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2010年5月23日 (日)

藍染めを知った頃

私が藍染めを知ったのは、今から三十数年前、親父殿が始めたからです。

「創業は継続よりも難しい」と良く言っておりましたが、その通りで、親父殿は藍が建たずに苦しんでおりました。

 

繊維関係の大学を出ておりましたので、友人には染色の専門家がいた。

彼らは苦しんでいる親父殿を見て、化学建てを勧めておりましたし、その場面を私は何度も見ております。

頑固に醗酵建てに拘ってくれたお陰で、今の私がある。

 
 
初めて藍が建ち、薄く色が染まった時も、現場におりました。

親父殿は深い喜びを込め、感慨深そうにその布を眺めていた。

その時私は不遜にも、「これは私の仕事だ。親父は私のために藍染めに出会ってくれたのだ」と思ってしまったのです。

 

藍を染め始めたのはよいのですが、それを生業にする術が当時はなかった。

親父殿は地方では有名人でしたから、新聞に取り上げられるようになり、県の伝統工芸にも指定され、それから県主催の百貨店催事に呼ばれるようになった。

 
当時東京に住んでいた私も、催事のお手伝いをいたしました。

 
藍染めの実演をするのですが、未だかつて誰もやったことがない。

ホーローの大きな甕に藍を建て、それを車で運んで百貨店の会場に持ち込み、糸を染めたのが最初です。

その内、ハンカチを染めるようになり、今の実演方法が確立された。

 

当時、百貨店のお客様で、藍染めをご存じの方はほとんどいなかった。

これは事実。

今でこそ皆さん、藍染めが日本で続いてきた様に思っていらっしゃいますが、戦後、日本人は藍染めを忘れていたし、知らなかったのです。

 

当時、関東で紺屋は、益子の日下田さん、黒羽の紺屋新兵衛さん、茨城の北島さんくらいなものでした。

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