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2011年4月

2011年4月30日 (土)

good news

物資をお届けしていた石巻の湊水産からお電話を頂き、5月6日から、なななんと営業を再開するとのこと。
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驚きました。

あの惨状の中、「うちが石巻で、一番に営業を再開してみせる」と意気込んでいた皆さんのパワーに脱帽です。

つい数日前、水が出るようになって急速に復旧したらしい。

久々の朗報です\(^o^)/


2011年4月29日 (金)

茨城からお客様

朝、紺邑開店前に「ちょっと早く着いたんですけれど」と飯塚さんからお電話が入った。

駐車場に行くと、海野さんとお二人で荷物を降ろしている。

当然、援助物資ですね。

まことにありがたいけれど、お二人とも実は被災者。

それでも、陶芸で有名な茨城の笠間ですから、佐野には近い。

 
 
ついでと言ってはなんだけれど、西川さんからのカンパを開けて、硬貨を数えるのをお手伝いいただいた。
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なんと2万円近く入っておりました。

 
 
お二人とも、紺邑の藍染めをお召しになっている。

そして今日も、お買い物もしてくださいました。

 
 
お昼はカフェ・ブロッサムをご紹介したけれど、どうだったでしょうかね。

お二人とお話ししている以外は、私は藍染め。

今までにないボカシ染めを致しました。

船橋でお披露目いたします。

お楽しみに。


茨城県の魚を食べよう!

来る5月4日 都立夢の島公園にある「夢の島熱帯植物館」で「茨城のおいしい魚と野菜を食べよう」というイベントが開かれます。

風評被害をまともに受けている茨城県の漁協の方々に、少しでも元気になっていただくためにも、私たちがおいしい魚を食べられるようになるためにも、是非、皆さんに来ていただきたいイベントです。


会場:夢の島熱帯植物館
午前9時30分~午後5時(入館は4時までとなります)
TEL:03-3522-0281

みどりの日は入館無料のようです。
http://www.yumenoshima.jp/event.php?mode=detail&year=2011&mon=05&day=04

様々なイベントがあるようですが、
急遽「風評被害をぶっとばせ おいしい茨城の魚と野菜を食べよう!」が加わりました。


フルーティストの赤木りえと米空軍音楽隊
Mag Café at GardenとLue & Kuriponも応援に駆け付けてくれるそうな。

音楽を楽しみながら
茨城のおいしい魚と野菜をご賞味いただきたい。

米は、栃木産のおいしいコシヒカリです。


「ibaraki.doc」をダウンロード

炊き出しもあります。

魚も野菜も買えます!

2011年4月28日 (木)

支援先

全国から、物資を送っていただいております。

その支援先をお知らせしようと思います。

 

岩手県釜石市 三陸ブロードバンド

宮城県仙台市 阿部さん 

宮城県仙台市 ヤンキーコート(子供洋品・文房具)

宮城県気仙沼市 千葉さん

岩手県盛岡市 I scream(幼児関係

宮城県石巻市 相澤さん

宮城県名取市 武田道場

福島県郡山市 ココビートレコード 

宮城県気仙沼市 在原さん

宮城県黒川 前田さん(ペット洋品)

岩手県三陸町 佐々木さん(老人関係)

宮城県石巻市 三浦さん

仙台市宮城野区 三浦さん(子供服関係)

宮城県石巻市 湊水産

 

上記のところから、ご近所や被災地に運ばれています。

なお、個人情報他の問題もあり、具体的な住所や連絡先を書けませんが、具体的にお知りになりたい方がいらっしゃれば、紺邑までご連絡下さいませ。

2011年4月27日 (水)

上六最終日

表向きは昨日が最終日。

今日は、社員とその家族の特紹会。

 

毎度の感想は、なんでこんな事をやるのだろうかというもの。

普段のお客様に失礼だと思うけれど、経営する側は、ただただ売上が欲しいのでしょうね。

私は力はいらず、サッサと帰って参りました。

 
 
以前、一人打ち上げをしていた新大阪駅のしゃぶしゃぶ屋が、天ぷら屋に変わり、仕方なく食べてきたものの、お腹がおかしくなった。

我慢して、11時過ぎに帰宅で御座います。

2011年4月26日 (火)

上六火曜日

恒例の朝礼に寄れば、昨年よりも成績は良いらしい。

信じられない参加者もいることでしょう。

 
 
今日は、恐ろしいほどに閑散とした一日だった。

聞けば阿倍野に、新しいショッピングモールが開店したとのこと。

なるほどとは思うけれど、それにしても・・・だな。

 
午前中にお客様がついて、お茶を引く事はなかったけれど、どうにも恐ろしい。

 
蜻蛉玉の藤村御大が、珍しく毎日来ていたけれど、私に「おい!ひまだな」とおっしゃった。

 
偉そうに言うわけではありませんが、還暦を超して、この世界では割合キャリアのある私を「おい!」と呼ぶ人は、そうはいませんが、藤村さんのそれは自然だな。

 
今日はお好み焼きで夕飯でした。

2011年4月25日 (月)

カンパ

奈良の西川さんが、カンパを持ってきて下さった。

母校の高校野球部が、大会でベスト8に残って、今日はその試合があった。
そこで応援している高校生達に、義援金を呼びかけたらしい。
もちろん高校生だから、無理させてはいけませんので、みんな硬貨です。

 
カップ麺ほどの大きさのこういう器を作り、スタンドで回して集めたらしい。
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題して「東日本大震災の被災者へ 直接届ける義援金  支援活動されている紺邑さん方のグループに託す」!

 
全部硬貨ですから重い。
ちゃんと託されましたけれど、どう使われるか位は説明しなきゃなりません。
親しき仲にも礼儀ありと言いますからね。

そこで、この間石巻に行った時の写真をお見せしました。
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物資を、避難所になっている山の中腹にある神社の社務所に届け、被災者とバケツリレーの様に運んだこと。


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おじいさんが、「来てくれただけでもうれしいよ」と言いながら、すこし泣いていたこと。

 
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帰り際に、手を振って見送ってくれたこと。

こういう事をやっている若者達は、ガソリン代も運送費もかかる。
それを支援させて頂くと言ったら、「よし!ワシも出す」といって、個人的にカンパしてくださいました。

昨日は、沢田さんも涙してたな。

日本人は、心を一つに出来るようです。

 
 
 
熊本の木工作家の甲斐さんからも、カンパの申し出がありました。

個展をしたとき、ギャライーのオーナーと相談して、売り上げの一部を義援金として出そうとしていたらしいのですが、それを我々の支援活動に提供してくれるそうです。

ありがたい輪が、広がりつつあります。


 
カンパのお申し込みは、事務局までお知らせください。

趣意書と振込用紙をお送りさせていただきます。

用途は、物資の購入、輸送経費、炊き出しなど、東日本大震災被災者救援に使わせていただきます。


NPO法人「ナチュラル」東日本大震災支援事務局
〒327-0321
栃木県佐野市閑馬町1010
℡0283-65-8884 FAX0283-65-8884

2011年4月24日 (日)

上六日曜日

朝礼に寄れば、土曜日は大分成績が悪かった様です。

 
日曜日はどうなることかと思いましたが、紺邑に限っては、今週で一番!

名和さん初め、ご常連が次々と来てくださいましたからね。

たぶん、全体でもトップスリーだったんじゃないかな。

っと云うことは、推して知るべしでんなぁ(◎´∀`)ノ

 
夕飯をどうしようかと思いましたが、社員出口で1500円の弁当が500円で売っていたのでそいつに飛びつき、ビールを買って部屋でのんびり過ごさせていただいた。

今は、これが至福の時でんなぁ( ̄ー+ ̄)

【宮城/石巻】報告

皆様からお預かりした物資を、宮城県石巻市に運びました。
その報告です。

写真が沢山ですが、ご覧くださいませ。


【宮城/石巻】報告①
http://ameblo.jp/staystorong/entry-10868117135.html#main

【宮城/石巻】報告②
http://ameblo.jp/staystorong/entry-10868673124.html#main

【宮城/石巻】報告③
http://ameblo.jp/staystorong/entry-10869807292.html#main

【宮城/石巻】報告④
http://ameblo.jp/staystorong/entry-10869836227.html#main

【宮城/石巻】報告⑤
http://ameblo.jp/staystorong/entry-10869890056.html#main

【宮城/石巻】報告⑥
http://ameblo.jp/staystorong/entry-10869970411.html#main


4月13日に私と一緒に現地に入った初老三人組の高橋隊長と中沢隊員は、帰りがけの夜11時頃に紺邑によってくださいました。

そして、「あんな光景は見たことがない。驚いた」と云います。

この光景が、茨城(千葉)から青森まで続いている訳で、東日本の太平洋側の傷みをかいま見ることが出来ると思います。

国会では復興会議の話しがあるようですが、先ずは、この光景を何とかしなくてはならないのでないかと、強く思います。

2011年4月23日 (土)

上六3日目

またまた朝礼に寄れば、昨日はそれ程良くなかったらしいけれど、前年を20%ほど上回っているとか。

何はともあれ、良いことです。

 

今日は土曜日ですから、人は多かったように感じます。

紺邑は、三日間で一番の成績。

これが続けば儲けものだな。

 

終わり頃、お好み焼きに誘われた。

でも、奈良から友人が来るような予感がしたのでお断りすると、やはり電話があって、ちょっと遅くなるけれど来るという。

誘われたお蔭で腹がお好み焼きになっていたので、友人達とも其処に行って論断風発。

楽しい一時を過ごさせていただきました。

 
偶には良いですな。

2011年4月22日 (金)

上六2日目

朝礼に寄れば、初日の成績は素晴らしかったと言います。

確かに皆さん、たいした成績だ。

さすがに歴史のある催事だけれど、紺邑は反省しなきゃね、っという成績。

 
 
何故か2日目に懇親会。

私は欠席。

色々お誘いいただいたけれど、もう結構ということです。

 
 
インターネットで知り合ったあんでゅさんが入らしたので、二人でお茶。

震災の話しになってしまいました。

お馴染みの西川さんとも、お客様なんだけれど震災の話しになった。

西日本の方々が、どう思っているか分かりませんが、私が接した方々は、我が事と思って下さっているようで心強い限りです。

やはり、神戸がありましたからね。

 
 
部屋に帰ってきまして、西川さんお手製の奈良漬けで、おみやげに頂いた奈良の酒をやっつけております。

文字通り、奈良漬けだ。

2011年4月21日 (木)

上六初日

上六の職人の技展が始まりました。

 
朝礼では、ここのところ成績が芳しくないというお話しがあった。

もうチョイ、明るく行きたいね。

 
 
朝一番で、大常連の岩井さんご夫妻が登場。

手作りのおみやげを頂き、お買い物までしてくださった。

  
その間に、すてきな藍染めの刺し子を着た方が入らして、ブラウスをお買い上げ。

あれ!めでたく両目が開く。
 
 
それから夕方までのんびり。
 

名和さんも陣中見舞いに来て下さり、黒豆のグラッセを頂き、岩本さんにはジャケットなどなどと、静かな内にも、大阪弁で言えば「ボチボチでんなぁ~」という始まりでござりまするぅ~m(_ _)m

 

2011年4月20日 (水)

石巻から帰還

昨夜の10時過ぎに、高橋隊長と中沢隊員が、石巻の帰りに寄ってくれて、支援物資を届けた会社から、なんとおみやげを持ってきて下さった。

13日に一緒に石巻に行ったお二人が、今回また行って「あんな景色は見たことがない。驚いた」と言う。

石巻港の方に行ったらいのですが、津波に襲われて瓦礫の山だそうで、街中よりとても酷いらしい。
 

娘達の到着は、たぶん夜中の一時になると言う。

その通りで、ちょうど一時に帰宅しました。

 

友達にも会えたと云います。

行って良かったとも言います。

写真をテレビ画面で見させてもらいましたが、そりゃー聞きしに勝る酷さです。
Photo

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それもわざわざ、連れて行ってもらったらしく、なかなか見られるものではありません。

 

先ずは、港近くの荒れ果てた倉庫に物資を届け、山の中の神社に避難している人達にも、物資をお渡ししてきた。

とても喜ばれた様子が、写真でも分かる。

ニコニコと笑うお爺さんの姿もあった。

中学生が、一所懸命手伝ってくれたらしい。

やはり、行って良かったのでしょう。

 

高橋隊長達は、この間ところに行ってきた。

やはり「助かります」と喜んでいただいたらしい。

 

この道中で、あるところから卵1800個の提供があった。

なんと、足利市の人。

 
熊本県天草からは、ミカン100㎏を頂くことになりました。

 
支援の輪が、どんどん広がっています。

詳しくは、STAY STRONGをご覧下さい。

 

こういう細かな行動ですが、それも何かのご縁だと思います。

ご協力に、感謝です。

 

どうも最近、被災地情報ばかりだけれど、仕事はしておりますです。

 
大阪行きの準備をバタバタと午前中して、その間、NPO法人の協力を得るべく資料を作り、東北から送られてきたメールを印刷して、仕分けをしてくださっている皆さんに紹介できるようにして、慌ただしくバスに乗り、東京駅へ。

一緒に東京に帰ってきたユウスケと遅い昼飯。

のぞみに飛び乗り大阪に着くと、百貨店担当者から荷物が届いていないという電話があってちょっと慌てたけれど、無事到着が確認できた。

夜八時半過ぎから、会場で準備。

10時過ぎに終わらせ、ホテルに帰る、ゆっくりと風呂に使った。

 
 
こんな一日でもありました。

2011年4月19日 (火)

石巻へ再び

石巻へ、再び救援物資を持って行くことになりました。

今回は、私は仕事で行きません。

 
 
6時半に高橋隊長と中沢隊員が到着。


7時前には、久保田隊7名が、トラックとワンボックスカーで現れ、その物資の多さにビックリ。
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残りの荷物を載せ、彼らは出発。

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総勢十数名の大部隊。

 
 
私たちは仕事。

10時には福島から避難して入らした農家の方と、藍の栽培についてお話し。

お昼を頂き、私は買い物に二度足利へ。

 

帰って来たら、またお客様。

 
私は郵便局へ、家人は出荷準備。


明後日から、大阪近鉄百貨店上本町店の職人展です。


 
石巻の帰りは行きだそうで、皆さん、まだまだ帰ってくる気配がありません。


 
こりゃー、夜中だな。

2011年4月18日 (月)

出荷

朝からご近所が入らして、出荷の準備。

 

午後一時に過ぎに、長女が帰ってきた。

午後11時に、娘の友達夫婦が来た。

 

合宿状態で就寝。
 
 
 
翌朝7時、石巻に救援物資を持って行きます。

2011年4月17日 (日)

千客万来の日曜日

日曜日は、物資の仕分けはお休み。

その代わり、本業があります。

 
 
午前十時に、長沼さんのお仲間7名が御来店。

ハンカチの染めや、お買い物で大にぎわい。

お昼になって、紺邑から蕎麦屋の久保さんへ。


 
入れ替わりに、久保さんから沢山のお客様がお見えになり、その上に、足利からうら若きお嬢さんお二人が御来店。

そうこうするうちに、千葉の野田から橋下さんご夫妻も、やはり久保さんのところから来て下さり、救援物資を持ってきて下さった。

 
 
すごいことは、茨城県いわき市から、鈴木さんご夫妻が入らしたことですね。

この大震災で、いわき市は大きな被害が出たし、今でもそれは続いています。

私たちも何かできないかと思っておりましたが、鈴木さんはなんとか凌いだ。

そして、閑馬まで来られるようになったなんて、夢のようです。

素晴らしい地酒を持ってきて下さった。

 
 
楽しい一時を過ごさせていただいたけれど、毎日こんな忙しさなら、言うことありませんね。

素晴らしい日曜日を、皆さんありがとう御座いました。


2011年4月16日 (土)

STAY STRONG

しっかりと藍染めを致しました。

やはり気持ちが良いものです。

 
 
19日、石巻に車三台で参りますが、私は仕事で行けません。

私の変わりに、この活動の言い出しっぺの長女が行くことになりました。

高橋隊長と中沢隊員は参ります。

 

私たちの活動は、草の根の運動です。

だから、会の名称もないし、リーダーがいるわけでもない。

その経緯と現状を報告するブログが出来ました。

ダンサーやアーティスト達の集まりですが、それが切っ掛けで、私たちの活動もあります。

ご一読下されば、ありがたい。

題して「STAY STRONG」。

 
 
そのSTAY STRONGからSOSが入りまして、石巻の山間にある小学校の避難所では、食料が乏しいという。

100人以上いらっしゃるようですが、こういうのはとても手に負えません。

被災地に常駐するボランティアの方々に、情報を伝えることが精一杯です。

 

日本中から物資が届いています。

心から御礼を申し上げたい。

仕分けと梱包と発送も、相変わらず賑やかにやっています。
Siwake

岩手県宮古市に、タオルを送りました。

 
 
もう一つ、茨城の漁協を支援する活動もはじめました。

これは、追ってお知らせいたします。

是非、ご協力を頂きたいと思いますのでね。

2011年4月15日 (金)

鈴木先生とNPOの人たち

本業は藍染めですから、朝早くから染め始めました。

 
午前十時。お約束の方々が、群馬県前橋市と栃木県足利市からお見えになった。

彼らはカンボジアに学校を建てるNPO事業をなさっていて、実際に六校建てたと言います。

この震災では何が出来るだろうか、何かしたいと考えていた時に、私たちの行動をお知りになって話しを聞きたいと言うことでした。


 
カンボジアの事業で相談相手になっていたのが、私の先輩の鈴木さん。

彼らは、鈴木先生と呼ぶが、付き合いの古い私たちは名前で呼ぶ。

昨夜、別件で電話があったので、「前橋から人が来るよ。どうも、ミツナオさんをご存じらしい」というと、合点がいったらしい。「私も行くよ」と言うことになった。

「彼は、鈴木先生って呼んでたね」というと、「そうさ、私は先生さ。私を先生と呼ばないのは、君のところくらいなものだ」なんて、先輩に当たる鈴木さんはおっしゃる。

 
その鈴木先生もお越しになった。

 
先生は震災直後の3月12日から、山形の後輩に話しをして、被災地に5,000個のおにぎりを毎日届けているらしい。

被災地に、薬を送る事もしている。

ある被災地の町長の相談役にもなっているとのこと。

さすがに、先生と呼ばれるだけのことはあります。

 
経緯と具体的な行動をお話しし、様々な援助の方法を提言させていただいた。

鈴木先生も、口を出す。

 
 
被災地に行きたいとおっしゃる。

物見遊山では行かない方がよいと私が言うと、鈴木先生が具体的な事例を上げて同調してくださった。

もちろん、彼らにそんな意志はない。

そこで、物資を持って行くことになった。

 
私たちが行ったところがよいとおっしゃる。

勝手に押しかけて迷惑になってもいけないから調べてみたら、石巻の高台にあるカマボコ会社に、50人ほど避難していることが分かった。やはり、電気しか来ていない。

そこから100人ほどが家に帰り、1階がダメになっているので2階に暮らし、電気も水道もガスもなく、ガソリンにも不自由をしているらしい。

それを聞いた彼らは矢も立ても居られなくなり、「行きます」と言う。

 
鈴木先生が、既に集めた物資を提供することになり、彼らも、集めるという。

私たち初老三人組は、集めるだけではなく、高橋隊長と中沢隊員が一緒に行くことになりました。

 
皆様、よろしくご協力下さい。

出発は、紺邑を19日朝7時。

おもに、食品と日用品を募集します。

被災地としては、自転車が欲しいという。

これは改めて考えなくてはなりません。

 
その間も、1階ではご近所が集まり、物資の仕分け、ズボンの裾上げ、荷造り、発送と、それが夕方5時過ぎまで続き、私が落ち着いて藍染めを再開したのは、その後となった。

仕方ない。

2011年4月14日 (木)

石巻の方々

北上川を渡り、景色のあまりの変化に、長女に「おい、橋を渡る前と後は、天国と地獄ほどの差があるぞ」と電話すると、「そうなの、行った人はみんなそう言うよ」と云う返事が返ってきました。

 

車を近くの駐車場に置き、一輪車で荷物を運ばせていただいた。

降りて先ず感じるのは、匂いです。

前項の写真でお分かりのように、岩本さん以外は皆さんマスクをしていらっしゃる。

娘にも、「マスクは必需品だからね」というアドバイスをもらっていたけれど、それは埃だけじゃなく、この匂いもあるのかもしれません。

どぶの水が腐ってその上に・・・という感じです。

私はマスクが嫌いでしませんでしたから、余計感じたのかも知れません。

 
 
荷物を運び終わり、みなさんと暫しお話しを致しました。
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目の前で、津波が家屋を押し流して行く。

しばらくすると、その家が引き戻され、又、戻ってくる。

その度に家は壊れ、最後は瓦礫と化していった。

 
運転席に女性が乗っている車が流されてきた。

彼女は何も出来ない。

みんなで助け出した。

しばらくすると、家の前の水の上に・・・

 
 
それから一月経ち、まだ行方不明者は沢山います。

 

私が何を書きたいか、お分かりだろうか。

 

悲惨極まりない話しを、皆さん淡々とお話しになる。

「もう、なれましたね」などと言いながらです。

 

五人家族の家があり、一番下の小学生は、学校にいて助かった。

後の四人は、ある避難所の前で、車の中で発見された。

自衛隊員に、「あそこの家の人たちだから、何とかして下さい」と頼んだけれど、安置する場所が無く、そのまま2週間、避難所の前に置かれていた。

 

電気は、最近通じた。

水は給水車が来るようになり、宅配便も、昨日辺りから届くようになった。
 
一月経ち、わずかながら、良い兆しが見えているようです。

 
 
荷物を運ぶ手伝いをして下さった人は、友人宅で風呂を使ってきたと言います。

岩本さんは、風呂に入っているのでしょうかね。

 
北上川の向こうは、普段の生活が出来ているように見えるけれど、こちら側との関係はどうなのかなとも思う。

今日(14日)のNHKのラジオでは、被災者の数が余りに多くて、対処しきれないと専門家が話していましたが、さもありなんですね。

 
 
皆さんにお礼を言って、帰って参りました。

 
 
私たちはこれで、いつもの生活に戻れる。

しかし、石巻の人々は、瓦礫の中、異臭の中、電気だけの中を日常として、これからしばらく暮らさなければなりません。

 

これは、石巻の、それも湊の一角のこと。

千葉県から青森県までの広い被災地の、小さな区域一つ一つに、こういう事があって、被災地への援助やなんやかやは、それに合ったことをしなきゃならないように思いましたね。

やはり、被災地に思いを馳せ、こころを寄せる以外にありません。

 
 
松崎君は、老人介護の専門家だ。

帰りの車の中で私が、「岩本さん達は、今は気が張っているから『慣れた』なんて言ってああいう話しをするけれど、これが一段落して落ち着いてくると、やはり、想い出したりするんじゃないかな」と私が言うと、「老人達も、実は戦争の辛い経験を想い出して、苦しんでいらっしゃる方がいます。やはり、消えないと思いますね」と言った。

災害復興というのは、物理的な事だけじゃない。

被災者の精神・こころのケアーも、政府には是非考えていただきたい物です。

 

「何か要請があれば、どんなに小さな事でも応えたいと思います」と、言い残してきました。

往復720km。

朝9時に出て、夜の11時半帰宅というのは、さすがに疲れますね。

幸い、宅配便が届く様になった。


時間は、間違いなく改善の方向に向かって行くことでしょう。

石巻市の被災地

北上川に掛かる石巻大橋を渡り、十字路を右折。

驚くとか、ビックリとかいう次元ではない、驚愕的な光景が出て来た。

段々進むと、益々それが酷くなって行く。

 

まあ、テレビでお馴染みというのは易しいが、目の当たりに見ると、余りに日常の現実とかけ離れている姿に、ただ唖然とするだけだ。
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写真でお見せしたところで、テレビと同じだろうし、私の腕では、真の姿を伝えることは出来はしません。

避難所になっている、湊小学校のプールです。
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道路は舗装もはげ落ち、少し前なら、なるほど石原さんのおっしゃるとおり、パンクに気をつけなければならなかったでしょうね。

現在(13日)は、注意をすればなんとかなる。つまり、かなり、片付けも出来ているのでしょうが、それでこれですからね。

 

曲がり角に、岩本さんが迎えに来ていて下さいました。

指示に従って路地にはいると、そこもがれきの山。まあ、これがこの場所では既に日常と化しているのでしょうね。

 

岩本さんのところは、工場の2階が無事でした。

そこに、初めは百数十人の避難者が居た。

一月経ち、皆さん様々なところに移られ、今は30人くらいが避難なさっているそうです。

 

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この十トントラックが流れてきて前の道をふさぎ、それを今、動かしたところだとおっしゃる。

不幸中の幸いで、このトラックが瓦礫をブロックしてくれたのだそうです。

持ち主に連絡し、必死で修理なさっていましたが、相当高い物でしょうから、当然でしょうね。

 

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高橋隊長と岩本さんが、普通に語り合っている風景ですが、車のある場所は違うと思いますね。

 
 
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全員で揃った写真は松崎君から来ますので、それまでは、送った物資と隊員達の姿をのせておきます。

初老三人組+1 石巻へ出動

茨城で水産業を営む石原さんに、「石巻の水産工場が避難所になっていて、30人ほどの人々が集まっている。インフラは電気だけ。水も困っている状態だ」とお聞きして、救援物資を持って行って参りました。


午前6時頃から準備。と云っても、朝食。

なにせ、「腹が減っては戦は出来ぬ」ですからね。ご飯2杯をペロリ!

8時半過ぎに、茨城から石原さんが到着。

急な会議が出来て石巻に行け無くなったのに、道順やら状況説明にわざわざ来て下さった。

 
 
お疲れの様子が見える。

茨城の水産物は今、大変な状態ですから、無理もありません。

放射能問題の、一刻も早い収束を願うばかりだけれど、政府の無能無策に呆れるばかりなりけりだ。

 
 
約束の場所に9時に行くと、昭和23年生まれの高橋隊長と、24年生まれの中沢隊員に加え、昭和50年生まれの若き松崎隊員が、既に物資を車に詰め込んで準備を完了しておりました。

ハイエースの、ロングでハイルーフで四駆でリフト付で車いすも乗る隊長の車と、松崎隊員のワンボックスカーが満杯だ。

中身は、ミネラルウォーター140本に、20Lの空水容器6本、日用品に食料に衣類にゴミ袋に靴や何やらお菓子やらです。

それに加えて、隊員の兵站。なにせ「腹が減っては戦は出来ぬ」ですからね。

 
石原さんに色々教えていただき、「パンクに気をつけて」というアドバイスを頂きながら、9時過ぎに出発!

先ずは、給油!

車も、「腹が減っては戦は出来ぬ」ですからね。

 

私は松崎君の車に乗り込んだ。私とは初対面で、足利で老人の介護をしながら、ボランティア活動もしている人。

中越地震の時は、現地に数日入って復旧活動を手伝ったと云うことですが、今回は現地入りを諦めていたところに、この仕事が来たと云うことで、お仕事を休んで参加。

「大川さんはイメージが違いますね。噂を聞いたり新聞で拝見したりすると、仙人の様な方だと思っていました」だってさ。

   

東北道に乗りますと、道路は継ぎ接ぎだらけ。

時々、ボコッボコっと、車が揺れます。

 


12時頃に昼食。

 
13時頃、菅生SAで給油と給水。
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空容器に、中沢隊員と松崎隊員が水を入れております。

 

高速道路を石巻方面に入ると、道の凸凹は大きくなりはしますが、走行に支障はありません。

それにしても、この道路はすごく高く作られている。

あの大地震にもビクともしなかったという様子に、日本の土木工学のすばらしさを感じましたね。

大した物だ。

新幹線も無事故だったし、震災が落ち着けば、日本の技術力の再評価がなされることでしょう。

日本は何も悲観することはないと、わたしは思っていますし、それを実感したな。

  
  
石巻河南で高速を下り、先方の岩本さんに電話。

道順を聞いて、再出発。

 

石巻市内を走っているわけですが、どうも変だ。

街に震災の爪痕がない。

信号もつき、店も開いているし、ガソリンスタンドも営業しているし、並んでいる様子もない。
 

松崎君と、「不思議だなぁ」と語り合いながら走る。

しばらく走ると、松崎君が「街が死にだしましたね」と言う。

確かに信号も消え、警察官の姿も見えだした。

道路沿いにはゴミが積まれ、津波が来た後も見られるようにはなった。

でもやはり変で、テレビで報道されたような姿はない。

 

北上川に掛かる石巻大橋を渡ると、風景が一変した。

2011年4月13日 (水)

宮城県石巻市

震災の被災地、宮城県石巻市湊地区に、皆様からお預かりした援助物資を運んで参りました。

ご報告は、明日。

出来るかな?

2011年4月12日 (火)

熊谷最終日

何も期待しなかった八木橋ですが、やらないよりは良かったという感じ。
 

最終日の今日は、足利のUさんのご紹介で来て下さった方がお買い物して下さり、お馴染みの飯塚先生もお見えになって、なんとお茶を引くことなしに終わりました。

まあ、経費と行っても、ガソリン代と私の日当くらいなもので、可もなく不可もなくです。

売上はともかく、八木橋は良い店ですから、皆さん、お見知りおきを下さいませ。

次の「スペース26」は、江戸職人展。

なんと、あの狭いスペースに、平野ブラシ、おろし金の岩淵さんなどがお見えの予定。

是非、良いお買い物をm(_ _)m

 
 
帰りがけ、腹が減って貯まりません。

明日は、石巻に参上しなければならない。

腹が減っては戦になりませんから、牛丼屋に飛び込んで一杯かっ喰らい、帰ってからも喰い、そなえ万全だ(^^)/

2011年4月11日 (月)

水と薬

水を集めています。

それに、薬を持って行きたいと思います。

風邪薬、胃腸薬、ビタミン剤など、常備薬です。

お手持ちの物を、おわけ下さいませ。

もちろん、ご無理はいけません。

出来る範囲で、結構です。


 
 
さて、今日も大きな余震が起きました。

何度も何度も起きた。

福島では震度6弱。

普段なら大ニュースですね。

いわき市では大停電になっているようだ。

 

今の仕事場の隣のゲタ屋さんは、茨城で震災にあった。

この余震で、地元は震度5強。

「多分、家の屋根瓦がもうダメでしょうね」という。

「もう諦めてますから」とも言うけれど、心中複雑だろうな。

 

今日の熊谷は、カミナリに大雨に地震の日だった。

それでもお客様に来ていただいて、八木橋は幸せな店です。

初老三人組出動! 水!!

昭和23・24・25年生まれの、高橋、中澤、大川という初老三人組が、ついに出動することになりました。

 
石巻に30名ほど避難している場所があり、そこには電気だけで、未だ水が必要な状況だという情報が茨城の石原さんから入りまして、どうも、送る手段が無いようなので、直接届けることにしたのです。

出発は13日午前。

それまでに、物資を集めなければなりません。

まさかこの時期になって、まだ水が足りないなどとは思っておりませんでしたのでね。
 

高橋さんが、140本手に入れました。

閑馬の水も、20Lの容器に入れて運ぼうと思います。

 
水が欲しいようでは、他にも足りないものがあるはずなので、情報を得ながら、皆さんから届いたものも持って行きます。

水を提供してくださる方、入れる容器のある方、是非ご協力くださいませ。


 (有)紺邑
〒327-0321
栃木県佐野市閑馬町1010
℡0283-65-8884 FAX0283-65-8885
URL:http://kon-yu.com
mail:info@kon-yu.com

2011年4月10日 (日)

熊谷八木橋

埼玉県熊谷市は、関東平野のどまんなかに位置し、人口20万ほどの、小さな地方都市です。そこに、八木橋百貨店はある。

年商は200億円ほど。

こんな地方都市に、これ程の本格的な百貨店が存在することが不思議です。

新幹線も通り、東京なんて直ぐに行ける。

事実、東京の小島人形や傘の中島さんなんて、自宅から在来線で通っていますからね。

 
その途中には、大宮と浦和(さいたま市)があって、高島屋と伊勢丹が存在し、ちょっと行った高崎には、高島屋とすずらん百貨店がある。

それでも、八木橋は存在する。

 
地元に大切にされているのですね。

社員も家族的で、仲がよいし、私たち出展者も大切にしてくれる。

 
それでも、この消費不況の為か、さすがに社員は減っているようで、「イベント26」の名物社員だったてっちゃんも、今はいません。それは、ちょっと寂しいな。

 
工房のある閑馬から45㎞の距離ですから、車で通っております。

掛かる時間は1時間20分ほど。日曜日は道路が空いていて、ちょうど1時間でした。

45㎞の距離を1時間で走れるのは、その間、信号がほとんど無いからです。

真っ平らの関東平野の、畑の中を走って行く感じです。山を背にして育った私には、ちょっと異様なほどに平野です。

 

大震災の中、地方選挙が終わりました。

私の投票した人は、無事当選(^_^)v

 


 

2011年4月 9日 (土)

援助物資募集

被災地からです。


化粧品が欲しいとのこと。

女性達のお肌の問題が深刻らしいのです。

 

消臭剤

匂いの問題は、色々想像できます。

 
 
下着は常に品薄です。

着替えは、4~5日に1回出来れば良いとのこと。

  

食品は、缶詰やレトルトなどの、簡単に食べられる物。

 
子供の学用品
出来れば新品、もしくは、相応の物が良いと思います。


 
紺邑までお送ってください。


 
物資を仕分けして下さる方も、募集中です!


 
新聞(毎日新聞)に寄ると・・・
「東日本大震災の被災地で最も早く仮設住宅を設置した岩手県陸前高田市が8日、10日に入居を予定している避難者に『入居後の物資は自立の方向で考えていただきたい』と説明した」。とあります。

入居予定者は・・・
「『これでは生活できない』と猛反発している。厚生労働省災害救助・救援対策室は『災害救助法上は通常、仮設住宅の入居者への物資支援はしていないが、困っている人がいれば柔軟に対応してほしい』とコメントしている」。とありますが、これからが大変そうだ。

これから何が起こるか分かりません。
多分、長期戦覚悟かも知れません。

〒327-0321
栃木県佐野市閑馬町1010
有限会社 紺邑
℡0283-65-8884 FAX0283-65-8885
URL:http://kon-yu.com/
mail:info@kon-yu

2011年4月 8日 (金)

八木橋3日目 余震

朝起きてテレビで地震の情報をチェックしようとしたら、地震の被害よりも原発の報道ばかりで、現地の様子はさっぱり分かりません。

政府もマスコミも、原子力発電所事故の方が優先されているようです。

東京では、「もう物資も行き届いているんでしょ」なんていう意見も出てきているそうで、早々に風化されてもいるとか。

阪神淡路ではオーム事件に世間の関心は奪われ、東日本では原発に奪われている。そんな感じがしますが、まだまだ終わっていないと思います。

 
 
さてそんな中、八木橋でお仕事。

昨日から急にお客様が多くなり、結構な雰囲気ですが、紺邑にも良いお客様がお見えになって、日傘やブラウスや、手拭いなどの小物も売れております。

やはり八木橋には、良いお客様がいらっしゃいますね。

 
 

仕事中にニュースを確認しますと、東北ではかなりの範囲で停電が起きているようです。

でももう、世間は騒ぎはしません。

死亡が二人。けが人多数。その内重傷が数十人というニュースは、帰りの車のラジオが伝えてくれていました。


 
 
家に帰ると、様々な方々から援助物資が届いていました。

皆様に感謝です。

ニュースをラジオで聞きますと、ちゃんと地震の被害を伝えてくれています。

ラジオは良いですね。
 
 

今日は、大きな荷物を二つ、釜石に送ることが出来ました。昨日は仙台に送った。

仕分けのボランティアも集まってきた。

救援物資も、なかなかにそろった様子ですが、これで沢山の人が救われるわけではありません。

僅かだけれど、細やかにお送りしたいと思います。

2011年4月 7日 (木)

熊谷八木橋 2日目

私、埼玉県は熊谷市の八木橋百貨店5階「イベント26」に出展中です。
20110407102702
ツイッターにそう書いて見たら、「八木橋です。一週間よろしくお願いします」と入った。

八木橋もツイッターを始めたばかりらしい。

担当社員が来て、写真を撮っていってくださいましたね。

おもしろな。

  
チラシを見て、お馴染みさんが来てくださった

今回は、DMを出しておりませんのです。

お近くの方、どうぞお遊びに入らしてくださいませ。 

 

閑馬から車で通っております。

片道1時間10分。

ほぼ一本道で、簡単です。

 
朝一番で、釜石に電気と水道が通ったという、うれしいニュースが飛び込んで参りました。

なんと、26日ぶりだそうです。

この間、ガス・水道・電気なしでお暮らしだった。

閑馬も17時間ほど停電しましたが、それでも嫌になったのですから、26日は想像がつきません。

 
そして夜、また大きな地震に見舞われた。

テレビの画面から、町の灯が消えて行きます。

寄りによって、こんな夜中に大地震が来なくても良いのに。

被災者の方達のお気持ちは、察して余りあります。

明日は、どうなっている事やら。

 
大変ですが、どうも都会では、この地震大災害も風化していると言います。

どういう事なんでしょうかね。

2011年4月 6日 (水)

先ずは御礼

まだ始まったばかりですが、ひとまず支援物資を送って下さった方々に、御礼を申し上げます。

現地から、メールが入りましたので、ご紹介します。

▽▽▽▽

釜石友人より到着報告がまたきました。ありがとうございました!!!!!
↓↓↓↓↓↓
(有)紺邑さまより
衣類と日用品など

山瀬直美さまより
衣類など

計3箱着です。

社員一同助かっております。また、必要なものを分けた後、避難所や災害対策本部などにも支援物資として届けます。

ありがとうございます。

△△△△

▽▽▽▽

少し時間が出来たので
仕分けをさせていただきました。

写真は本日最後に届いた物資です。
(写真は敢えて載せません。紺屋)

家を流された人
車を流された人は
洋服、下着、日用品はひとつも
残っていませんでした。
送って頂いた物資は
子供から大人まで、
しかも、サイズも豊富で
受け取っただけの私が言うのも
おかしいですが、とてもうれしいです。
何が不足と言われれば何もかも…のようで
届いたものは
あっという間にお嫁入りです〓

ティッシュ、歯ブラシ、マスク、タオル、
ろうそく、カイロ、非常食、
中には梅干しやのり、
味噌汁などのスープ系、
お菓子、缶詰、アルファ米、などは
主食以外のおかず不足のめ
大変助かっています。

△△△△

ありがとうございました。

調べてみると、情報は様々です。

現地に対して、何しちゃ駄目だ、こうすべきだ、何を送っちゃだめ、などなど。
でも、やって分かることは、場所によっても人によっても、そういうことは様々だなと言うこと。

私たちはなにをしたらよいかといえば、被災者の求めに応じること。
そのために、情報を得ること。
そして、被災者の身になって考えること。

そのくらいしか出来ませんから、出来ることだけを、無理せずやっていこうと思いますが、しかし、一刻も早く、こんなお手伝いが不要になることを祈りますね。

2011年4月 5日 (火)

ジジババ服大募集!

夜中にメールが入りまして、私たちが送っている被災地で足りないもの。

・衣類は、年配者・高齢者サイズが不足しがち。

・ズボンなどの、下の衣類も必要(泥はけ作業などでズボンが汚れる)。

・靴下と下着は、どこでもいつでも必要としている(これは新品をお願いします)。

・幼児は一歳以上のもの


と云うことでした。
ご協力いただければ、有り難いです。

有限会社紺邑 大川
〒327-0321
栃木県佐野市閑馬町1010
℡0283-65-8884 FAX0283-65-8884
URL:http://kon-yu.com
mail:info@kon-yu.com

2011年4月 4日 (月)

感謝

昨日、蝋燭と靴下と下着を被災地に送りたいと書きましたら、東京のMさんから荷物が届き、ご近所さんが色々持ってきて下さり、Uさんが沢山の洋服、そして、Oさんが靴下などなどをお持ちいただいた。

さっそく仕分けして荷物を作り、被災地に送らせていただきました。
 

皆さん、「ありがとうございます」とおっしゃる。

きっと、私たち同様、何かなさりたかったのだと思います。

メールも入り、明日又、品物が届きます。

 
 
 
 
その間、私は一途に藍染め。

今日は、かなりの成果でありました(^^)/

2011年4月 3日 (日)

ロウソクに靴下と下着を追加

娘達のグループを通して、釜石にロウソクを送りました。

▽▽▽▽
そうそう、もらったろうそくって
使ってたやつじゃないの?
すげー明るいし、いい香り

希望がもてるってもんですゎ。

生きてたことに感謝。

支えてくれるみんなに感謝。
△△△△

こんなメールを頂いた。

私たちはロウソクを送ろうと思う。

義援金は分配されていないようです。
今すぐ物資を必要とする人たちがいます。

チャリティーや募金をお考えの方々。
もしよろしければ、ローソクを送りませんか。

ご賛同いただければ、我が家にお送りいただきたい。
責任を持って、被災者にお送りいたします。
もちろん、ゴミ袋や古着でも結構です。

仕分けをし、それを現地に運ぶ人たちも居ます。

今メールが入り、靴下と下着も圧倒的に足りないそうです。

有限会社紺邑
〒327-0321
栃木県佐野市閑馬町1010
℡0283-65-8884 FAX0283-65-8884
URL:http://kon-yu.com
mail:info@kon-yu.com

まだまだ、初期段階のようです。


花宇宙の村井先生に相談して、長時間持つローソクの手配が出来そうです。

2011年4月 1日 (金)

悲報と朗報

栃木県鹿沼市は、日光東照宮建築に携わった職人達が住んだ町です。

古くから木工で有名ですが、我々には、箒を作る町としても馴染みがあった。
 

私は、青木さんと矢木沢さんと、2軒の箒屋さんとお付き合いがあった。

青木さんは大長老でしたが、ご夫妻とも旅立たれた。

そして一方の矢木沢さんの母上が、3月27日、旅先の東京のホテルで急逝。その葬儀に行って参りました。
 

享年73才とまだお若く、残されたご子息の矢木沢君は、さすがに涙を隠そうとしません。

ご主人は、随分若い頃に亡くなったようで、女手一つで矢木沢商店を切り盛りなさってきたのかも知れません。

東武百貨店船橋店の「栃木・福島 観光と物産展」には、母上がいらしていたようだ。

宇都宮にも一度お声掛けしたけれど、「地元はだめだよ」と言うことで、その1回だけでした。
 

ぴょんぴょん堂の社長と職人界では二人でお見送りさせていただいた。

心から、ご冥福をお祈りいたします。

 
 
お昼に終わり、工房に帰ると、茨城の石原さんが突然現れた。

無事であることは知っておりましたが、その様子は意気軒昂。

さすがに商売人です。

 
 
同じ茨城県のいわき市の鈴木さんからは、「水が通りました」といううれしいメールも入りました。


 
一人の死に、大きな悲しみがあるのですから、この震災は、大変大きな悲しみに溢れている。

でも、少しの喜びがあるのも又、本当のことではありますね。

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