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2011年8月

2011年8月31日 (水)

「栃木・福島の物産と観光展」総括

朝起きて、「今回、何故、お客様が少なかったのだろう?」とふと考えた。確かに、「蜂蜜」や「軍鶏」の問題はあったろうけれど、それだけかなと。
 
やはり、福島県と栃木県となると、放射能の問題もあったのではないかな。

  
 
騒ぐ人達は、これを「風評被害」とは云わないだろう。皆さん、正しいことをなさっているとお考えでしょうからね。

だから、私の知っている福島県人も栃木県人も、自らが騒ぐ。

そして、栃木と福島から人を遠ざけ、物も遠ざけているのではないか。

 

我々栃木県人は、栃木県に骨を埋める覚悟くらいはあるだろうと思う。

幸い、退避勧告などは無いし、避難する必要もないから、自身が決めれば出来ないことはない。

 

福島県人はそうはいきません。

今回出展している人達だって、顔は笑っていても、この震災で様々な目に遭い、色々な思いがあるだろう。

ある出展者は、並べた品物を指さし、「これが在庫の全部で、売れ切れたらおしまいだ」という。そして、「福島の人も、こころが荒んできたな。家族もバラバラだ」と。

今年、出展していない人がいた。百貨店の担当者に聞いたら、「津波にやられ、跡取りもいないというので廃業なさったと聞いています」とのこと。
 
 

今日これから、我が家に福島県から避難してきた方々が、生活物資を取りにいらっしゃる。

秋になって、着る物も布団も変わりますからね。そんなこともあろうかと、夏前から集めて置いたものが我が家にあるのです。
 
 
多分、福島県人は、日本中に避難なさっていることでしょうが、避難しているある人が、「金は確かに150万ほどもらったよ。だけど、使い切ったらどうすんだべと考えると、使えねぇ」と言ったけれど、その通りだろうな。先の収入の目鼻が全く建てられない。

「そろそろ自立させた方が良いんじゃないの」という意見がある。

ごもっともとも思うが、自立できる環境を整えなくてはならないし、それこそ政治の役割だし目的のはずだ。

管内閣は、それを怠ってきた。

そして被災地の復興も、被災者・避難者の救済も、遅々として進んでいない。

 
それを助長させていたのは、反原発を叫んでいる人達だと、私は思っております。

彼らは「子供を守れ!」と叫ぶ。

では被災地の子供達の今は、どういう状況にあるか、ご存じだというのだろうか。

ならば、彼らをどうやって守ればよいと言うのか。

そう言う話しは、全く聞こえてきませんね。

2011年8月30日 (火)

船橋最終日

遂にと言うか、ようやくというか、やっとこさっとこ最終日となりました。

2週連続で催事に出るなんて事は、珍しい事じゃないのに、今回は大分疲れた。

下駄の沼尾さんが、「60過ぎたばかりは気をつけた方が良いよ。確か、一心堂の親父さんも、60過ぎて逝ったんじゃなかったかな」なんて不吉なことを、一心堂の売り場の目の前でおっしゃる。

そう云えばそうだ。

 

私は今逝っても構わないのだけれど、残す連中のことを考えると、ちょっと早いかもしれません。

あと15年くらいは生きさせてもらうとしましょうかね。

まあ、先のことは分かりませんけれど、人間は死ぬと云うことを、60を過ぎて実感してはおります。

 

午後7時までしっかりと営業し、東京駅発21:20分というバスで佐野に帰って参りました。

福島のチーズケーキでワインをちょいとやって、爆睡といきたいな。 

2011年8月29日 (月)

船橋5日目

物産展は、初日と土・日が山。

週明けで、終了間際の5日・6日目ともなると、大分人出が少なくなります。

今日の月曜日も、その通りの一日でした。

 

私の肉体的な疲れも溜まってきた。

QPコーワゴールドαでそれを凌いでいます。

この薬は、私には良いですねぇ。

 

Facebookというのがインターネットの世界にあって、そこで知り合った方が、偶然にも船橋の人で、売り場までご挨拶に来てくださった。

面白いことだ。

 

終了間際に、ご常連がご来店。

二つも買ってくださって、めでたく終了。

 

ホテルに入り、寛ぎつつブログをしたためております。

テレビでは「真昼の決闘」をやっている。

日本新党

野田佳彦氏が民主党党首に選出され、内閣総理大臣に就任する事が決まったようですね。

それにしても、日本新党結成当時、だれが野田首相を想像しただろうか。

 

野田氏は日本新党から新進党へ。そして民主党へ。

当時の栃木二区の元日本新党国会議員は、新進党に行く振りをして自民党へ行き、大臣は経験したが、およそ総理大臣にはほど遠いだろうな。

そのほかの元日本新党国会議員達も、海江田万里、枝野幸男、中田宏、小沢鋭仁、河村たかし、前原誠司、樽床伸二、小池百合子と、今となっては多士済々とも云えるが、総理大臣になるには器が違う。それは、野田さんだとて同じだとは思う。

 

日本新党としては、参議院議員選挙の方が先だった。

その元参議院議員から、彼のパーティへの招待状が来たけれど、昨日のことで行けなかった。

それでも多分、彼とは死ぬまで付き合うことになるが、彼の人生もまた、日本新党結成によって大きく変化したことも事実だし、そこに私が絡んでいる。

そして、栃木県の方々にも、特に佐野市の方々には、大変ご面倒をお掛けした。

 

そんなわけで、私は野田氏に期待しているわけではないけれど、感慨だけは深いものがあるな。

 
 
当時、なんやかやで、日本新党と深くお付き合いした。

「平成維新の会」なんて云うのもあった。

この辺りは詳しく書けないけれど、そうだったことは事実。

 

鹿野道彦氏とも多生の縁があって、彼の秘書のOさんと付き合いがあったので、私が30前の若い頃、一度だけ3時間ほど酒を飲んだことがあった。

「面白い!」といって私の話を聞いてくださったけれど、何を話したのか一切覚えていないのは残念。

 

これまた感慨深いけれど、この党首選が日本のためになるかどうかは、ひとえに野田さんに掛かってきた。

政治は人がするのだと云うことを、民主党政権は我々国民に身をもって教えてくれています。

教わっているはずの国民が、分かっているかどうかは知りませんけれどね。

 

でも、今の若い人達は、「日本新党」を知っているだろうか?

2011年8月28日 (日)

船橋4日目

どうも、日が経つのが遅く感じます。

表題に「4日目」と書いたら、「未だ4日目か!?」とつくづく思いましたからね。

早く帰って染めたいな。

 

浮き世は、そんな私の感慨などとは無関係に過ぎて行く。

でも、人間なんて必ず死んじゃいますから、少しは浮き世に流されないで、自分を見つめて生きなきゃ人生を後悔するかもしれない。

だから、こういう長期出張の仕事も考えものだ。

そんなことに、還暦を過ぎて気付くほど、私は晩生(おくて)なんであります。

 

さて日曜日。

淡々と過ぎ、「日」どころか、時が経つのも遅く感じられた一日。

長かったなぁ~!

 

そんな中、一人のご常連がいらして作務衣を注文してくださった。

紺邑のを一着お持ちなんだけれど、「アレを着たら、他の作務衣が着られ無くなっちゃったの」とおっしゃって、一年間お金を貯めての注文です。

ありがたいし、こういうお客様に会うと、船橋にまた来なきゃいけないと思っちゃうんだな。

物作りの妙味でもあります。

 

夕飯をどうしようかと思った。

ホテルへの帰り道に、一個100円という寿司屋があったのを思い出して、入ってみました。

私は、マグロの赤身から始めることにしていますから頼むと、これがダメ。

いい加減にして帰ればいいのに、「他はどうかな?」って思っちゃうのも私。

小鰭(こはだ)を頼んだら、まあ、普通のシメ具合。

「次は何を試してみようかな?」って考えながら色々つまんでいると、なんと腹が一杯になるほど食べちゃった。

勘定をすると、それなりのお値段。

後悔するほどじゃなかったけれど、二度と行かない寿司屋だけれど、それなら適当に食って帰れば良いのだけれど、それをしないのも出来ないのも私。

 

どうも、自分の生き方を考えさせられた一日でありましたとさ。

2011年8月27日 (土)

船橋3日目

実は2日目、落雷による停電がありました。

長いこと百貨店と付き合っておりますが、停電は初めてだ。

お陰で、非常用灯がちゃんと機能していることが分かりましたね。

その位の雷雨だったわけで、これじゃお客様が来るわけありません。

成績も、それなりでした。

 

3日目は、雨の予報がピーカン!

成績もそれなり。

正直な物だ。

 

栃木県の食品を何か買って帰ろうと、会場内をうろつきましたが、なるほど買う物がない。

チーズケーキの売り場にたどり着き、これにしようかなと思ったら、隣もチーズケーキが売っている。

こいつを試食したら、旨い!

辛めの白ワインと一緒に食したら良いなと思って買ったら、福島のレストランの物だった。 

  

栃木県の協会よ、しっかりして頂戴!!

 


 


船橋2日目

私は物産展が大好きで、各地の食べ物を味わえるのがよろしいですね。

その昔は栃木県だけでなく、「全国」とか「京都と小京都」と名の付く物産展にも出展しておりました。

 

朝礼で、栃木県の食料品の売り上げが非常に悪いという報告があった。

昨日の手応えでは、売り上げの伸びが、前年に比べて凄いだろうなと思っていましたから、多少ならずともショックでしたね。

その理由を聞けば、なおさらがっかりだった。

 

ホームページを見ますと、この催事の主催は(社)栃木県観光物産協会・栃木県・(財)福島県観光物産交流協会となっている。

物産協会の出展者を選定する基準は何なのでしょうか。

彼らは一人として、我が工房に来たことがありませんからね。

例外はSさんで、私もよく知る人だけれど、彼が表立って仕事をするようになって欲しいと思いますが、結局は、お役人出身者の天下で、民間出身のSさんが主導できる立場にはなれないだろうな。

 

栃木県民の自覚の問題かもしれません。

 

少しでも売り上げに貢献しようと、日光の湯葉弁当と、湯葉を買って、夕飯は湯葉づくし。

湯葉はちょっと前までは、京都と日光の特産で、それぞれに特徴のある物だった。

湯葉屋さんに行ったら、湯葉刺しを勧められた。

それは「京都でしょ」と云ってしまったけれど、「日光の湯葉」を売らないでどうしますかね。

「物産」とは、そう言う物じゃないでしょうか。
 

2011年8月26日 (金)

岩手県へ

夕べ遅く、初老三人組の私を除いた二人と、家内と次女と、熊本の徳ちゃんと佐野の老夫婦を合わせた総勢7名が、岩手県に向かいました。今電話したら(午前7時)、平泉で休憩中とのことだ。

目的は、ボランティアもあるけれど、娘以外で一番若いのが62歳という連中では、何が出来ると言ってもたかがしれています。

先ずは、今支援をしている岩手県大槌町の佐々木さんに会う予定です。

 

報道を見ると、被災者は避難所を出て仮設住宅に入り始め、またそこで、新たな問題が起きているようです。

それは、私が懸念していたとおりではあるけれど、家が残された人達の実態は、ほとんど報道されません。

 

大槌町のそこは、人口が増えている。

家が残った人々のところに、親類縁者が身を寄せているかららしい。

未だに、食料が乏しい。

スーパーは一軒あるのだけれど、そこには食料がないといいます。

佐々木さん達は、三人で手分けして三十数世帯を支援している。

その物資の一部を、私たちが送っていると言うわけです。

  
 
支援なさっている人々の実体もまた、伝わってきません。

そこで、会えればいいなと思って、出かけているわけですが、もちろん、お約束は出来ています。

 

明日は盛岡に入ります。

そこで、SAVEIWATEの寺井さんに会う予定。

そして、I screamの高橋さんにも会える。

 
こういう人達の、地道な支援活動があることも、余り知られていないようだけれど、少し知っている我々は、頭が下がる思いです。

 

被災地は、原発問題に隠れて、救済が遅れてきた。

反原発を叫ぶのは自由だけれど、それがまた、被災地の支援を遅らせてきた。

もう五ヶ月を半月も過ぎようとしているのに、こんな実態が日本の空の下にある。

その状態を作り出してきた管首相が、今日ようやくやめるらしい。

彼は、存在そのものが毒だったと私は思っています。

2011年8月25日 (木)

船橋初日 人身事故

突然ですが、千葉県船橋市にある東武百貨店船橋店の「栃木・福島の物産と観光展」に来ております。


昨日が搬入日。

足利市駅から東武線特急りょうもう号に乗り、北千住から錦糸町経由で船橋に行く予定でしたが、電車は人身事故の影響で、久喜駅に止まってしまった。

回復に一時間以上掛かるというので、JR宇都宮線に乗り換え、上野から秋葉原に出て、総武線で船橋へ。

予定より45分ほど遅くなりましたが、無事到着して準備。

JRとの乗換駅である久喜駅に止まったのが、幸運でした。

 

準備日は船橋市の隣の市川市に宿泊。

朝起きて出勤するために電車に乗ると、いつまで経っても走り出さない。

その内アナウンスがあって、「新小岩駅の人身事故のため、しばらく停車いたします」ときたもんだ。

2日で2回目の人身事故。これもご時世でしょうか。

隣を走る総武線各駅停車が動き出したので、それに乗って無事船橋に到着。

これもラッキーでした。

 

出勤し、昨日「部長にあって下さい」と言った担当に、「朝行くかい?」と聞くと、「夕方で良いです」という。

なんで私が部長に会わなきゃいけないかというと、あるクレームの経緯を説明をせよと言うことだ。つまり、私を呼びつけたわけだ。

呼びつけられるについては、私には覚悟が出来上がっている。

小学生を職員室に呼び出すようなことを、還暦を過ぎた職人の私に、年下の百貨店の部長がするというのですからね。私は、百貨店に出展するために仕事をしている訳じゃありません。

  

その部長は、午後にちょっと売り場に顔を見せた。

そんな時間があるなら、仕事中の私を呼び出すこともないだろうにとは思った。

 
 
さて、夕方になったから担当に、「部長のところに行こうか」というと、「もう良いです」という答えだ。

なんだか知らないけれど、呼び出しは中止になったらしい。

私としては、自分がどんな反応を示すか楽しみだったのに、肩すかしを食らった感じです。

でもね、こんな発想をしたこの部長を、私は忘れません。

なんて、執念深いかな(笑)

私の特徴は、何でも忘れることですから無理だろうな。

 

さて、この事態は幸か不幸か?

 

仕事は順調です(^_^)v

素晴らしい人出で、たぶん全体も素晴らしい成績でしょう。

2011年8月23日 (火)

宇都宮 最終日

宇都宮東武百貨店の催事の最終日は、午後4時で終了です。

私は、「勿体ないな」と思っておりました。せめて5時まで営業すれば、それだけ売上が上がるだろうにとね。

ところがどっこい、これがそうでもない。

品物を見て検討して決断したお客様が沢山入らしていただける日だし、出展者もしっかりと4時過ぎまで販売できるというわけで、中身が濃いのです。

今回の最終日も素晴らしい出来で、この催事そのものも成功裏に終了させていただいた。担当の酒見君が、私に握手を求めてきたくらいです。

 

全国から来て下さった職人達全部が、満足しているわけではありません。

彼らは、自分で経費を掛けて来て下さっている。

売上が悪ければ、やはり困るわけで、それはこちらとしてはまことに申し訳もない。

その恩は、別の形でお返ししなければなりません。

 

紺邑としても、チラシを見てきて下さったお客様が大きな買い物をして下さったし、今回はご常連が数多く来て下さって、ありがたい成績を上げさせていただきました。

前年度比で3倍近い!

まあ、それだけ前年が悪かったとも云えますが、15年勤めたこの催事のコーディネーターを降りて、制作と販売に集中できたというのもあると思います。

 

御来店いただいたお客様、皆様に感謝。

企画会社の神田君にも感謝。

担当の酒見君には、ご苦労様でした。

関係して下さった東武宇都宮百貨店の皆様に感謝。

そして、無理してでも参加して下さった職人達に、感謝m(_ _)m

2011年8月22日 (月)

宇都宮5日目

雨がしとしとと降る中、村井先生にお迎えいただいて出勤。

久しぶりに洋子さんも同行。

 

御来店いただいたお客様のほとんどが、洋子さんの知り合いばかり。

私はすることもなく、言葉を換えれば為す術もなく過ごしましたが、成績は思いの外良かった。

ありがたい一日でした。

 

夕方になって、浜松から中村君が来て、ちょっと仕事の打合せ。

栃木県に全国から人が集まり、浜松の話しをしているところが面白いと私は思うけれど、こういう他県との交流が、他でも人知れず行われているんだろうなとも思う。

 

栃木県の知名度は、ある新聞社の調査によると、47都道府県の中でワースト3の常連だった。後の二つは茨城県と群馬県!

それが、漫才師のお蔭で41位まで上がったと言います。

それでも全国を歩いてきた身の実感としては、知名度はないな。

そこに放射能の風評被害で、人は来なくなり人は去りでは、この先の栃木県が思いやられます。

 

栃木県民自身が、元気にしていなきゃなりませんね。

そして、こういう活動を地道にして行く必要を感じます。

まあ「隗より始めよ」と言いますから、先ずは私からですね(^o^)

2011年8月21日 (日)

宇都宮4日目

日曜日ですが、土曜日同様、いつもと違う様子でしたね。

昨年の今日は一番の成績で、途中経過を見てみると、今年は昨年より悪そうだった。

ところが終わってみれば、そこそこ行っちゃったらしく、まあ、たいしたものだな。

これも、地震があれ放射があれ、栃木県に住んでくださっている方々のお陰です。

 

今日はおなじみさんがたくさん来てくださった。

紺邑はすばらしい成績で、自己満足。

 

終わってから懇親会。

楽しいひと時を過ごし、根性で電車を使って帰ってまいりました。

恐れ多いことに、村井先生に迎えに来てもらっちゃった。

 

明日も一緒に出勤です。

2011年8月20日 (土)

宇都宮3日目 放射能

土曜日ですが、宇都宮は工場の多いところらしく、土・日がお休みではなくなっているとの事で、以前と少し違う感じもしました。

終わってみれば、たいした成績で、前年も予算も大幅にクリアーしています。

 

那須にお住まいで、東京にも家を持っているOさんが久々にご来店くださった。

「地震が大変だった。死ぬかと思ったわよ!」とおっしゃる、御年70過ぎでしょうが、お医者さまの奥さん。

「結局、東京に戻るしかないかもね」とも。

「あんな大きな地震は、もう来ませんよ」と慰めたけれども、「私もそう思うけれど、孫たちも友達も、誰もこなくなっちゃったのよ」とお嘆きだ。

つまり皆さん、地震よりも放射能が怖いらしい。

 
 
那須高原は別荘地だし、余生をそちらで過ごそうという方々も多いと聞きます。

「高原の人たちはね、お金持ちでしょ。だから皆さん、長野へ引っ越そうかって考えてるみたい」と教えても下さった。

  
栃木県でこれですから、福島県と被災地はもっと大変でしょうね。

 
 
私は栃木県で生まれ育ち、途中東京に出はしましたが、今も栃木県に住んでいる身としては、何があっても栃木県と心中する覚悟だし、もっと大きく言えば、日本とだって同じです。 

出来ればたくさんの人たちに栃木県に来ていただきたいし、住んでいただきたいが、住んでいる人が嫌がるようでは、困りましたね。

 

2011年8月19日 (金)

宇都宮2日目

2日目も、作新学院の仕合の影響で、お客様の出足が悪かった。


もう解っていますから、こちらも慌てることもない。

ところが、仕合が雨で中断して伸びているという。

お客様の出足も、伸びると言うことだ。

 
宇都宮も大雨になってきたらしい。

っと言うことは・・・(涙)

 

ところがギッチョンチョン、ご常連やこの催事を楽しみにしているお客様は、ちゃんと来て下さる。

ありがたいし、さすがに16年も続けてきただけのことはある。

 

16年前、私が声掛けして始まった催事だけれど、西の職人達は、東京から北に来たことのない連中だったし、宇都宮も知らなかった。

準備の日に、彼らと社員入り口で会ったときは、涙が出るくらいありがたかったのを想い出します。

 

ご時世もあって、私の体力と能力の問題もあって、今年からこの催事を、ブラシ屋の旦那の企画会社に委ねています。

そうしましたらね、私はもの凄く楽でね、この催事のために結構働いてきたんだなと、我ながら実感しています。

こんな事をしてきたのは、日本では、熊本の刃物屋、大阪の蜻蛉玉両先輩など、ごくわずかだと思います。

 

付き合いが長くなると、百貨店の担当者も変わります。

皆さん偉くもなったし、リタイアなさった方もいる。

現店長は、16年前の担当部長だった。
 
 

ゆっくりお話ししたけれど、感慨深かったなぁ。

2011年8月18日 (木)

東武宇都宮百貨店 初日

東武宇都宮百貨店の「にっぽん全国職人の技展」が始まりました。

ご近所の村井先生も出展されているので、ご一緒に車で出勤です。

朝八時に出て、国道293号線を走り、九時過ぎに到着。

  

村井先生は、高速道路を使いません。

度々、広島県福山市まで行くのですが、26時間かけて下の道を走る。

これが作家の作家たる所以で、いつぞや青森から閑馬に来た画家も下の道を走ってきましたが、彼は「高速道路はただ走るだけで時間の無駄です」と言っていたし、村井先生も「あれ(高速道路)は、ただの川です」とおっしゃる。

下の道をゆっくり走れば、良い景色に出会えば止まって眺めることが出来るし、人との出会いもあるということらしい。

私もそう思うが、我々現代人は時間に追われ、ただ急ぐだけで、時間を無駄に使っているのかもしれませんぞ。

この辺りを伝えることが、我々工芸や芸術の、社会的役割りの一つのようにも思うな。エネルギー問題も然りです。

 

さて、開店してみると、「あれ!どうしたのかな?」と思うほど、お客様が入ってきません。

作新学院の試合があったのですね。

「なるほど、これで百貨店に来るようじゃ、栃木県民じゃない!」なんて冗談を行っていたら、逆転勝ちしたという吉報が入りました。

そうしたら、続々とお客様がご来店。

ありがたい初日となりました。

紺邑も、大きな売り上げになった。

 

帰りも国道293号線を使って帰って参りました。

19時閉店で20時に着いた。

割合、早いな。

2011年8月17日 (水)

中学生達

閑馬小学校の紹介で、田沼西中学校の生徒達が藍染体験にやってきた。

生徒15名に、先生3名。

宇都宮の飾り付けは、洋子さんに行ってもらって、工房のお手伝いを、急遽、ご近所の磯さんにお頼みした。

この人ほど顔の広い人を知らないが、三人の先生方全部お知り合いで、後からいらした校長先生とも親しい。

凄い人だ。

 

さて、その写真は、後で先生に送ってもらうことにして、終わってみると身体がくたくた。

でも「染めなきゃ!」と思って、己にむち打ちながらお仕事。

 

お陰で、良く染まりましたね。

メモ代わりの一席です。

2011年8月16日 (火)

「アート街道66」Website 誕生!

栃木県佐野市の田沼地区から、紺邑のある閑馬を抜け、群馬県桐生市の大通に至る街道を、県道66号線といいます。つまり、ルート66!

我々団塊の世代には懐かしいアメリカのテレビ番組に「ルート66」と言うのがありますが、若い方はご存じないだろうな。

当時のアメリカを代表するスポーツカー「コルベット・スティングレー」を駆って、シカゴからL・Aまでを旅する二人の若者の物語です。

主題歌も大ヒットしたし、私の愛唱歌でもある。

ご近所の青木さんなんて、アメリカまで行ってルート66を車で走ったそうな。

 

さて、佐野のルート66周辺に、いつの間にか工芸やクラフトの作家達が集まっていました。

示し合わせ、紹介し合って集まったわけではなく、顔見知りというわけでもない。

 

ある日、地元の雑誌「渡良瀬通信」が、この作家達を特集してくださった。もちろん、私もです。

そこで初めて知った方々の如何に多いことか、驚いてしまいました。

この機会に、作家達のネットワークを作り、それぞれに刺激し合い、助け合えたら良いなと考え始めちゃった。

 

渡良瀬通信編集長の野村さんとは、もう30年来の友人だから、彼にも頼んで皆さんにお声がけして、紺邑にお集まりいただいた。

そして出来たのが、佐野に集う作家達「アート街道66」というネットワークです。

 

参加作家は、基本的には県道66号線周辺で活動している人。

入るのも自由、辞めるのも自由で、なんの制限も決まりも無し。

 

イベントをやろうと言うことになった。

題して「アート街道66展」。

先ずは言い出しっぺの紺邑で、第一回目をしました。

イベントをするには、代表が要るというので、私が便宜的に実行委員長となりましたが、別にリーダーというわけではない。

やってみたら、600人を超える人達が、山の中の紺邑に来てくださり、思わぬ大成功。

そこに来てくれた東武宇都宮百貨店の催事担当酒見さんが、「うちでもやりませんか」となって、百貨店で展示会までやってしまった。

 

今度は、ホームページを作ろうと言うことになった。

ところがです、この作家達の中には、パソコンどころかテレビを持っていない人もいる始末。

インターネットもしていないくらいですから、みんなでホームページを作るなんて難しいだろうな、とは思った。

そこになんと、ご近所の吉田さんが手を挙げてくださり、「作りましょう」と言ってくださった。

ボランティアですよ。

ただし、写真がキモだと彼は言います。

 
 
佐野メディア」という雑誌に、私が紹介されたときのカメラマンが素晴らしいから、あの人に頼みましょう!と言うことになった。

これだけはさすがにちょっとお金がかかる。

とにかく、皆さんに一度集まってもらって話しをして、参加する人だけで作ってみようと言うことになった。

宴会を兼ねて紺邑で会議をしてみたら、全員参加するという。

パソコンもテレビもない人もやるという。

こっちが驚きましたが、それがついに出来上がり、ネット上にアップされました。

 

いつものように説明がくどいけれど、美しいと評判のWebsiteを、是非、ご覧下さいませ。

アート街道66 手仕事の作家達 ~on Route 66 in Sano~

 

2011年8月15日 (月)

灰汁(あく)とふすま

藍染の液が、この暑さで醗酵が進みすぎたらしく、変な臭いもするし、色も落ち着かなくなった。

そこで、手入れをし、新しい液も建てる(醗酵させる)ことにしました。

 

先ずは、灰汁(あく)を少し温めて入れます。

灰汁とは、お湯を入れた容器に木灰を入れ、攪拌して、灰が底に沈んだ後の上澄み液のことです。

木灰は、樫や楢や椚などの堅木を燃やした灰を、細かな篩で振るった細かでサラサラした物を使います。松や杉や藁は使えません。

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灰汁は、何度も攪拌して使います。

この場合、強すぎてはいけません。つまり、一度目や二度目に取った物ではダメだと言うこと。今回は、4番目を中心に、調合しながら使いました。

どう調合したかというと、手触りと勘です。Phメーターは持っていないのです(笑)。

 

次に、ふすまを入れます。

ふすまとは、小麦を粉にひいたあとに残る皮のこと(出来れば麦偏に皮と書きたいけれど、変換しないのでひらがなにします)。

それを、時間を掛けて炊きます。

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ふすまは、デンプンと食物繊維とミネラルを含んだ良質な食品だけれど、どうも旨くないらしい。

だから、人間は普段は食わないけれど、藍のバクテリアにはとても良いエサになるのですね。

何故炊くかというと、食物繊維を柔らかくしてバクテリアが食べやすくすることと、消毒の意味があるのだと、親父殿に教わりました。

これを、藍甕の縁沿いに入れて行きます。

これも適量で、勘です。

 

そして藍の液は元気になりまして、良く染まるし、色もきれいになった。

私の手をご覧頂きたい。

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こんなにきれいになりました(^o^)


2011年8月14日 (日)

久し振りに怒った

ここのところ、毎日肉体労働ばかりで、多少の疲れはあるけれど、今日も一日中藍染をしておりました。

そこに電話が入り、どこそこの誰べえですとの挨拶もなく「昨日のあれはどうなりました?」と突然話し出した。

忙しい最中でもあり、思い出せず、一瞬「ん?何だったかな??」と思って「なんでしたっけ?」と聞くと説明を始めた。

某百貨店からの電話だと理解して、「ちょっと待ってください」というと、昨日の約束だったからか、私に「社長!緊張感が足りないんじゃありませんか」と説教を始めた。

確かに答えられなかった私が悪いが、百貨店の人間に「緊張感が足りない」などと説教を食らう覚えはない。

ましてや年下だし、会った覚えもないし、私は彼の部下でもない。

取りあえず、仕事の話しだからそれを済ませることにした。

 

一段落して染め始めたら、腹が立って修まらなくなってきた。

そこで、電話。

「緊張感がないとは、何という言いぐさか。私は組織の人間ではないし、あなたの部下でもない。小さいながらも、夫婦二人で一生懸命生きてきた。それを『緊張感がない』などと、百貨店の人間に説教をされる覚えはない。たとえあなたが、部長であろうが取締役であろうがだ。私は、仕事の責任は取る。あなたもそのつもりなら、説教をする前に、私に責任を取らせたらどうだ。私の出入り禁止くらいにしてみてから云え。なんなら今でも、辞めさせてもらって結構だ」とね。

私は、本気です。

何のために藍染をしているか、私はその意味を知っている。

それは、私の生き方だ。

百貨店の社員に、「緊張感がない」などと言われてまで出店する必要もありませんからね。

それに、その百貨店の催事に出るために、他を断ってもいるのだ。

 

百貨店の担当者には、友達もいる。

彼らは、こんな事は思っていても決して言わないだろう。

何故なら、立派な社会人だからです。

もし思ったら、次回から呼ばなきゃ良いことだ。

それが、社会という物だ。

 
 
私くらいの歳になると、百貨店の社員には、人生の先輩はほとんど居ません。

退職なさっているか、その直前の役員達ばかりだ。

親しい彼らなら、親しみを込めて、または心配して、または心を込めて「緊張感をもて」と言う可能性はあるな。

先輩だし、付き合いもありますからね。

そういう人が一人だけいます。某日本で一番大きな百貨店の金子さんだ。

親しいし、先輩だし、長い付き合いだし、不断の付き合いがある同志でもある。

 

さて、これからどうなりますやら。

彼は「私にはそんな権限はない」という。
 
私は、辞めさせてもらいたいけれどな。

 

でもね、こういう事は、百貨店と私が直接取引をしているからで、間に企画会社が入っていれば、クッションになって問題も起こらないだろうな。

 

まあ、長くなりましたが、腹立ち紛れで、大変ご迷惑さまでしたm(_ _)m

明日から出直します(^o^)


2011年8月12日 (金)

藍染の「洗い」について

藍染で肝心なのは、洗いです。

洗いは、染めた布や糸についた灰汁を洗い落とし、酸化を促し、冴えた色を出し、色移りを防ぐ。

灰汁を使わない藍染は、洗うと色が抜けるかも知れませんが、灰汁を使った藍染めは、洗うと冴えるのです。

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紺邑では、写真のように、布も糸も、染める度に毎回洗っております。

つまり、染めては洗い、洗っては染めるの繰り返しです。

その間、天日干しが出来れば尚更良いのですが、こればかりは天候に左右されます。それによって、藍染の強さが変わる。

 

「洗い」の手間を省くと、冴えた色が出ず、色も落ちやすい。

ここに、正藍染めでも「色落ち」する物があると、私が言う理由があるわけです。

 

ところが型染めは、そうはいきません。

洗いが過ぎれば糊が落ちて、本来柄になるべきところに藍が入ってしまう(これを「泣く」といっています)。

私の場合は、中乾しをしっかりするけれど、それでも色落ちは防げません。

どうするかと言うと、染め上がった物を寝かせるのです。

それも、数年。そして、洗う。
 

でもね、今の消費者は藍染を知らないし、紺屋もそんなに待てない。

だから、色止めをしてしまう。

色止めはコーティングでしょうから、藍が酸化できなくなる。

だから、色がくすむし、年を経ても良い色にならない。

 
難しいですね。

 
そうするとね、型染めの世界に、「清まし建て」という藍の建て方が出て来るのです。

これについては色々ありますから、今は書かないことにします。

 
 
ネットを調べていたら、天然灰汁醗酵建てでも、色が移るかも知れないという紺屋さんのホームページがあった。

だから、なるべく他の物と一緒に洗わないで欲しいと。

もし、本当に天然灰汁醗酵建てならば、「洗いが悪い」と、この紺屋さんは気づかねばなりません。

何故なら、酸化した藍は、落ちても色移りしないからです。藍染を着ていて下着が青くなったら、洗えば取れる。色移りが無いのですからね。

色が移るというのは、酸化が不十分だということの証しに過ぎません。

 

さて、「天然灰汁醗酵建て」という言葉についてですが、私の考え方は、このブログに書いておきました。

よろしければ、お読みいただきたい。

それにしても、当たり前のことに、随分大仰な名前を付けたなと思う。

2011年8月11日 (木)

「アート街道66」のweb site

「アート街道66」のホームページが出来つつあります。

題しまして「art66」!

  

紺邑と言うより、私、大川公一のホームページも出来つつあります。

写真も新しく、仮アップ!

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どうぞ、ご覧下さい。

2011年8月10日 (水)

徳島県の「阿波藍」の認識

また藍の話しで、恐縮至極に存じますけれど、私のように、阿波藍を使い、長く藍染に従事し、日本中で販売してきた身には、他人事ではありませんのでご辛抱願いたい。

 

さて、藍は日本中で作られておりました。

その中で、阿波藍は日本一だった。

何故なら、質が良かったからで、その為に、藍農家と藍師の涙ぐましい努力があったことは書いて参りました。

そして、阿波藍を使った日本中の紺屋もまた、美しい色を出すべく、努力をしてきた。

 

現在の徳島県の「阿波藍」と「藍染」に対する認識は、こんな程度ですからお読みいただきたい。

阿波藍メッセ2011
▽▽▽▽
▼ 藍染体験教室

徳島県立城西高校の生徒さんが自らの手で“すくも(阿波藍)”を作りあげました。
その“すくも(阿波藍)”を使って開催する藍染体験教室です。
絞り染めでオリジナルのハンカチを染めませんか。
日時 平成23年9月19日(月・祝) 受付 午前の部10:00〜11:00 午後の部14:00〜15:00
場所 文化の森 シンボル広場(雨天の場合 近代美術館3Fアトリエを予定)
入場 無料(染めるハンカチを含む)
汚れてもかまわない服装で参加してください。エプロンと手袋をお貸しします。
△△△△

二代目佐藤平助さんが、阿波藍を如何に語ったかを読み返していただきたいが、今の徳島県では、高校生が阿波藍を作れるのだそうだ。

そして、簡単に藍染が出来るという。

  

現在5人いる徳島の藍師の仕事は、高校生に出来るような簡単なものなんですか。

紺屋の仕事も、そんなに簡単なのでしょうか。

 
ならば、藍師も紺屋も必要ないじゃありませんか。
 
 
これもまた、阿波藍の自己否定だが、他人事じゃない所以です。


 

2011年8月 7日 (日)

阿波藍の自己否定

「阿波藍」とは、現在の徳島県で作られる藍染の原料のことで、決して藍染のことではない。

だから、「阿波藍染」などと言う言葉もない。

阿波藍が何故隆盛だったかと言えば、日本全国の紺屋(藍染屋)が阿波藍を使っていたからだ。

徳島県内(阿波の国内)だけの消費なら、全国に名を馳せるほどの隆盛などあり得なかった。

  

そして、日本中の紺屋が何故阿波藍を使っていたかと言えば、質が良いからだ。

その為に、阿波の藍師は、土作りから努力した。

二代目佐藤平助さんは、「藍というもんは十年、二十年作るうちに、藍の心がわかるようになり、愛情がわいてくる。ほだけんど、藍の気持ちは毎年、同じじゃないわの」と語った。

それは、阿波藍を使う紺屋も同じだ。

 

さて、ある都市のお客様が、徳島県の物産センターに行った。

藍染を買ったら、色が落ちて色移りがした。

「どうしてですか?」と聞いたら、「本藍染だからです」との答え。

「そんなはずはありません。本染めの藍染なら、色移りはしないはずです」とその方が言ったら、「え?」と絶句。

「調べてみます」と言ったけれど、未だに答えはない。

徳島県の人が、如何に藍染を知らないかという典型のようなお話しだ。
 
 


「阿波藍×未来形」プロジェクトというのがある。その概要には・・・

▽▽▽▽
「阿波藍再考 藍千」を合い言葉に、天然染料ならではの阿波藍の美しさと、歴史的文化的な物語性を併せて発信し、阿波藍を取り入れた新たな生活スタイルや価値観を創造するなど、「阿波藍」の魅力を国内外に発信する「阿波藍×未来形」プロジェクトを展開。
多彩なイベントを通じて、阿波藍の魅力を発信することにより、徳島が誇る伝統文化「阿波藍」を活性化させ、未来へと継承・発展させていく。
△△△△
 
こう書かれている。
 

さて、「阿波藍の美しさ」とは如何なるものか。

阿波藍とは、藍染の原料の事だと、私はしつこく書いてきたが、たぶん、「阿波藍を使った藍染の美しさ」と言いたいのだろう。

それは、徳島の藍師が表現してきたわけではない。

阿波藍を使った、日本中の紺屋がしてきたことだ。

 
そして、「天然染料ならでは」なんて簡単な物じゃない。

そんな物は、日本中に当たり前にあった。

何故、阿波藍を使うと美しい藍染になったかという視点が、全くない。

そこには、土作りから、栽培から、水打ちから、寝床の作り方から、藍農家と藍師の努力の賜のはずだ。

それも無しに、「歴史的文化的な物語」などあるわけがない。

  

「阿波藍を取り入れた新たな生活スタイルや価値観を創造」とある。

阿波藍とは、藍染の原料のことだ。

それを取り入れた「生活スタイルと価値観」とは如何なる物か。


それを前提に、この概要全てを読んでご覧なさい。

馬鹿馬鹿しい限りだ。

 

とくしま円卓会議H22,10,31「阿波藍の認証制度」】というのがある。

▽▽▽▽
さらに、「阿波藍×未来形」プロジェクトのキャッチフレーズとして作成した「阿波藍再考 藍千」のロゴマークを今後も活用していくため、商標登録手続きを進めており、このロゴマークを使用した「阿波藍製品」の認証制度についても関係者と協議中であります。
△△△△

こう書いてあるが、「阿波藍製品」とは何か?

阿波藍とは、藍染の原料のことですよ。

 

平成22年度文化立県とくしま推進会議・4大モチーフ全国発信事業【阿波藍の魅力~暮らしの中に息づく色(仮称)~(案)】というのもあった。

▽▽▽▽
1 企画意図
阿波藍の伝統を継承・発展させることを目的に、次の事業に取り組む。
①色の冴え、独特のにじみ、色むらなど天然染料ならではの阿波藍の美しさと歴史的文化的な物語性を併せて発信する。
②阿波藍を取り入れた新たな生活スタイルや価値観を創造する。
△△△△

「阿波藍の伝統」とは何かと言うことが、全く欠落しいますね。

 

徳島県立農林水産総合技術支援センターの資料に【藍に親しみ藍を楽しむ】というのがある。

ここには「阿波藍の歴史や藍についての情報は、こちらをご参照下さい」と書いてある。
 
内容を見れば、すくも作りも藍染も、何と簡単にできることか。

そこには、阿波藍を作ってきた藍師の努力の欠片も書かれていないし、それを使って素晴らしい色を出してきた紺屋のそれも、全く書かれていない。

 

このシリーズの「徳島の藍 2」をお読みいただきたい。

▽▽▽▽
これ(阿波藍の振興策)も調べてみましたが、やはり気になるのは、「阿波藍」と「藍染め」の混同です。

何度でも書きますが、阿波藍とは藍染めの原料のことだ。

阿波藍の振興とは、阿波藍を使う紺屋を増やせば良いことで、それ以外にない。

では、紺屋はどこにいるかというと、日本全国です。

藍染さへも徳島県の特産にしてどうしますかね。

阿波藍を、徳島の紺屋だけに使ってもらうことで良しとでもするのでしょうか。
△△△△

十数年前までは、徳島県でも阿波藍を使った栃木県の藍染が売れたのです。四国の松山でも高知でも高松でもです。

 

最近、藍染を販売していると、「徳島県ですか?」と聞かれるようになった。

藍染の本場は、徳島県だと思われるようになったのです。

藍染の歴史を見れば、実に馬鹿馬鹿しいことだけれど、原料の産地の徳島県が、公費を掛けてそれを宣伝しているのだからどうしようもない。

他の県や自治体に、そんなことをするところなんてありませんから、徳島県の一人勝ちだ。

そして、徳島県以外の藍染が売れなくなり、阿波藍を使う紺屋が減る。

 

日本の阿波藍を使う紺屋は、徳島県の「阿波藍振興策」によって滅ぼされ、阿波藍を使う紺屋が減り、事実減っていて、阿波藍が滅びに向かう。

これを阿波藍の自己否定と言わずして、なんと言いますか。

 

徳島県は、阿波藍を滅ぼすおつもりですかね。
阿波藍×未来形プロジェクト


 


 

 

2011年8月 6日 (土)

久々にライブ 那須高原へ

歌を唄いに、那須高原に行って参りました。

同じ栃木県内だけれど、別荘地として有名な那須高原に、初めて行きました。

驚いたのは、その町並みの美しさ。

なるほど、軽井沢と並び称されるだけのことはあるし、ご用邸もあるはずです。

 

レストランやコーヒーショップなど、おしゃれな店が沢山あって、その内の一軒

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「ジャズ・コンサート」と銘打たれていましたが、店のオーナーが「4ビートが始まると、お客様は寝ます」なんておっしゃるので、皆さんが知っているだろうと思うポピュラーな物を選曲しました。

Over the rainbow Day by Day Star dust All of me Mona Lisaと、お馴染みのスタンダードから始めて、You are the sunshine of my lifeなんて言うポピュラーも入れ、リクエストがあったので、ビリー・ジョエルのHonestyとNew York State of mindなんていう変わったところもやり、Summer Timeで締め。

アンコールがありまして、Route66をやってお仕舞い。

約一時間半のライブをこなして参りましたとさ。

 
まあ、良かったんじゃないでしょうか(笑)

 

お客様の中に、「カリスマ整体師」と呼ばれる人がいらした。

どういうわけか、リハからお付き合いして下さいまして、リハが終わった後、私に横になれとおっしゃる。

背筋と肩胛骨をちょいちょいといじり、両肩の関節もちょいちょいといじったら、あら不思議、肩の痛みが取れて動くようになりました。

実はここのところ、肩の痛みに悩んでいたのですが、私の姿を見て直ぐにそれが解ったらしいのです。

なるほど、カリスマだ。

私は、この人に会うために、那須に呼ばれたのではないかとさえ思いましたね。

しかしです、この方はリタイアしてしまったそうで、残念でなりません。

 

疲れはしましたが、ギャラも頂き、泊まらずに帰ってきました。

佐野田沼インターが出来て、1時間で帰ってきてしまうのです。

便利ですなぁ。

2011年8月 4日 (木)

日々雑感 大槌町のことなど

ふと気づいたら、ブログにあながあいておりますね。

こういうときは、藍染にいそしんでいるわけですが、様々なこともあった。

 
 
まずは、私の誕生日。

どうということもなく、大好物のリーフパイでお祝い。

 
 
岩手県大槌町から、セイブ・イワテの木村さんが報告にきて下さった。

改めて書かなきゃならないけれど、未だに食料が足りません。

お気持ちのある方はぜひ、お米、保存の利く食料、野菜、日用品などをお送りください。

  

子供たちが、元気がないそうです。無理もありませんが、親はつらいでしょうね。学校では元気な振りを一生懸命しているから、世の中にそれを知る人が少ないようだ。

これから色々な事が起こるでしょうが、仮設住宅を作って事足りるわけじゃないと、政府は思い知らなきゃなりません。首相は十分にやっているといいますが、そんなことを言える神経がわかりません。

  

涼しい日が続いています。

まるで梅雨が戻ったようです。

藍染には良いとはいえませんが、寝るには実によろしい。

 
 
10時まで起きていられません。

 

2011年8月 1日 (月)

阿波藍 「手板法」

「正藍染」という本をご紹介したけれど、記述全てが信頼に足るというわけではありません。

私は藍染に限っては専門家だから、記述の内容が解ることもあるのです。

例えば、草木染めから見た藍染には誤解があるし、現在と同じように、臭いにも色落ちにも色移りにもそれはある。

昭和52年だからといって、そこに正しい記述があるなんて事は決してありません。

 

それはそれとして、面白いと感じるところを参考にしながら書いてみますと、二代目佐藤平助さんのところに「手板法」というのがある。
 
出来上がったすくもの、質の良し悪しを見る方法です。
 
  

まず、少量のすくもを掌にとってみる。

それにほんのわずかな水を加え、小さなヘラでよく寝る。

その作業の間に、感触、色、ねばりなど、さまざまな角度から染料としての適度を見て行く。

最後に、そのすくもを手板紙と呼ばれる加賀和紙にすりつけ、日射しにかざして、藍の色相を観察する。

 
良質のすくもは赤味をさしていて、手板紙にすりつけると、茶色にしかならない。

逆に、質の落ちるすくもは青くなる。

 
書けば簡単だけれど、当然のことながら、経験と熟練、勘が必要となる。

 
これを書いている中谷さんは「不思議なことだが、赤味のあるすくもほど、鮮やかな藍色に染まり、青いすくもほど藍が落ちやすい」と書いていますが、藍染めの液も、全く同じですね。

 
 
そして佐藤平助さんはこういった。

「苦労させた藍がすくもになると、その汁は赤黒い青味になるわの。ほんなすくもは糸を染めて、すぐに水で洗うても、落ちんがの、藍が。ほんでも無理に温度を上げて、日数をけちったすくもは、紙につけると真っ青で美しいが、糸を染めると、水に落ちて染まらんわの。藍に問うんだの、水を食いきったときに。そのとき、藍は答えてくれる。水が多かった、少なかった、というように」。

藍は、作り手の心を現すと、佐藤さんはおっしゃる。作り手が不機嫌なら、出来たすくもも不機嫌だと。
 

母上が亡くなり、心乱れたとき、郡上八幡の渡辺庄吉さんという紺屋さんに「今年のすくもはいつもと違う」と言われたと言います。
 

渡辺さんは、我々紺屋にとっては大先輩ですが、「すくもを藍甕の中に入れるとき、無造作に放り込んだときと、大切に入れたときとでは、染め上がりが違う」とおっしゃったそうな。

紺屋として、肝に銘じなければいけませんね。

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