汗顔の至り
一瞬の展示会のために、京都に行って参りました。
場所は、高台寺前の春光院。
高台寺の高僧でもある和尚が、本堂を改造してイベントが出来るようになっているのです。
その時は、ご本尊が隠れるように出来ている。
机を並べれば客席になるし、座禅を組む台が動いてテーブルにもなる。
しかし、会場費を取るわけでもなく取らないわけでもなく、公開されているわけでもなくしていないわけでもない。
檀家が僅か30軒ほどのお寺ですから、年間を通じて法事などは5回あるかどうか。
それなら生きている人の役に立つ方が、余程仏の教えにかなっていると、随分お金を掛けて本堂を改造なさった。
「貧乏になりましたが、なに、金など無いくらいがちょうど良い」などと、淡々とおっしゃっておりました。
禅宗のお坊様は、私の師匠を含めて面白い方が多いようです。
我が和尚は私に、「貧乏なんてしていると、今度は金持ちになっちゃうかもしれないから、貧乏を楽しまなきゃいけないよ」と、諭してくださったな。
京都ではその昔、高島屋に出展しておりました。
親父殿のファンが多いところで、ものすごい売り上げだったところ。
紺邑は大丸に出展しておりましたが、日程が合わなくなって、ここ数年、京都の仕事が全くありません。
京都の方々に、どうしたら我が藍染めをお見せする機会がもてるだろうと考えておりましたから、そのきっかけになればと思って、今回は無理を致しました。
禅寺らしい趣のあるお寺ですが、目の前は「ねねの道」で、一大観光地でもある。
掃除している人は、目の前で観光客相手に人力車を引いている人。
ここに三々五々、お客様があつまり、三時過ぎから宴会。
一度お会いして、直ぐに尊敬してしまった情報工学の権威中村先生ご夫妻。
関電の偉い方、市役所のお役人、民放とNHKの放送局の方、神戸にお住まいのインド人と日本人の奥様、知らない人はいないという有名な祇園の芸者さん、ビジネスコンサルタント、お琴の先生、哲学者、等々。
空きっ腹に酒が入った為か、どうもこういう方々を相手に、余計なおしゃべりをした感じが致します。
風邪気味でのどが痛い中、歌も歌いました。
表題の「汗顔の至り」とはそのことですが、なに、覆水は盆に返りませんし、後悔先に立たずとも云いますから、なるようにしかなりませんや。
途中、思い出して京都在住の友人に電話。
「直ぐ近くにいると思うんだけれどな」というと、「何処ですか?」と聞くから、「どこそこにいるよ」というと、「え!、ちょっと待っていてください。今行きますから」と云って、携帯電話で話ながら来てくれた。
この男、若蔵(わかぞう)といって、京都で「りゅうあん」という店を経営し、遊印を彫っている。
ご住職にも紹介し、出席なさった皆さんにもご紹介したが、「どんな集まりなんですか?」と、目が点になっておりました。
さて、帰りの荷物をどうしようかと思いましたが、全ての手続きをこの男がしてくれて、宅急便で発送してもらいました。
私には、日本中にこういう知り合いがおりますが、ありがたいことでした。
JRで帰って来ましたが、こういう無理も今日が最後です。
身体が悲鳴を上げている。
明日からは、通常の日常に戻りたいけれど、こういう変化をどうやって生かして行くかが、今後の課題かもしれません。
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