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2010年4月

2010年4月30日 (金)

上六後期

再び、近鉄百貨店上本町店の「職人の技展」に戻って参りました。

メンバーが大きく替わりましたが、今回は大人の雰囲気だな。
 

目の前が、大島紬をこういった催事で紹介したパイオニアであり立役者の城(きづき)で、私より少し年下だけれど、まあ同年配だ。

隣の広井さんと、後ろの秋葉さんは大先輩。

水晶の大森君は同年配で、その隣の洋傘の中島さんは少し年上。

 
それはともかく、眠いこと眠いこと。

どうにもなりませんで、奥で少し休ませていただいた。

 

久しぶりに、城と大森君と3人で、例の中華屋で夕飯。

二人は酒飲みではありませんから、さっさと食べてさっさと帰って参りました。

 

明日からは、何とかまともに1日を過ごしたいな。

2010年4月29日 (木)

汗顔の至り

一瞬の展示会のために、京都に行って参りました。

場所は、高台寺前の春光院。

高台寺の高僧でもある和尚が、本堂を改造してイベントが出来るようになっているのです。

その時は、ご本尊が隠れるように出来ている。

机を並べれば客席になるし、座禅を組む台が動いてテーブルにもなる。

しかし、会場費を取るわけでもなく取らないわけでもなく、公開されているわけでもなくしていないわけでもない。

檀家が僅か30軒ほどのお寺ですから、年間を通じて法事などは5回あるかどうか。

それなら生きている人の役に立つ方が、余程仏の教えにかなっていると、随分お金を掛けて本堂を改造なさった。

「貧乏になりましたが、なに、金など無いくらいがちょうど良い」などと、淡々とおっしゃっておりました。

禅宗のお坊様は、私の師匠を含めて面白い方が多いようです。

我が和尚は私に、「貧乏なんてしていると、今度は金持ちになっちゃうかもしれないから、貧乏を楽しまなきゃいけないよ」と、諭してくださったな。

 

京都ではその昔、高島屋に出展しておりました。

親父殿のファンが多いところで、ものすごい売り上げだったところ。

紺邑は大丸に出展しておりましたが、日程が合わなくなって、ここ数年、京都の仕事が全くありません。

京都の方々に、どうしたら我が藍染めをお見せする機会がもてるだろうと考えておりましたから、そのきっかけになればと思って、今回は無理を致しました。

20100429104846 禅寺らしい趣のあるお寺ですが、目の前は「ねねの道」で、一大観光地でもある。

掃除している人は、目の前で観光客相手に人力車を引いている人。

 
 
ここに三々五々、お客様があつまり、三時過ぎから宴会。

一度お会いして、直ぐに尊敬してしまった情報工学の権威中村先生ご夫妻。

関電の偉い方、市役所のお役人、民放とNHKの放送局の方、神戸にお住まいのインド人と日本人の奥様、知らない人はいないという有名な祇園の芸者さん、ビジネスコンサルタント、お琴の先生、哲学者、等々。

 
空きっ腹に酒が入った為か、どうもこういう方々を相手に、余計なおしゃべりをした感じが致します。

風邪気味でのどが痛い中、歌も歌いました。

表題の「汗顔の至り」とはそのことですが、なに、覆水は盆に返りませんし、後悔先に立たずとも云いますから、なるようにしかなりませんや。

 
途中、思い出して京都在住の友人に電話。

「直ぐ近くにいると思うんだけれどな」というと、「何処ですか?」と聞くから、「どこそこにいるよ」というと、「え!、ちょっと待っていてください。今行きますから」と云って、携帯電話で話ながら来てくれた。

この男、若蔵(わかぞう)といって、京都で「りゅうあん」という店を経営し、遊印を彫っている。

ご住職にも紹介し、出席なさった皆さんにもご紹介したが、「どんな集まりなんですか?」と、目が点になっておりました。

 

さて、帰りの荷物をどうしようかと思いましたが、全ての手続きをこの男がしてくれて、宅急便で発送してもらいました。

私には、日本中にこういう知り合いがおりますが、ありがたいことでした。

 

JRで帰って来ましたが、こういう無理も今日が最後です。

身体が悲鳴を上げている。

明日からは、通常の日常に戻りたいけれど、こういう変化をどうやって生かして行くかが、今後の課題かもしれません。 

2010年4月28日 (水)

上六七日目

百貨店はお休みで、社員の家族向けの特売日だそうです。

毎月最終週の水曜日に、開催されているらしい。

人の賑わいはたいした物ですが、それが私たちの売り上げに繋がっていたかどうかは疑問だな。

そういえば、昨年も良くなかった。 

 

京都のお寺で、午前10時から午後3時までの、一瞬の展示会が決まりました。

しかし、段取りは何もなく、どうして良いか全くわからない。

商品を運ぶ手段も無い。

主催してくれた友人に電話をすると、「京都までタクシーで来て」というし、その友人の友人に相談しろとも云う。

自分は東京にいて、何ともならないらしい。

どうも困った事だけれど、この友人のこう言うところには慣れておりますから腹も立ちません。

 

しがない職人には、大阪から京都までタクシーを飛ばすという発想はありませんから、近鉄で一番大きな買い物袋に三つ、目一杯の商品を詰め込んで、電車を使い、手持ちで運ぶことに致しました。

またその方が、一晩ゆっくり過ごせる。

そのほかの私物もある今日は、荷物をどうやってホテルまで運ぼうかと悩みましたが、コルクに手伝ってもらって事なきを得ました。

今回は、彼に世話になりっぱなしでありました。

 

今晩も早寝だ。

2010年4月27日 (火)

上六六日目 新歌舞伎座

コルクが、ブログに写真を載せろというので撮ってみました。

20100427092803

この秋にオープン予定の歌舞伎座です。

左側で百貨店とつなぐらしい。

 

さて、仕事は相変わらず静かな物ですが、デパ地下も改造中だし、明日は閉館して社員の家族に対する大売り出しだそうで、買い控えもあるのでしょう。

2週目に期待するしかありません。

 

夕飯が寂しい。

付き合ってくれるのが、コルクだけ。

 

よくよく考えると、回りは若者だらけで、私のように還暦近いのは数人。

それ以外は、秋田の樽名人のように70~80歳に近くなる。

33回も続けると、代替わりしておりますし、これでは一緒に飯を食おうなんてことになりません。

今日もコルクに振られ、一人で夕飯を食べて参りました。

 

2週目は、洋傘の中島さんや大島紬の城など、同年配が増えます。

少しは寂しくないかもしれませんし、忙しい週になりますように。

2010年4月26日 (月)

上六五日目 飯

この二日間、ギリギリまでホテルにおりまして、朝食抜き。

さすがに腹は減るので、11時に社員食堂に行くことになる。 

 
近鉄百貨店上本町店の社員食堂は、注文を聞いてから調理人が作る。

中華に和食に洋食が揃っている。

各々種類も豊富で、量も味も値段もそれなりだ。

一時評判が悪く、私たちはレストラン街に行ったりしておりましたが、今やこの社食で十分です。

今朝は天津麺を頂いた。

 

朝一番で、ご常連が入らした。

去年一年、顔をお見せ頂けなかったので事情を聞くと、ご主人が体調を崩されたとのこと。

しばらくお話しを伺わせていただいたが、我がお客様達も、段々お歳をお取りになる。

もちろん私もですが、年2回のこの催事も33回を迎え、私は2回目から出ているわけですから、仕方ありませんね。

 

店内は静かです。

まるで、オリンピックかワールドカップという、国民が大注目するイベントが開かれていて、百貨店に買い物に行く状況にないかのようだ。

それでも、この催事には一縷の望みがある。

新歌舞伎座がこの秋に隣にオープンし、百貨店と直結されるからです。

今回は皆辛抱。

秋が楽しみということ。

 

咳とのどの痛みは、余り変わりません。

名和さんから頂いた「氷砂糖」に救われています。

 

夕飯をどうしようかと思いましたが、お客様に頂いた奈良漬けと日本酒がありますので、お刺身とごはんで、ホテルの部屋でゆっくりと取ることにしました。

 
デパ地下に行くと、既に割引が始まっていますので、ちょっと豪華に「かにチラシ」に、スズキと本マグロの大トロを買っちゃった。

私は大トロは好きじゃないのに、値段に釣られて買っちゃって、一口食べてやはり後悔。

でも、奈良漬けと日本酒には大満足。

チラシのカニを食べちゃって、それを大トロに変えて「トロチラシ」にしていただいたら、まずまずでしたね。

 

今日も早寝です。

2010年4月25日 (日)

上六四日目 咳

大分体調が戻って参りました。

咳が出始め、大森君に寄れば、「ベッドに入って身体が温まると、咳が出て寝られなくなる」と言うことでしたが、本当にそうなっちゃった。

夜中、咳が止まらなくなり、空きっ腹でしたが風邪薬を飲むと、なんと久しぶりに8時まで寝られ、肉も食べたためか、かなり疲れが取れた感じになり、災い転じて福となすとなりましたね。

 

仕事中は、かなり快適。

しかし、終わりが近づくにつれて、やはり疲れが戻ってきてしまった。

 

今日は、懇親会の日。

体調を考えれば、休みたいけれど、そうも行かない。

歌を唄ったり司会をしたりという役を頂かないようにして、出席させていただきました。

それなりに楽しく過ごし、いつもなら二次会に出るのですが、早めに帰って参りました。

 

咳止めを友人に頂いておりますので、またそれを飲んで休ませていただきます。

 

さて、お商売はどうかというと、来週に期待というところでしょうかね。

2010年4月24日 (土)

上六三日目 肉

朝一番に、大常連の名和さんご夫妻が、和歌山からはIさん親子が御来店。

これでようやく、大阪に来た感じが出て来ました。

 

静かな土曜日でしたが、次回は隣に歌舞伎座がオープンします。

それを楽しみに、皆さんこの催事に参加なさっているのかもしれません。

つまり、今回までは辛抱だと言うことですね。

 

日々疲れが取れてきているようですが、咳が出始めた。

隣の大森君に寄れば、今の風邪の典型的な症状だとか。

確かにノドがいがらっぽいな。

 

身体が肉を欲しております。

終わってから、コルクを誘って近所の韓国料理屋で、タンパク質をたっぷりと補給して参りました。

 

長丁場ですから、体調管理が大切というお話し。

2010年4月23日 (金)

上六二日目

夕方、「ご無沙汰してます」と髭面に挨拶されました。

なんと、香港在住のネット仲間。

いつぞやは、沖縄でご一緒した。

 

ネット仲間ですから、彼のブログで、香港から関西に転勤することは知っていましたからそれ程の驚きはありませんでしたが、これが何も知らなければ、驚愕の出会いであったことでしょう。

この辺りが、インターネットの面白いところです。

 

二人で一杯。

話しは、政治から神まで留まることを知らず。

そもそも、ネットでそんな話しをする仲間なのであります。

 

彼は明朝早く香港に戻るとのこと。

短い逢瀬でありましたが、今度は秋にまた会えそうです。

 

商売は静かな物だ。

2010年4月22日 (木)

上六「職人の技展」 初日

前日の搬入を中途半端で終わらせましたので、朝早くから展示の準備をしたためか、誰からも「疲れてますねぇ」と言われ続けた一日となりました。

催事は雨の所為か、静かな一日だったと思います。

紺邑は、なんとか格好は付いたけれど、なにせ2週間催事ですから、焦っても仕方ありません。

 

土・日、別な場所で販売会をする予定がありましたが、先方の都合で急に中止になりました。

実は、大変困った事態なんですが、それを言っても仕方ないと思うのは私の性格。

しかし、身体と精神と商品の事を考えると、きっと中止で正解だとも思う。

 

今回、ホテルを予約してくれたのが、コルク。

二人で中華を食べて帰って参りました。

お礼にご馳走したのですが、生ビールが290円、餃子170円、定食が650円という安価なもの。

それでも餃子を一口食べたコルクが、「これは当たりですね」と言ったくらいで、バカにした物じゃありませんよ。

 

そのお礼か、コルクが石鹸やスリッパなどを買ってきてくれた。

2週間の長逗留ですから、有り難いプレゼントでしたね。

 

大阪近郊近在のお客様、お待ちしておりますです。

2010年4月21日 (水)

慌ただしさ

島根県雲南市に、しばらく滞在しておりました。

何をやっていたかというと、藍染めの紹介と、講演と歌を唄っておりました。

それだけで忙しかった。

 

出雲大社に行った。
出雲市ではジャムセッションもした。
出雲蕎麦を食べた。
小藤家にも行った。
ワイナリーにも行った。
市役所にも行った。
温泉で風呂にも入った。
歌も唄った。
話しもした。

それを一々書けば、小説が出来そうな程だ。

 

その上、突然京都に行くことになった。

夕方、車で出発。

夜には京都に着き、南禅寺の側の友人宅に宿泊。

朝早く起きて、南禅寺周辺を散歩。

喫茶店で朝食を頂き、朝の八時半頃からお寺を回り、ご住職や老師に会い、府庁・市役所で様々なお役人に会い、高等学校に行き、市議会議員に会い、大学教授に会い、神社に行って宮司と禰宜にお会いした。

会って何をしたかと言えば、藍染めと教育のお話し。

藍染めはともかく、何故教育の話しかというと、私の友人が教育者だからです。

 

夕方、その友人に送ってもらって、大阪は上本町の近鉄百貨店に入りました。

さすがに疲れ切っておりまして、荷物を出しただけで飾り付けも出来ず、ホテルに入りました。

 

明日から恒例の「職人展」が始まります。

2010年4月18日 (日)

鍛冶屋 小藤

島根県安来市広瀬町布部と言うところに、「鍛冶工房弘光」という鍛冶屋さんがいます。

先だって、日本橋三越本店で出会ったお客様が、茨城県古河市から工房にいらした。

この方は、私の藍染めと小藤さんの物しか買わない。

曰わく、「両方ともちゃんとした仕事だからです。小藤さんの物はハンマーを使っていない、本当に手打ちの味がある」と。
 

昨年出雲に来たときは、小藤宗相(しょうすけ)君が挨拶に来てくれた。

今回は、私の方から伺いました。

201004170953511
小藤家のある布部(ふべ)は、読んで字の如く、麻などの布の産地で、古くは平城京の跡から調停に納めた形跡が見られるそうです。
 
 

上流は砂鉄の産地でもあり、家の前の街道は鉄を運ぶ道路であったそうな。

その昔は20件ほどあった鍛冶屋も、今は小藤家を残すのみとなりました。
 

201004170957192
鉄を焼く火種は炭で、重油などは全く使わない。

201004171001246正しく手打ちですね。

だからこその味が出るのでしょう。

201004170958183江戸時代から使われてきた道具類。

上に行くにつれて、扱う物が大きくなるのだそうです。

 

島根県雲南市から布部の山里にはいると、神の存在を感じます。

その話をお父様にすると、少し先には鉄の神様がいらっしゃるとのこと。

いや、島根県そのものに感じることでもある。

ここは、古の日本が残っております。

 

また、水が素晴らしい。

実は伺った時、前の晩飲み過ぎて2日酔いだった。

「お水を一杯下さい」と我が儘言って飲んだ水の美味しかったこと。

そして驚いたことに、いっぺんに2日酔いが直ってしまった。

これ、本当のこと。

この辺りでは、万能薬としてこの水を使っているらしいですが、さもありなんと思います。

 

小藤家のぐるりには、小川が流れている。

火を使う仕事だからだそうですが、それにしても水が豊富なところでした。

山が生きている証拠ですね。

 

まだ島根におりますが、魅せられております。

2010年4月17日 (土)

近況報告

ネット環境が悪く、そしてあまりに忙しくて、なかなかブログが書けません。

これは携帯から。

これが私は苦手で、メールを書くのも必死。

今回の旅の内容は盛り沢山なのですが、その内、ネットが繋がれば書いてみます。

とりあえず近況報告!

2010年4月15日 (木)

禁煙譚

寒いです。

まるで冬に逆戻りしたようだ。

薪ストーブが大活躍で、お陰様で灰が沢山出来ております。

しかし、薪の量が心細くなりかけている。

 

ある人に、「タバコが似合うと思うけれど、吸ってなかったのですか?」と聞かれた。

いやいや、私はヘビースモーカーだったんです。

18歳でタバコを始めました。
浪人中でもあった。

歌を始めたら、さすがにタバコのノドに対する影響は大きい。
そこで、二十歳過ぎに止めることにした。

段々軽いタバコにし、本数を減らすというやり方で成功。
ただし、30歳までにはタバコに影響されないノドを作って、また始めようと考えておりました。

その間、割合努力してノドを鍛えまして、果たして30歳になったら、決めたとおりタバコを吸い出し、それが50歳直前まで続いた。

 

凡そ十年前の大晦日、突然体調を崩しまして、目が回ってまっすぐ歩けず、足が地面に着いている感覚がない。
病院も開いていないし、寝ているしかなくて、文字通りの寝正月になった。

その年の最初の仕事は、車で約50分のところにある埼玉県熊谷市の八木橋百貨店だった。
痛みも熱もないし、医者に検査してもらっても、何処も何も悪いところが見つからない。
親父殿に解ってもらえなくて、仕事に行かされた。

初日、ふらふらになって仕事をしての帰り道、気が付くと反対車線を走っている。
幸い正月初めだから、交通量が少なかったのでなんとかなりましたが、「こりゃーいかん」と、50分のところを、休み休み3時間掛けてようやく家にたどり着いた。

工房に電話を掛け、親父殿に事情を説明してなんとか休ませてもらうことが出来た。

しかし、医者にも解らないのだから治療方法もなく、休むしかない。

そこで、自分に何が出来るかを考え、酒とタバコを止めることにしました。

今回は、「酒は半年、タバコは一生涯止めよう」と、キッパリと止めた。

 

そして半年後の6月、長崎に行きました。
 
鼈甲の田川さんに、山の上のすてきな夜景の料亭に招待され、卓袱料理を目の前にしてヒョイと盃を持たされ、「さあー、一献!」とやられて、酒はめでたく再開。

一生涯止めると決めたタバコは、10年たった今でも吸っていません。
吸いたいとも思わないし、側で吸われても平気。

 

酒もタバコもやらない水晶の大森君にこの話をしたら、「私は何を辞めたらいいのか」と、思い悩んでおりましたね。

2010年4月13日 (火)

雲南市

春は三寒四温と言いますが、この気温の変化には身体がついて行けません。

どうしちゃったんでしょうか?

昨夜はガンガンにストーブを焚きましたが、今日は暑いくらいだった。

 

急ですが、16日から19日まで、島根県は雲南市に行くことになりました。

友人に呼ばれたのですが、詳しいことは明日聞きたいと思っております。

この男、典型的なB方人間で、極めて自分勝手な人なんで、呼ばれる私が何していいか未だに解らないんです。

承知で付き合っておりますので、困っているわけではありません。

 

内容は、藍染めの展示とお話しと私の歌。

それが主役かどうかも解りません。

 

お近くの方、是非お出で下さい、って、何処に?

2010年4月12日 (月)

佐野づくし

お泊まりになった郷原さんに、「今日は何を飲みましょうか?」とお聞きすると、「お酒にしましょう」とおっしゃる。

地元の酒蔵「第一酒造」の、「開華」の純米酒を飲んでいただいた。

おつまみに、鹿肉のタタキをお出ししましたが、喜んでいただいたようだ。

話も弾み、あっという間に一本開けてしまいました。

 

郷原さんは、体調を崩していらっしゃるようだ。

「最近、早く目が覚めてしまう」ともおっしゃっていましたが、今朝はゆっくりとお休みだった。

 

さて、今日は何処をご案内しようかと考えた。

栃木は日本一の麻の産地だし、「野州麻紙工房」の大森さんという人が、それで様々な作品を作っている。

その辺りは蕎麦も良いから、そこにお連れしようと思ったら、月曜日は休みだ。

 

郷原さんは、工芸に造詣が深い。

特に焼き物がお好きだというので、「田村耕一陶芸館」にお連れした。

入館料が無料だと言うことに、驚かされましたね。

恥ずかしながら、私は初めて行ったのです。

 

ロビーには、佐野を代表する工芸「天明鋳物」が展示されていた。

以前ご紹介した、若林さんの作品もあった。

郷原さんにそれをお見せすると、非常な興味を示され、「是非、若林さんに会ってみたい」とおっしゃる。

 
連絡をしようと思いましたが、時間はちょうどお昼時。

「先ずは、お昼にしましょう」と言うことになった。

さて、どうするかと思ったら、「昨日のあれはどうです?」と郷原さん。

「あれ」とは、ご存じ佐野ラーメンのこと。

お連れするなら、ここから歩いて行ける「とかの」にしようと思ったら、月曜日はお休みだった。

そこで、佐野ラーメンの元祖と言っても良いが、ラーメン会に入っていないから地図には載っていない「森田屋総本店」に行ったのですが、なんと臨時休業。

仕方なく、森田屋田沼支店まで足を伸ばしました。
 

昔ながらのラーメンを頂いて、若林さんに電話したら、1時半という約束が取れた。

少し時間があるので、佐野駅前でコーヒーを飲んでから、若林さんの工房へ。

 
約1時間半ものあいだ、若林さんのお話しを伺うことが出来た。

内容は深く、そして多岐にわたり、ここで簡単に書けるようなものは一つもなかった。

郷原さんも感動を覚えた様子。

 
大変有り難い時間を頂いて、バスターミナルまでお送りして、来週、出雲でお会いする約束をしてお別れして参りました。

 

正しく「佐野づくし」!

紹介した私も、佐野を見直した日となりましたね。

2010年4月11日 (日)

朋有り遠方より来たる

島根県から郷原さんが、閑馬をお訪ねになった。

もちろん、前々からのお約束。

 

昨年、石見銀山に行ったときには、隅から隅までご案内いただき、お世話になった。

灰も送って下さっている。

私と同い年だから、今年3月、めでたく仕事をリタイア。

自由になったからと言うこともありますが、親しくしていた従弟を突然亡くし、その49日で上京なさり、草加にお住まいのお兄様夫婦と一緒に閑馬に入らしてくださった。

私も時間はたっぷりありますから、藍染めをハンカチを染めながら詳しくお話しをさせていただいた。

足利の蕎麦で昼食。

郷原さんは閑馬にお泊まりだが、お兄様夫婦が、栃木の蔵の町を散策したいとおっしゃるので、私たちもご一緒しました。

大平山がさくらの名所なのでご案内すると、これが大渋滞。

どうしてかと思ったら、二・三日前、NHKで紹介されていたのを想い出しました。

お兄様夫婦には、大変ご迷惑をお掛けしてしまった。

でも、さくらはキレイでした。

 

郷原さんは、焼き物に詳しい。

工芸に対する感受性に、優れていらっしゃるのでしょう。

渋滞中の車中も、話題が途切れることもなく、楽しく過ごさせていただいた。

 

今年は出雲に行けないかと思っていたら、友人が島根県雲南市に居を構えたという連絡が入った。

そこで、私に来いと言う。

藍染めを展示しろとも、藍染めについて語れとも、歌を唄えとも言う。

いつが良いか?と聞くと、早ければ早いほうが良いという。

そこで、今月16日に雲南市に行くことにしました。

17日(土)、15:00から、私の歌と講演。

18日(日)、18:00から同。

どうなりますやら(^_^;)

今度は島根県で、郷原さん会えることになりました。

2010年4月 9日 (金)

新鮮さ

今日の夕飯。

星野さんの罠に掛かった鹿の、レバーとハツの刺身。

隣の竹藪のタケノコ。

星野さんのところの椎茸。

閑馬のお米。

久保さんの沢庵。

もう、十分です。

2010年4月 8日 (木)

ラジオとインターネットと

栃木放送という地元のラジオ局があります。

私は随分前から世話になっている。

足利の花火大会では、実況放送のゲストに出たり、わたしのCDを流してもらったり、町おこしのイベントやコンサートの告知やらなんやら。

最近では、東武宇都宮百貨店の「職人の技展」の実況もしていただいております。

 

その昔世話になったアナウンサーから、生放送に出て欲しいと連絡があり、昨日打合せを致しました。

十何年ぶりにあったS嬢は変わりなく、思い出話に花が咲きましたね。

今日午後1:30分、道の駅の「どまんなか田沼」から生放送です。

 

ご近所の溝越さんのお友達が、「ちょいちょいサーチ」というインターネットのポータルサイトを開いた。

関東甲信越の地域密着型だそうで、紺邑も参加しております。

お店などを募集中!

2010年4月 6日 (火)

藤沢最終日 カーナビ

最終日も、ゆったりと始まり、ゆったりと終わりました。

いつもは全くダメな日が1日あるのですが、幸いにして今回は、それがありませんでした。

目標まで数百円足りないと言うところです。

 

奥様が藍染めをなさっていたというHさんと、終了後待ち合わせ。

風間君に車で来てもらって、遺品をいただいて帰って参りました。

 

藤沢に入る道は、いつも渋滞。

風間君も、佐野市から4時間も掛かったらしい。

出るのも同じです。

 

そこで帰りは、携帯のカーナビを使って、「渋滞を避けるモード」で帰ることにしますと、いつも右折する道を直進と出てきた。

ままよとばかりに従うと、渋滞は一切無く、気持ちよく走れる。

何処に行くのかと思っていたら、東名高速の町田インターに向かっておりました。

普通は、横浜新道から横浜を抜けて、首都高→東北道のコースなんです。

 

東名も混まず、実にスムーズ。

ところがナビは、用賀を降りて環状八号線を走り、谷原から外環道に乗れという指示をする。

首都高はガラガラだから、これまたままよとナビを無視して首都高へ。

 

渋谷の手前で、風間君が右へ曲がろうとするから、「だめだめ、直進!」と言ったら、通り過ぎてからそれが新しくできた高速道路だと分かり、後悔先に立たず。

「新しい道を走りたかったなぁ。失敗失敗」と愚痴をこぼしながら、それでもスムーズだからいいやと思っていると、そろそろ東北道だと云うところで、ついに大渋滞に捕まった。

振り返ると、環八を走って外環道を来れば、つまり、カーナビに従えばこの渋滞を避けることが出来た。

 

素直が一番だという教訓でしょうかね。

それでも三時間で帰って参りましたとさ。

2010年4月 5日 (月)

藤沢通信 六日目

寒い上に、小雨の降る月曜日。

「Rainy Days And Mondays」
http://www.youtube.com/watch?v=dPmbT5XC-q0
その昔の、私の月曜日のオープニング曲。

商売は余り期待できそうもありませんでしたが、そこは藤沢ですから淡々と仕事をしていると、なんとかなるものです。

今日で、凡そ前年をクリアーさせていただいた。

小さいけれども、久々に纏まった売上となりました。

あと一日だ。

2010年4月 4日 (日)

藤沢通信 五日目 インド

藤沢にお住まいの、Kさんご夫妻に御来店いただいた。

日本とインドとの関係を、経済的交流という面で下支えなさってきた方。

一度リタイア。

今年、再び望まれて現役に復帰し、新しい組織の事務局長として張り切っていらっしゃる。

2月にはインドにいらして、藍染め等の工芸を見学なさってきたとのこと。

 
インド料理のお昼を頂きながら、その写真を拝見。

 
藍染めに関してお話を伺ったけれど、原料よりも建て方に問題があるように感じましたね。

それを言うと、「大川さんみたいな日本人の方が行って、指導をして欲しい」とおっしゃるけれど、日本でさえ出来ないのに、外国で出来ましょうかね?

 
 
朝一番に、興味深そうにご覧になっているご夫妻。

藍染めを、いくつかお持ちらしい。

お話ししている内に、どこで誰の藍染めを手に入れたかが解ってきた。

それが「正藍染め」と称しているものなので、「藍染め」と「正藍染め」の違いなどをお話ししている内に、どうも、それが熱を帯びてきてしまって、自分が自分に「熱くなるな」と注意信号を送ってきた。 

なるべく冷静にお話しさせていただいたつもりだけれど、それが功を奏してか、ご主人にはシャツを、奥様にはストールをご購入いただいた。
 

このご夫妻も、藍染めを誤解なさっていたけれど、それは、言葉巧みな日本の紺屋の責任だ。

けれども、彼らは決して改めようとはしないでしょう。

 
私がインドに行っても、インドの染め屋がどんな反応を示すやら、簡単ではないと思いますね。

 

今日も一日、忙しく過ごさせていただきました。

このご時世に、有り難いことです。

 

婦人服を売っていた方に、先日、ブラウスとTシャツをお買い求め頂いた。

「家に帰って朝日にかざしたら、あんなキレイな青は見たことないし、何処にもない。ここで見るより素晴らしい色です」とおっしゃってくださった。

 
千葉の岡本さんからは、メールを頂きました。

ご注文のジャケットが届いたとのこと。

「何とも優しい色で」と書いてきてくださった。
 

お二人とも、これ以上の言葉は私どもにはありません。

ありがとうございました。

2010年4月 3日 (土)

藤沢通信 四日目

背の高い男の方が、「下落合(東京)で藍染めをやっている方をご存じですか?」と私に尋ねた。

寡聞にして知りません。

中国に行ったときに会った人だそうですが、「弘法大師が藍染めを日本に持ち込んだ」とか、「藍染めを研究するために、中国に来た」とかおっしゃったらしい。

日本の藍染めは多分、弘法大師以前からあったことだし、日本の藍染めさえ知らないのが現代人ですから、それを知ろうとしなければ、日本や日本人を知ることにならないと、私は思いましたね。
 

この方は、奥様を4年前になくした。
定年にもなった。

相方を亡くした場合の余命は、男は2年ちょっと、女は17年だそうで、大きな違いがある。

面白いことだと思っていましたからそのお話しをすると、「その通りで良く分かります。私も2年間は危険だった」とおっしゃる。

何かをしなければと思いたち、それがシルクロードだった。

一念発起して、シルクロードを探索なさっていらっしゃる。
中国語も勉強中だそうな。

一人になった余生を、亡くなった奥様と二人分充実させるという意気込みが感じられましたし、まるで青年の様なオーラをお持ちでしたね。

  
 
岸田さんがお見えになった。

8月にはまた、アメリカの砂漠に赴任なさる。

砂漠で我が藍染めが大活躍だそうで、毎年一回はお目に掛かり、まるで仕入れるかのように藍染めを買って下さいます。

今年は、作務衣までご注文いただいた。

お仕事の無事を祈っております。

 

Hさんとも初めてお会いしました。

相模原伊勢丹で「家内が藍染めをしてりまして」と、我が家内にご挨拶いただいた方。

こちらからお電話差し上げましたら、小田急まで会いに来て下さいました。

こちらも奥様を亡くし、その藍染めをなんとか役立てたいとおっしゃる。

お力になれると思います。

 

お話ししている間に、渡辺さんが会いに来てくださった。

鎌倉で、古布や藍染めを使って物作りをしている作家。

30年以上も前、親父殿の工房で、泊まり込みで藍染めをなさっていた方。

懐かしかったのですが、親しく話しする時間が取れませんでした。

 

久しぶりに、忙しい日を過ごさせていただきました。

終了間際には、老夫婦にブラウスをお買い求め頂き、文字通り無事終了。

 

ホテルに入り、ブログをしたためておりますが、これがまた遅い。

 

2010年4月 2日 (金)

藤沢通信 三日目 大嵐

とにかくネット環境が悪く、繋がるときしか繋がらない。
場所をさがし、その一瞬をとらえてブログをアップロードしていますです。
 

さて、二日目の朝はアラシのような大風。

東京の下北沢という駅で、小田急線の藤沢行きに乗り換えるのですが、ダイヤが大きく乱れているらしい。

藤沢行きというのは、1時間に二本くらいしかない。

相模大野で乗り換えれば行けることは知っていましたが、遅れてはいてもそれ程ではないだろうと高をくくっていましたら、待てど暮らせど来ない。

駅員に聞いてみると、「小田原行きの急行に乗って、相模大野で乗り換えてください」というではありませんか。

せめてアナウンス一つくらい欲しかったところですが、怒っても仕方ない。

言われたとおりにすると、9:30分着予定が10:10と、40分遅れて藤沢に到着。

催事ではありませんから、それでも何ら支障なく仕事開始。

有り難いことに、直ぐにお客様がついてパッチワークベストをお買い上げ。

続いて男性のお客様が興味をお示しになり、ちょっとお話しをしたら、「じゃあ、作ってもらおうか」と言うことになって、私が着ているシャツと同じものをご注文頂き、こんな天候の割には有り難いことでした。
 
 
ようやくご常連にお出まし頂くようになりましたが、こちらは売上に結びつきません。

難しい世の中にまりましたね。

娘のところに帰りますと、次女が本を読んでいる。

どれどれと、私も近くに積んである本を読み出したら、これが面白い。

久しぶりに、本にはまっております。

2010年4月 1日 (木)

藤沢通信 二日目 「本染め」 「本焼」

藤沢二日目。

コルクのキャップを被ったお客様が、綿セーターをご覧になっている。

「珍しいキャップですねぇ」と声を掛けますと、コルクから話しが弾みまして、肌が弱くて綿と絹しかお召しになれないとおっしゃる。

だから、贄田シルクからも商品をお求めいただいているとのこと。

紺邑の藍染めも、そのセーターと大判のシルクショールを簡単に買っていただきました。

これこそ、友達の輪ですね。

因みに藤沢は、武田刃物の紹介が始まりです。

  
 
 
刃物と言えば先日、堺の手打ちの刃物屋さんがNHKのETVというのに出てました。

刀鍛冶の伝統を活かして、手打ちで「本焼」をやっているという。

本焼というのは、総鋼の刃物で鉄を一切使わないものを言うらしい。

藍染めで言えば、すくもを灰汁で建てるようなものなんでしょうか。

親子で出ていましたが、若い息子が「私は今でも、半分は失敗する」と言っていました。

それだけ難しいのは本当かも知れませんし、量は出来そうもないな。

 

藍染めも同じで、すくもを使って灰汁で建て、苛性ソーダも還元剤も一切使わない「本染め」は、量は出来ないし修業も要る。

苛性ソーダと還元剤を使う方法や、それに人造藍を足すという方法も片やあるわけで、刃物のように、本焼とそうでないものの区別がハッキリされているのはうらやましいくらいな物だ。

 
 
最後に親父さんの方が、「鍛冶屋は鍛冶屋の、研ぎ屋は研ぎ屋の本文を尽くしていけば、堺の刃物はまだまだ大丈夫だ」とおっしゃっていたのが印象的でしたね。

もちろん、真実は知りません(笑)

口は便利なものだと、知っておりますのでね。

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