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2011年7月23日 (土)

阿波藍

 しつこく書きますが、「阿波藍」とは、藍染の原料のこと。それを「すくも」といい、漢字では草冠に染めで「蒅」と書きます。
 すくもを杵で突いて固め、切った物が「藍玉」と言われてきました。
 阿波藍は今、藍玉は作らず、すくもの状態で私たち紺屋の手元に届きます。

 藍(藍染の原料)は、日本各地で作られておりました。
 我が佐野も藍の産地で、藍作りをしていた代表的な人物が、かの田中正造です。
 私の住む閑馬にも、藍農家が2軒在り、葛生で藍の市が立っておりました。

 その他関東で有名なのは「武州藍」で、埼玉県の本庄・深谷・岡部辺りで作られ、渋沢栄一が藍商の代表的な人物です。

 藍染の世界で唯一人人間国宝に指定された宮城の千葉あやのさんは、阿波藍は使わず、すくもを自分で作り藍染をなさっていた。
   
 このように、藍は日本中で作られていたけれど、その中で、質量共に日本一を誇ったのが「阿波藍」です。
  
 江戸時代、新潟のある紺屋の商品が全く売れなくなった。原因を調べてみると、藍染の色が悪いと云うことらしい。問屋に阿波藍の使用を勧められ、その通りに藍を変えて見たら、又売れ出した。
 こういう逸話があるくらい、高級な藍染はみな、阿波藍をつかった。
  
 どの位作られていたかと言うと、さすが徳島県は、こういう資料を作っています。

http://www.pref.tokushima.jp/_files/00082532/045_2-3-2.pdf

 まあ、資料ですから、ご興味のある方はご覧下さいと云うことで、その中で、こう書かれております。

▽▽▽▽
藍(蓼藍)は本県の気候風土に適し,歴代藩主の保護奨励政策のもとで栽培が続けられ、最盛期の明治10~35年頃は全国の25~30%の作付面積(1万~1万5000㌶)があり、徳島県では稲,麦につぐ主要な作物であった。しかしこの頃からインド藍の輸入が増加し、明治末期にはさらにドイツの化学染料が輸入され、本県の藍作面積も急激に減少し、大正元年では全盛期の 5分の1 に激減した。しかも米価の上昇と養蚕業の勃興で藍作の一部は稲作や桑園に変った。さらに阪神市場の大消費地を控えた立地条件から肥沃な藍作地はしだいに園芸作物に転換し,阿波藍の栽培は衰退の一途をたどり昭和 41 年ではわずかに4㌶となった。
△△△△
 言い伝えに寄れば、藍玉を作る際に、藍以外に砂を入れて評判を落としたということもあったらしい。

 それはともかく、全盛期には「全国の25~30%の作付面積(1万~1万5000㌶)があり」と言うことだから、すごい面積だけれど、逆に言えば、70~75%は他の地域にあったわけです。
  
 全国の紺屋が、何故阿波藍を使っていたかというと、それは第一に品質の良さだった。だから、上記のような話しが残っている。

 さて、現在はどうか?

(また、続くとさせていただきます)

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