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2010年3月

2010年3月31日 (水)

藤沢通信 初日

藤沢初日。

ここは、ただただ藍染めに興味を示すお客様を待たなくてはなりません。

興味ない方に、いくら説明しても無駄だとは、長年の経験で知っております。

その代わり、興味を示された方は、ちゃんとした反応をして下さる。

解りやすいので、気が楽で疲れが少ないところなんです。

 

今日も目が開くのが早かった。

ご常連にも来ていただき、注文を頂きました。

DMを出すのが遅れておりますので、明日からが本格的な「紺邑正藍染展」のオープンでしょう。

 

ホテルが取れてなかった。

担当が変わるというごたごたの所為でしょう。

搬入日だけは、無理に一部屋取ってもらったのですが、東京の娘のところから数日通うことにしました。

電車で1時間ちょっとの通勤時間です。

東京から神奈川という、通勤の逆方向ですから、多分混まないだろうと思いますね。

その代わり、ネット環境が最悪となりますので、苦心しながらのアップロードとなりそうだ。

2010年3月30日 (火)

藤沢へ

朝起きまして、しばらくすると銀行から電話があって、これから行きますという。

待っていると、台所の工事の方が入らした。

銀行の方々も入らした。

お帰りになり、DMを作っていると、茨城からお客様がお見えになって、少ない商品の中からお買い物をしてくださった。

 
気が付くと4時半。

急いでバスターミナルまで風間君に送ってもらって、王子→東京経由で藤沢に参りました。

 
準備をある程度まですると、社員は皆さんお帰りになると言う。

  
私一人残るわけにはいきませんから、帰って参りました。

 

一日の行動を書けばこれだけですが、一つ一つの中身が濃かったので、ものすごく慌ただしい一日でありました。

 

ホテルの大浴場に身を浸すと、かなり疲れが取れましたね。


ゆっくり休ませていただきますm(_ _)m
お休みなさいませzzz

2010年3月29日 (月)

郡山通信 最終日

最終日。

開店早々、目の前の水晶屋に、まるで初日の開店の様な人だかり。

最終日になって何だろうと思ったら、日替わり提供品という仕掛けだった。

それを象徴するかのように、一日、割合人出の多い最終日でした。

紺邑はと言うと、下見のお客様が戻ってきて下さったり、片付け始める最後の最後までお客様に恵まれまして、この週初めて一人前の成績を上げさせていただきました。

 

夕方5時終了で6時03分郡山駅始発の新幹線に乗りますと、7時38分には佐野に着いておりました。

郡山は近いです。

すてきなお客様もいらっしゃる。

今度は、1階でやってみたいな。

 

しばたはつみさんの訃報が飛び込んで参りました。

私が地元足利に紹介した最初のミュージシャンだった。

ご冥福をお祈りします。合掌

2010年3月28日 (日)

郡山通信 日曜日

お天気だけれど、まだまだ冬のような寒さでした。

お客様は皆さん厚着で、洋服を売るには、先ずはそれを脱いでいただいく作業があるので、一手間掛かってしまうのでありますよ。

私には見るべきものはありませんでしたが、他の方々は売れていたようで、多分、全体は良い成績であったでしょう。

 

ここのところ、メインのノートパソコンがものすごく遅く、使い物にならないくらい調子が悪い。

ウイルスにやられたかと思ってスキャンをすると、それも遅くて10時間掛かった。

ウイルスでもなかった。

デフラグしたり、ディスククリーンアップしたりしてもだめ。

 
どうしたらいいのだろうと思って、マイ・コンピュータの中を覗いてみたら、妙なファイルが三つ入っている。

なんだか解らないけれど、これを削除してみたらあら不思議、パソコンが元に戻ったではありませんか(^_^)v

 
これで、ホームページもようやく手が入れられますし、帳簿もつけられる。

約半年、苦労させられました。

それにしても、あのファイルはなんだったんだろうな。

多分、私が間違って保存してしまったのだろうと思います。

 

毎日、地下の食品売り場で夕飯を買って帰っています。

もちろん、社員入り口から入りますが、そのドアに

20100328182620

なにも、無理することはないと思いますがねぇ。

 

昔、この百貨店は別のところにあって、地元の方々が、長靴を履いて来られるデパートだったらしい。

売上もあり、職人展もそこそこだったと言います。

 
それが移転し、キレイになってから、そう言う方々の来店がなくなったとも聞きます。

 
地方百貨店の、生き方の難しさを感じる話しですね。

2010年3月27日 (土)

郡山通信 四日目」

久しぶりに良い天気。

商売も天気通りになればよいなと思い、勝負の三日間の始まりでしたが、今日はそれ程でもありませんでした。

 

夕飯を、ホテルの隣の「定食居酒屋」という妙な名前の店で取りましたが、これが美味しいこと。

熊野の筆屋と、営業の久木山君の行き付けでしたが、早く気付けば毎日行っていたことでしょう。

 

電話が掛かってくる約束があったので、早めに帰ってきましたが、勿体なかったな。

 

電話はしっかり掛かって参りまして、仕事後にはちょっと辛かった。

やはり、人間は限度がありますね。

2010年3月26日 (金)

郡山通信 3日目

今日も寒かった。

商売としては、3日目にして初めてまともな物が売れました。

そのほかに見るべき物は別にありはしませんが、明日からの3日間が勝負です。

 

それでもみんなは、難しいところだけれど、続ければきっと良い催事になろうと言います。

それだけ、良いお客様がいらっしゃるという手応えがあると言うことなんでしょう。

 

時代は違うけれど、近鉄百貨店上本町店の「職人の技展」も、最初は売り上げのない催事だった。

それが、日本一になった。

何が起こるか、わかりゃしません。

 

デパ地下で刺身を買って、部屋で晩酌しながら、金曜ロードショーの「ディープ・インパクト」を見ております。

この映画、リアリティに欠けておりますね。

なんて、野暮だな(^o^)

2010年3月25日 (木)

郡山通信 二日目 

朝起きますと雨。

雪にならないのが不思議なほど、寒い。

歩道が白くないのに、足音がキュッキュと鳴るし、何かを踏んでいる感触があるので、夜中に雪が降ったのかなと感じましたが、白い雪の後はありません。

郊外に住んでいるマネキンさんに聞くと、真っ白だそうで、ここはやはり町中なんだと思いましたね。

 

こんな日は、さすがにお客様は少ない。

27日から、カードのポイントアップのセールがあるので、買い控えもあるらしい。

その分、最後の27・28・29日の三日間が楽しみだとは、社員の言。

 

郡山のお客様は、一度では買わないと。帰ってから考えて、またお戻りになって買うと。だから、きちんと説明をしてくださいと。これまた社員の言。

その通りに致しましたから、これまた楽しみだ。

 

仕事が終わって外に出ますと、寒いこと寒いこと。

まるで真冬です。

 

夕飯は部屋でお弁当にしましたが、これが物足りない。

夜遅くに、例のラーメン屋に行っちゃった。

あまりの寒さに、身体が皮下脂肪を蓄えようといているようだ。

 

2010年3月24日 (水)

郡山通信 初日

最近の百貨店はみな、入るを量りて出ずるを為すで、出ずる経費の削減は、広告宣伝費から人件費にも及んでいるようです。

それについてとやかく言う立場ではありませんが、百貨店が集客に力を入れてくれなければ、我々は販売する相手を失い、売り上げを上げる術も失う。

簡単に言えば、悪循環だと、こう言いたいわけです。

今や、集客の手段として欠かせない広告宣伝費は、リスクになっちゃっているようです。

 

百貨店が出来ないなら、場所と名前を借りている我々がするしかない。

20万分配布したという今回のチラシは、全社写真入りで出ておりますが、たぶん、ブラシ屋の旦那がそれを請け負い、間接的に、我々出展者も、そのリスクを共有していることでしょう。

  

さて初日。

そのチラシ効果が、早速現れていたように感じましたね。

思いの外、お客様がお見えになり、それも、目的があるように見受けられました。

大きな物が売れ、小さな物が売れないという、昨今の傾向もあったようです。

 

チラシを全く出さなかったある大手百貨店の催事は、出展者みんなが泣くほどにお客様がいらっしゃらなかったといいます。

企画会社が入っていたようですが、彼らは何もせず、それこそ無為無策だった。

この大手百貨店の催事は、概ね失敗しておりますし、催事そのものを止め始めてもいます。

こういう企画会社は存在意義を失い、存続も危ぶまれるのではないかと思いますね。

 

それにしても、郡山は寒い。

雪が降るという予報もあるらしい。

お客様もコートをお召しだから、洋服を売るためには、そのコートを脱いでいただくことから始めなきゃならない。

一手間掛かるのでありますよ。

2010年3月23日 (火)

福島県郡山市

福島県郡山市にある百貨店、「うすい」に来ております。

明日から10階催事場で開催される、「職人の技展」に出展するためです。

 
 
風間君と車で搬入に来ましたが、佐野から約2時間の距離。

郡山は、思ったよりも大きな町です。

 

東京以北では、仙台が抜群に大きな町ですが、その間では、宇都宮と郡山が大きい。

宇都宮には東武百貨店があり、郡山には「うすい」がある。

 

東北自動車道で那須を過ぎ、福島県に入ると突然寒くなり、車の暖房を入れました。

まだ、コートが要る感じです。
 

 
会場に入りますと、さすがに知り合いばかりですが、こう言っては何だけれど、今回主催する企画会社でなければ、これだけのメンバーは集められないでしょうね。

なかなかに、豪華だと思う。

 

飾り付けをしながら思い出したけれど、ここは、米粒、博多帯、A企画と、いろんな人が催事を企画してきました。

私も何回か誘われたけれども、一度も来たことはありません。

今回のお誘いでなければ、来ることはなかったと思いますね。なんて、偉そうですけれど、本音です。

 

夕飯はラーメンにしようと思った。

町を歩いても、なかなか見つからない。

ようやく見つけた店には、客が一人もいない。

「こりゃダメだろう」と思って入りませんでしたが、他に無い。

「えい!ままよ」とばかりに入って味噌ラーメンを頼んだら、白みそで思いの外美味しかった。
 

得した気分で、このブログを書いておりますですぅ。

2010年3月22日 (月)

かたくり

カタクリを見に、遠く千葉は船橋から、宇野澤さんご夫妻がいらっしゃいました。

星野さんの裏山で、ゆっくりと野生のカタクリを愛で、久保さんのところで蕎麦を頂き、ゆっくりとおしゃべりを楽しんでお帰りになった。

5月には船橋でまた会えますし、6月は私が運転して日光へドライブに行くことにしました。

 
 
宇野澤さんを見送ってしばらくすると、今度は千葉の野田から若いHさんご夫妻が入らして、またカタクリ。

椎茸を沢山頂いて工房に帰ってきてから、薪割りが好きだというのでお手伝いいただいた。

これがお上手で、沢山薪が出来ましたが、まだまだ沢山ありますから、いつでもお出で下さい。
 

 
野生のカタクリは、後一週間くらいでしょうが、来年咲くだろうという葉が沢山出ていましたから、楽しみです。

佐野のカタクリの里は、人為的で飽きてしまうと言う方々が、時折お見えになるのだそうですが、後数年すると、自然のカタクリの群生地となることでしょう。

 
藍染め、陶芸、木工、椎茸、蕎麦、美味しいお米、美しい花々、小鳥たちの鳴き声に、これからは新緑の美しい季節。

閑馬に、是非起こし下さい。

2010年3月21日 (日)

薪割り

暑さ寒さも彼岸までと云うし、三寒四温とも云いますが、今年のこの季節の寒暖の差は、身体に応えます。

その所為かどうか、私の身近に亡くなる方が多いですが、昨日もご近所で葬式が出来ました。

隣組といっても10軒に満たず、今年還暦の私が、「大川さんみたいに若ければ」と言われるくらいですから、若い人がいません。

この間は床堀を致しましたが、今回は出張でお手伝いできそうないな。

 

昨日から炊いている薪ストーブは、思いの外薪を使います。

星野さんから頂いた薪も、2日持たなかった。

ご近所の皆さんの、薪を集める苦労も気持ちも、良くわかりました。

 
来年の為に、先日集めた薪を割りましたが、子供の頃を思い出しましたね。

 
昭和30年代の前半、わたしの生まれ育った田舎にはガス水道はなく、米も風呂も、みんな薪でしたから、子供の私も薪割りをやらされたものです。

風呂の水も井戸で汲んで、バケツで風呂場まで運んでいた。

 
私が、割合慣れた手つきで薪割りをしていますと、帰ってきていた娘が、「すごい」なんて言っていましたが、昔取った杵柄という奴でしょうかね。

それでも、さすがに疲れたな。

 

思い出してみると、ストーブは石炭でしたね。

小学校では、石炭置き場があったように記憶していますが、どうだったかな?

 

私は旅が多い。

薪を割っておくのも、大変かもしれませんが、何とかしないと、冬は待ってくれませんからね。

2010年3月20日 (土)

薪ストーブ かたくり 引っ越し

昨日の日記に、「かたくり」と書いていて紹介するのを忘れていました。

20100319140232 全く下手な写真で、お解りにならないかもしれませんが、星野さんの裏山に咲くかたくりです。

これから群生し、山がかたくりで一杯になる。

ブログに載せても良いというお許しを得た上で、ご紹介します。

いらっしゃれば、ご案内しますよ。

 
そもそも佐野市には、「万葉自然公園 かたくりの里」というのがあります。

ぜひ、お越し下さい。

 

さて、引っ越しで身体を使い、ストーブの慣らし運転で気をつかっております。

取り扱い説明書によれば、200℃くらいで2時間ほど薪を燃やし、消してさましてからまた200℃くらいで2時間というのを、3回くらいはやれと書いてある。

安物の鋳物ですから、その分大切に扱ってやらないといけないのかもしれないので、書いてあるとおりに慣らし運転。

 

困ったのは、表面に塗った塗料が焼けて燃える匂いです。

塗らなきゃ良いのにと思いますが、見栄えも大事なんでしょう。

 

夜になって、本格的にストーブを燃やしてみました。

2階もポカポカと、暖かく、快適です。

2010年3月19日 (金)

薪ストーブ かたくり

奇跡の薪ストーブに火が入りました。

こんな時期になんでだ?とお思いでしょうが、まあ、いろいろありましてね。

2階の床に
20100319164054 ニョキっと煙突が出て参りまして

天井に
20100319164137 ここに突き刺さるわけです。

1階は
20100319205021 こんな感じです。

火入れ式を執り行いました。

火種はやはり、日頃お世話になっている、椎茸農家の星野さんの薪を使わせていただくことにしました。

ご連絡すると、「最初の火入れは、ちゃんとやらなきゃダメです。私がやります」と言って、薪を持ってわざわざ駆けつけてくれました。

火がついたときの星野さん。
20100319210013 写真はぼけてますが、うれしそうです。

火を付けては消し、消しては付けることを2・3日やらなければならないそうです。

でも、夢の一つがかなってしまった。

皆さんのおかげです。

これを転機に、また仕事に励むことにします。

2010年3月18日 (木)

工房の新しい 穴

2階の床に、新しい穴が開きました。20100318191216_21階の工房から、あの奇蹟の薪ストーブの煙突が伸びてくる穴です。

これで、1階の暖かい空気が2階に上がってくることになる。

煙突の出口がここ20100318191404 天井の天窓です。

 

今日の工事は、ここまで。

明日はストーブの設置工事となります。

 

工房の2階は現在、私たちの住まいです。

だけど、お客様の寛ぎの空間として、非常に評判が良いので勿体ない。

そこで、私たちは近所の一軒家を借りまして、そこを住まい兼倉庫とし、2階はギャラリー兼コーヒーショップという、最初の計画に戻すことにしました。

 

こんなことは、色々な人達の協力が無ければ、決して出来る事じゃありません。

貸し家が見つからなければ、こんな事も出来なかった。

契約したのが、3月8日です。

 

徐々に引越をしておりますが、お借りした家は、直ぐに住めるものじゃありません。

床を変え、壁を塗り、風呂場を変え、トイレを変え等々、手入れに数ヶ月かかると思います。

もう何年も、人が住んでいませんでしたからね。

 

本当の田舎暮らしが、これから始まります。

2010年3月16日 (火)

名古屋 最終日 

名古屋駅店が終わりました。

不思議なことに、お茶を引く事もなく過ごさせていただきました。

それでも、売り上げ的には何ともなりません。

父の代からのお付き合いですから、最後のご奉公でもありましたでしょうかね。

新しい出会いもあり、何か意味のある出展であったことでしょう。

 

帰りは18:10分名古屋発のひかりに乗り、19:53分東京着。20:10東京駅発のバスに乗って21:30佐野着という、すばらしい乗り継ぎで帰って参りました。

帰ってきたら、インターネット接続が光だ!。

全くストレスがありません。

高江さん、済みませんねぇ(^_^)v

2010年3月15日 (月)

名古屋通信 月曜日

今日の仕事で主なものは、他の百貨店催事の出展者選定作業でした。

事情をご存じない方は、私がそんなことをするなんて妙だとお思いでしょうが、百貨店から私に相談が来ます。

メールという便利なものがこう言う時に役にたち、現在上がっている業者リストをメールの添付ファイルで送ってもらい、そこから検討を始め、後は電話とメールでやりとり。

何故か頭がくるくる回りまして、割合短時間でメンバーが決定できました。

 
 
催事は縁です。

良い縁から始められる人と、そうでない人がいる。

今日も、最高の縁をご紹介したら、それ程でもない縁と重なっていて、選ぶことが出来なかった人がいた。

 
私が今出展している駅店はどうかと言えば、それは本店の方が良い縁に決まっています。

しかし、駅店に出ているからといって、同じ松坂屋でも、本店に出展できるなんてことは決してありません。

もう二十年も駅店に出展していて、ここが無くなると名古屋の仕事が無くなるという業者がいらっしゃる。

今回、久しぶりに駅店に参りまして、そんなことを実感しましたね。

  

今私は、松坂屋の本店に出展させていただいているけれど、それは多少、人に尽くしてきた結果もあるのではないかと思う時もある。

これは、お陰様ということで、それはもちろん、私が思うこと。

そこに策略などはありません。
 

中には策略をめぐらして、出展出来るようにしている業者も、良く良く知っております。

お金も使えば気も遣う。

そう言う業者は、それがストレスとなって、必ず何処かに現れる。
 
 
 
私は、これが出来ない。

だけど、こういう事でのストレスは全くありません。

直言するから、トラブルが絶えない。

しかし、ビジネス上はけっして褒められたことではありません。

なんとかならないものでしょうかね。

2010年3月14日 (日)

名古屋通信 日曜日 新しいお付き合い

久しぶりにお酒を一滴も飲まずに寝まして、その所為かどうか、朝お腹がすきません。

いつもより軽めに朝食を取りまして出勤。
 

朝礼に寄りますと、前年よりも成績が大分良いらしい。

どうも変だと思いますが、売れている人がいるか、前年が余程酷かったかだと思うけれど、何はともあれ、百貨店担当者としては、ホッとしていることでしょう。

  
 
今日は名古屋女子マラソンの日。

また、スポーツイベントに負けた感のある一日となりました。

 
それでも夕方、「きれいねぇ」といって立ち止まってくださったお客様がいらした。

「栃木から来ております」と申し上げると、「栃木というと大川さんという方がいらしたわね」とおっしゃいますので、「長男です」と云うと、それから思い出話に花が咲きました。

この催事に古くからお見えになっていた方で、親父殿とも母とも親しくお付き合いくださっていたらしい。

お買い物もして下さり、ご住所も頂きましたので、新しいお付き合いが始まりそうです。

  

新しいお付き合いと言えば、出羽細工の中井さんのブログ。

新しくリンクさせていただきました。

  

2010年3月13日 (土)

名古屋通信 四日目 藍の色

今日から外商特商とやらで、昨日までとは違う客層が期待できるようでしたが、少し違いが感じられました。

ちょっと売れるものが違ってきたかな?という感じだし、明日から少し希望が出て参りました。

  

夕方になって、若い女性が「きれいですねぇ」といいながら、ご来店下さった。

「遠くから見て、あまりにもきれいなんで、何だろうと思って来てしまいました」と、うれしいことをおっしゃる。

シルクのスカーフを当てて差し上げると、肌の色との調和も感じて下さった。

「私はブルーが合わなくて、特に紺がダメなんです」とおっしゃるから、濃紺のものを当てて差し上げると、これがお召しの紫に合う。

びっくりなさってお買い求め頂きましたが、こういう反応を頂くと、染め屋冥利に尽きるというものです。

  
 
紺邑の青色は、私の出そうとしている青です。

時には、藍染めに見られないこともある。

それこそ、自然界にある青味だと思っております。

  
 
夕飯は、もちろんステーキとさせていただきました(^_^)v

2010年3月12日 (金)

名古屋通信 3日目 ステーキ定食

泊まっているホテルは、名古屋駅から地下鉄で二つめの駅から歩いて7分くらいのところにあります。

急に決まった仕事でしたので、ホテルを取るのも前日で、ここがベストチョイスだったのです。
 

駅からホテルまでの間に、定食屋が2軒ある。

どちらも私好みで、気楽で結構なものです。

その内の一軒で、毎朝朝食を取って入るんですが、何故か今日は混み合っていて、それも、劇画の中から出て来たような若者ばかり。

頼んでいるものが、ステーキときたもんだ。

その食欲がうらやましいなぁ~と思いつつ、私は納豆に生卵という定番。

 
その昔は、朝からステーキが食べられるような生活をしたいと思っておりました。

それは経済的なこともありますが、主に体調の方を重要視したもの。

 
彼らが食べているステーキ定食は860円ですから、私だって食べられるけれど、さすがに身体が受け付けません。
 

仕事帰り、夕飯こそはステーキにしようと思ってその定食屋にはいると、口が勝手に焼き魚定食を頼んでいる。

美味しく頂いて、帰って参りましたとさ。

 
仕事?

ご想像にお任せいたします(^_-)

2010年3月11日 (木)

名古屋通信 二日目

今朝の朝礼で、「3月1日に大丸松坂屋百貨店が誕生しました」と担当マネージャがおっしゃった。

そういえばそうだったと報道を調べましたら、SankeiBizに
【「大丸松坂屋百貨店」スタート】という記事がありました。
□□□□
J.フロントリテイリング傘下の大丸と松坂屋が1日、合併し、新会社「大丸松坂屋百貨店」が発足した。百貨店不況が深刻化する中、構造改革のスピードを早めるために合併時期を当初予定より1年前倒しした。新会社の本社は東京に置き、主戦場である“首都攻略”を加速する。

 共同持ち株会社のJ.フロントは2007年9月の経営統合以来、システムや仕入れ部門などを順次統合し、営業改革や業務効率化を進めてきた。今回の百貨店事業会社の合併で経営統合が完了した。「大丸」「松坂屋」のブランドや各店舗の名称は継承する。(後略)
□□□□

駅店は8月までということでしたが、それ以後はどうするのか、これも調べましたら、毎日新聞に【松坂屋:名古屋駅店8月閉鎖発表】とあった。
□□□□
J・フロントリテイリング傘下の松坂屋は25日、名古屋駅店(名古屋市中村区)を8月29日で閉店し、名古屋駅前から撤退すると正式に発表した。百貨店の閉店は今年11店目。不況や若者の百貨店離れにあえぐ百貨店業界では、地方店だけでなく都心店まで閉鎖する例が相次いでいる。

 閉店は入居ビルの建て替え工事に合わせたものだが、2016年度完成予定の新ビルへの再出店は、ビル所有者のJR東海と賃料などの条件で折り合わなかったため断念した。

 名古屋駅店はJR名古屋駅に隣接する好立地。しかし売り場面積が約1万6500平方メートルと狭いうえ1974年開業で設備も古く、00年にジェイアール名古屋タカシマヤが隣に開業してからは劣勢に立たされていた。

 今後は経営資源を本店(名古屋市中区)などに集中させる。名古屋駅店の従業員129人のうち正社員は本店などに転属させるが有期契約の約60人の処遇は今後検討する。松坂屋は1月に岡崎店も閉鎖しており、愛知県内は本店と豊田店の2店となる。(後略)
□□□□

要するに、大丸松坂屋百貨店は誕生したけれど、各々の名前は残り、本社は東京に移る。
名古屋駅店は8月29日で閉店。再出店もない。

こういう事になったようです。

駅店の業績はわずかながらも黒字で、閉店発表後は120%の売り上げだそうですが、どうもその恩恵にはあずかっておりませんね。

地球温暖化

地球が温暖化に向かい、それはCO2がどうだからどうだという問題が喧しいようです。

鳩山さんは、25%減だとおっしゃっているらしい。

 

それにしても寒い3月ですが、温暖化は本当なんでしょうか。

国連の発表の科学的データが、間違っていたという報道もあったようです。

 

私は、森林が荒れ、自然破壊が続いている現状を憂うものの一人だけれど、それをCO2一人の責任にして良いものだろうかと考えております。その影響は、温暖化だけではないことも、知らしめる必要があるのではないかと。

それが地球温暖化だけに特化され、ビジネスと結びついて行くわけだけれど、もっとライフスタイルに目を向けても良いのではないでしょうかね。

 
まあ、私たちに出来ることはわずかなことだが、その積み重ねが大切だと思いますね。

二宮尊徳の「積小為大」という事です。

 

まずは、薪ストーブにして、木を燃やす。

藍染めも草木染めも、灰汁を使い、日常の生活に木の文化を復活させる。

灰汁を取った灰は、釉薬に使う。

 
そういう心がけは、大切なんじゃないでしょうか。

 

2010年3月10日 (水)

名古屋駅店初日 名古屋ローカル

物産展の初日は、食品が賑わいます。

紺邑のいる場所は、食品売り場から一番遠いところで、常連の出展者達には「裏ですね」なんて云われています。

十何年かぶりでお会いする方もいれば、初めての方もいる。

駅店催事の独特な雰囲気を思い出しました。

 

最近、テレビを見るようにしておりますが、名古屋はどのチャンネル回しても名古屋です。

そのローカル色と云いますか、「名古屋だがね!」という自己主張は、すごいと思います。

 

ここの営業時間は夜八時まで。

1日の長いこと。

それにしても寒い。

九州も関東も雪だそうな。

会場も寒くて、Tシャツにシャツにセーターの上にジャケットを着ても寒い。

外に出ますと、コートが恋しい。

 
洋服を売る商売に取っては、困った気候です。

 

2010年3月 9日 (火)

松坂屋名古屋駅店

名古屋の松坂屋駅店に来ております。

明日から「北から南から ふるさと大物産展」という催し物に出展するためで、今日は準備日です。

 

松坂屋名古屋駅店は思い出深い場所で、親父殿の工房が、本格的に百貨店催事に出た最初と云っても良い百貨店です。

凡そ三十年以上も前、栃木県の出張所が名古屋にあり、この物産展や、コンコースの栃木・群馬物産展を紹介してくれまして、藍染めなんて日本であまり知られていない頃から出展している百貨店なのです。

私ももちろん出たこともありますが、ここに岡崎店の担当者が見えて岡崎に出店するようになり、岡崎店に本店の催事担当者が来て、私が「職人展」を紹介したなんて経緯があるのです。

 
凡そ20年ぶりくらいに参りましたら、従業員の出入り口も分からないし、会場も記憶にありません。

当時は、久留米絣のエッチャンや京都のちりめん四季や贄田さん達がいたように記憶しておりますが、贄田さんだけは健在で、名古屋駅店の主のような存在でもある。

 
その駅店が、今年の八月で閉店するそうです。

思い出深い店に、親父殿と母が、「最後だから行っておいで」と云ってくれたように、突然出展が決まりました。

このお店に感謝しつつ、一週間仕事に励みたいと思います。

 
名古屋の皆様にはDMも出しておりません。

このブログを見た方は、是非お遊びに入らしてくださいませ。

2010年3月 8日 (月)

パン屋さん

藍染めの命は、すくも(藍)と灰と水。
その中でも、灰を手に入れるのは大変です。

ある日ある時、ブラシ屋の旦那から「あなたの所は灰を使うよね。石窯でパンを焼いている友達がいるんだけれど、灰が要る?」と電話があった。そのパン屋さんは、なんと栃木市にありました。

ご連絡し、集めた薪をもって行って参りました。

 
栃木駅の南へちょっと歩いたところに、そのパン屋さんはあります。
名は「
石窯ベーカリーOLIVE」。
石窯で焼き上げた天然酵母のオリジナルブレッドを販売なさっています。

 
緑の屋根のログハウスということでしたが、確かにログハウスはありましたが、パン屋さんはない。

それもそのはずで、全て予約販売で、お店がある訳じゃないのですね。

庭に石窯があり、薪が山のように積んであり、オリーブの木が中央に植えられておりました。

 
天然酵母で石窯ですから、半端なこだわりじゃない。

藍染めもパンも醗酵ですから、苦労は変わりありませんので、話がはずんで止まるところを知りません。

美味しいライ麦パンも頂き、すばらしい灰も頂き、帰って参りました。

 
栃木市にも、薪ストーブの愛好家がいらっしゃるとのこと。

みんなが薪を使い、里山が整備されればこんな良いことはありませんし、紺邑も灰に困らなくなる。

おかげさまで、新しいネットワークが出来ました。

 
ブラシ屋の旦那に、感謝です。

2010年3月 7日 (日)

天気予報

日曜日の天気予報は、雪!

バイクのツーリングで、東京から閑馬にいらっしゃる予定だった12名の団体は、中止となりました。

確かにバイクで雪は辛いだろうなと思っていると、いつになっても雪は降ってきません。

雨天決行でしたから、残念なことをしました。

また、次の機会を楽しみに待つことにしましょう。

百貨店で仕事をしていても、時折天気予報に振り回されることがあります。
 

 
お陰で、何もしない日曜日を過ごさせていただきました。

Jリーグは、しっかりと見させていただいた。

大宮の藤本選手が、インタビューで泣いていたのが印象的でしたね。

2010年3月 6日 (土)

1日、薪運びをしておりました。

森林ボランティアの方が伐採した木を、我々が薪として使えるように切っていただいたものを、その方の畑に置いているのですが、そこにジャガイモを植えたいとのことで、今日中にその薪を全て片付けることにしたのです。

20100306151226 写真では大きさが分かりにくいですが、樹齢何十年の樫や山桜や木楢の太くて重い木々です。

軽トラック2台とワンボックスカー1台で3往復いたしました。

灰を得るためには、これも仕事の一環です。

 
 
春から夏は、薪ストーブが要りませんから、灰がなかなか手に入らなくなります。

栃木市に、ブラシ屋の旦那のお友達で、石窯でパンを焼いていらっしゃる方がいて、そこで灰が手にはいるらしい。

この薪を、月曜日に持って参りまして、灰を頂いて帰ってくる予定です。

 

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我が工房の裏庭には、まだ薪になる木が山になっております。

欲しい方がいらっしゃれば、燃やした灰を頂くということでお分けいたしますよ。

 

さて、今の日本は、山の木を切っても利用する人もいませんから、山が荒れている。

だから、森林ボランティアが伐採する訳ですが、山持ちが伐採を頼んでこない。

切った木の処分に困るからですね。

 
私たちがそれを薪として使うために、今日のように綺麗になくなると、切った木が処分できると山持ちが分かる。

そうすると、伐採を頼んでくるから、山も荒れずにすむ。

そういう意味もある、薪運びでありました。

 

ところで、「薪」という字は「まき」とも「たきぎ」とも読ませますね。

どう違うんでしょうか?

2010年3月 5日 (金)

春の予感

東京の赤坂の話をしたところで、私は田舎生まれの田舎育ち。閑馬がしっくりとフィットしております。

良い天気でしたから、工房の窓やドア全てを開けて風を通し、整理整頓をして暖かな春を迎えることにしました。

工房の2階も、大きく変えようと思います。

 

ホームページの催事スケジュールを更新いたしました(郷原さん、ご参照下さい)。

 
本来なら4日に、インターネットも200Mの光になっているはずだったのですが、NTTの代理店の間違いで12日の工事に変更になってしまいました。

まあ、仕方ありませんが、ISDNではデータのアップロードには手こずります。

 
旅から帰りましたら、1日くらい休めばよいものを、貧乏性で直ぐに働いておりますが、もう昔のように身体が云うことを聞きませんでね、夕方には昼寝をとってしまいました。

それでも夜は眠くなるから、私もまだ若いのかな!?

2010年3月 4日 (木)

東京の夜 赤坂

夜になってテレビを楽しんでいると、NHKの「ブラタモリ」という番組で、東京の赤坂が出てきました。

「銀座・赤坂・六本木」と歌の歌詞にあるように、日本を代表する盛り場ですね。

以前、六本木を青春の町と紹介しましたが、赤坂もまた、深く深く思い出のある町です。

 
大きなクラブやキャバレーが沢山あって、そこは私の仕事場だった。

月世界、ゴールデン・ゲート、コパ・カバーナ、ワールド、ニュー・ラテンクウォーター、ミカド等々。
 

月世界に私が出ているときに、下のゴールデン・ゲートにレイ・チャールズが出ていた時もあった。
 

ワールドはあまりに大きく、バンドが2階にいて、音をとるのが大変だった。
 

コパ・カバーナはデビ夫人とスカルノ大統領が出会った店で、格式が高くてプライドも高くて、一緒に出演したアメリカのジャグラーが、緊張のしすぎで失敗したことを覚えております。

この店の近くにあったのが、カッパ亭だ。
 

ニュー・ラテンクウォーターは、力道山が刺された店。

私は出演したことないけれど、黒いシナトラといわれていたルー・ロウルズが来日したとき、私たちは所謂前歌をやりまして、そのリハーサルで行ったことがあります。
 

ミカドはさすがに知りません。

 
赤坂は料亭の町でしたが、今では見る影もない。

中川はビルになり、川崎はどうなりましたかね。

夜になると黒塗りの車が並び、政財界の人達が毎晩のように会合を開いていた。

 
焼き肉、中華、蕎麦に鰻に和食、串焼きや全国の郷土料理など、食べるものも美味しい店がたくさんあった。

大衆的なところでは、渋谷にあった民民が移ってきましてね、ここは私の夕飯の場で、焼きそばが絶品だった。
 

小さなクラブも数多くあって、それは今でも変わらないかもしれない。
 

忘れてはならないのは、月世界の前にあった無限というディスコ。

日本のブラックミュージックの大元ですね。

そこに出演していたミュージシャンが入り浸りだったのが、六本木のジョージの店だ。
 

三島由紀夫達の隠れ家のようなレストランもあって、そこは私の遊び場でもあった。

これは今でもある。

 
良く酒を飲んだのは、マルコ・ポーロという赤坂東急ホテルのバー。


米軍のクラブも、ニュー・ラテンクウォーターの隣にありましたが、そこはしょっちゅう出演しておりました。

 
その内、そんな話を書いてみたいと思います。

閑馬初日

昨日の朝起きますと、大晴天!

少し休もうかと思いましたが、こんな日に染めないなんてもったいないと、染めに勤しみだした。

ところが電話が一杯掛かってきて、夕方社長業。

東京まで行って参りまして、とんぼ返りで夜の11時頃に帰って参りました。 

 

疲れ果ててブログを書けず。

今朝も染め始めたのですが、ちょいと疲れが襲ってきた。

午前中、お休みいたします。

寄る年波でございます。 

2010年3月 2日 (火)

from 熊本 to 閑馬

朝七時半にホテルのロビーに集合し、ワンボックスカーのタクシーで熊本空港へ。

八時半前に到着し、チケットの手続きを世話人の大久保さんがしてみると、なんと予約が明日の3日になっていたらしい。

空席もなく、団体の予約ですから、我々では如何ともしがたい状態になっちゃった。

 
朝早いので、チケットをとった旅行会社になかなか連絡が付きませんで、待合いでボーッとしておりました。

分かっていることは、9:40分発には乗れないこと。
乗れたとしても、12:15分発だと言うこと。
それまで3時間あること。

そこで、世話人の大久保さんにお断りして、朝食がてら、レストランで休ませていただくことにしました。

 
その内、チケットも無事とれたのですが、チケットの手配を間違えた旅行代理店が気を遣ってくれて、そのレストランで何でも食べて飲んでくれという事になった。

だからというわけではありませんが、三時間という待ち時間を、楽しく過ごさせていただきました。

羽田に着きますと、寒い。

閑馬に帰ってきましたら、もっと寒い。

熊本通信 最終日

オリンピックは朝10:30から閉会式。

旗手を務めるのは浅田真央。

天気予報は、午前11時から雨。

開店早々、外の景色が真っ暗となり、まるで夜のよう。

そんな中、来てくださったお客様は、ありがたい存在です。

 
立ち止まって下さったおしゃれな方に、ブラウスジャケットを。

お嬢様から電話があって、無理矢理紺邑まで来てくださったお母様には、和泉木綿手絞りの反物を買っていただき、今週一番の成績となりました。

電話してくださったお嬢様に、感謝です。

 
さっさと片付けて、あの料理の出てくるのが遅い定食屋で、ブラシの富さんと白なめしの小野ちゃんと三人で打ち上げ。

一仕事終わると、やはり、ああいうけじめは必要ですね。

 
さて、閑馬に帰ります(^^)/

2010年3月 1日 (月)

熊本通信 5日目

時節柄、日本中の百貨店で移動があったようです。

今年は、移動どころか辞めてしまった人もいるけれど、出世した人もいる。

悲喜こもごもだけれど、売り場担当者の数は、総じて少なくなっていますね。
 

 
さて、熊本鶴屋の5日目は、初日に見てくださったお客様が戻ってきてくださって、そこそこ売り上げになりました。

これは鶴屋の大特徴で、下見をなさって二度三度とご来店下さるお客様が多い。

ですから、しっかりと説明して置くことが必要のようです。
 

 
いつもは初日か二日目に行われる懇親会(がんばろー会)が、五日目に行われました。

くじ引きで席を決めますが、たまたまイタヤ細工の菅原さんが隣になった。

その席の人のほとんどをご存じないとのことでしたが、鶴屋の職人展は、業界的には様々な人が集まっていて面白いのです。

私も、一年に一度、ここだけでお会いする人もいます。

 
楽しい一時を過ごさせていただいたけれど、この会を主催する小山さんから最後に、「大川さん、来ていただいて光栄です」と言われてしまい、大恐縮でしたが、ありがた言葉を頂きました。

 

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