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2010年6月22日 (火)

守破離

世阿弥に「守破離(しゅはり)」という言葉がある。

これを剣道をやっていたわが子に話すと、「先生から嫌という程聞かされた」という返事がありましたが、武道でもよく使われてもいるらしい。

 
「守」とは基本。

「破」とは、基本に上に立った個性。

「離」とは、その上にある境地。

 
そう私は考えております。
 

芸事は、職人仕事を含め、「守」は絶対な物だ。

基本無くして個性はあり得ないと、私は考えておりますが、これは多分、プロフェッショナルの世界では当たり前のことで、言わずもがなのことだ。

そのためにあるのものを、「修業」とか「練習」というのではないでしょうか。
 

ところが現代には、これを省いても出来てしまう世界がある。

藍染めの世界で言えば、原料に対して何を何グラムいれ、Phをこうしてああしてと、マニュアル通りにやれば出来てしまう世界のことです。
 

これは、一つのたとえ話にしか過ぎません。

どんな世界にもあるのではないでしょうかね。

 
つまり、現代の日本は、アマチュアが幅を利かせられる修行の要らない世界になっている。

だから、われわれプロの世界が狭まるばかりだ。

 
それを実感する出来事が、つい最近あったと言うことでありますよ。

 
月曜日の午後は、「守」のない個性との対話でくたびれ果てましてね、会話が成立しないのです。

多分彼らは、私の言っていることが理解できなかっただろうと思う。
 

夕方、ご近所の工芸家達が集まって来て話をしたら、その疲れが取れてしまった。

修業をしている人間には、何か共通した体験がある。

だから、余計な説明を必要とせずに言葉が通じるのですね。

言葉が通じるというのは実は、そう言うことだと私は思います。

 

世阿弥には「離見の見」という言葉もある。

自分の後ろ姿を見ることの出来る境地だろうと思いますが、これを「客観」としては、「守」も「破」もない。

修業の上にある境地だと、私は思います。
 

それを教えるのが教育の役割だと思うけれど、「離見の見」と言う言葉を教えることで終わってはいけないのではないでしょうかね。

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