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2010年11月 6日 (土)

ナベさん逝く

ラテンパーカッショニストのナベさんこと、渡辺康行さんが死んだ。 こう書いても、信じられない。

不良でボクサーでダンサーで歌手でアレンジャーでパーカッショニストでバンドマスターで、キューバ料理とラテン音楽のライブハウスのオーナーという、波瀾万丈の生涯を閉じた。
 

若い頃は日劇ダンスチームに所属していたが、二人だけ男らしいダンサーが居て、その内の一人がナベさんだった。

もう一人は通称ミスターといって、キャバレー「ロンドン」のテレビコマーシャルで「ロンドン・ロンドン・ロンドン」というのは、団塊の世代にはお馴染みだろうと思う。
 

そういう人は日劇に合わず、ナベさんはパーカッションとダンスのチームを結成。

その後、ラテンコーラス「ザ・ウォーカーズ」を結成して、パーカッションだけでなく、図々しく歌も唄いだした。


「ザ・ウォーカーズ」というのは男性のデュエットで、相方が私の先輩の宮園さんというバリトンの人だった。

私もR&Bのデュオを組んでいて、旅先でナベさんたちと良く会った。私が23・4の頃。

会えば、本来先輩の宮園さんと遊ぶはずが、何故かナベさんと気が合い、毎日毎日一緒に遊んでいた。

 
私に子供が出来、旅を止めてしばらく東京に居たときも、しょっちゅう遊びに来てくれた。

私がギターを弾くことが解ると、ラテンの大御所あい御影さんの伴奏を、なんと三越劇場でさせられたこともある。

 
あのころ、私は稼いでいたけれど、ナベさんが「一緒にバンドやらない?」という。

ギャラは三分の一に減る。

だけど、今までバンドに伴奏はしてもらっていたけれど、自分がバンドの中に入ったことがなかった私は、その誘いに魅力を感じて乗ってしまった。

家族には、あれ以来苦労を掛けっぱなしだが、そのきっかけはナベさんが作ったのだ。

しかし、ギターの坂入純と会えたのも、色々なミュージシャンと知り合えたのも、みんなナベさんのお陰で、私の人生は豊かになったと思う。

 
バンド仲間としては別れてしまったけれど、その内ナベさんは、東京キューバンボーイズに入ったり、スタジオで活躍したり、五木ひろしのバンドに入ったりと大活躍しだした。

 
しばらくしてまた誘いがあって、フュージョンのバンドをやろうという。

メンバーはスタジオミュージシャンばかり。

今思えば実験的なバンドだったけれど、音楽にうるさい長女に聞かせたら、「新しいねぇ」と言っていたほどのバンドだった。


その長女がダンサーになったことを告げると、元ダンサーのナベさんは、我が事のように喜んでくれた。

彼女が幼い頃は、一緒に遊んでくれましたからね。

 
二十数年前、私が田舎に暮らし始めると、行き来が無くなってしまった。

 
ある日、フルーティストの赤木リエのホームページを見ていると、BBSにどう考えてもナベさんとしか思えない人の書き込みがあった。

恐る恐るメールしてみると、果たしてナベさんだった。

「今一番会いたい人は、あなただ」などという、恋文の様な返事が来た。

「会おう」と言うことになった。

だけど、野暮用で忙しくてなかなか会えない。

そうしたらなんと、赤木リエのライブをやるというので、茨城にあるナベさんの店に出かけ、二十数年ぶりで再会することが出来た。
 

帰ると、「懐かしい友人に会うことが、これほど楽しいこととは」と、また恋文のようなメールが来た。

今度は閑馬で会おうと言うことになっていたのだが、訃報を聞くことになってしまった。

 
考えてみると、自分のプロフィールには書けないような付き合いを、私たちはしてきた。

彼は、自分の人生を波瀾万丈と言うけれど、私はそれを少し知る人間だ。

成長した娘にも会わせたかった。

ここ閑馬で、ゆっくりと語り合いたかった。

 
訃報に接した今は、そんな事ばかりを思う。

私の人生に、大きな影響を与えた人が死んだ。

 

私とナベさんは、一曲だけ一緒に歌う曲を持っていた。

「Perdon」という歌です。

http://www.youtube.com/watch?v=n8Jva5ZxeKQ

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コメント

自分のプロフィールには書けないような付き合いを、私たちはしてきた・・・自分の人生を振り返ったとき,こんな言い方を出来る人が何人できるだろうか・・・こんな思いを興させる大川さんに,感謝です。

加藤さん、コメントをありがとうございます。

ナベさんは、私の人生のある時期を一緒に生きた人。
色々あったな。

何か感じていただけたようで有り難いことです。紺屋

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