.01船橋通信 初売り

デパートの初売りは、福袋がすっかり定着しているようです。

毎年の事ながら、お客様が朝早くから、百貨店の入り口にズラーッと並んでいらっしゃる。

そのために、平常十時開店のところ、東武船橋は九時半、日本橋三越は九時四十五分開店。

開店と同時に、売り場は人混みに。

しかし、職人展会場には、人っ子一人入ってこない。

みなさん、お目当ては福袋ですからね。

 
しばらくしてから宇野澤さんが、のんびりとした風情で、小さな福袋を一つもってご来場。

「並んだんですか?」と聞けば「そんなことしねぇよ」とおっしゃいましたが、まあ、常連の方々はそうでしょうね。

腹回り133㎝の巨体は、まるで大黒様のようでしたが、そのご利益はすばらしく、次々とご常連がお見えになって、ありがたい初日の売り上げとなりました。

 
全体の成績も予算達成!

めでたい出足でございます。

2010年1月 1日 (金)

正月元旦 初詣に初滑り

元日は、年末年始で唯一の休日ですから、たっぷりと休ませていただきました。

八時過ぎに起き、私の生まれ故郷の直ぐ側を走る「ニューイヤー駅伝」のテレビ中継を見ながら、お雑煮を頂くと、直ぐに眠くなって10時過ぎに昼寝。

起きてみると2時を過ぎておりました。

毎年恒例の、それも何十年も見ているサッカー「天皇杯」が始まりましたが、なぜか初詣に行きたくなり、前半だけ見て「名古屋グランパスの勝ちを予言しよう」なんぞとほざきつつ、府中の大国魂神社へと向かいました。

20100101162820_2 ものすごい人出ですが、若い人が多いのには驚きました。

日本も捨てたものじゃありません。

今年は元日から、大国主命にご挨拶させていただき、幸せでありましたね。

今年一年がよい年となるには、相当な努力と根性が要るでしょうが、幸魂と奇魂のお力は、日本古来のものだから、おすがりしない手はありませんや。

帰りの車中、携帯電話でスポーツニュースを見ると、名古屋グランパスが負けていた。

予言の初滑りでござぁ~いぃ・・・<(_ _)>

新年快楽

新年あけましておめでとうございます。

激動の一年があけ、今年は如何なりますやら。

兎にも角にもお正月だぁ\(^o^)/

このブログを愛読してくださっている皆様には、「今年もよろしくお付き合い下さいませ」と、ご挨拶させていただきます。

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