JR両毛線
昔々、万葉のころ、栃木県と群馬県の辺りは、「毛の国」と呼ばれていた。
時代を経て、群馬県側(西)を上毛野(こうずけの)、栃木県側(東)を下毛野(しもつけの)と呼ぶようになった。
それが江戸時代になって、上毛野が上野国(こうずけのくに)となり、略して上州。
下毛野国が下野国(しもつけのくに)になって、略して野州となったということだそうな。
群馬県と栃木県をあわせて、「両毛」と呼ぶ由縁がここにあるわけです。
群馬県前橋市から栃木県小山市を結ぶ鉄道がありまして、名づけて「両毛線」といいますが、現在の「両毛」とは主に、この鉄道の範囲を言うといっても良いと思います。
両毛線を作ったのは、私が生まれ育った栃木県足利郡小俣町の豪商、木村半兵衛です。
略して「木半(きはん)」といいますが、足利の織物の発展に大きく寄与した人ですし、その生産量は当時日本一だったそうです。
小俣町というところは、私が育ったころでも、全人口が9000人くらいなもので小さな町だった。
それでも、「木半」や大川家があったということは、驚くべきことだと思います。
今日は、その両毛線を使って、高崎まで行ってまいりました。
両毛線には、当然、小俣駅があります。
我が生まれ故郷だ。
久しぶりに電車から小俣駅を見ると、小学校まで田んぼだけだったのが、今じゃ家だらけで学校さえ見えません。
この小俣小学校も、木村半兵衛の尽力で出来た物ですが、たしか土地は、大川ではなかったかとおもいます。
私は高校生の頃、この駅から毎日学校に通っておりましたが、今で云うSLでありました。
桐生を過ぎると、岩宿駅。
日本で初めて旧石器時代の遺跡(岩宿遺跡)が発見されたところですね。
現在はみどり市というつまらない名前の町になっておりますが、なんで桐生市にならなかったのか、他人事ながら変だと思います。
次が国定。
ご存じ、国定忠治の居たところ。
私が子供の頃には、忠治を見たというおばあさんが生きておりました。
伊勢崎を過ぎると、今度は駒形があります。
これまたご存じ、駒形茂兵衛の本場。
こちらはお芝居ですけれど、そんな雰囲気を醸し出す宿場町だった。
国定忠治と言えば赤城山ですから、それを右に見て進みますと、急に都会になって、前橋から高崎と続きます。
さて、両毛線は、日本を東西に走っております。
上り下りをどうするかというと、高崎方面が上りで小山方面が下り。
栃木県側からすると、小山経由の方が東京に近い。
だから、上りが高崎方面というのがどうも納得いきませんでしたが、上州に向かうのですから仕方ありません。
高崎スズランという百貨店で、明日から催事です。
お近くの方々、どうぞお越し下さいますように。
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