藤布
日本には「綿」の文化はありませんでした。
綿は、秀吉以降です。
絹織物は、高貴な方々が着る物。
庶民は何を着ていたかと言えば、麻や木の皮を繊維にしたもので機を織っていたのですね。
それを「古代布」と云いますが、芭蕉布、葛布、しな布がお馴染みだと思う。
そこに、藤の蔓を繊維にして織る、藤布(ふじふ)という古代布が登場してきた。
藤布は、日本では滅びたとおもわれていたのですが、昭和37年、京都府教育委員会の民俗資料調査により、 丹後町袖志の海岸で 藤布がスマ袋として発見され、丹後半島の上世屋地域で藤布の生産がされている事が確認されたと云います。
その技術を受け継ぎ、藤織りをなさっているのが小石原将夫さん。
笑顔がすてきだけれど、この人はいつでもこのまま。
私よりも2歳年上。
私に比べれば、それはそれは人格者です。
藤布が出来るまでの行程は、ホームページをご参考頂くとして、それは他の古代布に共通しているかもしれません。
特に面白いと思ったのは、灰汁で藤を焚くことです。そうすることによって初めて藤の蔓が繊維となるのです。
灰の文化は、ここにもありました。
日本ではつい最近まで息づいていたし、文化と伝統を守ろうとする我々には、灰は欠かせないものだ。
藤布は丈夫ですから、実生活の中で使われてきた。
小石原さんはそれを、帯びに織っている。
しな布と同じで、素朴で味わい深い趣があります。
催事に出てきても、朝から晩まで藤を糸にする作業に没頭していらっしゃいます。
藤の蔓を絡み合わせて繊維にして機で織るわけですから、この作業は欠かせません。
以前は、丹後半島の上世屋地域で技術を受け継いできた女性達に頼んでいたのですが、皆さん亡くなったりご高齢になったりで、ご自分でやらなくてはならなくなったというわけです。
根気の要る作業を、淡々となさっている。
そして、いつも笑顔を絶やさない人だ。
ホームページのトップに、足利フラワーパークの藤棚が出て来る。
閑馬の紺邑から、車で20分くらいのところだ。
縁を感じさせますな。
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