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2010年9月

2010年9月29日 (水)

野州の聖人

「野州」とは、昨日書いたように、今の栃木県のこと。

「聖人」とは、二宮尊徳を指します。

 

二宮尊徳の教えを今の世に知らしめようとする、「一円塾」という会に出席して参りました。

主催者の長澤さんも、もう83歳になるとか。

跡継ぎが見つかったかもしれないから、その人の話を聞きに来いと云う仰せでありましたので、東京は築地まで出向いた次第。

 

「栃木県民は、『野州の聖人』とまで呼ばれる二宮尊徳を知らなさ過ぎる」と、長澤さんはお怒りだ。

ごもっともと、私も思う。

しかし、かくいう私だって、長澤さんがいなかったら、二宮尊徳にこれほど身を入れることなどなかったかも知れません。紺邑の社是だって、二宮尊徳だ。

つまり、知らされていないという面もあると申し上げました。

 

栃木県を「分度推譲立県」と言った元知事も、会場にいらした。

議会とマスコミは、「知事は難しいことを言い過ぎる」と批判した。

これに対しても、「程度が低い」と長澤さんはお怒りだ。

またまたごもっともと思うけれど、やはり知らされていないからで、これは教育の問題でもあると申し上げた。

そして、県議会や県民に解りやすく説明する努力をしなかった方に問題在りだと、当時から私は考えておりました。

 

「君のあれだけれど、好きなこと書いてるなぁ~」ともおっしゃった。
このブログのことです。

戦後のGHQの事など、私の意見にご不満もあるらしいが、それはそれで赤面の至りだけれど、やはり好きなことを書かせていただくと、尊徳が「聖人」と呼ばれるには、それなりの理由があったはずだ。

  

尊徳は、ものすごい数の村々を建て直し、村民を救った。

そのやり方を「仕法」と云うけれど、それだけで「聖人」と呼ばれるはずもない。

二宮翁夜話などを読むと、人の生き方の本質が語られていると私は思う。

それこそ「聖人」と呼ばれる由縁だとも。

そして、「今、何故二宮尊徳なのか?」と問われれば、本質を見失っている時代だからと、私は答えますね。

尊徳を語るには、尊徳の言葉以外に無いし、それで十分だ。

  

工房を出る前に、お客様がいらした。

作務衣をご注文いただきましたが、私も知るさる著名な書家の唯一のお弟子さんで、こんど個展を開かれる。

物静かで柔らかく、言葉には何も自己主張が無いけれど、その方の存在と自信を、私はしっかりと認識できました。
 

なにを書きたいのかって?

好きなことです(笑)

 

「長澤の前に長澤無く、長澤の後に長澤無し」だと思いますよ、長澤さん。

 

2010年9月28日 (火)

JR両毛線

昔々、万葉のころ、栃木県と群馬県の辺りは、「毛の国」と呼ばれていた。

時代を経て、群馬県側(西)を上毛野(こうずけの)、栃木県側(東)を下毛野(しもつけの)と呼ぶようになった。

それが江戸時代になって、上毛野が上野国(こうずけのくに)となり、略して上州。
下毛野国が下野国(しもつけのくに)になって、略して野州となったということだそうな。

群馬県と栃木県をあわせて、「両毛」と呼ぶ由縁がここにあるわけです。
 
  

群馬県前橋市から栃木県小山市を結ぶ鉄道がありまして、名づけて「両毛線」といいますが、現在の「両毛」とは主に、この鉄道の範囲を言うといっても良いと思います。

 

両毛線を作ったのは、私が生まれ育った栃木県足利郡小俣町の豪商、木村半兵衛です。

略して「木半(きはん)」といいますが、足利の織物の発展に大きく寄与した人ですし、その生産量は当時日本一だったそうです。

小俣町というところは、私が育ったころでも、全人口が9000人くらいなもので小さな町だった。

それでも、「木半」や大川家があったということは、驚くべきことだと思います。

 

今日は、その両毛線を使って、高崎まで行ってまいりました。

両毛線には、当然、小俣駅があります。
我が生まれ故郷だ。

久しぶりに電車から小俣駅を見ると、小学校まで田んぼだけだったのが、今じゃ家だらけで学校さえ見えません。

この小俣小学校も、木村半兵衛の尽力で出来た物ですが、たしか土地は、大川ではなかったかとおもいます。

私は高校生の頃、この駅から毎日学校に通っておりましたが、今で云うSLでありました。

 

桐生を過ぎると、岩宿駅。

日本で初めて旧石器時代の遺跡(岩宿遺跡)が発見されたところですね。

現在はみどり市というつまらない名前の町になっておりますが、なんで桐生市にならなかったのか、他人事ながら変だと思います。

 

次が国定。

ご存じ、国定忠治の居たところ。

私が子供の頃には、忠治を見たというおばあさんが生きておりました。

 

伊勢崎を過ぎると、今度は駒形があります。

これまたご存じ、駒形茂兵衛の本場。

こちらはお芝居ですけれど、そんな雰囲気を醸し出す宿場町だった。

 

国定忠治と言えば赤城山ですから、それを右に見て進みますと、急に都会になって、前橋から高崎と続きます。

 

さて、両毛線は、日本を東西に走っております。

上り下りをどうするかというと、高崎方面が上りで小山方面が下り。

栃木県側からすると、小山経由の方が東京に近い。

だから、上りが高崎方面というのがどうも納得いきませんでしたが、上州に向かうのですから仕方ありません。

 

高崎スズランという百貨店で、明日から催事です。

お近くの方々、どうぞお越し下さいますように。

 

 

2010年9月26日 (日)

切磋琢磨

 千葉から島本さんご一行がお見えになった。約束は2時でしたが、12時過ぎの早いお着き。せっかく時間があるので、飛駒を案内しました。

 先ずは飛駒和紙

 次に飛駒最奥の別荘。

 ここは、私たちが工房の土地を探していたとき、一番来たかったところ。当時は、まだどなたかがお住まいになっていた。

 カフェ・ブロッサムでお茶。

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 今日は天気が良かったので、庭での一時。

 思わず話しが弾み、長居をしてしまいました。

 紺邑に帰ってからは、藍染めのオーダー・メイドの相談。

 久留米絣の山村省二作の反物と、私の藍染めのコラボレーション。

 私は、省ちゃんの作品に合わせた藍染めをしようと思っておりました。

 私の色と省ちゃんの色は、それぞれ個性がありますから、同じ藍染めでも全く違うのです。

 どうしようかと思い悩み、一つの結論を私は持っておりました。

 そうしたら島本さんが、お互いの個性を生かした方が良いとおっしゃる。この言葉には驚きましたね。やはり、使う人の意見だな。

 なるほど、そう考えると、私の個性を生かして省ちゃんの反物に活かせばよい。

 そう考えたらば、染める色が決まりました。

 物作りは、作る側と使う側の切磋琢磨で良いものが出来る。島本さんは、日本中の工芸をよくご存じだし、実際にお使いだ。だからこその意見だし、私も目が開かれた思いがしました。

 この次は、鋳物がお好きという島本さんに、天明鋳物をご紹介しようと思います。

2010年9月24日 (金)

御所の入り

突然ですけれど、「御所」と言うのは皇居の事だし、その昔は、天皇・上皇・皇后などの敬称でもあった訳です。

そんな特別な名を持つ場所が、閑馬の近くにあります。

「御所の入り」と言います。

今朝は、そこを目指して歩くことにしました。 

 

陶芸家の栗原さんの工房を過ぎ、山裾を歩きます。

こんな光景もある。

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山が削られておりますね。

山を愛する人たちは、この姿を「無惨」と表現しますが、正しくですね。

削られた土や岩は、高速道路の建設などに使われているらしい。

これも、田中角栄首相の日本列島改造論からだ。

 

その中心に小沢さんがいたことなど、若い人は知らないらしい。

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長閑な田んぼの風景だけを切り取れば、昔の日本の姿がありますが、目を山に向ければ、それなりの現実がある。 

 

日本は、リサイクルの文化だった。

世界のお手本のような国だった。

それが、大量生産大量消費の国になり、今じゃゴミだらけだ。 

 

例えば着物。

ハギレがほとんどでない。

たたんで仕舞うから、場所取らない。

最後はぞうきんになって、その使命を終える。

そんな文化が無くなって、久しいようだけれど、1970年代初めまで、田中角栄さんが天下を取るまでは、そういう日本が生きていたんです。 

 

そんなことを考えながら歩き、もう少しで「御所の入り」というところで携帯の時計を見ると、もう30分以上も歩いている。

これ以上歩くと、「過ぎたるは及ばざるがごとし」の二の舞だから、諦めて帰ってきてしまいました。

それでも、一時間半近く歩いた。 

このままでは、「御所の入り」まで歩くことは一生叶いません。

でも、ブログで紹介したいと思って、車で行ってきました。

しかし、こんな大きな名の付いた場所ですが、特別に史跡というものもない。

あるのは蕎麦屋さん。20100924081931 
もと郵便局長さんが始めた、「御所の入り」という名のお蕎麦屋さん。

車が行き違うことは決して出来ない場所にありいます。

蕎麦は、一茶庵風の洗練された蕎麦。

これは意外な感じがします。

神社はある。

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人丸(ひとまろ)神社と云います。

柿本人麻呂なんでしょうか、和歌の神社と言います。

紺邑の近所の示現神社も、同じだそうな。

これも、古い歴史を感じさせますね。

 

さて、「御所の入り」のいわれですが、新参の私などが語って良い物かどうかは解りませんが、私のブログだから、間違っていたら後で訂正することにして、地元の古老によれば、その昔、建武の中興に破れた後醍醐天皇の御次男が惨殺されたそうな。

それを哀れに思ったある人が、密かにここに埋葬したことから、「御所の入り」という名が付いたという説もある。

それにしてもこの辺りは、足利氏がいて新田氏が居て、佐野氏がいるという複雑な勢力分布があった。

それが、鎌倉後期から建武の中興を経て、足利幕府が起こり、南北朝が始まるという、日本史上の混乱の時代に遡り、思いを馳せることが出来る。

そんな散歩が味わえるのも、幸せなんでしょうね。

2010年9月23日 (木)

御嶽山

紺邑の裏山は、御嶽山と呼ばれています。

御嶽山と言えば木曾ですが、我が生まれ故郷の栃木県小俣町にも御嶽山はあり、日光にもあり、日本全国にある。
 

小俣の御嶽山の名は、幕末の文久年間に、大川繁右衛門を中心とする真精講によって、木曽の御嶽山が勧請されて以来の名称であるといいます。

「勧請」(かんじょう)とは、 「神仏の分霊を他の地にも祭ること」だそうですが、大川繁右衛門とは、我がご先祖様なので、これを調べてみると、水野忠邦や二宮尊徳に繋がってくる。

こんな因縁のある面白い話しはありませんが、この時間では少々御神酒が入っておりまして、私に書く能力がなくなっているので、その内書くことに致します。

 

今日は、一日中雨だった。

だから散歩もなし。

 

何していたかと言えば、休んでおりました。

私たちは少し、働き過ぎだ。

偶には休まなきゃいけません。

 

では、又明日(^^)/

2010年9月22日 (水)

田舎暮らし

「田舎暮らし」がトレンドみたいになって、本まででているようです。

田舎に生まれ、都会で暮らし、田舎に帰ってきて田舎に暮らしておりますと、少しだけ解ることがある。

それは、「ただの田舎」と「そうではない田舎」があることです。

都会の人で田舎暮らしに憧れている方は、その辺りの見極めが肝心かと存じますね。

「ただの田舎」の田舎暮らしは、後悔するんじゃないかな。

 

さて此処閑馬は、ただの田舎ではない田舎です。

その証拠に、過疎にならずに僅かでも人口が増えております。

何故かと説明するのはちょっと難しいけれど、来ていただければお分かりになると思う。

 

久しぶりに帰ってきて、朝の散歩をいたしました。

至る所と云っては大げさですが、今頃は蕎麦畑に花が一杯。

これは、紺邑の入り口。

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ちょっと奥へ入ったところ。

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地元の蕎麦を地元で食える。

ただの田舎ではないでしょ!?

 

バスも走っています。

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ただし、1時間に一本です。

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閑馬の山には神様がいらっしゃる。

だから、ただの田舎じゃないのです。

なんてね(^o^)

でも、それを感じることは、大切なんじゃないかな。

2010年9月21日 (火)

帰還 そして通夜

お好み焼きで打ち上げ、ホテルにチェックインしましたが、どうにも物足りない。

コンビニに行ってカップ焼酎を二本買ってきて、飲んで爆睡。

朝起きてみると、ちょいと2日酔いの気分。

着替えがないので歩けませんから、ゆっくりと起きて朝食会場へ。

そこに、藤布の小石原将夫さんがいらして、ちょっと長話になってしまいました。

藤布と小石原さんについては、改めて書こうと思っていますが、繊細でまじめで多少世間知らずのところがあって、子供みたいで、年上ですが面白い方です。

 

新幹線ののぞみに飛び乗り、そのまま桐生の葬儀場へ。

新井さんの奥様がお亡くなりになったのですが、これが古くて長い因縁のある方で、どうも感慨無量。

葬儀場に着くと、通夜ですが普段着は私一人。

時間がなかったのですから仕方ないと、自分で自分に言い訳しつつ会場に入って行くと、ブラシ屋の旦那がいらした。

 

そのままお別れして、閑馬に帰ってきたという一日を、日記代わりに記しておきます。

 

2010年9月20日 (月)

福山最終日 犬も歩けば棒に当たる

最終日は、どういう訳か一番の人出でした。

お客様に、「お金の掛かった町ですねぇ。力のある政治家がいるのだろうと思ったら、宮沢さんの地元ですってね」と言ったら言下に、「あの男は、地元になにもしてない!」とおっしゃった。

「じゃあ、宮沢洋一さんはどうです?」と聞くと、「ちゃんとしてたら落ちないよ」とも。

そして、「この町は、みんなで作ったんだ」と。

どうも、聞いてみなくては解りませんね。

 

今日のうちに帰ろうと思って、新幹線の指定席を取りにいったら満席。

座れるかどうか解らない自由席で、4時間半も乗るのは嫌ですから、福山に泊まることにしました。
 

みんなでお好み焼きで打ち上げ。

美味しかったな。

 

成績は最低でしたが、楽しく仕事をさせていただいた。

これも何かの縁。

そして、何かが起こる。

犬も、歩かなければ棒にも当たりませんからね。

2010年9月19日 (日)

バラのまち

毎日10時前後には寝て、朝は6時に起きる。

今朝は昨日のこともあり、どうしようかと思ったけれど、6時に「エイヤ!」と気合いを入れて起きた。

いつものようにたっぷりとストレッチをして、水を飲んでお散歩だ。

さぁ、何処に行こうかと考えましたが、気ままに南に行くことにしました。

 

すごく広い場所に出た。

大きなドームもある。

なんじゃいな?とみると、バラの公園。

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これがバラの花壇のようで、季節にはバラの花で一杯になるのだそうな。

 
その奥には、野外ステージのある大きな広場と、ドーム。

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福山市は「ばらのまち福山」というのだそうです。
 

それにしても規模が大きい。

余程力のある政治家が居たのだろうと調べたら、宮沢喜一元首相の地元でした。

 

ここから福山港が近いと書いてあるので向かいましたが、途中で昨日の二の舞になりそうなのであきらめて帰ることにしました。

せっかくですから道を変えて歩いていると、なんと天満屋が出現した。

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旧そごうが天満屋になったのだそうですが、これもでかい!

 
思い出したのが、九州の某百貨店。

社員もすばらしく、お客様もすばらしく、我々の職人展も勢いがあった。

ところがこの百貨店、郊外に大型店を出しちゃった。

現在、すばらしい社員達はリストラで居なくなり、集客も売り上げもままならず、職人展はなくなり、誰も手を出そうとしない状態だ。 

 

今日も一時間強の散歩でしたが、考えることは多かったな。

 

仕事ですか?

朝礼がなかったな(^_^;)

「過ぎたるは及ばざるがごとし」というお話し

17日のこと、散歩コースをグーグル地図で調べまして、福山城の裏を通り、石井商店を左折して芦田川を渡って川沿いに下り、草戸稲荷神社と明王院を見て帰ってくることにしました。

隣の小山君がそれを見て、「大川さん、遠すぎますよ」というけれど、なに、なんとかなると18日の朝6時にホテルを出発。

ちょっと肌寒い。

 

石井商店は肉屋さんでしたが、「熊本の石井は元気にしてるかな?」なんて思いながら進むと、左折するのだと思ったら左カーブになっていて、その向こうに大きな橋が見える。

芦田川は思わぬ大きな川でしたが、ここで手前の河川敷を歩くか、向こう側に橋を渡るか迷いが生じました。

一度は河川敷をあるこうと思い、土手を下りかけたのですが、やはり最初の計画通り橋を渡ることにしました。
 

ちょうど中央当たりで、「ピーヒョロロ」という聞き慣れた声がする。

そちらを見ると、すっかり秋めいた空に、トンビがいました。

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その下の芦田川です。

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頭の中に「トンビがくるりと輪を描いた ホーーイーーのホイ」という、三橋三智也の歌がめぐる。

「そこから東京が 見えるかい?」と続くわけだけれど、「さすがに福山じゃ見えないだろうな」なんてことを考えながら橋を渡りました。

 

さて、渡ったのはよいのですが、土手に歩行者用の道がない。

仕方なく、土手下の、日本中何処にでもあるような工場の横道を歩かざるを得ませんでした。

ようやく国道2号線に出た。

此処まで来れば、直ぐそこです。
 

ところが、今度は歩く道さえなくなってしまった。

芦田川の横にもう一つ小さな川があって、そこに架かる橋を渡って山に入って行く道しかない。

良く見ると、その川沿いに道があって、橋を渡ってから下りればなんとかなりそうだ。

「なんとかなる」と思って行ってみると、駐車場のようなところの脇からいけそうだ。

道なき道をかき分け、何とかその道に出られました。
 

少し歩くと赤い橋が見えてきて、神社の気配がする。

そこまで行くと、どでかい真っ赤なコンクリート製の神社が出現しました。

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これが草戸稲荷神社です。

広島県で2番目に初詣で賑わう神社だそうです。

一番上まで登れば、福山市が一望に見えると聞いておりましたが、なんと9時開門。

護国神社では、朝6時には祝詞が聞こえて来たのに、残念なことだ。

 
お参りをして隣の明王院に行ってみると、今度は落ち着いたたたずまい。

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この門をくぐり、階段を上がると、国宝の本堂があります。

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その隣にそびえる五重塔も、国宝です。

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立派な塔ですが、本堂の方はちょっと寂しいかな。

鎌倉時代の建物で現存する国宝では、私の地元足利市の鑁阿寺(ばんなじ)がありますが、これもすばらしい物です。

 
ここで時計を見ると、7時過ぎている。

「帰らなきゃ」と思って予定を変更して、まっすぐにホテルに向かうことにしました。

ところが、歩いても歩いてもホテルにたどり着かない。

ようやく7時45分過ぎに到着。

こりゃ、歩きすぎだ。

寒くて鼻水も出てきた。

 
シャワー浴びて朝食を食べても、鼻が酷い。

これが一日中続き、つらい日となりました。

 

つまり、「過ぎたるは及ばざるがごとし」だという、長い一席m(_ _)m

2010年9月18日 (土)

福山四日目 「根本的な問題」

天満屋という百貨店の福山店に居るわけですが、天満屋に縁が無かったわけではありません。

 

本店の岡山店では、何回かお世話になっておりました。

 

そこでなにか、こちらが呆れるようなことがあって、出展を取りやめたか断られたかした覚えがあります。

 

今回は、ちょいとした義理もあって来てみましたが、やはり、呆れることばかりだな。

 

 

 

先ずは、催事を企画した担当者に、四日目になりますがまだ会っておりません。

 

朝礼にも挨拶にもこない。
 

 

次に、フロアーでやっていることに、何の意味も感じられない。
  

 

催事場三つに分かれ、アイデア商品が並び、その隣では通販のセシールの大バーゲンをやっていて、ワンピースが300円、Tシャツが100円、ジーパンが670円という世界があり、その奥では「手作り展」があり、日本中から、いわゆる「手作り作家」達が集まっている。

 

  
朝出勤すると、偉いさんとおぼしき社員が、担当者に「そこの通路は広すぎるな」などとレイアウトに対して指示をしている。

 

私には、ママゴトのように見えるし、「その前に、企画そのものを見直せ。遊んでんじゃねぇー」と思いながら見ていた。

 

 
バーゲンの隣になった「手作り展」の人達は、少し離れた会場の私たちの所に来て、「こちらは高級感があって良いわねぇ。私たちの所なんか、隣がバーゲンよ!あれじゃー売れないわ」と嘆いて行く。

 

ところが私たちの所では、「セシールのバーゲン会場はあちらでございます」と、若い男の担当者が大声を出して客引きをしている。 

 

そして隣の幼児用品売り場では、「赤ちゃんのハイハイゲーム」とやらが始まり、マイクを使って大声でイベントをやり出した。

 

   
結果はどうかと言えば、Tシャツ100円のバーゲン会場にも催事会場全体にも我が会場にも、人影もない。

 

隣の赤ちゃん達も、イベントが終われば閑散たる物だ。

 

 
 
朝礼では、昨日の売り上げと店の予算が発表された。

 

驚いたことに、出展者全員が嘆くこの成績で、百貨店の予算を上回っているという。

 

私は、「予算はいわない方が良いよ。天満屋の恥だぜ」と、朝礼で云わせてもらった。

 

 
予算とは売り上げ目標のことですが、出展者の我々も百貨店も、双方が納得できる目標設定にしなくてはなりません。

 

そして双方が、達成のために努力する。これが当たり前のことだ。

 

ところが天満屋は、自分勝手に目標を設定していて、それが我々にとって赤字であろうが何だろうが構わないという姿勢だ。

 

これじゃあ、この世界が成り立ちません。

 

  

 

こんなことは、百貨店経営上の根本的な問題じゃありませんかね。

 

今日も偉いさんとおぼしきスーツ姿の人達が、視察のようなことをやっていたけれど、彼らは何を見て何をしようというのでしょうか。

 

 

 

我々は、日本中の百貨店を知っています。

 

そして、誰かに会えば、あの店はどうだこうだという話しになる。

 

この店は、如何ともしがたいな。

 

 

 

出展者を集めたのは私だけれど、皆さんにはどうにも申し訳がないけれど、しかし、「禍福はあざなえる縄のごとし」というし、世に偶然はないとも言う。

 

これも何かの縁だし、なにか意味あることなんでしょう。

2010年9月17日 (金)

福山3日目

福山城の北側に、福山八幡神社というのがあると地図に書いてありますので、今日の散歩はそこを目指しました。

これが見あたらない。

30分ほど探してようやく見つかりました。

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この本殿の右側に東宮があります。

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左に西宮です。

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一つの神社に、大きな社が三つありますが、この裏側にも鍛冶神社などがある。

 
八幡神社を下りると、艮神社(うしとらじんじゃ)という看板があったので、そちらにも行って参りました。

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落ち着いた雰囲気の神社でした。

 

驚いたのは、隣り合わせに真言のお寺があること。

こう言うところは、日本ですねぇ。

 

良い散歩をさせていただき、仕事も終わり・・・

そちらはなかなか大変だ。

2010年9月16日 (木)

福山2日目

朝6時に散歩に出て福山城に上り、周辺を探索していると、大きな神社がありました。

階段を上ってゆくと、太鼓の音が聞こえ、祝詞をあげる声が聞こえます。

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何の神社か解らないまま、お参りさせていただきましたが、後で調べますと「備後護国神社」だそうな。

 

凡そ1時間ほど掛けて街を歩き、ホテルの近くまで戻ってくると、商店街の中に真新しい鳥居があった。

何だろうと言ってみると、小さな神社がありまして、その名が「福山神社」というのでビックリ。

ホームページにも紹介しておきましたが、こんな感じ。

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鳥居の奥に小さな社があり、その隣のモダンな建物は社務所のようだ。

「ここは願い事をする神社ではありません。自分の年と名前を告げ腹の底よりありがとうございますを三回言うことでいつの間にか人生の扉が開いたとお礼参りも増しています。まずは年とお名前からどうぞ」ということらしい。

変わっていますが、地元に愛されているようにも感じましたね。

 

百貨店の社員通用口付近に、気になる古本屋があります。

お昼休みにちょっとのぞきましたら、面白そうな本が沢山あった。

一日いても飽きないでしょうが、仕事中ですからそうはいきません。

その中に、「二宮翁夜話」というのがあった。二宮とは、二宮尊徳のことですね。

昭和18年発行で三円十銭と書いてある。

益々混乱して行くであろう社会を見つめ直し、何をすべきか教えてくれるような気がする本だし、私としては、宝物を見つけた気分です。

早速買い求め、読み始めましたが、戦中の匂いも少し致しますし、それがまた懐かしい感じです。

 

また明日も、福山の町で新たな出会いがあることでしょう。

 

しごと?

・・・

2010年9月15日 (水)

福山天満屋初日

初めてのお店は、感じをつかむまで時間が掛かります。
 

開店して直ぐに、お客様がついた。

ウールのマーガレットをいたく気に入られて、悩みに悩んでいる。

「一晩考えてくる」とおっしゃってお帰りになった。 

 
日傘に悩んだ人もいる。

同じ台詞でお帰りになった。

 
麻布を気に入られて、タペストリーに使いたいというお客様も、長い間悩んで、同じ台詞でお帰りになった。

 
それが、まじめな態度で、冷やかしとはとても思えない。

 
主催者の俵さんに聞くと、どうも、そういう所らしい。

となると後が楽しみですが、期待はしないことにしましょう。

なぜ?

「期待は裏切りの始まり」というのが、祖母の教えだから(^_^)v

 

紺邑のTシャツをお召しの方が、突然現れた。

「えーーーー!なんで私がここにいることが分かったんですか?」とお聞きすると、「ブログに書いてあったでしょ!あれ、面白いわね」と言って下さった。

そういえば、昨日のブログの最後に「いるとも思えませんが、ブログの読者でお近くの方、是非遊びに来て下さいませな」と私は書いた。

ほんとうにいらっしゃいました!

 

広島からわざわざいらしていただいた林田さんとの出会いは、今年の2月の熊本鶴屋でした。

ご自身のTシャツやらパンツやら、ご主人のシャツやらをお買い求め頂いた。

そしてどういう訳か、私のブログを読んでいただくようになり、「あれ、面白いわね」となって、福山で再会の運びとなったというわけです。

感激いたしましたし、ブログ書いてて良かったなとつくづく思いましたね。

林田さん、ありがとうございました。

 

催事の初日は、ちょいと疲れます。

デパ地下でお総菜を買ってきて夕飯。

後は、お休みなさいませだ(^^)/

2010年9月14日 (火)

福山へ

昨日は、「アート街道66」の反省会。

皆さん、料理持ち込みで楽しい一時でありました。

 

今朝早く起きて散歩。

福山天満屋の催事に出展するために、8時40分発のバスで東京駅へ。

10時10分頃には東京駅に着いたのですが、福山に停まる「のぞみ」が1時間に一本なので、のんびり行こうと11時30分発にしました。

大好きな崎陽軒のシュウマイ弁当を買ってのぞみに乗り込み、ゆっくりとそれをいただいて、気が付いたら新神戸。

福山駅に降りたら、「あら!大川さん」という声がする。

「ん?ここに知り合いはいないはずだけれどな?」と思って声のする方を見ると、石田製帽の元若妻の琴路君ではないか。

福山から、在来線で三つ目の駅が実家なのだそうな。

日本中何処に行っても知り合いがいるというのも、面白い人生だと感じます。

 

天満屋に入ってみると、もうみんな準備をしている。

紺邑は、まだ商品さえ届いていない状態。

時間はたっぷりありますから、のんびり待っていると、品物が届き、何とか準備終了。

 

「福山は初めてですか?」と聞かれたけれど、さて?どうでしょうか。

「来たことがあるとしたら、40年くらい前に、月世界というキャバレーに来たかもしれない」と答えておきましたが、徳山はハッキリ覚えているのだけれど、福山は覚えがありません。

なんにしても、初めてと代わりはありゃしません。

 

いるとも思えませんが、ブログの読者でお近くの方、是非遊びに来て下さいませな。

2010年9月12日 (日)

例幣使街道 御嶽山

昨日は、朝3時半に起きて染めを開始。

9時には一段落して、急な用事で栃木市のお客様の家に行って参りました。

着いてその大きさと古さにビックリ。

百年以上経っているのだそうです。

「旧道にあります」とお聞きしていたのですが、帰りしなにお家の前の道を「何の旧道ですか?」とお聞きすると、「これが例幣使街道です」とのこと。

素晴らしい町並みです。
http://www.youtube.com/watch?v=YnArUkLbito

お時間があれば、ご覧下さい。

ちょいとBGMはいただけませんが、仕方ない。

最後に出て来る「田楽」と書いてある味噌蔵は親戚でしてね、奥の庭と茶室が良いのです。
 
 

栃木市も良い町です。

 

さて本日は、紺邑の裏山「御嶽山」のお祭り。

201009111

何をするわけでもありませんが、町内の有志が山頂に登り、お参りをしてきてから我々が集まり、みんなで山に2礼2拍手1礼して飲み食いするというもの。

荒御魂のお祭りでしょうかね。

 
午前11時からですから、ちょいとつまみながら、ママよとばかりに酒を飲んでしまいました。

 

昼酒は利きます。

だから、帰ってから昼寝。

何せ昨日が朝早くて、ちょっと寝不足気味でもありましたからね。

 

しばらくして「お客様よ!」と言う声で起こされ、ご近所と東京からのお客様がお見えになった。

東京の方は、佐野厄よけ大師の側の「物産会館」で、SANOMEDIAをご覧になったらしい。

早速の反応に、有り難いことでした。

 

昨日は歩き損ねたので、今日は夕方1時間ばかり散歩。

沢一つ向こうの「梅園」というところまで歩いて参りました。

 

夜は、藍の手入れを致しまして、これから晩酌であります(^o^)

2010年9月11日 (土)

SANOMEDIA

世にフリーペーパーなるものがありますが、我が佐野市には、「SANOMEDIA]と云う、おしゃれなものがあります。

昨日配布された17号目の今回の表紙には、私がすくもを持っている手のひらの写真があり、「藍色の音色」として、紺邑が特集されています。

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佐野市内の各金融機関やアウトレットやイオンやバスターミナルなど、主だったところには置いてあるようですので、お時間あればご一読下さいませ。

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もちろん、紺邑にもあります。

2010年9月10日 (金)

藍は愛によって

キリスト教徒であった我が父は、「藍は愛によって」と言っておりましたし、墓碑銘にもそう書いてあります。

どういう事か?と、久しく批判的に考えておりましたが、最近は「正しくその通りだな」と思うようになった。

キリスト教徒が「藍」にたずさわり「愛」を語るから難しくなるので、それは多分、「心を寄せる」という事ではないかなと染めながら感じております。

 

現在、藍が染められないほどに調子が悪い。

何故かがハッキリしません。

色々手を入れてみましたので、後は待つだけだ。

 

一本だけ、何とか染められるから、大切に大切に扱う。

そうして「藍は愛によって」だなと、感じることが出来る。

 

理屈は直ぐに忘れる。

どう染め、どう手入れをし、どう扱うかは、藍に心を寄せなければ解らない。

それを教えることの難しさ。

日本のキリスト教徒が、「愛」を語る難しさ。

それでも、「藍は愛によって」とは、まことのことだと思います。

2010年9月 9日 (木)

決算と散歩とお客様のブログのお話し

私には、日記を付けるという習慣がありませんでしたが、このブログのお陰で、過去に何処にいて何をしていたか解る。これは有り難いことですね。

 

さて今日は、日記風に書けば、朝早く起きて散歩。つまりウォーキングですね。

日中はとにかく暑いですから、早朝か夕方しかありません。

夕方は「秋の日はつるべ落とし」そのまま、まだ残暑は厳しいと云っても直ぐに日が暮れます。

暗くなると、熊とイノシシが怖いから、散歩は嫌。

自然と、朝を選ぶことになる。

奥の星野さんのところまで往復。

凡そ4㎞ほど。

それでも汗だくだった。

 

一風呂浴びてから、税理士に来ていただいて決算書類の作成。

オンセの高江さんに教わったパソコンソフト「弥生会計」を使っています。

紺邑は多分、オンセよりも少し複雑なので、決算報告書の作成は、このソフトを使っている税理士にお願いすることにしました。

年に一度だけお願いするわけですが、これだけで何十万円もの節約となりました。

教えてくださった高江さんには、大感謝です。

 

一段落してメールをチェックしますと、お客様のブログに紺邑が紹介されていると報告がありました。

紹介してよろしいという許可を頂きましたのでご紹介!

つるちゃんのブログ 太郎・二郎日本の職人

太郎・二郎は、かわいいネコの名前。日本の職人は、私。

□□□□
正藍染は毒虫除けにもなり、抗菌作用もあり、サラッとして、洗濯機でネットに入れ
洗えます、とっても良いものです
日本古来の伝統を今に、伝えていてくれる、数少ない職人さんです
メンテもしてくれます、すごーく長持ちで飽きがきません。
□□□□
写真付きでこう書いてくださいました。

感謝m(_ _)m

2010年9月 8日 (水)

リンクページ その2

一日中リンクページを作っておりました。

何故?って、藍が染まらないからです。

何故?って、解りません。

 

さて、リンクして行く途中で、ふと「何故リンクページを作るのだろうか?」という素朴な疑問が湧き出しました。

様々に理由を思いつき、色々な人のリンクページを見ていて解ったことは、それぞれ目的がちゃんとあると云うこと。

そこで紺邑は、先ずはカンマ周辺の情報を発信することにしました。

 

勉強になったのがカフェ・ブロッサム佐野プレミアムアウトレットです。

 

カフェ・ブロッサムは、縦横無尽にリンクしているけれど、その中に、面白い人たちが沢山いることが解って、リンクページそのものが楽しかったこと(中には情報が古くてリンク先がない場合もありましたが、それも一興)。
 

佐野のアウトレットのホームページは、さすがに規模が大きく、しっかりしているという印象を持ちました。

そこで、メールでリンクの申請をしてみると、直ぐに本部からオートマティックに返信があり、また直ぐに、佐野の担当者からメールが入った。

しばらくすると、その担当者から直接電話を頂いてお話しをして、ロゴと紹介文をメールしてもらうことになった。

その仕事の速いこと丁寧なこと、驚きましたね。

低迷する小売業の中で、好成績を上げているのは理由があることだと、つくづく感心しました。

 

出来上がりがどうなったかまだ解りませんが、楽しんでいただけるページにしようと研鑽して行きたいと思います。

2010年9月 7日 (火)

リンクページ

えー、ホームページにリンクページを作りました。

解ったことは、ホームページを持っていない職人が結構いると言うこと。

驚きましたね。

まあ、私や高江さんみたいに、自分で作れば経費がかからないけれど、誰かに頼めばそれなりに掛かるのは仕方ありませんからね。

 

都道府県や組合のページをホームページにしている人も見受けられましたが、それはリンクしませんでした。

一日がかりでこれまで。

「私を忘れているぞ」という方、どうぞ相互リンクいたしましょうぞ(^^)/

 

ただし、唯我独尊で手前勝手なホームページとのリンクは致しませんので悪しからずお許しの程をm(_ _)m

2010年9月 6日 (月)

民主党の代表選挙に思うこと

どうも政治ネタで恐縮だけれど、民主党の代表選挙を見るに付け、腑に落ちないことばかりです。

先ずは、自民党が総選挙もしないで首相を代えてきたことを、あれほど詰っておいて、何故一年もせずに3回目の党首選をするのか。

政治家として、政党として国民に正直であれば、総選挙して民意を問うべきは当たり前のことでしょう。

 

次に小沢さんは、「国民の生活が第一」だとおっしゃる。

ならば、世界経済が不安定で、円高で株安でデフレで雇用に問題があり、北朝鮮の不穏な動きや中共の軍拡など、安全保障面でも内外に様々な政治的動きがある中、時の政府に協力してそれを乗り越えようとするべきではないか。

同じ政党なんですから。

なのに現職総理総裁に対抗して代表選挙に名乗りを上げ、国政に空白を作らせるとは、話していることとやっていることが、余りに違いすぎやしませんかね。

 

日本は議会制民主主義の国だ。

だから、議論が大切で、専制的になってはいけないと私は思います。

 

古くは聖徳太子が、十七条の憲法で・・・

「一に曰(い)わく、和(やわらぎ)を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。人みな党あり、また達(さと)れるもの少なし。ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん」と言った。

つまり「うちとけ和らぐことを大事にし、背き逆らうことがないよう心がけよ。人はみな徒党を組み、道理をわきまえる者は少ない。だから、ある者は君主や親にしたがわず、隣近所と仲違いをおこす。しかし、上下の者が仲よくし、執われの心をはなれて話し合うことができるならば、道理が自然と通り、何事も成就しないことはない」と。

そして「十七に曰わく、それ事(こと)は独(ひと)り断(さだ)むべからず。必ず衆とともによろしく論(あげつら)うべし。少事はこれ軽(かろ)し。必ずしも衆とすべからず。ただ大事を論うに逮(およ)びては、もしは失(あやまち)あらんことを疑う。故(ゆえ)に、衆とともに相弁(あいわきま)うるときは、辞(ことば)すなわち理(ことわり)を得ん」とも。

つまり「十七、重大なことを独断で行ってはならない。必ずみんなで議論すべきである。少さい事は軽妙に、必ずしも皆と相談しなくてもよい。ただ大事を論ずる場合は、誤まりがあるかどうか判らない場合がある、そのため皆と論議すると事態に道理を得るができる」と。

 

未曾有の国難に直面し、日本では明治維新が成し遂げられ、5箇条のご誓文が公布されました。

一 広く会議を興し、万機公論に決すべし。
「広く会議を開設し、何においても公の議論によって決めること。」

一 上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし。
「上に立つ者も下に立つ者も心を1つに合わせて国のため、活動にはげむこと」(経綸とは国策のこと)

一 官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。
「官史も武士も庶民もみな一つとなって、それぞれの志を遂げることができるようにして、国民が失望したりやる気を失うことがないようにしなければならない。」

一 旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
「古くからのしきたりに囚われず、世界に通ずる普遍的な道理に基づいて行動して行こう」(「天地ノ公道」とは今で言う「国際法」のこと)

一 智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。
「知識を広く海外に求めて、大いに日本という国を発展させるべきである」

(訳はhttp://shupla.w-jp.net/datas/theImperialCovenantOfFiveArticles.htmlによった)

 

日本は、古くから議論を大切にしてきた。

幕府も藩も、合議制だ。

そして、平和の歴史を持つ国だし、現在、極東の小さな島国が、世界に冠たる経済大国になっている。

 

それを今、小沢さんはこう語る。

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100906/stt1009061127010-n1.htm
****
(前略)午後の高知市内の街頭演説でも「首相の権限は強大だ。首相がこういう方針で行きたいといえば不可能はない。私は命がけで頑張る」と声を張り上げた。
****

政治家個人が「命がけ」であることが、即ち「経綸を行う」事となるわけがなく、それが独善に陥りやすいことを、日本人は知っていた。

そこには、「広く会議を興し、万機公論に決すべし」という前提があり、何故なら「人はみな徒党を組み、道理をわきまえる者は少ない。だから、ある者は君主や親にしたがわず、隣近所と仲違いをおこす。しかし、上下の者が仲よくし、執われの心をはなれて話し合うことができるならば、道理が自然と通り、何事も成就しないことはない」からですね。

だからこそ、聖徳太子は、「重大なことを独断で行ってはならない。必ずみんなで議論すべきである。少さい事は軽妙に、必ずしも皆と相談しなくてもよい。ただ大事を論ずる場合は、誤まりがあるかどうか判らない場合がある、そのため皆と論議すると事態に道理を得るができる」と言ったわけで、これこそ、日本人の持つ先人の智慧と言うべき物ではないでしょうか。

 

小沢さんを選ぶのも、菅さんを選ぶのも、私は「行くも地獄 退くも地獄」とあるところで書かせていただいたが、民主党がこの国難の時に代表戦を戦っていることは、私たちには如何ともし難い現実だ。

私は見守るだけだけれど、国民の一人としてこの状態に納得しているわけではないけれど、だからこそ、ブログでちょっとした自己主張だけはさせていただいた次第。

日本には、言論の自由があるはずですからね( ̄ー ̄)ニヤリ。

高松最終日 そして帰還

高松最後の日だから、朝早く起きて栗林公園に行って参りました。

受付で入場券を買うと、「初めてですか」と聞かれたので素直に頷くと、親切に公園の歩き方を教えてくださった。

この眺めが絶景だと云われましたが、その通りですね。
201009050630
半分が江戸時代に作られた物だそうですが、その時代に身を置いて歩くと、竹で出来た柵が邪魔になる。

イメージで柵を払いながら、歩いて参りましたが、藍の世界で言えば、還元やアルカリ性といった言葉を振り払うのと似ております。

 

高松の最終日の商売は、毎日御来店下さった話し好きのおばあ様に、シルクのスカートをお買い求め頂いて無事終了。

小島のおじさん(人形師)達と、札幌ラーメン屋で中華を頂き、ちょいと飲んでから、夜9時代の夜行列車「サンライズ瀬戸」に乗り込み、約12時間の列車の旅をして帰って参りました。

やはり、閑馬も暑いな。

 

今年は、女子プロゴルファーの宮里藍が調子が良いですね。

何かの記事に、無理せずに休むようにしたと云うのがありました。

岡本綾子も、その点を指摘しておりましたね。

そこでと云っちゃーなんだけれど、私もちゃんと休むようにしました。

 

ですから今日の月曜日は、おやすみだぁー(^^)/

2010年9月 4日 (土)

高松5日目

「良い色出してますねぇ」と、杖をついたお客様。

呉服屋さんを営んでいらして、昭和30年代から藍染めを扱っていたとのこと。

久留米も弓浜も、当時から直接行って確かめてから仕入れていたというこの方に、私も名前だけを知る藍を染めていた方がその昔、「薄い色は難しい」と言い、この方も、その青の余りの美しさに魅入られていたとおっしゃる。

そういう方に「良い色」と言われりゃ、良い気分ですな。

偶に、こういう方がいらっしゃるからありがたい。

藍は青なんです。

 

それでも相変わらず、「徳島の藍染め」について常識を説明する日々が続いております。

時間がもったいないので、ハンカチを大分染めて手間賃稼ぎもしております。

 

歩く方は、今朝目が覚めたら7時で、アーケードを往復するという手軽な物で終わりました。

それでも6キロくらいは歩いたかな。

明日は、栗林公園の中に入りたいと思っております。

2010年9月 3日 (金)

高松4日目 ~徳島の藍染め~

私が栃木から来たと知ると、皆さん異口同音に「徳島の藍染めとどう違うんですか?」とお聞きになる。

藍染めと言えば、お隣の徳島県だと思っていらっしゃると云うわけだ。

無理もないと言えば無理もありませんが、どうにも困った物です。

 

藍染めは、日本中で当たり前のように染められていた物で、産地はないこと。

染めの原料も、日本中で作られていたこと。

その中で、阿波藍(徳島の藍)は最も優れ、最も多く作られてきたこと。

 

徳島は、藍染めではなく、藍の原料の産地であること。

だから「徳島の藍染め」という物は、この世の中にはないこと。

こういう常識を、毎日語っております。

 

さて、栗林公園入り口まで歩いて参りました。

中を散策しようとしたら、入場料が400円かかる。

私は朝食の弁当代しか持っていないので諦めて、大回りをして帰ってきましたとさ。

2010年9月 2日 (木)

高松2日・3日目

毎日歩いております。
 

初日は、フェリー乗り場から高松駅周辺を散策。

お陰で夜9時半には寝てしまい、途中、夜中の1時頃にトイレに起きたとはいへ、朝の6時まで寝られた。こんなに長時間寝られたのは何年ぶりだろうか。
 

2日目は、日本一長いと言われるアーケード街を制覇。

3日目は、県庁辺りから中央公園を歩いてきました。

 
ストレッチも念入りにしているからか、身体に少し痛みがある。

まあ、無理せず続けていければよいと思っておりますですよ。

 

商売の方は、紺邑は苦戦。理由はありますから、反省だな。

全体は、前年から規模がかなり小さくなっているにもかかわらず、初日をのぞいて大きく前年を上回っている。

先週の広島も、前年をはるかにオーバーしたようですが、三越の職人展は好調だ。

理由はあるわけで、我々職人も百貨店も、何故かと考えるべき時じゃないでしょうかね。

 

それにしても雨が降りません。

毎日暑いけれど、9月だというのが信じられません。

 

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