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2010年9月28日 (火)

JR両毛線

昔々、万葉のころ、栃木県と群馬県の辺りは、「毛の国」と呼ばれていた。

時代を経て、群馬県側(西)を上毛野(こうずけの)、栃木県側(東)を下毛野(しもつけの)と呼ぶようになった。

それが江戸時代になって、上毛野が上野国(こうずけのくに)となり、略して上州。
下毛野国が下野国(しもつけのくに)になって、略して野州となったということだそうな。

群馬県と栃木県をあわせて、「両毛」と呼ぶ由縁がここにあるわけです。
 
  

群馬県前橋市から栃木県小山市を結ぶ鉄道がありまして、名づけて「両毛線」といいますが、現在の「両毛」とは主に、この鉄道の範囲を言うといっても良いと思います。

 

両毛線を作ったのは、私が生まれ育った栃木県足利郡小俣町の豪商、木村半兵衛です。

略して「木半(きはん)」といいますが、足利の織物の発展に大きく寄与した人ですし、その生産量は当時日本一だったそうです。

小俣町というところは、私が育ったころでも、全人口が9000人くらいなもので小さな町だった。

それでも、「木半」や大川家があったということは、驚くべきことだと思います。

 

今日は、その両毛線を使って、高崎まで行ってまいりました。

両毛線には、当然、小俣駅があります。
我が生まれ故郷だ。

久しぶりに電車から小俣駅を見ると、小学校まで田んぼだけだったのが、今じゃ家だらけで学校さえ見えません。

この小俣小学校も、木村半兵衛の尽力で出来た物ですが、たしか土地は、大川ではなかったかとおもいます。

私は高校生の頃、この駅から毎日学校に通っておりましたが、今で云うSLでありました。

 

桐生を過ぎると、岩宿駅。

日本で初めて旧石器時代の遺跡(岩宿遺跡)が発見されたところですね。

現在はみどり市というつまらない名前の町になっておりますが、なんで桐生市にならなかったのか、他人事ながら変だと思います。

 

次が国定。

ご存じ、国定忠治の居たところ。

私が子供の頃には、忠治を見たというおばあさんが生きておりました。

 

伊勢崎を過ぎると、今度は駒形があります。

これまたご存じ、駒形茂兵衛の本場。

こちらはお芝居ですけれど、そんな雰囲気を醸し出す宿場町だった。

 

国定忠治と言えば赤城山ですから、それを右に見て進みますと、急に都会になって、前橋から高崎と続きます。

 

さて、両毛線は、日本を東西に走っております。

上り下りをどうするかというと、高崎方面が上りで小山方面が下り。

栃木県側からすると、小山経由の方が東京に近い。

だから、上りが高崎方面というのがどうも納得いきませんでしたが、上州に向かうのですから仕方ありません。

 

高崎スズランという百貨店で、明日から催事です。

お近くの方々、どうぞお越し下さいますように。

 

 

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