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2010年5月

2010年5月30日 (日)

福岡三越 日曜日

福岡市は九州の中心で、その中でも天神は、三越、大丸、岩田屋と、三つの大きな百貨店が存在し、土・日には九州中からお客様が集まるのだそうです。

確かに、土曜日はいつもより多かったし、成績も一番だったらしい。

それでも、遊びに来てくれた地元の山藍のマキちゃんに寄れば、「三越でこんなに入っていない催事は珍しい」とのこと。

他の売場はどうかといえば、三越の地下は押すな押すなの大盛況といいます。

 
何故かという分析は苦手だけれど、今週は大丸でも岩田屋でも、名物といわれるほどの大きな催事が行われていて、その上三越には「西部伝統工芸展」があって、工芸品が好きな人たちは、それを待っているという意見があります。

つまり、時期が悪い。

次回は、別の時期を期待しますね。

 

紺邑も、土・日に大きな買い物をしてくださるお客様がいらして、ようやく落ち着いて参りまいた。

良かった良かった。

2010年5月29日 (土)

福岡三越 懇親会

百貨店が懇親会をやりたいと言っていると、企画会社の新入りだけれど、長い付き合いで世話にもなったTさんから相談を受けた。

Tさんにとっては初めての出張催事だから、何をどうやって良いか分からないらしい。

言い出しっぺの百貨店の担当者が、会場を取ってきた。

会費は、相場よりもちょっと高い。

 
 
本来はTさんの仕事なのだけれど、仕切りをコルクに頼んだ。

出展業者全てから出欠を取り、会場と折衝して値切り、会費を集め、出席者を会場まで誘導し、支払いをするなどなど、裏方全てをコルクがしてくれた。

多分明日は、領収書を出席者全員に配ってくれることでしょう。

進行役は私だが、これも本来はTさんの役目。

  
結果、会費は安くなり、その分、料理がちょっとしょぼくなったけれど、楽しい懇親会となりました。

コルクは大活躍。

ご苦労様でした。

 
  
裏方をやったことのない人には解らないかも知れないが、親しい仲間と思っている人の、理由のない欠席は、寂しいものがある。

新入りだけれど、長い付き合いのTさんのやる初めての懇親会で、百貨店の担当者がやりたいと言っていて、コルクや私が関与しても出席しないというのは、どういう事かと私は考えるけれど、まあ、しかたないな。

私なら、意気に感じ、義理も感じ、Tさんの為にも出席する!って、出席しましたけれどね。

  
楽しかったから、良し!としましょう。
 
 

幹事には、料理を食べる時間もない。

終わってから、博多のラーメンをご馳走しておきましたとさ。

これが美味かった(^_^)v

2010年5月28日 (金)

藍染の着物

紺邑は、普段使いの藍染めを作っていることは、様々な機会で書いて参りましたが、和装の着物がないわけじゃありませんし、親父殿の工房の時代からありました。

 003 左が正絹の手絞り。 右は正絹の小紋です。

小紋は、紅色の無地の反物に型を置いたもので、アップの画像をアップしてみます。

1_2

2 絞りは洗えますが、型染めは洗うとノリが剥がれるおそれがありますから、洗いに工夫が必要です。

中型や大型の型染めでも面倒ですが、小紋となると、もう少し面倒が増します。

 

さて、紺邑は主に絞りの反物を染めております。

その代表作を、名古屋の岡村さんに着ていただいておりまして、今年の正月、日本橋三越に着て来てくださった。

何故今頃紹介するかと言いますと、カメラからデータをパソコンに移せなかったからなのですが、ようやく出来ましたのでご覧下さい。
 

紺邑オリジナルデザインの絞りで、題して「花と水」。

素材は、長浜ちりめんのすばらしいものです。

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2010年5月27日 (木)

福岡三越 2日目 寒い!

2日目は初日に増して静か。

紺邑も静か。

たぶん、皆さんも静か。

そして、寒い!

 

福岡は九州ですが、日本海側にあるわけで、雪も降るし寒いところだと言いますが、その通りですね。

その上に、エアコンが効きすぎて寒い。

熱を出した人が、1人出た。

紺邑の売り場所も、寒いこと寒いこと。

ジャケットが離せません。

 

朝は歩いて出勤。

帰りはバスにしました。

午前10時から午後8時までの10時間働きますと、歩く気力が湧きませんでね。

 

お酒も飲まずに、ご帰宅だぁ。

2010年5月26日 (水)

福岡三越 初日

企画会社が選んでくれたホテルが、三越から少し遠い。

歩くと20分くらいかかる。

バスで100円区間。

でも、安いし朝食付きだし、ネットで調べても、これ以上のホテルはないので、私はここを選んだ。

そのほかの年寄りは、百貨店に近いホテルを取ったらしい。

「はて?どちらが良かったか?」と思いましたが、朝起きて朝食会場に行ってみますと、一人前のすばらしい料理で大満足。

気分を良くして、歩いて三越へ。

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Made in 日本展」会場は綺麗で斬新。
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でも、静かに夜八時まで過ごしました。

 

元若手ジュエリーデザイナー№1、現自称若手のミカミに誘われ、コルク、大島紬と4人で、彼が30年前通っていたという居酒屋へ。

「綺麗なところじゃありませんよ。それに、ちょっとうるさいですが、我慢してください」とミカミは言う。

行ってみたらその通りで、何がうるさいって、大将がうるさい。

始めから終わりまで、しゃべりっぱなし。

どうやら、有名らしい。

 
しかし、料理も酒も旨かった。

特に、一度煮たものを焼いた鯖は、絶品!

驚くほどのうまさでしたが、こういう感想を料理で持ったのは、久しぶりだ。

 
コルクがホテルから近いと言うので、歩いて見たら、道に迷い、タクシーを拾いましたが、満足満足(^_^)v

2010年5月25日 (火)

福岡三越

羽田から福岡へ。

久しぶりの福岡三越の「Maid in 日本展」に出展いたします。

 

会場は9階催事会場。

会期は5月26日~31日まで。

 

搭乗前、コルクからメール。

便が違うので、福岡空港で会うことにする。
 

千葉で一仕事してきた久留米籃胎漆器と飛行機が一緒。

この男とも同行することに。

 

福岡では、おろし金と福島の布団屋さんも一緒。

 

籃胎漆器に案内されて、無事三越に到着。

 

相変わらず福岡は、賑やかで洗練されている大都会だという印象。

 

少し離れたホテルにチェックインすると、以前にも泊まったホテルだった。

テレビをつけると、鍛冶屋小藤が親子で出て来た。

 

少し落ち着いてから、コルクとおろし金と私で夕飯。

驚いたことに、おろし金の岩淵さんは、2歳年下だったことが判明。

どうりで、私に敬語を使うわけだ。

 

明日からが本番!

如何なりますやら。

みっともない気持ち良さ

私は飛行機嫌い。

高所恐怖症でもある。

でも、北海道と九州へは、仕方ないから飛行機に乗る。

座席はもちろん通路側。

チケットを手配してくれる人が、気を利かせて窓際をとっても、席を代わってもらいます。

それでもその昔、アメリカで一週間に8回飛行機に乗って少しは慣れ、出雲大社にお参りしてからも、大分恐怖は薄れて参りましたが、でも嫌い。

 

滅多に飛行場に参りませんが、時折来ると、お客が様々に差別されているのが分かる。

ファーストクラスだ、何とかクラスだとかね。

チェックインするカウンターも違うし、入り口も違うし、待合いも違うし、搭乗の順番も違うし、席も違うらしい。

こういう席に乗り慣れた人達は、我々庶民の立場になかなか成れないだろうし、成りたくもないでしょうね。

庶民が無理してそういう立場になったときは、気持ちが良くて背伸びし無理して、大変だろうなと思う。

それが態度に出ると、自然じゃないからみっともない。

 

その昔、社会党が政権与党になったときがあった。

村山内閣です。

私が子供の頃から知っている社会党の有力代議士が、「君、与党というのは気持ちが良いぞ」と宣った。

それを思い出しますが、現社民党が政権を離脱できないのは、そういうみっともない態度のように私には見えるな。

2010年5月23日 (日)

藍染めを知った頃

私が藍染めを知ったのは、今から三十数年前、親父殿が始めたからです。

「創業は継続よりも難しい」と良く言っておりましたが、その通りで、親父殿は藍が建たずに苦しんでおりました。

 

繊維関係の大学を出ておりましたので、友人には染色の専門家がいた。

彼らは苦しんでいる親父殿を見て、化学建てを勧めておりましたし、その場面を私は何度も見ております。

頑固に醗酵建てに拘ってくれたお陰で、今の私がある。

 
 
初めて藍が建ち、薄く色が染まった時も、現場におりました。

親父殿は深い喜びを込め、感慨深そうにその布を眺めていた。

その時私は不遜にも、「これは私の仕事だ。親父は私のために藍染めに出会ってくれたのだ」と思ってしまったのです。

 

藍を染め始めたのはよいのですが、それを生業にする術が当時はなかった。

親父殿は地方では有名人でしたから、新聞に取り上げられるようになり、県の伝統工芸にも指定され、それから県主催の百貨店催事に呼ばれるようになった。

 
当時東京に住んでいた私も、催事のお手伝いをいたしました。

 
藍染めの実演をするのですが、未だかつて誰もやったことがない。

ホーローの大きな甕に藍を建て、それを車で運んで百貨店の会場に持ち込み、糸を染めたのが最初です。

その内、ハンカチを染めるようになり、今の実演方法が確立された。

 

当時、百貨店のお客様で、藍染めをご存じの方はほとんどいなかった。

これは事実。

今でこそ皆さん、藍染めが日本で続いてきた様に思っていらっしゃいますが、戦後、日本人は藍染めを忘れていたし、知らなかったのです。

 

当時、関東で紺屋は、益子の日下田さん、黒羽の紺屋新兵衛さん、茨城の北島さんくらいなものでした。

2010年5月22日 (土)

藍の匂い

 「藍の匂い」と題しましたが、「すくも」の匂い、藍液の匂い、藍染めの匂いと三つあります。

 
 先ずは、「すくも」。

 
 「すくも」とは、藍草の葉に水を打って寝かせ、100日の間に十七回程切り返し、堆肥のように醗酵させたものを言います。これを杵でうち固め、立方体の形に切ったものが、いわゆる藍玉と言われるもので、藍染めの原料です。

 この善し悪しを、その昔の阿波の国では「手板法」などの手法で決めた。出来上がったすくもを水で練り、加賀和紙に擦り付け、太陽光線を通した色で品質を判断したのです(現在は、どんなものであれ、一律同一値段となっておりますし等級はありません)。

 
 では現在、何を持って善し悪しを判断できるかといえば、匂いです。
 出来上がった「すくも」は、醗酵が完熟したものでなければなりません。
 完熟したものには、アンモニア臭は含まれなず、土のような良い香りがいたします。
 フライパンで乾煎りすると良くわかる。これは、堆肥も同じです。完熟したものは、アンモニア臭が出ません。


 次に、藍液の匂いはどうかといえば、建てはじめは臭いますが、やはり醗酵が落ち着き、ていれっをしっかりとしますと匂いがほとんどしなくなります。したとしても、嫌な匂いはなく、良い香りがいたします。魚の腐ったような妙な匂いのする藍甕があるとすれば、それは薬品(還元剤)を使った匂いであって、醗酵の匂いではありません。

 私の工房では、大きな藍甕の横で、お客様がお菓子を召し上がりながらお茶を飲んでいらっしゃるし、お弁当を食べる人もいます。

 私どものように、自然発酵の世界におりますと、そうでないものとの違いは、匂いで直ぐに分かります。 

 では、藍染めの匂いや如何にといえば、やはり匂いはいたしません。あったとしても、ほのかに匂う良い香りです。

 私が展示会をしていますと、首をかしげるお客様が多い。何故かと聞くと、藍染の匂いを感じないからだそうです。それほどに、今の藍染は匂う。

 いつぞや、藍染の世界では有名な方が工房にいらっしゃった。ドアを開けて入るなり、やはり首を傾げた。
 「匂いだな」と思った私は、染場にお連れして藍甕のふたを開けると、「これは建っていないね」とおっしゃった。匂いが無い上に、染液の表面に藍の華が無いからでしょう。
 そこで、布を染めて色があることをお示しし、アルパカの広幅の藍染をお見せし、灰汁の取り方から、藍建ての方法全てを語りました。

 その方は、灰汁を使った本建てのイロハもご存じありませんでしたが、日本の藍染はこういう世界であることに、長い間直面してきているのです。

 
 染める世界がそうなのですから、使う世界も同じです。

 以前、日本の仏教の世界で、ある宗派を代表する大本山の老師とお話しする機会がありました。立派な藍染めの衣をお召しになっていらっしゃいましたが、私から見ればどういうものかは分かります。

 連れて行った人が、私を藍染め師だと紹介すると、老師は「これも藍染めでしょうが、洗えば洗うほど枯れて良い色になると皆さんに言われる」とおっしゃった。

 私は黙っておりましたが、何か表情が語っていたのでしょうか、老師が「え?」という顔をなさった。

 そして、「また、匂いが独特ですな」とおっしゃっても、私は黙って聞いておりました。

 そうしますと老師は、「世の中には、なかなか本物には出会えないと言うことは分かりますが、これもやはり、本物とは言えないいのでしょうかね」と私におっしゃる。

 私が、お持ちした藍染めを老師に差し上げ「匂いを嗅いでみていただけますか」と申し上げると、匂いを嗅がれて不思議そうな顔をなさった。

 匂いが無いからでしょう。

 「たぶん、色落ちもいたしませんし、色の褪めもないかと存じます」と申し上げた。

 「ほう!?不思議なこともあるものですな」とは老師。

 後は余計なお世話ですから、「どうか、お使い下さいませ」とそれを差し上げ、お茶を頂いて帰って参りました。

 
 普段でも、私の藍染めの匂いを嗅ぎ、不思議そうな顔をなさるお客様が沢山いらっしゃいます。藍甕があれば、染液に鼻をつけんばかりに近づけて匂いを嗅ぐ人がいる。この間は、染液に勝手に手を入れて匂いを嗅いでいました。
 それでも、匂わないものは匂いません。

 藍染めは、色落ちに対しても誤解がありますが、匂いも同じでしょう。

追記

ネットを調べてみましたら「徳島藍特上品すくも」という記述がありました。
無いものがあるというのは、どういう事でしょうか?
世の中、不思議なことが多いけれど、特にネットの世界はそうです。
いや、ネットの世界だからこそ、明らかにされてしまうということもあるかもしれません。

2010年5月21日 (金)

藍染めの色落ちについて

ここのところ、藍染めの色落ちについて、立て続けに質問されたり報告を受けていたりしますので、ちょいと一言、改めて書いてみます。

  
 
船橋では、ご常連の島本さんから、藍の組成や性質について、東大の誰それに調べさせた上で、「紺邑さんの藍染めは、色落ちもしないし、他のものと洗っても色移りしない。これは灰汁で醗酵させている正藍染めだからなのでしょうね。しかし、ある紺屋さんのホームページを見ると、『天然灰汁醗酵建て』と書いてあるのに、色落ちするから洗濯は別にしろと書いてある。これはどういう事なんでしょうか?」とご質問を頂いた。

理由は、三つ考えられる。

一つ目は、「天然灰汁醗酵建て」ではない事。
二つ目は、「天然灰汁醗酵建て」だけれど、その後の管理は、化学的な処理をしている事。
三つ目は、「天然灰汁醗酵建て」だが、品質表示法上、ネガティブな記述もしなければならないこと。

このうちのどれかだろうと思うと、お話しさせていただいた。
正解は、見て使ってみないと何とも云えませんが、島本さんと意見が一致したのは、それを手間を掛けて証明するほどの、経済的・生産的な意味は、藍染めの現状にはないということです。

  
 
池袋では、このブログの記事を削除した、【藍の色落ちについて】という日記をお書きになった方がお見えになった。

ある藍染めの着物を着たら、長襦袢も足袋も青く染まり移り、取れないとお嘆きの日記でありましたが、詳しくお話しさせていただいたから、正藍染めについて、ご理解いただけたと思う。

  
 
本日は、ご自分で栽培した綿を、紺邑で染めて差し上げた方から、お手紙を頂いた。

その綿を、ある紺屋さんで三年ほど修行をし、今は草木染めをしながら手織りをなさっている方にお分けしたらしい。

その方から、「どうして紺邑さんが染めた綿は、手に色がつかないの?」というお手紙を頂いたのだそうな。

この方は、藍染めの糸を使ったときは、手が染まることが当たり前だと思っていたので、びっくりなさったのだそうです。

「本当の正藍染めは、色落ちもしないし色移りもしない」とご説明なさり、「織りの専門家から違いをうかがうと、いまさらながら本物のすばらしさを認識させられます」と書いてきてくださった。

この方は化学の専門家でもありまして、初めは非常に猜疑的で、正藍染めをなかなかご理解いただけなかった。

紺邑の工房まで入らして、全てをお見せしても尚、多少の疑問は残っていたのかもしれませんので、こういうお手紙になったのでしょう。

 

私の「藍染めの色落ちについて」の見解は、以前、このブログで示したとおりです。

http://kon-yu.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_8bab.html
*****
次に、色落ちについて。
色落ちする物としない物があります。
色落ちするから本物だ偽物だと言うこともありませんし、たとえ落ちたとしても、それはすぐに止まります。
それは、染め方、洗い方、素材、柄の出し方、天候、藍の調子などで、結果が一定ではないためです。
しかし、洗濯に気を遣うことはありません。
何故なら、色移りがないからです。
たとえ洗濯液が真っ青になっても、白い物と一緒に洗って、それが青くなることはありません。
下着に藍がついたりしたら、ふつうに水洗いすればとれます。
*****

これは、紺邑のような「伝統工芸の本建て正藍染め」に限った事でもある。

それを読者には、是非ご理解いただきたいものです。

そして公表は出来ませんが、日本で一番厳しいと言われる検査でも証明されてもいます。

 

因みに、島本さんも紺邑に入らしていて、全てをお見せしております。

 

正藍染めは、化学建ての藍とは、色も性質も違いますが、匂いも違います。

それは、工房に来ていただくか、百貨店で実演の甕で確認していただくか、紺邑の商品をお使いいただければ分かります。

臭くありませんよ(^_^)v

2010年5月19日 (水)

池袋6階6番地 最終日

二週間催事だった池袋6階6番地の最終日でした。

島根から入れますと、山あり谷ありの5週間の旅。

歌を歌ったり講演をしたり、京都のお寺で個展をしたり、その都度搬入搬出しての労働も移動もありましたから、激動の旅でもあった。

その最後ですから、さすがにどうしようこうしようという気力は湧きません。

商売に関しては、淡々とさせていただいた。

 

午後になって、【藍の色落ち】という日記をお書きになったご本人がお見えになった。

いらっしゃるだろうなと、思っておりました。

私に、記事の削除を依頼してきた態度が、実に誠実だったからです。

 
私が出したメールの最後に私が、藍の色落ちや藍染めについて「お解りになることを期待しておりませんが」と書いたのが気に入らなかったらしく、「カチンと来ました」と正直におっしゃる。

だったら直接会って確かめてやろうじゃないの!ということで、池袋までお出でになった。

すばらしい行動力ですね。恐れ入りました。

 
私は、灰汁で藍を建てることは絶対だと思っておりますから、そこから醗酵のお話をさせていただいた。

そうしたら、私の話が素直にこの方に入って行くのが分かる。

話を伺うと、自家製の酵母菌でパンを焼いていらっしゃるとのこと。

なるほど、醗酵と微生物が身近だからなんですね。

 
「分かることを期待しない」と書いたのは、醗酵のお話をしても、それを実感してくれる人が滅多にいないからなのですが、驚いたことにこの方は、理解なさってくださった。

これも、恐れ入りました。

これで、正藍染めの理解者が1人増えたような気がいたします。ありがたいことでした。

 
そんなこともありまして片付けておりますと、元担当が来て、私の手が青いのを見て、これまた色落ちの話しになった。

私が「藍は、液の中に入れたものだけが染まるの。だから手が青い。だけど、外に出た藍は、触っても擦っても洗っても色移りしないんだよ」と言うと、「え!?」っと驚く。

「藍染めは色落ちして、それが移るんじゃないんですか?それが藍染めでしょう」と、確信を持って私に言う。

「そりゃ、世の中そういう藍染めばかりだけれど、私のやっているような本染めは移らないの!長く付き合ってきて、そんなことも知らなかったの?」という話しになった。

「お宅の化学的な検査でも、それが実証されているから確かめてご覧なさい。摩擦堅牢度も日光堅牢度も、全てお宅の基準以上だという結果が出ているよ」と言うと、「え!?」っとこれまた驚く。

「うちの検査は日本一厳しいんですよ。そこで本当にそういう結果が出たんですか?」と驚いていましたが、その通りなんですからしょうがない。

 
紺邑の様な正直な藍染めは、本当に珍しいと私も思う。

その結果は、化学的な検査でも実証されている。

でも、それを知らしめるのに、こうやって1人1人と話ししなければならないというのも、困ったものですね。

 

終わってから、日本のアコースティックギターシーンを引っ張ってきた、宮野弘紀のライブに行って参りました。

ゲストがフルーティストの赤木りえ

疲れた心が、癒されましたね。

2010年5月18日 (火)

船橋最終日

早くも最終日。

色々お勉強になった週でした。

 
電車に乗ると、窓ガラスの向こうに私の親父が映っている。

よく見れば私。

 
そういやぁ〜、親父の晩年はこんな姿だったなと、つくづく思う。

 
へとへとになって、娘のところに帰って参りました。

*ご報告

「【藍の色落ち】という日記」というお題の記事は、丁重な削除依頼があり、また日記も削除されておりますので、私も削除いたしました。

2010年5月17日 (月)

船橋 お勉強会

ちょっとブログに間が空きましたが、先ずは我が疲れと、娘のところにネット環境がないことが原因です。

携帯で書き込むのは、ちと難しい。

 

さて、船橋の3・4日目は、紺邑に限っては順調です。

どのくらいかと言わせていただくと、たいしたことはありません。

しかし、商品の数や種類を見ると、何故売れているのか分からない位なもので、お客様が、無理矢理買うものを選んで下さっている感じです。

ここのお客様は、いや、ここと限らずご常連は、本当にありがたい。

 

本日は、朝一番で、外商のお客様の見学会なるものがありまして、6名の方々と外商担当者や百貨店の役付のような方々が、私の売り場に集まり、藍染めのお勉強をなさっていきました。

もう一軒は鍛冶屋だそうで、まあ、人選としては、なるほどと言うところでしょう。

 
売り上げも、藍染めの一着一着に合ったお客様との出会いがあって、これまた順調。

商品は、数ではないことを思い知らされております。

 

終わってから、高江さんの部屋で、大森息子と二人でネットの勉強会。

それも、ケータリングで、オードブルとピザを取って、美味しいスパークリングワインと赤ワインを飲みながらという贅沢なもの。

高江さんの、ホームページ作りの歴史と方法と考え方を聞かせていただいたが、傾聴に値するとはこのことで、素直にありがたかった。

もちろん、資本も掛け、労力も時間も頭も使っての事だから、私たちに直ぐに出来る事じゃない。

でも、入り口を教わったような気がいたします。

高江さんに、感謝です。

 

久々にホテルに泊まっております。

ベッドがきしむ。 

2010年5月14日 (金)

船橋2日目

2日目は、この商品量では奇跡じゃないかと思われる成績。

朝から終了間際まで、コツコツとお商売させていただきました。

ご常連に感謝ですね。

 

このブログを始めたきっかけは、オンセの高江さんのお薦めだった。

この人は年下だけれど、この世界では私の何年か先を行っている。

集まる周りの連中は、まじめかまじめそうな連中ばかり。

ブログでは毎日会っているけれど、実際に会うのは久しぶりだから、何人か集めて夕飯でもということになった。
 

相模原仲間のパールの長谷川夫妻に、越前竹人形のキンちゃんと、オーストリッチのハンさんに私というメンバーに決定。

キーワードは「まじめ」。

そこに、シルクの贄田さんが乱入してきて、少し「まじめ」から離れたようですが、でも、根はまじめ。

  
高江さんのグループは、酒の席で人生を語るという世界。

私だって人生くらい語れるぞと、「人間は生き方じゃない。死に方だ」なんて一くさりしゃべりましたが後が続かず。

後は馬鹿っ話しで楽しい一時を過ごさせて頂きました。

 
多少酔いながらも、一時間かけて無事帰って参りましたとさ。

2010年5月13日 (木)

池袋から船橋へ

池袋から船橋へ参りました。

同じ東武百貨店。

でも、規模はかなり違います。

なにせ池袋東武は、でかい!

船橋も大きいけれど、池袋に比べようもありません。
 

本日から「にっぽん全国 職人の技」という催事が始まりました。

ブラシ屋の旦那の会社が仕切って第一回目。

始めたのは私。

個人的には隔世の感があるけれど、今回が一番きれいで充実していると思います。

それでも、改善の余地は多々あるとは思いますが、先ずは結果を見てからですね。

 
今回は

チラシも大きくなり、沢山巻いた。
 
そして、開店から沢山のお客様がお見えになった。

たぶん、成績もよろしかったことでしょう。

宣伝効果はすごいけれど、こんな簡単なことが、なかなか理解されないから不思議です。

 
紺邑は、この商品構成ではまずまずというところでしょう。

2010年5月11日 (火)

池袋東武6階6番地 縁

「袖すり合うも多生の縁」といいますが、仕事もそんなもので、縁を大切にすることから広がっていくらしい。
 

この仕事は、ブラシ屋の旦那の会社の斡旋で実現した。

旦那の会社が、ここで催事らしきものを打てるのは、船橋の正月催事をしたときの担当部長の、池袋転勤がきっかけだったらしい。

その船橋の正月催事は、私が旦那を紹介した。

そして今、私がここにいるわけです。

 
その元部長のHさんが、なんと目の前を通り、直ぐに宇都宮の元部長のOさんも通ったので、思わずお声がけすると、二人で会社をおやりになっているとのこと。

驚きましたが、懐かしく、名刺交換をさせていただいた。

 
その後、ブラシ屋の旦那が登場。

H元部長のお話をしたら、これまた懐かしがられて、後で連絡先を教えることにしました。

さて、この縁がどうなりますやら。

 
疲れがちょいと出てきまして、売り場で座っていると眠気が襲う。

ウトウトしていたら、担当に怒られてしまいました。

こりゃいかん!

しっかりしなきゃ!

そういう1日でございましたとさ。

2010年5月10日 (月)

池袋東武6階6番地月曜日 爺様ダンサー

久ぶりに池袋に参りましたので、お客様も待っていてくださったような感じです。

お陰様で、その多寡は別として、売ることに苦労はありません。

 
地元にお住まいの上田さんは、御歳72才。

趣味は社交ダンスと競馬で、酒はやらない。

競馬はドバイまで見に行く懲りようですが、博打としてのめり込んでいる様子はありません。
 

ダンサーの長女の話をしたら、「どこで踊っているの?」と聞くから、「いわゆるクラブというところでしょうね」とお答えしたら、「一緒に見に行こうよ」とおっしゃる。

「えーーーー!夜中ですよ。それもおじさん二人じゃ嫌だな」と素直に反応すると、「なんで?」とまじめな様子。

「私はそんなこと考えたことないな。見たければ見る、行きたければ行く。それだけ」と若いこと。

「池袋で教えているかもしれませんよ」と言うと、「何処?調べてよ。見学に行くから」と、これまた積極的。

長女に電話して聞くと、東口のスタジオで、毎週土曜日に教室を持っているらしい。

「白髪で藍染め着た70過ぎのじさんが、見学に行くらしいからよろしく頼むよ」と言っておきましたが、上田さん、本気でヒップホップを見に行く事になりました。

 
「何でも同じ」というのは上田さん。

バレーだって、社交ダンスだって、ヒップホップだって、ゴルフだって、みんな同じだとおっしゃる。

だから、興味津々なのでしょう。

確かに欧米では、ダンスにジャンルの垣根は無いと言います。

 
そんな話しをしながら、何気なく売り上げが取れております。

池袋は良いところだ。

2010年5月 9日 (日)

池袋東武6階6番地 日曜日

ようやくDMが届いたらしく、池袋界隈の懐かしいお客様がお見えになり出しました。

おかげさまで、売り上げ成績もそれなりになった。

ありがたいことですが、こう百貨店が不景気ですと、DMを出してお客様に来ていただかないと、およそ売り上げは期待できません。

その為には、お客様の名簿が要りますが、こんな事は当たり前のことですね。

 
さて今回、その顧客名簿を取ってはならぬと、ご担当から指示があった。

その意味は、この売り場の固定客を作るな、我々のファンや顧客を作るな、百貨店としては、この会場の次の売り上げも発展も期待しないということだ。

そりゃー、個人情報がどうのこうのという問題があることは知っています。

しかし、問題はそれをどう扱うであって、顧客名簿を取ってはいけないと言うことになるはずがない。

何故なら、小売業というのは、顧客があって初めて成り立つ商売だからです。

名簿を取るななどと言うことは、小売業たる百貨店の自己否定です。

自己を否定しているものに、成功などあり得ませんでしょう。

こういうメンタリティーこそ、百貨店衰退の原因の一つではないか!?

 
この店で個人情報を管理する最高責任者にそのお話をしたら、「だれがそんなことを言っているんです」とおっしゃった。

誰とは申し上げ難いが、この方とじっくりと話す機会がありそうなので、私の意見だけはお話しすることにします。

2010年5月 8日 (土)

池袋東武6階6番地 3日目

初日昼過ぎまで、2日目は1日工房にいて、3日目から私が売り場に立ちました。

東武百貨店池袋店には、何年かぶりの出展となります。

懐かしいけれど、売り場が大きく様変わりしています。

 
20100509124046 左から蜻蛉玉の「にのみやあ~と」の二宮君、印傳細工の多田さん、そして紺邑の3人展です。

 
 
私たちのいる6階6番地は、以前はインテリアの売り場で、その他、久留米絣や民工芸を扱う店などがあったところですが、今や家具売り場です。

20100509124114 私たちの正面の売り場です。

以前家具売り場だった9番地は、高級な宝飾・時計売り場に大変身だ。

 
担当に「変わりましたね」と言うと、「変わってもう何年も経っていますよ。相当長く来てませんねぇ」と言われちゃったけれど、まあ、その通りでしょう。

 
何故来なかったかというと、出展する場所が無くなっちゃったからという単純な事。

それで紺邑はその間、三越の池袋店に出展していたのですが、今度は店自体が無くなってしまった。

 
池袋周辺には、300人ほどのお客様がいらっしゃる。

どうやってアフターケアーしようかと思っていたら、このお仕事が飛び込んできた。

それで、ありがたくお引き受けさせていただいたという次第です。

 
久しぶりなので、以前の担当だったOさんや、船橋から移ってきた呉服売り場のOさんや、取締役のKさんなどが挨拶に来てくださって、賑やかな1日となりました。

しかし、お客様は訪ねていらっしゃらないから、商売的には賑やかとはとうてい云えません。

 
最初に来た元担当Oさん曰く、「大川さん、今週は優待前で最悪の週ですよ。その分、来週が楽しみだ」ですって。

本当に、そのようだな。

2010年5月 7日 (金)

池袋東武 6階6番地

東武百貨店池袋店の6階6番地で、「和のクラフト展」が始まっております。

昨日の朝早く展示をし、三時頃までおりまして、社長業で工房に一時帰って参りました。

今日の午前中の約束が、急に夕方に変更になり、久々にゆっくりと休ませていただいております。

神様からの贈り物のような休養です。

2010年5月 5日 (水)

上六最終日

ついに最終日。

島根から、京都・大阪と続いた長い旅の終わりだ。

この間、売れ筋の商品がなかった。

これが、紺邑の苦戦の最大の原因。

それが、3日前に届き、急に売り上げが出来るようになった。

これが、商売の基本でしょうね。

 
最終日も、最後の最後になって大きい物が売れた。

何とか面目も立ち、荷物も出し、大阪に泊まる洋傘の中島さんと一献傾けて東京に着きました。

 

明日から東武百貨店池袋店6階6番地で「和のクラフト展」に出展します。

これがまた、二週間という長丁場だ。

 
お相手は、蜻蛉玉の二宮君と、東京の印傳と紺邑の三社。

 
どうぞ、お近くの方はお遊びに入らしてくださいませ。

2010年5月 4日 (火)

藍の色

5~6年前に買ってくださったシルクのメンズブルゾンをお召しになってご来店下さったお客様の、その紺味が何とも鮮やかで深かった。

「良い色になりましたねぇ」と私が言うと、「本当にそう。外で見るともっと鮮やかできれい」とは、奥様の言。

藍染めは、歳とともにきれいになるという、典型のようでもありました。

 

目の前が大島紬の城(きづき)ですから、時折藍染めの話しになる。

奄美大島の藍染めは、琉球藍の沈殿藍だと思うけれど、城君は、阿波藍の藍染めに興味があるらしい。
 

私の藍の色の特徴は、青味が深くて透明感があることだと思っております。

「すくも」と水と灰の質が大切ですが、染め方と洗いも大切だ。

 
今日は、私の藍建ての話しをしっかりといたしました。

灰汁の話しもしたし、苛性ソーダと還元剤を使った藍染めの話しもした。
  

時折、藍染めをお召しのお客様がお出でになったり、私たちの売り場の前をお通りになる。

その一つ一つを、「あれはどんな染め?」と城が私に聞いてくる。

しかし、全ての藍染めが、薬品(還元剤と苛性ソーダ)の藍染めだった。

何故分かるかというと、青味と透明感です。
 

苛性ソーダや還元剤を使うと、どんなにすくもや水が良くても、透明感を損ないます。

色がくすんでいて、それは洗ってもきれいにはならず、汚くあせてゆきますし、濃く染めれば、青味が黒味がかる。

 
灰汁で醗酵させた藍染めは、洗うと鮮やかに冴えます。

そして、あのブルゾンのように青味が深くなる。

 
この根本的な色の違いを、明治までの日本人は知っていた。

現代人は知らないし、それも無理からぬ事だけれど、是非、自然界の持つ青味とその深みを、見て感じてもらいたいと思いますね。

 

2010年5月 3日 (月)

上六5日目 理念の継承

人には縁があるなんて事は、当たり前でしょう。

同じように、催事にも縁がある。

人は一人で生きられないなんて事も当たり前ですが、催事もみんなが集まっていて出来ている。

だから、助け合い、みんな平等な機会を与えられなければならないはずだ。
 

こんな言わずもがなのことを何故書くかというと、上六の「職人の技展」の始まりには、こういう考え方が基本にあったのです。

 
当時のある百貨店の同じような催事では、一部の人達が、まるで特権階級のような扱いを受けておりました。

出展条件も違うし、ポスターやチラシに取り上げられるのは、そういう方々だけ。

そんなことがないような催事にしようという考えが、上六の「職人の技展」の初めにはあった。

そして発展し、日本一の催事になり、現在日本中で行われている同種の催事の大元になった訳です。

 

先週、この催事を後援してくださっている新聞社の、事業部長のお話が我々に対してあった。

イベントを担当なさっているのだそうですが、続いているものと続かないものの差は、基本理念が継承されているかいないかだとおっしゃっていました。 

  

振り返って、現在の「職人の技展」はどうでしょうか。

 
一時の隆盛は全くないどころか、売れない催事だという定評さえ出来てしまっている。

だから、出展者を集めるだけでも担当者は苦労をしている。

その原因はなにか。
 

他の百貨店で、同様の催事が催されるようになったからだとか、不景気だからだとか、言い訳は色々あるでしょう。

そんなことは、何処の百貨店にでもある問題で、なにも上六だけではない。

考えるべきは、始めた頃の、発展していた頃の基本的な考え方が継承されているかどうかではないでしょうか。 

出展業者達や担当社員達が、みんなで助け合っているか、平等な扱いがなされているか、担当社員達は、考えるべきだと思いますね。

 

33回目を迎えるこの催事に2回目から出ている私には、この基本的な考え方が継承されているとはとても思えない。

それこそ、この催事の衰退の、最大の原因だと考えております。

 

因みに、不平等な「ある百貨店の催事」は、存亡の危機にある。 

2010年5月 2日 (日)

上六後期4日目 

咳と喉の痛みは相変わらずです。

お客様と話ししていても、咳が出て、喉の痛みで声が出なくなる。

「喉頭ガンじゃないか?」なんて思うほどですが、眠くなるのを覚悟で薬を飲んで、何とか1日ごまかしながら過ごしました。

やはり眠くなって、往生しましたね。

 

お取り置きのお客様などが入らしてくださり、少し商売になりましたが、こう天候不順が続くと、着る物は売りにくいな。

百貨店のアパレルが大不調という記事も見ますが。さもありなんと思います。

 

今日は後期の懇親会。

帰って休みたいのですが、そうもいきません。

薬をもう一度飲んで、これまた喉の痛みと咳をごまかしながら出席。

 

前期の懇親会は、二次会に出なくても良いという約束でした。

今日も帰ろうとしたら、久留米絣の省ちゃんと洋傘の中島さんに引っ張り込まれてしまった。

僅かな時間を過ごさせていただき帰ってきたけれど、やはり出なきゃ良かった。

 

部屋には、日本酒とワインと焼酎とウィスキーが置いてあります。

今晩は、ワインが寝酒。

2010年5月 1日 (土)

上六後期3日目 元気

喉の痛みと咳は相変わらずだけれど、5月1日を迎えて急に疲れが取れた感じが致します。

目の前の城にも、「顔色が昨日と全く違って良くなったね」と言われましたね。

眠くもならなかった。

 

月の初めということで、店長朝礼がありました。

まるで天皇陛下の玉音放送を聞くように、みんな立って聞いている。

 
それに依れば、百貨店の接客態度は他の小売業に比べて優れていたが、今やそうでもなくなったらしく、それが百貨店の低迷の一因だという。

そして社員達に、「皆さんは小売りのプロだから」と語りかける。

そうでしょうかね。

私は、百貨店の社員が物を売るところを、あまり見たこと無いな。

たぶん、店頭に立って物を売る暇もないのが、百貨店社員の現状じゃないでしょうかね。

それを、上が分かっていないような感じがします。

役割が、昔と変わってしまったんじゃありませんでしょうか。

 
では、私はどうかといえば、物作りは専門家だけれど、小売りもしている。

何故なら、そうしなければ食えませんからね。

 
そんな私の今日は、元気が出たせいか、小なりといえども何とか売ることが出来た。

元気が一番と言うことでしょうかね。

 

油断大敵といいます。

元気が出たけれど、咳と喉の痛みは変わりませんから、さっさと帰って参りました。

 

清水エスパルスが勝ちましたので、スポーツニュース三昧といたします。

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