紺邑のホームページ

ネットショップ

  • G.i-Japan
    藍染を始める方。藍染をなさりたい方もお訪ねください。藍に関する資材とノウハウを提供します。 藍染の製品もあります。 その他にも、沢山そろえて行きます。

イベント情報

フォト

« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »

2011年5月

2011年5月31日 (火)

「アート街道66」のホームページ

「アート街道66」に参加する作家達のホームページを作ろうとしております。

良い物にしたいと思った。


写真が肝心だ!と云うことになり、プロのカメラマンに撮影していただき、アドレスも独自のドメインを取って、予算は初年度一人1万1千円で、次年度からは年間管理費千円だけでホームページが出来て運営も出来る。

こんな良い話は無いのだけれど、皆さん「ホームページって何?」と云う次元。

田中君なんて、若いくせに、年寄りの私に「ブログとホームページってどう違うんですか?」と質問する始末。

 
喧々囂々の議論の末、全員が参加してホームページを作ることになりました。

 
いやはや、大変だった(@Д@;

 
終わってから宴会。

これがまた楽しい一時で、陶芸家の童太君が小さな声で、「あのぉー、小山の画廊で陶芸家と二人展があるんですが、誰か出展しませんか?」と発言。

既に宴会に入った会場では、誰も聞いていないようでしたが、「そりゃ、糸偏の人が良いな」と私が言ったら、あっという間に参加者が決定。

「アート街道66はすごい!」とは、童太君の感慨でありましたね。

 
私は疲れが取れず。

明日は休もうかな。。

2011年5月30日 (月)

名古屋最終日

朝礼に寄れば、昨日で予算は達成されたとのことで、今日一日はおまけです。

 

朝一番に、初日に入らした高木さんが見えて、「あんたのところは、いつも、後になった方が良い物があるねぇ」とおっしゃりながら、オーガニックコットンのTシャツを買っていって下さった。

レジまで来て社員に、「ねぇねぇ、私、この人にあだ名付けたの。なんだかわかる?」と言う。

私は高木さんに、「チョイ悪親父」って言われておりますですよ。

 
 
それから一日中、次から次へとお馴染みがお見えになって、ようやく名古屋らしくなった最終日となりました。

何故かと思えばやはり、台風による雨の影響が、紺邑にとっては大きかったですね。

担当からは、「紺邑は今日が初日ですね」なんて言われましたですよ。

 
 
終わってみますと、この週の最低の目標は達成させていただきました。

楽しい催事でしたが、やはり、三越はありがたいな。

 
 
無事に新幹線に乗り、三女と一緒に、バスで閑馬に帰って参りました。

 
 

2011年5月29日 (日)

名古屋の土・日

土曜日の名古屋三越は、大勢のお客様に御来店いただき素晴らしい成績だったようです。

多分、自力はもっとあるでしょうから、まだ4回目のこの催事も、歴史を積み重ねる事に大きくなって行くことでしょう。

なにせ、近くの某百貨店とは、チラシの大きさ、我々出展者に対する対応、お客様へのホスピタリティーなどなど、力の入れ具合も内容も違います。

 

その某百貨店が、三越に業者スカウトに来た。

これには驚きました。

ちょいと前なら考えられなかったことで、世の中は変わって行きますなぁ~。

 

私は初出店ですが、様々に出会いがあります。

一昨日は、目の前に佐野の方がお立ちになり「大津です」とおっしゃる。

あらら、この間支援物資をお持ち下さった大津さんではありませんか。

名古屋にご実家があり、お父様がお一人なので月に何度か帰省なさっているとのこと。

そのお父様がなんと、紺邑のシャツをご愛用だったらしい。

「縁は異な物味な物」と云いますが、意味は違えども全くだなぁ~と、暫し感慨にふけりましたね。

 

日曜日は、台風の影響で朝から雨。

こりゃダメかなと思っていると、思わぬほどのお客様に御来店いただいた。

紺邑も、こんな雨の中、大垣から9月納品の予約なのにわざわざお支払いに来て下さった大橋さん達に助けられて、なんとか成績が出来た。

岡村さんには、殺虫剤をお持ちいただいた。ありがとうございました。
 
 

29日は、岩手県の気仙沼へ炊き出しの日でもありました。

無事終了したらしい。

ご苦労様でした。
 


2011年5月28日 (土)

ハエと蚊

気仙沼は今、 未だかつてないハエ大量発生
あらゆる虫がもの凄いです
我が家は 虫コナーズと ハエトラップだらけですが いたちごっこの毎日です。

こういうメールが入りました。

皆様、殺虫剤、防虫剤など御支援下さいません。

 

名古屋では、紺邑の前に岩手県の久慈琥珀がいます。

久慈は地形的に津波にやられなかったけれど、隣村は壊滅状態だそうです。

虫の話しをしましたら、「分かりますね。これからもっと酷くなるでしょう。妙な病気が流行らなければいいですね」と言う。

私は、なるほどと思い、旅先ですが、早速手配させていただいた。

もちろん、相談相手はトクちゃんです。

彼女は元看護婦ですから、こういう事には詳しいのです。

 
  
名古屋の方々も、いつ地震が来るのか怖がっておいでだ。

久慈琥珀も言っていますが、「地震は割合大丈夫でしたね。昔からの家もそんなに壊れませんでしたから。でも、津波は根こそぎだから酷いです」という。

私も、そう思った。

 
 
東北道を南下してきますと、関東に入ってからの方が地震のダメージが大きいように見えると、これまた久慈の話し。

私もまた、そう思いましたね。

 

2011年5月27日 (金)

名古屋2日目

急に天気が崩れ出しました。

その上、冷房が効いていて、会場の寒さは尋常ではありません。

私は、セーターを着て過ごしましたね。

 

それでも成績は順調のようで、予算をオーバーしているそうな。

紺邑はといえば、それ程の勢いが感じられません。

まあ、初出店ですからこれからでしょう。

ご常連には次々に入らしていただいておりまして、ようやくなんとかなっております。 

 

朝起きますと、テレビのニュースを見ます。

相変わらず、原発事故関連が多い。

被災地と言えば、明るいニュースを流すのはどういうわけなんでしょうかね。

今朝は、小学校で音楽会があったという。

それも良いけれど、明るい話題ばかりじゃないはずなんだけれどなぁ。

事実を伝えることが、嫌なんでしょうかね。

 
この間は、給食が取り上げられ、ピザを焼く車が来て児童達に食べさせるという、これまた明るい話題。

その陰に隠れて、日常の給食はパンと牛乳だけだと云うことが分からなくされてしまった。

 
是非とも、事実を伝えていただきたい物です。

2011年5月26日 (木)

名古屋初日 「省エネ」

名古屋の百貨店の会場は明るいし、寒いな。そして、営業時間が長く、夜八時までです。

関東は省エネで、会場は暗く暑く、営業時間は短い。

随分違いますが、これも浜岡原発が無くなれば、関東と同じようになるのでしょうかね。

 

名古屋の夏の暑さは特別です。

お年を召したお客様の一人は、「私たちの若い頃は、名古屋もみんな2階建てくらいの家ばかりで、道路だって舗装もされていなかった。今じゃビルばかりだし道路に土も見えない。これで昔にもどれっていわれても、私は無理だと思うね」とおっしゃった。

私の若い頃も、同じような日本だった。

 

世は原発事故で省エネ時代。

私どもは、夏もクーラー無しだし、元々省エネ生活だけれど、それは田舎に住んでいるから出来ることかも知れません。

日本人の大多数が住む都会で、それもビルの中で工場の中で、どれほどのことが出来るかと言えば、代替えエネルギーと云うんでしょうか、原発以外の発電方法を考えなきゃならないわけだ。

日本人のライフスタイルを変えようと云う話しは一向に聞きませんが、私は考えるべき時だと思いますね。

 

水力発電の話題もある。

日本の昔には、水車があったとも言う。

でもね、水の流れていない川では水車は回りませんよ。

川に水が流れていない日本の現状も、全く話題になりませんね。

 

そうそう、名古屋の初日はどうだったかといへば、寒かったぁ~!

2011年5月25日 (水)

デコポンと晩柑

被災地への支援には、日本中の方々に協力していただいています。

 

天草の永野さんは、各地にデコポンを送って下さった。

新鮮な果物は、それはそれは喜ばれました。

なかなか手に入りませんからね。

永野さんは手紙を添えて下さり、それも励ましになったようです。

私が天草となんで縁があるかと言えば、展示会をしたことがあって、その時に永野さんにお世話になったのです。

 

娘からも「もっと手に入らないかな?」という電話が入りましたが、その時は既に、デコポンの季節は終わっていました。

永野さんにお聞きすると、晩柑(バンカン)というのがあるそうで、最後のデコポンとともに私どものところに送って下さった。

これがまた、グレープフルーツのようなお味で、結構な物でした。

 
 
「これが良いかな」と思って、娘に「晩柑っていうのがあるぜ」と推薦すると、「幾ら位掛かるかな?」と値段を聞いてきた。買って送ろうと云うのでしょう。

天草のミカン農家に嫁いだ友だちがいて、私は彼らの結婚式にも出ているし、天草に行ったときはご馳走もしたので電話して、「晩柑あるか?」と聞くと、「ある」という。

「幾らだ?」と聞くと「幾ら」という。割合、高い物だったし、娘達には荷が重い値段だ。なにせ、およそ600個ですからね。

 
スポンサーはいないかな?と考えましたら、熊本市にトクちゃんという、文字通りの篤志家を思い出した。

電話で「これこれこういう訳だから晩柑を被災地に送ってくれないかな」と頼むと、簡単に「良いよ」と言ってくれた。

これまた、トクちゃんと天草のミカン農家は知り合いだから、話しはとんとん拍子に決まって送ることが出来た。

 
トクちゃんは、被災地にいち早く入ったらしい。

「また行くから、あんた、なんとかしろ」と私に言う。

晩柑を送ってくれたからなんとかしようと思うけれど、周りから「迷惑になるから行くな」と反対されているらしい。何せ70代後半ですからね。

でも、長靴も送ってくれたし、岡山の大根の干物も送ってくれている。

 
来る5月29日、トクちゃんが晩柑を送ってくれた気仙沼の避難所に炊き出しに行くことになりました。

予定では、夜12時に出て帰りも夜中になる。

それを伝えて「行くかい?」というと、「私には無理かも知れない」と、それは年の功で分かってくれましたね。

 
でも、なんとか恩に報いたいと思うので、名古屋から帰ったら考えようと思います。

 

2011年5月24日 (火)

いざ名古屋へ

ここのところ、一途に藍染めをしていたのは、名古屋に行くための商品が足りないからです。

昨日も、藍が許す限り染めましたが、それは正藍染めですから、数も量も高がしれております。

 

朝、目が覚めたら雨。

昨日染めた物は乾きませんが、とにかく洗いをして干す準備だけはしておりますと、直ぐに名古屋に行く時間になってしまった。

出かけようとしたら、空が晴れてきた。

しかし、干す時間はなく、バスターミナルに行くのももどかしい。

それでも仕方なしに、お昼過ぎのバスに乗って東京駅経由で名古屋に入っております。

 
 
明日から、三越名古屋栄店で開かれる「第4回 夏の全国職人の技展」に出展いたします。

メンバーも面白い。

紺邑は初出店ですが、名古屋の皆様、お待ちしておりますですm(_ _)m

 

2011年5月23日 (月)

お仕事お仕事

昨日は、朝6時から夜中の2時までお仕事。

パソコンには向かっていたけれど、お仕事でネットは無し。

だから当然、ブログも書けず。

これからお昼の一時であります。

 
 
明日は名古屋に発ちます。

今日はその準備もある。

お仕事お仕事(^_^)v

 

こりゃー、ただの呟きだな( ̄Д ̄;;

2011年5月21日 (土)

染め三昧の日々

ブログに少々穴が開いておりますが、毎日藍染め三昧なのであります。

 

肉体労働ですから、夜は早寝。

朝は早く起きて洗いもの。

途中で来客もあり、ついでと言ってはなんですが、その時はお茶にして休ませていただいている。

今日は千葉から、宇野澤さんご夫妻が御来店。

 
 
そんな中でも、支援物資を送っておりますが、ご報告も送れておりまして、ご支援下さっている方々には申し訳ありません。

もう少し、お待ち下さいませ。

2011年5月18日 (水)

床屋政談

朝早く、隣町の行き付けの床屋で散髪してきました。

席へ着くなりご主人が、「おめでとうございます」という。

私が推薦したこの町の市議会議員候補者が当選したからですが、市民でもない私が云うのも変ですが、取りあえずお礼を言っておきました。

 
 
それから景気の話しになって、その街の中小零細企業にボチボチと仕事が入って来始めたと云います。

日本の景気が上向いてきているという、一つの兆候ではないかなと私は思いますね。

 
 
今日は一日休みと決めていましたが、大船渡に送る布団の梱包をお手伝いさせていただいた。

それにしても2ヶ月間、被災者を体育館の板の間に毛布だけで寝せておくような政治をしている日本で、景気が良くなる兆候があるというのは、偏に、民間の底力であって、決して政治力ではないと云っておきたいな。

2011年5月17日 (火)

船橋最終日

雨模様の最終日。

前年比も予算比もオーバーしている様子で、好調にここまで来たらしい。

 

終わり頃、担当のTさんに「どうですか?」と聞けば、「お陰様で3時には予算が出来ました」という。結構なことですね。

紺邑はと云えば、4日で前年の成績をクリアーし、後はもう一つの壁を越えられるかどうかでしたが、どうも最終日の出足が悪い。

「こりゃ、だめかな」と思っているところに、絹のワンピースをヒョイと買って下さったお客様がいらして、めでたく2次目標を達成させていただいた。ありがとうございます。

 
 
どういうわけか、百貨店の照明は暗いけれど、先々に明るさが見える。

日本の復興は、思ったよりも早いかも知れませんよ。

 
 
帰ってきましたら、玄関に布団の山。
20110518074939

岩手県大船渡の避難所に送る物です。

二ヶ月以上経つというのに、体育館で毛布を敷いて寝ていると云います。

こんなことは行政が面倒見るべきだと思うけれど、出来ないのでしょうね。
 

布団の運送料は、非常に高い。

大船渡に車で入るのは、大変だとも聞きます。

盛岡を中継してから避難所に運ぶという面倒もありますが、せめて布団に寝て欲しいですから、こちらは頑張らねば!


2011年5月16日 (月)

船橋5日目

5日目は静かに過ぎてゆきました。

それでも、ある程度の成績が出来たのですからありがたいことです。

 
 
長崎の工芸と言えば鼈甲細工ですが、その職人としてはたぶんトップだろうと思う岳野の肝いりで、宴会が開かれました。

彼は、長崎に帰ればそれなりの男らしいけれど、我々の中に入るとどちらかと言えば三枚目。

そして、新参でもあって、その分、色々な人と親しく付き合っている。

今回はなんと13名の大宴会。

それも、私が初めて一緒に飲む人達も居て、楽しい一時を過ごさせていただいた。

その様子は、高江さんのブログに詳しく出てます。

 
 
会場は、一昨日紹介した中華料理店「中華酒家 采圓」。

ここの料理は、心がこもっています。

知らなければ絶対に行けない立地条件ですが、流行っているのは美味しいだけではないでしょう。

 

震災被災地へ、天草産の晩柑を送ってくれた熊本の徳ちゃんから電話がはいりました。

送った石巻と気仙沼からも電話があったらしい。

徳ちゃん、ありがとうね(^^)/

2011年5月15日 (日)

船橋4日目 日曜日

大物が出た日曜日だったようで、全体はすばらしい成績でしょう。

紺邑は、島本さんと垣内さんが入らして、ご注文の品をお渡しすることが出来たので、めでたしめでたし。

 
 
ジュエリーデザイナー・ミカミの姉さんが、10万するワインより美味しいと言われる赤ワインを下さった。

それで夕飯。

確かに美味しいワインでしたが、10万円のワインより美味しいかどうかは解らない。そんなもの、飲んだことありませんからね(^-^;

 
 
スカイプをインストールしまして、これからお勉強を始めますが、それにしてもネット社会は、ブログだツイッターだミクシィだフェイズブックだと賑やかですねぇ。

2011年5月14日 (土)

船橋3日目 土曜日

カラッと晴れて、久々に良い天気。

皆さんお出かけになってしまったのか、会場はお客様が少なかった様子。

でも、紺邑は朝から忙しかった。

夕方また一波みあって、時節柄文句のない成績でした。

 
 
すだれ屋が一杯やろうという。

上の階にいる、江戸の玩具屋を紹介するという。

奈良の古布デザイナーと柘植櫛と輪島塗を交えて、6人で夕飯。

 
 
東武の部長の紹介で、中華屋に参りました。

最悪の立地条件で、教えられなければ絶対に分からない店なのに、予約で一杯。

前菜のどれもがおいしく、麻婆豆腐が山椒が利いていてそれなりで、久々に満足させていただきました。

 
私は食にうるさいわけではないけれど、美味しいに越したことはありませんからね。

2011年5月13日 (金)

船橋2日目

初日の賑やかさは感じられませんでしたが、ようやく宇野澤さんが御来店。

すると、次々にお馴染みさんが入らして、紺邑は数年前の感じが出て来ています。

 

今回から、染めの感じも商品構成も変えています。

それが少し、良い方向に向かわせてくれているのかも知れません。

業界の重鎮小森無形文化財が、「これならよろしい」と言って下さいましたね。

 
 

2011年5月12日 (木)

船橋東武初日

千葉県船橋市にある東武百貨店船橋店で開催される「ニッポン全国 職人の技」という催事に出展しています。

今日がその初日。

 
 
前日の午後2時過ぎまで藍染をしていたので、手が真っ青になっている。

都会は電車に乗りますから、これがちょいと抵抗がある。

でも、仕方ない。

 
 
百貨店スタッフもお客様も、みんな驚いているけれど、当たり前のことだからこれまた仕方ない。

話しに寄れば、ある藍染を販売している業者は、わざわざ手を染めているらしいが、そんな人もいるだろうというのが今の日本の業界の姿。

我々と、そう言う人達の違い見極める力を、消費者には持ってもらいたいものです。

 
 
さて本番。

会場は人だかりだ。

昔に戻ったようです。

全体の成績も、担当のTさんがホクホク顔なのを見ればそのままだったのでしょう。

紺邑は、午前中はどうなるかと思いましたが、企画会社の神田さんが「大川さん、待てば海路の日和ありですよ」と言ってくれたとおり、何とか成績にはなりました。

 
 
船橋東武は、ここのところ調子がよいと聞きます。

その通りの出足となりました。

 
 
会場にはオンセの高江さんが居ます。

久しぶりなので、一杯やりましょうとなって、鼈甲、ぶどう、柘植櫛、扇子と神田さんを誘って宴会。

珍しく、まじめな話しになった。

でも、楽しい一時でした。

2011年5月11日 (水)

支援物資

東日本大震災被災地をご支援いただいている方々に、ご報告が少なくなっていますが、本業もありましてね、まことに時間が足りません。

先ずは、お詫びを致します。

 
 
さて、おおざっぱな現状を申し上げれば、現在は、主に食料が足りません。

現地では、炭水化物は取れるようですが、おかずが無いのです。

①調理が出来るところ

 日持ちのする野菜、乾物、果物、レトルト食品、缶詰、ふりかけ、100%果汁ジュースなど

②調理が出来ないところ

 缶詰、果物、ふりかけ(毎日おにぎりです)、調理の必要のないおかず、野菜ジュース、サプリメント、水・お茶、100%果汁ジュースなど。

 
 
余った物資を燃やしている報道があったようです。

そんなの見せられると、私だって「もう良いか」と思ってしまう。

実情は、「被災地の食生活」と書いたとおりで、場所によってはライフラインも未だに全滅で、水が必要なところさえあるのです。

ですから、被災地をお忘れ無きようにお願いしたい。私自身にもそう言い聞かせております。

 
 
もう二ヶ月が経ちました。

板張りの避難生活を想像すると、寝具はどうしているかと思います。

「敷き布団」を集めています。

60枚という数ですので、四苦八苦です。


2011年5月10日 (火)

夜の藍染め

午後11時過ぎまで染めておりました。

ここのところの忙しさは、半端ではない。

今日も午前中は事務仕事。

午後には、大常連の原さんが春日部からお見えになって楽しい一時。

そして、夕方から藍染めという具合。

 
 
当分、落ち着かないでしょうね。

覚悟しております。

2011年5月 7日 (土)

農作業

福島から佐野市に避難してこられている人々には、様々な職業があろうかと思うけれど、斉藤ご夫妻は農家だった。

息子さんを頼って来ている点で、他の皆様とは違いますが、時間はたっぷりある。

 
農家が作物を作れないほど、寂しいことはありません。

 
そこで、お隣の久保さんに頼んで畑を貸してもらい、私たちと一緒に作物を作ることになりました。

20110507120734

お隣のお隣の木村さんが畝ってくださった畑に、タネを蒔いております。

何を植えているか?

それはこれからのお楽しみ( ^ω^ )

 
 
斉藤さんは9月までは佐野にいらっしゃる。

それまでには、収穫できると思います。

 
 
斉藤さん達は、避難所を4ヵ所変わった。

一つの避難所にいつまでも居られなかったからですね。

初めの頃は、おにぎり一個が一食の三人分だったそうですが、二人で避難した斉藤さん達には、小さめのおにぎりが配られた。

「それを二人で分けて食べたときは、せつなかったなぁ」と、お昼におにぎりを食べながらおっしゃいます。

そのおにぎりは、やはりご近所の磯さんが持ってきて下さった。

 
田舎はご近所で成り立っていますが、ありがたいことです。

 
日曜日も又、ご一緒に農作業だ。


2011年5月 5日 (木)

久しぶりに藍染めのお話し でも 震災のお話しも・・・

午前中、藍染めに励んでおりますと、鈴木さんがお見えになった。

一昨日入った陸前高田からのおみやげを、持ってきて下さったのです。
 
 

彼はそもそも、陸前高田との関係が古く、青年団と付き合っていたという。青年団とは懐かしい響きだけれど、都会の人は知らないのではないかな。田舎育ちの私には、もちろん親しい存在。

彼らは消防も兼ねていたので、今回の津波で知り合いが何人も亡くなっている。だから、初めから陸前高田を支援したかったらしいのですが、事の成り行き上、南三陸町から支援が始まったと言うお話しでしたね。

 
 
染めながらで失礼しましたけれど、それは私の本業ですからご勘弁してもらうとして、そこに群馬県伊勢崎市からご夫婦が入らした。

こちらはお客様なので、その辺り、さすがにボランティア経験の長い鈴木さんは、「あ、どうぞどうぞ」と気配りなさり、お帰りになった。

 
 
ご主人が、非常に藍染めに興味があるとおっしゃる。

すくもをお見せして、匂いを嗅いでいただく。臭くありませんが、堆肥と同じで、匂いがある物はまだ未熟で、完熟した物は臭くないというお話しを致しました。

次に、灰汁に手を入れていただき、そのぬるっとした感覚を実感していただいた。

そして、醗酵のお話しをし、これまた藍の液に妙な臭い匂いがないこともお分かり頂いた。

その他、貝灰、ふすま、黒砂糖を入れているというお話しをしてから、ちょうど染め始めた物が藍甕に入っていたので、色の変化をお見せすることも出来た。

 
甕から茶色の布が出て来て、それが緑に変わり青になる変化に、少し驚かれた様子。

 
 
私の藍染めは、伝統的な本建て。一方に化学建てがある。

その意味を語らせていただいたけれど、一々御納得いただいたようで、「そうそう、そう言うお話しを聞きたかったんです。でも、だれも教えてくれなかった」とおっしゃる。

そりゃそうで、語れる人がいないだけの話し。

 

寒くなったので、薪ストーブに火を焚きました。

夜まで染め仕事。

息子が来たので、明日は灰汁を作ります。

2011年5月 4日 (水)

風評被害をぶっ飛ばせ!

「茨城のおいしい魚と野菜を食べよう」というイベントが、都立夢の島熱帯植物館で行われました。

9時半開館と同時に沢山のお客様が入らしてくださった。

「何所でお知りになりましたか?」とお聞きすると、新聞でと。

読売新聞でご紹介いただいたそうで、感謝です。

20110504103248
直ぐに大にぎわい。

 

20110504113744
文字通り、長蛇の列です。

 
 
20110504121438
テントの中もてんやわんや。

 

20110504133754
このイベントのきっかけを作ってくれた、赤木りえさんのライブ。
キーボード奏者とパーカッションのお二人にご注目あれ。
制服をお召しだ。
米空軍軍楽隊が、このイベントのためにオフィシャルに派遣してくださったプロのミュージシャンです。
演奏前、「ともだち作戦」にお礼を申し上げた。

 

どうも、色々あり過ぎて纏まりません。

赤木りえさん、原さん、小山さん、ご尽力に感謝です。
お手伝いに駆け付けてくれた、娘の生徒さん達、ももちゃんの東京のお友達に感謝。
ライブに出演してくださったMag Café at GardenとLue & Kuriponに感謝。

何よりも、ご来場下さった沢山のお客様に感謝。
「頑張ってください」という言葉に、勇気も頂いた。
なんと、橘右之吉さんがお見えになったことも驚きました。ありがとう御座いました。


農家の方には、「風評被害が出たときは、本当に胃炎になりました。こういうイベントを開いていただいて、勇気と元気が出ました」とおっしゃっていただいた。
漁協の人達は、「これが始まりです。みんな本当に喜んでいます」と。

 
 
20110504162536
スタッフで記念の一枚。

お疲れ様でした。

2011年5月 3日 (火)

避難民のお話し

どうも、避難民と書くと妙な気分だけれど、朝早くて頭が回らないので、適当な言葉を見つけたら訂正することにして、避難民のお話し。

 
 
昨日の午前中、我が佐野市に避難して来ている福島の人達が、日用品にも困っているというお話しがあり、物資を見つけたり提供したりしておりました。

私は、数人かと思っていた。

高橋隊長とカミサンが中心になってやっておりまして、私は工房でお仕事。

 
 
そこに電話が入り、「洗剤を持って来て」という。
 
工房に積んである洗剤を持って、物資の集積場になっている紺邑の別棟に行くと、車の列が来た。
20110502130926
これで、半分お帰りになったというのだからすごい数だ。

 
 
彼らは、福島原発から20㎞圏内の方々。

避難所を4~5ヵ所も移りながら、佐野市にたどり着いた。それも、着の身着のままでです。

住まいはあるけれど、その他は何もない。

だから、なんでも買わなくてはなりません。
 
 
 
我が身に置き換えれば、それは心細いことでしょうが、100円ショップに行ったりしながらなんとか凌いでいらっしゃる。

だから、洗剤でも欲しいのですね。

様々な物資を、山のように抱えてお帰りになりました。

 
 
我々としては、被災地に行くのと同じ事ですから、全てを提供し、出来るだけの支援をしたいと思います。

しかし、たいしたことが出来るわけじゃない。

行政の出来ることもあるはずだと思った。
 
 

彼らが住んでいる町内で、世話役をなさっている町会長さんに聞くと、市は何もしてくれないという。

援助は、住まいの提供だけとお怒りだ。

市民からの援助物資があったはずだと聞くと、全て、被災地に送ったという。

それも、被害の少ないところにです。

 

自主避難なので、情報が全く来ない。

しかし、彼らの地元自治体と連絡も取ってくれないらしい。

様々な情報は、町会長がネットで各自治体のホームページにアクセスして仕入れ、必要なものは印刷してお渡ししているとのこと。

例えば支援金の受給などは、ホームページにある書類を印刷して書き込み、提出せよなんていう自治体もある。

着の身着のまま避難してきている彼らに、パソコンなどあるはずがない。
 

 
身内の遺体が発見されたという連絡が入ることもある。
そうすると、帰らなくてはなりません。

自動車はあるが、ガソリン代も掛かる。高速料金は、罹災者証明書を提示しても料金は免除されない。だから、戻るのも大変。登録されたボランティアは無料になるのに、国は何をしているというのか。

また、そうお怒りだ。

 

見ず知らずの土地で暮らさねばならない彼らの不安を思うと、私たちも出来るだけのことはしようと思いますが、どうも日本の行政はいびつだと感じます。

国から地方まで血が通っていないようだ。
 
 
 
被災地だけでなく、他所に避難なさっている方々にも、こういう物語がある。

佐野だけの問題ではないと思いますが、とりあえず、我々は彼らを支援しなければなりません。

わずかな力ですけれど。

 
 
町会長としては、佐野市に来られた方々に、少しでも良い思い出を残してもらいたいと思っている。

もっともなことで、私も市民としてそう思う。

皆様の支援物資を使わせていただくけれど、どうかご容赦下さいませ。

 

2011年5月 2日 (月)

避難所のお話し

昨日書いた避難所のお話しをもう少し致します。

 

避難所の方に直接お電話して状況をお聞きしたわけだけれど、宅配便は届くという。

「あなたに個人的に送れますか」と聞くと、どなたかと相談してから「出来ない」という答え。

察するに、避難所で一人だけ良い思いは出来ないしさせないと云うこともあるでしょうね。

ですから、全員に物資が平等に配れなければならない。
 

 
では、誰宛に送ればよいのか。

「避難所で代表になれるような方はいらっしゃいますか」とお聞きすると、「調べます」と言う。

しばらくして、リーダーはいないという返事が返って参りました。

 
 
さて困った。

誰に何をどう送ったらよいかという、基本的なことが分からない。

このままでは、避難所の方々は、役所なり自衛隊なりから来る配給だけで暮らすことになる。

自宅被災者には制限など無く支援物資を送ることが出来るのに、避難所は不自由です。

 
 
炊き出しはどうかとお聞きした。

それも出来ないと云う。

 
 
誰が言っているかというと、この避難所を担当する市の役人です。

炊き出しが何故ダメなのかと問えば、小学校だからだそうな。

電源のコンセントも使ってはいけないらしい。

支援物資も受けられないという。

 
益々困った。

 
地元で活躍している若い人達に相談すると、「役人の事など聞いていたら、炊き出しなんて出来ません。避難所の人と相談して強引にやるっきゃない」と云う。

それで、「物資を直接持って行こう」となったのです。

 
 
担当の役人も、「直接やってください。お願いします」という。

つまり、自分のような役人を間に入れると、埒があきませんよということなんでしょう。

 
 
一事が万事と云いますが、こういう事が他の避難所でもあるのかもしれません。

避難所には物資が行くというけれど、実体はこういう事だったのかと、改めて認識させられましたね。

 

だからといって、我々民間が出来ることは、誰がどうやろうと高がしれております。

国よ自治体よ、血の通った行政をなさねばなりませんよと言ったところで、今は虚しいですね。

この大災害は、我が国のこういう面もあぶり出しております。

2011年5月 1日 (日)

被災地の食生活

参院予算委員会で九州選出の自民党議員が、「被災地には食事が行き渡るようになった。次は、仮設住宅の問題」と発言し、質疑が始まりました。

国会でこう言われると、これで被災地の食事の問題が国会で議論されなくなり、政府も世論の関心も他に向かうことを懸念しますね。

数週間前のNHK日曜討論でも、荻原とかいう女性の経済評論家が、宮城県石巻市を訪ねて「被災地ではスーパーも開いていますので、食事や日用品購入の問題は解決しつつある」と述べ、「今後の問題は云々」と発言している。

これでは、被災地への食料援助が少なくなるわけだ。
 

 
石巻市では、確かにイオンも開いている。

しかし、郊外店のそこに行くには、車で30~40分、海辺からなら1時間くらい掛かるかも知れない。

自動車もない、自転車もない、お金もない被災者に、どうしろというのでしょうか。

歩いて行けと云うのか。お金もないのに買い物をしろというのか。

 
 
さて、その石巻市では、自宅にお帰りになった被災者への配給が、一昨日停止されました。

後は、自分で何とかしろと言うことでしょう。これもどうしろというのでしょうか。

公的避難所には、配給は続けられはします。


 
その石巻市の山間にある避難所から、私共にSOSがあった。

食事の状況は、朝9時におにぎり一個とお菓子。昼が無くて夕方おにぎり一個にお菓子。3日に一度程度、缶詰などが支給されるという生活だそうです。

「お湯が沸かせるので、カップラーメンでも欲しい」と言うことでした。

 
 
5月1日読売新聞朝刊28面に、「食事の質 避難所で格差」という記事があります。

それによると、430人避難している宮城県多賀城市の市民文化センターでは、ここ1ヵ月の主食は三食とも菓子パンとおにぎりとジュースで、たまに魚肉ソーセージや缶詰が出る程度。

気仙沼中(被災者470人)の食事もパンやおにぎり、カップ麺などのインスタント食品が中心。

岩手県陸前高田市の市立第一中では、朝はパンと飲み物のみで、昼夕は被災者5~6人が支援物資で自炊。しかし、食材も不足しがちだといいます。

1600人が避難する福島県郡山市の「ビッグパレットふくしま」では、夕食に弁当が出るが、朝昼はパンとおにぎりのみ。

 
 
どこに、「被災地には食事が行き渡るようになった」という姿がありましょうか。

それとも、おにぎりとパンがあれば良しとするのか。

 
 
被災地の生きた情報を、我々は掴まねばなりません。

 
 
SOSがあった避難所に対して何かしなければなりませんが、避難所には入れない自宅避難者への草の根の救援をしている私たちには、150人に対応する力がありません。

同じ読売に大阪大学教授が、「今回の震災では避難所の食事内容に格差が生じている」という発言があります。

私にもそう言う情報が入っているので、大きなボランティア組織に「こういう避難所があるから、余っている物資を回してください」と頼んだ。

ところが、避難所があまりにも多すぎて対応が出来ないという返事が参りました。

それでは我々で出来るだけのことをしようということになった。

その避難所担当の市役所の人も「お願いします」という。

あるNPO法人にお願いをして、来る5月6日、トラック1台、マイクロバス1台、ワンボックスカー1台の計3台で、食料を積んで行くことになりました。

私たちも、皆さんから届いた春夏物の衣料を供出します。

 
 
これは、たった一度のことです。

それでも、被災者の生活の良いアクセントには成れるだろうと思う。

しかし、持って行った食料が終われば、避難所はまた元の食生活に戻らなければなりません。

避難所生活は、長く続きそうです。

ですから、「被災地には食事が行き渡るようになった」などと解決して欲しくありませんし、日本国民はまだまだ、被災地への救援を怠ってはならないと感じております。

しかし、もう既に、風化しつつあるようにも思えますですよ。

« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »