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2011年7月21日 (木)

徳島と藍 1

 朝、NHKテレビで徳島県の特集をやっておりまして、藍染が出て参りました。徳島県は、藍染の産地とよく間違えられる。こういう番組を、NHKがやるからでしょう。

 本当は、藍染には産地はないのです。琉球から北海道まで、日本中で当たり前のようにあった物です。

 では、徳島県は何の産地かと言えば、「藍」の産地です。
 「藍」とは、藍染の原料のこと。

 ここを、放送局が間違えているというだけのことですが、視聴者はそうは思わないでしょう。藍染の世界にとっては、不幸なことだと、私は常々思っております。
  
 古来、栃木県は下毛(しもつけ)の国、群馬県は上毛(こうづけ)の国と呼ばれ、両方を跨ぐ地域を両毛地区は、日本一の繊維の産地です。群馬県桐生市にある群馬大学工学部の中に、繊維の専門学部があるのも、そんな理由からで、日本中から繊維関係の学生が集まっております。

 繊維工業試験場も両県にあり、我が祖父は終戦直後、足利市にある栃木県繊維工業試験場場長をしていました。
 
 祖父は、栃木県小山市の結城紬の再興を考え、衰退した藍染に興味を持ち、群大を出たばかりの小此木照明さんという部下を徳島県に派遣して、詳しく藍染を調べさせました。
 ところが、徳島県中を幾ら探しても、紺屋も藍染の技術も無かった。小此木さんは疲れ果てて帰ってきて、そう祖父にご報告なさったと言います。幸い、藍染は地元の関東に残っていました。そこで、藍染めと結城紬の研究所を栃木県小山市に作って今があります。

 小此木さんはまだご存命です、父が産経新聞に書いた自伝にも度々登場する方ですが、今年の春、足利市民活動センターで私が展示会をしたときに入らしてくださり、そんな話しをして行かれ、藍染をしていた我が父にも話しが及んで、「ひとっちゃん(父の愛称)には、糸の染め方を教えなかったのが心残りだ」なんてこともおっしゃられた。

 では何故、徳島というと「藍」になるかと云えば、阿波藍と呼ばれる藍染の原料が、質量共に日本一だったからです。

 佐野も藍の産地でした。しかし、徳島から見ると、「佐野の藍は中藍なり」と書かれている。つまり、質は中くらいという意味でしょう。
 
 徳島の藍を「阿波藍」と呼びます。それを自分たちは「本藍」と称した。そしてその他の藍を「地藍(じあい)」と阿波の人達は呼んだ。阿波藍と区別するためでもあったのでしょうが、「あれは地藍だ」というのは、「阿波藍ではない質の悪い物」という意味で、つまりは蔑称なのです。

 それ程、徳島は質が良く、また、日本中で認められてもおりました。

 

(続くとします)

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