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2010年2月

2010年2月27日 (土)

熊本通信 四日目

そろそろオリンピックも佳境を過ぎ、皆様落ち着いたところで忙しくなるかなと思いきや、まだ世間はそうはいかないようで一日静かでしたが、売り上げはどうかと思いきや、高いものが売れたようで、全体はきっと良い成績だったと思います。

昨夜は飲み過ぎまして、体調が悪かったのですが、前川印傳の社長にユンケルをもらって、何とか一日をしのぎました。

でも、長い一日だったなぁ~。
 

注文してから食事が出てくるのがものすごく遅くて、美味しいけれどもう誰も行かなくなった定食屋さんで一人で夕飯。

どのくらい遅いかというと、牡蠣フライ定食を頼んで1時間半ということがあった。

誰も行かなくなったお陰で忙しいことがなくなり、私は一人でゆったりと、待たされることもなく食事を楽しむことが出来るようになりましたとさ。

2010年2月26日 (金)

熊本 3日目

オリンピックで注目のフィギアースケートの日。

日韓ワールドカップの時、日本中のデパートの売り場が空ッカラになった事を思い出し、「今日はダメだな」と思いつつ出勤。

案の定、開店してもお客様はほとんどみられない状態。

 
「やはりな」と思っていると、開店してしばらくして、初日に入らしたご常連が、染め直しのワンピースをお持ちになった。

染め直しはサービスですから売り上げにはなりませんが、喜んでお引き受けすると、あれやこれやとお買い物もして下さった。

あっという間に、目が開きました。

 
我々も、売り場にいるとはいえ、何とか浅田真央達のスケートをみたい。

ワンセグという携帯電話でテレビが見られる時代ですが、電波が届いていないようで映りません。

その内、隣の前川社長が棚の上に携帯を持って行くと、中継が見られるようになった。

見ない振りをして見ていると、キム・ヨナが完璧な演技。

さて、いよいよ浅田真央だと待っていると、売り場にお客様。

そちらの方が大切ですから接客しますと、一足しか持ってこなかった下駄をお買い上げ。

こんな日にありがたいことですが、浅田真央の演技は見られませんでした。

結果は惜しくも2位だけれど、あのスランプから良く立ち直りました。

 
終わってから、昨年天草鶴屋でご一緒した木工作家の甲斐さん達と会食。

美味しい食事と酒とお話を味わって参りました。

ちょっと、飲み過ぎたかな。

2010年2月25日 (木)

熊本 二日目

早寝したために早起きとなりまして、何時に寝たところで、睡眠時間は変わらないことを思い知らされました。時計をみたら、4:30ですからね。

初日は、アイススケートのオリンピック中継がありましたから、それに負けたと思っておりましたら、朝礼に依れば、前年を大きく上回るすばらしい成績だったらしい。

紺邑は蚊帳の外ですが、昨年はもっと悪かったらしい。

2月は何に付けても難しいのですが、これが20年も続いていまして脱却できないでいます。どうしたらいいのでしょうかね。

2日目はご常連に来ていただきましたが、これまた下見になってしまった。明日以降と言うことにしましょう。

お店が棚卸しということで、6時に閉場。

美味しい定食屋さんで一杯やって帰って来たら、時間を余してまた昼寝になっちゃった。

久々に催事で、リズムが狂っております。

2010年2月24日 (水)

熊本通信 初日

朝6時から搬入が始められるところを、6時45分に会場に入りゆっくりと展示を致しました。

それにしても懐かしい顔ばかりで、皆さんにご挨拶するだけでも楽しい一時です。

始まりましたが、紺邑は下見のお客様ばかりとみましたね。

この成果が結実するのは、後日だと思うことに致します。

でもね、ここのお客様は事実、後で必ずお戻りになって下さいます。

 
そんな風に終わりまして、刃物屋の弟、白なめし、革細工のオンナ番長と五島の真珠のボンの五人で夕飯。

にぎやかに健康談議でしたが、歳をとった証拠みたいなものだな。

さすがに寝むくて、今日は早寝と致します。

2010年2月23日 (火)

熊本と仙台と そしてテッちゃん

世の中ままなりませんで、今週は、仙台三越と熊本鶴屋と、二手に別れて仕事をさせていただきます。

私は熊本。洋子さんは仙台。

羽田で関東地方から行く人達と待ち合わせて、団体で熊本まで参りました。

 
久しぶりの空港で、それも今話題の日航。

どうかなと思いましたが、違和感は無いどころか、ちょいと親切に、つまりサービスが良くなったような気がします。

 
空港を歩きますと、ファーストクラスだ何クラスだと、様々に区別がある。

我々職人は、何にしてもエコノミーだし団体だし、それで結構だけれど、中にはファーストクラスだ何クラスだというのを使う奴もいる。

そうすると、我々とは異人種になって行くようで、その臭い匂いがぷんぷんするようになる。

嫌ですね。

私がそういう立場になった時、せめて、臭い匂いを出さないように自戒くらいは致しましょう。

 
そんなことを考えながら待合いにつくと、洋傘の中島さんや江戸切り子の大久保さんなどの職人たちが待っていてくれました。

中島さんと、「あの卵は信じられないくらい旨かったですね」と、大田原の話になり、次に大阪の催事担当者が辞めた話をすると、「テッちゃんも辞めたらしいですよ」と云うではありませんか。

そんな気がしておりました。
 

テッちゃんとは、親父殿の時代からの長い付き合いで、我が工房には、七軒町にも閑馬にも来てくれていますから、紺邑の変遷をよく知ってくれている人。

ある地方百貨店の売り場の責任者で、紺邑を始めた時にも出展させてくれた。

そのテッちゃんが、昨年の秋口から、私が幾ら頼んでもその売り場に入れてくれない様になった。

何かあるな?ひょっとしたら、私に迷惑を掛けたくないと思っているのかな?と思っておりました。

大田原の店長から、その百貨店でもリストラが行われたと聞きました。

その時、ひょっとしたら彼も入っているような予感がしていたのです。

 
早速電話をすると直ぐに出て、「辞めたらしいじゃないの」と言うと、「そうなんだよ」と寂しそうな声。

彼は、仕事場が人一倍好きでしたから、その気持ちが伝わってきます。

「だけど、良い時に辞めたね」と、私が推測する事情を話して行くと、一々「良くわかるね」と言う返事。

「入れてくれなかったのは、迷惑掛けると思っていたんでしょ?」と聞くと、これまた「その通り。良くわかるね」とね。

「その内工房に遊びに行くよ」ということにはなりましたが、寂しいことですねぇ。

  
熊本に着くと気温20℃。

着てきたコートが邪魔な程です。

2010年2月22日 (月)

寂しい知らせ

大阪の百貨店の、元催事担当者から電話が入りました。

おや!?担当に戻ったのかな?と思いきや、現催事担当者の二人が、会社をお辞めになったという知らせでありました。
 

この二人、私とは色々あった。
 

一人は私が気に入らなくてね、ことあるごとにぶつかっていたものでしたが、最近は人が違ったようにやる気を出して、様々な企画を立てていたほどでした。

積極的に電話まで掛けてくるようになって、びっくりさせられていた矢先です。

 
もう一人は、決して出しゃばろうとはせず、陰に回って応援するタイプでした。

サッカーが大好きで、若い連中とは、フットサルの仲間でもあった。

この間、私がちょっと怒ったことでも、真正面から話を聞いてくれたものです。

 
ご時世ですねぇ。

 
なにも、この百貨店だけではありません。

あそこでもここでも、そんな話を聞くようになりました。

私は割合冷たそうに見えるけれど、事実そういう面もあるけれど、久々に寂しくなって、この催事の仲間に電話してとりとめのない話をしてしまいました。

いや、今でも寂しいし、残念だな。

2010年2月21日 (日)

お天道様

染め三昧と書きましたが、土曜日は横浜、日曜日は染めと休み無く、さすがに身体が悲鳴を上げておりまして、今日は洗いだけにします。無理は利きませんね。

手も、これ以上ないと云うくらい真っ青で、お客様が「手袋と思った」と云うほどです。

 

昨日今日と、久しぶりに晴れました。

太陽をお天道様といいますが、こう雪や曇り空が続きますと、つくづくありがたく、実感しますね。

金曜日染めた大物が、次々と干し上がり、アイロン台の上が山のようです。

 
このブログは、サブのパソコンで書いていますが、メインのパソコンが何故かネットにつながらない。

それでホームページが更新できなくなっていて、苦労をしておりました。

ダイアルアップにつないでもダメ。

よくよく調べたら、TAとUSBがつながっていなかったという、全く初歩的な事。

先ほど、催事スケジュールだけ更新しました。

落ち着きましたら、手を入れたいと思っています。

2010年2月19日 (金)

出会い

ここのところの日課で、早朝から染めの準備と仕上げの洗い。

午前中の染めが一段落したところで、宇都宮からお客様が二人お見えになった。

お一人は、藍染めと織りに人一倍のこだわりを持った方。

もうお一人は九州は福岡県から、ご子息の赴任地である宇都宮に越してこられた著名な料亭の元女将。染めも織りも実に詳しい方で、長年実践なさっていた方。
 

お二人とも、物作りへのこだわりは半端じゃないから、良くしゃべることしゃべること。

この私が聞き役だ。

それでも、肝心なところはきちんとしゃべらせていただきましたけれどね。

 
夕方までゆっくりしていかれましたが、こういう方には、気を遣わずに私も染めさせていただいた。

絹が三反、綿が3反と、大きな成果の1日となりました。

このお二人は、椎茸農家の星野さんの所でも話がはずんだようで、また新しい出会いがありました。

藍染めにこだわりのあるOさんは、綿の栽培にもお詳しいので、私たちがそれをこれから教わることになりました。

ありがたい出会いですね。

2010年2月18日 (木)

藍染め三昧

朝から晩まで、お昼と三時に休んだだけで、後は染め三昧。

生き返った甕は相変わらず落ち着かず、すくもが浮いている状態だから、目の粗い綿地だと、ついたすくもを落とす洗いが大変なので、目の詰まった絹の布を染めることにしました。

一枚は、反物を半分に切ってかご染めにしたものの染め直し。

もう一枚は、広幅で藍の付きに少し問題があって、丁寧な染めを求められるもの。

そしてもう一枚、広幅の絹地を染めることにしました。

 
この布地は、ちょっと目はたいした量とは思いませんでしたが、藍甕に入れてみると長いこと長いこと。

10メートルは超えていた。

これを甕に入れて斑無く染めるには、それこそ根性が要る。

甕の中に両手を入れて布地を引っ張るように広げ、手首を動かさないようにして液の中で二度天地して、布地の間に入った空気を完全に抜き、その間、布を引っ張るようにして藍をしっかりと付けるように染めて行きます。

染め出してしまったものはしようがないので、最後まで染めましたが、根性を入れるには染める姿勢が大事。

ブログのプロフィールの写真の姿勢を、長く続けなければならないので、腰への負担が大きい。

私は腰痛になったことがないけれど、それにしても最後は重くなりましたね。

 
六時に終了しましたが、ちょっと身体がきつい。

寄る年波には・・・(涙

2010年2月17日 (水)

命日

今日、2月17日は母と祖母の命日。

双方の墓参りを、昼休みを利用してして参りました。

寒いこと寒いこと!

墓をきれいにはしましたが、水を使う手が凍りそうでしたね。

 
その時間分だけ染める時間が延び、シルクの広幅と靴下を残業して染めましたが、残業と言っても自分の住まいですから、楽なモンです。

 
昨夜、早寝したら早起き過ぎまして、夜中の2時半に起きてしまった。

今日は、この時間(23:25)まで起きていられましたから、熟睡出来ることでしょう。

それでは皆様、お休みなさいませ(-_-)zzz

2010年2月15日 (月)

横浜

営業をかねて、横浜に行って参りました。

横浜は、私にとって第二の故郷と言っても良く、20代後半から30代の初めを、ここでバンドをやってご飯を食べさせてもらっておりました。

そのころの思い出は尽きません。

土曜の昼に出て、懐かしい顔に合い、ちょっと寝て帰ってきて、日曜日の午後は染め三昧。

くたくたになってブログを書けず、今日も今日とて染め三昧。

紺屋なんですから当たり前ですけれどね。

 

その昔、大島紬をこの業界で初めて紹介した城(きづき)と彼のお姉さん、水晶の大森君たちを交えて横浜で遊んだことがあります。

 
定番の中華街で夕飯を取り、港の突堤にある、誰も知らないようなバーに連れて行くと、それだけで彼らはカルチャーショックを受けた様子。(このバーには、印傳の前川達も連れて行ったことがあるけれど、彼らも感動しておりました。)

その後行った関内のお店では、歌手としても有名なお相撲の親方がたまたまいて、私と歌合戦。

親方の大ヒットした歌も目の前で聴けたのですから、城のお姉さんは「もう死んでも良い」などと言う程感激してくれました。

その伴奏をしてくれたのが、私の親友。

私は、親友などという言葉は滅多に使いませんし、聞いた人もいないでしょうが、この男だけは言える友でした。
 

もう一軒行こうということになって、横浜で一番有名だったバンドのいる店に行くと、絶対に客に歌わせないバンドが、「先輩の大川さんが来てくれたので、一曲歌ってもらいます」なんて言ってくれて、すっかり顔が立ってしまいましたね。

持つべきものは後輩です。
 

こういう遊びは、余程横浜を知らないと出来ませんが、実は東京版もあります。

最近はこういう機会もないし、私がしたいとも思わなくなっちゃった。

 

伴奏してくれた親友のことを、過去形で書かなければならない事は残念です。

2010年2月13日 (土)

恩師の訃報

私は忘れんぼで、それは昔からそうだった。

中学校時代の逸話は以前紹介させていただいた。

再録しますと
□□□□
中学一年生の時、毎日なにか、忘れ物をする。
それが教科書の時は、他の教室に借りに行くし、宿題もやってこない。
それが有名になっちゃって、担任の佐野先生に職員室に呼ばれ、次の日に持ってくる物をコヨリに書かされ、「いいか大川。明日の朝、このコヨリを見て、持ってくる物をチェックするんだぞ!」と、それを薬指に結びながら、きつく言われた。

さて次の日、また忘れ物をした。
佐野先生に職員室に呼ばれ、「昨日、コヨリに持ってくる物を書いてやったろう。それなのに何でまた忘れ物をしたんだ!」と怒られた。
「すいません。コヨリを見るのを忘れました」と言ったら、それ以来呆れられて、怒られなくなっちゃった。

言っておきますが、けっして劣等生だったわけじゃない。
生徒会長もやったくらいなんですからね。
□□□□

新聞の訃報欄に、佐野先生が載っておりました。もう何十年もお会いしておりませんでしたが、急なことでお葬式にも出席できませんでした。

享年81歳。

二年生からは隣町の中学校と合併し、校舎も新しくなったので担任ではなくなりましたが、サッカーを私に教えてくださった先生でもあります。

ご冥福をお祈りいたします。

2010年2月12日 (金)

天然灰汁醗酵建て

「天然灰汁醗酵建て」という藍建てがあるそうです。

あるそうですなんて書くと、じゃあ紺邑はどうなんだと云われそうですが、天然だし、灰汁で醗酵させて建ててはおりますが、「天然灰汁醗酵建て」とは称してはおりません。

何故かと云えば、天然であることも、灰汁で醗酵させることも当たり前だと思っているからです。特別な事じゃありません。

それでも「天然灰汁醗酵建て」と称する人達が居るのは、世の中に余程まれな藍建てだからなのでしょうかね。

 
どういう藍建てかというと、その名の通りで、すくも(藍)を木灰(樫などの堅木)からとった灰汁で醗酵させて、藍を可溶性にして染め液を作る建て方です。
 

すくもを使い、灰汁で醗酵させるのは、決して難しい事じゃありません。

紺邑では、アルバイトのイッセイ君でも藍建ては出来るでしょう。

日本中回っていますと、灰汁で醗酵させたことがある人達に沢山会いますしね。
 

ところが、大抵一週間程で藍の色がなくなって、染められなくなっちゃう。

そこからの管理と言いますか、調子の見方がわからないらしいので、結局、藍染めをあきらめるか、還元剤を入れたり苛性ソーダに頼ることになる。

 
もちろん、天然灰汁醗酵建てと称している紺屋さんは、そんなことはないとは思いますよ。

でも、インターネットで調べておもしろいと思うのは、「日本で唯一の天然灰汁醗酵建て」という工房がいくつもある事ですね。

そういう記事に出会いますと、「じゃあ、うちはどうなんだろう?」なんてね。

こういう藍建てが、当たり前のようになって、わざわざ「天然灰汁醗酵建て」なんて云わなくても良い状況になればいいなと、私は思いますね。

 

紺邑の藍建てについては、ホームページをご参照下さい。

2010年2月11日 (木)

また雪

今日は寒い1日となりました。

朝起きた時から、暗い曇り空。

これでは藍甕の蓋を開けても良いことがありませんし、一つは生き返ったばかりで勢いが微妙だし、一つは建ったばかりですし、外に干したって、染め物が凍るだけだし、今日は祭日でもあるので染めはお休みしました。

昼には雨になり、夜は冷たい雪となりました。

もう少し早い時間なら雪掻きが出来たでしょうが、これではあきらめて朝を迎えるしかありません。

願わくば、積もらず凍りもしませんように。

そう願いつつ、休んでおります。

続々 割建て

さて、割建ても、化学的には問題ないと書きましたが、本建てとの違いはあります。

それは以前、「環境問題と藍染め」として書きましたから、それが前提で私は書いていると云うことも、お解り頂きたいと思います。

ご面倒でなければ、ご一読下さいませ。

アクセスカウンター

このブログには、アクセスカウンターを付けております。

これは、パソコンからのものだけで、携帯からのアクセスは含まれていません。

「読んでるよ」という声は聴きますが、アクセスしてきた形跡がない方が多い。

なんでかな?と思っていましたが、ブログのプランを上げましたら携帯のアクセス数がわかるようになった。

それを見ますと、最近はそちらの方がパソコンからのアクセスより多い。

これにはびっくりしました。

  
どちらにしましても、こんな拙文をお読みになって下さっている方々に、感謝申し上げまするぅ~<(_ _)>

2010年2月10日 (水)

続 割建て

すくもを醗酵させて染め液をつくる「醗酵建て」、または還元剤を使う「化学建て」に、合成藍を足すことを「割建て」と云うと書きました。

何故そんなことをするかというと、液の中の藍分(らんぶん)が少なくなって、思うような濃さに染まらなくなるからです。つまり、(合成)藍を足して濃くするわけですね。

効率を考えれば、こんな手軽な方法はありませんし、化学的にはおかしな所はない。
 
 

一方、合成藍だけの藍建てもある。つまり、インディゴ・ピュアーだけの藍染めです。

合成藍は元がコールタールですから、醗酵させる有機物がありません。

だから、還元剤を使うしかない。

灰汁を使う意味もないから、苛性ソーダで強アルカリ性の液を作り、可溶性にして染め液を作る。

濃さも自由自在だし、色が無くなれば足せばよいのですから、大量生産が出来ますね。

大量に生産され、安く市販されている現在の藍染めは、ほとんどこれでしょう。

 

紺邑に、半年間寝ている藍甕がありました。

私のカンは、まだ十分に藍分を持っていると語ってきます。なにせ、すくもが2俵も入っているのですから。

ところが、どうしたらまた藍染めが出来るようになるのかが、私にはわからない。だから、半年間寝せておいた。

その間、様々に染めたり建てたり手入れしている内に、方法が閃いたのです。

ここで手入れ手入れと書いたのは、それもやっていた。

それが今日、実を結んで生き返りました。

20100210091311
立派な藍の花が建っておりますが、これが最近まで、全く藍の色が出てなかったのです。

復活させるまで半年掛かりましたが、こんな効率の悪いことはないでしょ!?

しかし、悩んだ半年の経験は、今後大きな成果となって、紺邑の財産となって生きると私は考える。

ここで効率を考えて還元剤を入れたり、合成藍を割ったりしたら、成果も財産も得られませんね。

 

本建ては、辛抱が肝心という所以です。

還暦

立松和平さんが亡くなりました。

栃木県出身の作家ですが、私と接点があったわけではないし、小説も読んだことがありませんから、個人的感慨は無い。

しかし、享年62歳だそうな。若いな。
 

斎木さんは65歳だったし、伝統工芸指定仲間だった草木染めの石川さんは、確か50歳代半ばでお亡くなりになった。

私は、今年で還暦を迎えます。

厚労省によれば、日本人の平均寿命は、男が79.29年、女は86.05年だそうな。

我が父親が77歳でなくなったことを思えば、あと20年生きて長い方かもしれません。

 
この歳になって、死を具体的に意識するようになりました。

老いるということは、こういう事かもしれません。

生きることに焦ることはないけれど、後悔無いようにどう生きるかが、今後の課題かな。

そして、自分らしさを取り戻さないといけません。そう思うようになった。
 

「何を今更」とか「あんたは思うように生きてるよ」とか言う声が聞こえてきそうだけれど、自分ではそうでもないと考えているのです。

 
幸いなことに、親父殿のお陰で藍染めに出会うことが出来たし、音楽もある。

それをもっと生かさねばならないと、立松さんの死の報道に接して感じましたね。

2010年2月 9日 (火)

割建て

そもそも藍染めは、醗酵という手段を用いて、水に溶けない藍を可溶性にして染め液を作ってきました。それを、「建てる」と言います。
 
 

藍染めの原料は、藍草の葉に入っている。

しかし、藍が沢山入っているわけではないから、大量に染めることは出来ないし、色が無くなれば直ぐに染まらなくなる。

醗酵は微生物の力だから、調整も難しい。

そこで人類は、化学の力で、藍が100%入っている原料を、コールタールから作り出しました。

それを、合成藍・人造藍・インディゴ・ピュアーなどと言います。

これを、藍建てした液に混ぜることを、「割建て」といいます。
 
   

この建て方の基本には、植物の藍も、コールタールからとった藍も、全く同じ物質だという化学的な考えがある。

それが、醗酵建てをしている紺屋が、合成藍で割ることの正当性の裏付けとなっているようです。

   

醗酵建てにも、灰汁で醗酵させる「本建て」と、苛性ソーダなどの薬品を使った「醗酵建て」とあります。

何故苛性ソーダを使うかと言えば、強アルカリ性の溶液を作るため。

灰汁も強アルカリ性ですから、苛性ソーダは灰汁の代わりだというのが、化学的な考えです。

   

醗酵させて「建てる」というのは、化学的に言えば還元という化学反応なんだそうです。

だから、液を還元させればよい事なので、還元剤を入れれば、醗酵と同じ化学反応が簡単に得られる。

この還元剤で建てる方法を、「化学建て」といいます。

 
   
以上は、すくもを使っている藍建ての種類ですが、化学的に言えば、「本建て」も「醗酵建て」も「化学建て」も「割建て」も、全て変わりがありません。

すくもを使いさえすれば、なんでも「本藍染め」になってしまう所以でもありましょうかね。

  

化学を元に藍建てを考えれば、こういう事になるわけです。

2010年2月 8日 (月)

割建て 序

本日嵩上げした藍甕。
 
20100208142318_2

 

仕込んでから一週間経ちます。

明日また、灰汁をとって嵩上げ。

染め始めるのは調子を見てからですが、まだまだ掛かりそうです。

ここで急いでは、ろくな事にならないかもしれませんから、じっと我慢。

急いては事をし損じるってね。

醗酵には時間が掛かります。

さて、表題の「割建て」について書こうと思いましたが、ちょっと御神酒が入りまして根性がありませんので、明日以降ということで・・・<(_ _)>

2010年2月 7日 (日)

手入れ

藍は手入れの1日。

夕べは予定通り、寝る前に手入れをして、朝七時前にまた手入れ。

段々良くなっております。

  
 
ふと裏庭を見ると、罠にイノシシが五匹掛かっております。

星野さんと親せき村の太田さんが来て、それを片付け。

太田さんは、害獣駆除の免許を取るおつもりだそうな。

この辺りのイノシシ被害は深刻で、これから田畑で作物を作ろうとするには必要だと言うことでしょう。

 
 
昼過ぎに電話が入った。

以前にも、藍染めについてお問い合わせいを頂いた方だけれど、実に研究熱心。

ご存じの紺屋で何か腹立たしいことがあったらしく、その思いを私にぶつけてきた。

その工房は、醗酵建てをしているのだけれど、割建てもなさっているらしい。

それなのにそこの主催者は・・・と言うことなのだけれど、私は、我が工房の藍染めを語るしかできませんや。

少し詳しく話を致しましたら、大分勘違いをなさっていたことに気がついたようで、今日の所はそのくらいの気づきで良いと私は思う。

理屈が先に立つ方は、理解に時間が掛かると、私の経験が語っております。

 
 
電話を切ったところで、千葉から島本さんご一行が到着。

久留米絣の山村省ちゃんのすばらしい絣を、私の藍染めと合わせて洋服にする相談で入らした。

デザインをゆっくりと打ち合わせし、染め場をお見せし、藍染めについて語り、星野さんの所で椎茸を頂き、足利で蕎麦を食べて別れて参りました。

充実した時間を過ごさせていただきましたが、ありがたいお付き合いとなりましたね。

 
 
ただいま、夜の八時半。

また手入れをしましたが、藍も大分調子が戻ってきた。

建てている甕も、順調です。

今日はもう一度、手入れを致します。

2010年2月 6日 (土)

椎茸農家の星野さんが、木灰を持ってきて下さったので、お茶を飲んでいると、外に雪が降り出した。

でも晴れているから、風花だ。

朝早いテレビ番組の速報で、群馬県沼田地方に大雪警報が出ていたので、その雪が風に流されてここまで来たのかもしれません。
 

つもることもないだろうと思っていたら、午後になって急に冷え込み、雪が本格的に降ってきた。

干した染め物が、直ぐにコチコチに凍る。

 
こうなると、藍そのものが寒さにやられてしまうので、夕方は手入れに集中。

駐車場も真っ白ですから、雪掻きも致しました。
 

ただいま夜の九時半ですが、後2時間後くらいに、最後の手入れをして休みます。

どうにもこうにも、冬の寒さはやっかいです。

2010年2月 5日 (金)

ノリ リズム

音楽にはノリとかリズムというのがある。
これが違ってしまうと、気持ちが悪い。
だけど、ノリを知らなければ、気持ちが良いも悪いもわからない。
なんにでも、こういう事があると私は思います。

私たちの世代ではお馴染みの、「コーヒールンバ」。
ご存じ、西田佐知子の名演。

http://www.youtube.com/watch?v=8-l8P9GgxHE&feature=related
こんな少ないユニットで、ギターもパーカッションも、素直で立派な演奏だと思います。
私は大好きだ。

フルーティスト赤木りえの「コーヒールンバ」。
これは気持ちがよい演奏です。

http://www.youtube.com/profile?gl=JP&user=RieAkagiFlute#p/u/11/2MIHgfy6lw4
すばらしいノリですね。
これは、音楽だ。

井上陽水の「コーヒールンバ」。
気持ちの悪い演奏です。

http://www.youtube.com/watch?v=HW7hb3jeids
何で気持ち悪いかというと、ノリが悪いから。
最初に聴いたのは、カーラジオから流れてきたとき。
おなかの底と背中が、気持ち悪くてむずむずしました。
でも、これが良いと言う人がいても、別に構やしませんがね。

感じるということの一例ですが、知るか知らないかは大きな要素でもありますね。

 
ノリが大事なのはダンスも同じ。

http://www.youtube.com/watch?v=9z2hge01PXE
かっこいいなぁー!
日本はレベルが高いのだそうな。

 
何が言いたいかって?(笑)

2010年2月 4日 (木)

朝青龍引退 孤独

この度の事件の責任をとって、朝青龍が引退しましたね。

29歳ですから、まだ若い。

そして彼は、外国人です。

 
 
高校生の時に来日し、記者会見でも「水も違う、言葉も違う」と語っていましたが、異国での生活の孤独はいかばかりかと思います。

たまたま、我が業界の後輩が横綱の相談相手でしたが、そんな孤独を語っておりました。

  
栃錦の自叙伝を読みますと、そこには横綱の孤独が書かれております。

横綱の地位というものは、横綱でなければわからない事があるらしい。

幸い栃錦は、同時代に吉葉山、千代の山、鏡里など、弱くて問題はあったけれど仲間がいたし、彼らと人知れず会って、孤独を癒していたと言います(※)。

その後は若乃花という、時代を共有する大横綱が生まれた。

そして彼らは、長く相撲界にいた上に、日本人だし、年齢も30を超えておりました。
 

朝青龍は一人横綱の期間が長かったですね。

若い外国人力士の相撲界を背負うその孤独は、想像を絶するものでありましょう。

 
彼に相撲界を任せてきた人達の問題は、何も語られていないようです。

そして、ただただ彼を責めた女性横綱審議委員についても。

 

※昭和36年中央公論社発行「栃錦一代」p174「横綱の哀楽」には

「晴れがましくはなやかに見える横綱も、内心はつねに緊張感をもちつづけて孤独なもの、そういう機微がかようのは横綱同士だけなので、話も大いにはずんで、ずいぶんにぎやかな会になったものです」

と、彼らの会合について書かれています。

天狗

古峯神社」という、天狗信仰で有名な神社が栃木県にあります。

神社の解説には
ーーーーーーーーーー
当社は別名「天狗の社」とも呼ばれ、神社内参籠室や廊下には所せましと天狗の面、或いは、扁額・威儀物(火ばし、下駄、わらじ、天狗人形)が掲げられております。
これは熱心な崇敬者から心願成就の暁に奉納されたものばかりです。
天狗はご祭神のお使いとして、崇敬者に災難が起こった時、直ちに飛翔して災難を取り除いてくれる(災厄消除・開運)偉大なる威力の持主として広く根深い民間信仰を集めております。
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と書いてあります。

住所は鹿沼市ではありますが、地理的にはほぼ日光と言っても良く、銅山の足尾にも近い深い山の中で、佐野市閑馬町の真北になります。

昨日は節分でしたから、お参りに行くことにしました。

直線距離にすれば、たぶん30キロもないでしょう。

ところが、真北は山ばかりですから道路がありません。

ナビで行き方を調べて見ると、まずは東に向かい数十キロ走り、途中で北に向かい数十キロ走り、西にまた数十キロ走るという、カタカナのコの字の様に行かねばならない。

近道があるはずだとGoogleの地図で見ると、山の中を北東に栃木市方面に行き、そこから真北に古峯神社に向かう近道がありました。

一昨日の雪が気になったけれど、この天気なら解けているだろうと考えて、その道を行くことにしました。

そうしたら、始めは広くてきれいで実に整備されていて信号もなく、気持ちよくスイスイと走って行くと、段々山には入って行くし、道は狭くなるし、先日降った雪が消えずに残っているようになった。

それでもゆっくりと走れば、何とかなったのですが、山頂に近づくと、ついにタイヤがスリップして動けなくなってしまった。
  

車はつい最近、不要になった方から頂いたカローラで、受け渡しの時に「チェーンは純正のものが入っています」と何故か強調した申し渡しがされたのですが、この時の為であったようです。

初めてチェーンを付けました。

その昔、教習所でやったことがありますが、30年以上も前のことですから何にもわからない。

寒空の中、説明書を見ながら苦節1時間で何とかなって走り出すと、その先はまるで“いろは坂”の様な曲がりくねった坂道の上に、雪が解けずに残っている。

山頂辺りで野生の鹿や猿に出会ったりして下りになり、しばらく走るとポールに遮られて、その先が進めないようになっちゃった。

ポールを調べたら、道路の向こう側からこちらへの進入禁止・通行止めとなっておりました。

動かせるので、手動ではずして先に進みましたが、つまり、通行止めの雪道を走ってきたことになる。

そんなこんなで、ようやくたどり着きましたが、神社の中は善男善女の笑い声に包まれておりました。

こんなに明るい雰囲気の神社は初めてです。

御参籠」と言って、お泊まりになる方々も沢山いらっしゃるようです。

お参りし、ご祈祷も受け、すがすがしい気持ちになって下山。

帰りは、カタカナのコの字で帰ることにしましたが、ついでに宇都宮の東武百貨店で開かれている「新潟・長野物産展」に行って参りました。

知り合いが沢山いて、中には懐かしい人もいて挨拶も出来ましたが、工芸担当の酒見君はお休みだったらしく、会えなくて残念でしたね。

このブログに時々コメントしてくれる「原人」くんも、奥様と一緒に販売に勤しんでおりました。

原人君の焼き物は丈夫で有名ですが、相変わらず身体もでかくて丈夫そうだ。
 
 
夕飯のおかずの買い物も、物産展で全部済ませ、夜は原人君の「発泡酒がビールになる」という焼き物でビールを美味しく頂きながら、のんびりさせていただきましたとさ。

やはり、物産展は楽しいですねぇ。

2010年2月 3日 (水)

鶏卵 の2

今朝の朝食は、卵かけご飯。

一口食べて、「旨い!」と一言。

本当に美味しい卵です。

お勧めしたいけれど、手にはいるのでしょうかね?

「薬膳至宝卵」で検索したって、何にも出てきやしません。

この商売っけのなさも、安全で美味しいものを食べたい人達には困ったもんです。

どこかの百貨店で扱っては如何でしょうかね。

中島さんも言っていましたが、星野先生は飄々としている様に見える。

悪く言えば、熱がないように見えるのですね。

もしそうなら、こんなに長い間、難しい農家を指導できたはずがない。

 
でも、無理をすることがない。

去る者は追わず、来るものは拒まずの態度は、今でも変わりないな。

 
北海道で、農業に行き詰まった人がいた。

それも、先生の指導を受けながらです。

たぶん、私もよく知る人だと思う(先生は詳しく語りません)。

 
最後に養鶏だけが残ったので、この薬膳至宝卵のやり方を教えたら、今まで売れなかった卵が、生産が間に合わないまでになった。

そんなこともあるのですね。

2010年2月 2日 (火)

鶏卵

私も洋傘の中島さんも、生卵が大好きで、そもそも男で卵が嫌いな奴は少ないでしょうね。

私たちは酒を飲んだ後、お茶漬け代わりに卵かけご飯で仕上げるけれど、これは京都のおばんざい屋さんが始めたことで、少なくとも、私の出会いはそうでしたね。

卵焼き、目玉焼き、オムレツ、オムライス、玉子丼、親子丼など、男は卵料理がみんな大好きだ。

 
卵も鶏肉も、私たちの世代は地鶏が当たり前でした。

いや、それしか食えなかったと言っても良い。

卵も、朝、鶏小屋から自分で集めてきたから美味しかったし、私の身体は、ほぼこれで出来上がったと言っても過言ではありません。

その内ブロイラーが出てきて、私は鶏肉が食べられなくなり、鶏卵が臭くなって旨いものではなくなった。

 
最近ようやく、当たり前の地鶏が食えるようになり、私も鶏肉が食えるようになった。

卵も、美味しいものが出てきましたね。

 
さてこの鶏卵
20100202221121_2

星野先生監修の卵ですが、餅網に落としても箸で持ち上げても崩れません。

白身に匂いもない。

つまり、丈夫で栄養価が高いと言うわけですが、何故こんな卵が出来たかというと、鶏に与える餌の問題なんだそうな。

それも、卵のために餌を与えるわけではなく、鶏の健康のため。

結果を求めることに性急では、間違えると言うことでしょう。

この辺りは、藍染めも同じだし、米作りも同じ。
 

米作りに関しては先日、NHKで八ヶ月間追跡した福島の「里山の米作り」という番組の米も、星野先生監修の米だ。

明日は米が、我が家と中島家に届くそうです。

楽しみだ。

10.02大田原 最終日

大田原は2007年の春、私と担当のI課長と話し合って始まった催事です。

私は、個人で職人を集めて催事を主催すると言う時代はもう終わったと思っておりましたので、企画会社にお任せすることを提案させていただいた。

宇都宮の酒見君にも了解を頂き、08年の1月に始まりました。

 
企画会社の神田さんにとって、これが初めて任された催事。

力も入っていましたが、大成功に終わった。

 
昨年も立派な成績。

今年は、もっと立派な成績。

たぶん、一週間で三週間分の売り上げを作ってしまったのではないかな。

この成功には、神田さんのこの催事に対する愛着心と熱意もあるかもしれません。

 
あれから二年。

彼にも落ち着きが見えて参りました。

 
最終日は大雪の後でしたから、どうなるかと思いきや、午前中はさっぱりだったのに、終わってみれば一人前。

店長がいらして、「○○○万円やったらしいね」と私に言う。

「来年が大変です」と答えると、「そこはやんなきゃ!」と、発破をかけられてしまった。

店長は、朝早くから駐車場の雪掻きをなさっていた。

もちろん、社員達もですが、そのために朝礼が遅れる程でありました。 

 
雪でどうなるかと思いましたが、無事帰って参りました。

途中でサッカー中継があるのを思い出し、高速道路のスピードを80/hから100/hにスピードアップしたら、中継に間に合いました。

小笠原君は、頑張りましたね。

もう少し、ワンタッチパスが欲しいと思ったけれど、終わってみれば解説者も岡田監督も同じ感想。

プロの見方を思い知らされました。

 
明日は、初詣の予定です。

2010年2月 1日 (月)

10.02大田原通信 月曜日

このご時世に、この催事はちょっと考えられない成績を上げています。

百貨店自体も素晴らしい成績らしく、1月末現在の売上は、前年を大きく上回ったそうです。

各地の百貨店が軒並み成績を落とし、閉鎖するようなこの不況時に、一つの指針となるようなことではないでしょうかね。

そりゃぁ、スケールメリットはありませんが、それにしたってこの成績は希有なことではないでしょうか。

ここは人口が多いところではないし、金持ちが多いところでもないし、サラリーマンと農業従事者の多いところ。

交通の便は悪く、不便極まりない。

その上での成績ですから、他の百貨店は何も言い訳できないでしょうね。

それでもさすがに月曜日ですから、客数が少なくなりました。

その上、午後から大雪の予報ですから、余りよい予感はしません。

 
ところが終わってみると、日建て予算をオーバーし、一週間の目標も5日間で軽くクリアーしてしまった。
 

予報通り、午後は大雪。

明日がどうなるか解りませんが、全く売上がなくても何ともない。

もう余裕たっぷりです。

 

企業努力は、こんな不況でも報われるものなのですね。

社員達は明るく、生き生きしております。

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