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2011年9月

2011年9月30日 (金)

アート街道66展 at一乃館 初日

今日は赤見温泉の一乃館で開かれる「アート街道66展」の初日。

私は、午前中は全盲の方々の団体が工房にいらっしゃるので、午後からになる。その間を、ご近所の溝越さんに店番をお願いしました。

 

総勢24名をお迎えするために、朝早くから工房を片付け、お掃除をして椅子を並べる作業を一人でやりました。椅子が足りず、2階から下ろすだけで重労働だ。

ハアハア言っていると、ご近所の磯さんが来てくださった。なんと、おにぎりの差し入れ。何も食べていなかったので大喜び。また、磯さんのおにぎりは格別美味しいのです。

  

そうこうする内に、皆さんバスでご到着。

全盲ですから、それぞれにサポートする人が着いている。しかし、目を貸すわけには生きませんから、説明をどうしようか少し悩みましたね。なにせ、藍染の色の変化を、言葉だけでお伝えしなきゃなりません。

丁寧に丁寧に説明し、時に笑いもあり、ハンカチを染めながら、楽しい2時間をお過ごしいただいたと思う。

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途中、溝越さんからお電話いただき、私が行くまで待ってくださるというお客様がいらっしゃるというので、急いで一乃館へ。そうでなくても、どうなっているのか心配はしておりました。

 
 
広い駐車場に入ると、車が一杯。

「こりゃすごい!」と、一安心。

会場に着くと、それなりにお客様がいらして、もう一安心。

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着いた途端、みんなが「溝越さんが大変だったのよ」と私を責める。

そりゃそうで、値段も書いていなかったのに、お客様が沢山来てくださったとのこと。

溝越さんには、ご苦労様でした。

 

佐野ケーブルテレビの午後五時の番組で紹介されると、連絡がありました。

東京新聞と下野新聞の取材も受け、たぶん、明日の朝刊には載ることでしょう。

土日は、沢山のお客様がお見えのことと思う。

それに答えるだけの、見応えのあるイベントになっていると思います。

 
 
夕方5時過ぎまで、忙しく働かせていただきました。

こう見えても実行委員長ですから、みんなが帰った後、ドアを閉めるまで会場とお付き合いをして帰って参りました。
 
 

正直、体力をつかいはたしております。

しかし、酒が旨いから、全て良しだ(^_^)v

2011年9月29日 (木)

ブログの効用

このブログは、オンセの高江さんに進められて始め、ラタンの小峰さんに「毎日書いているかい?」と励まされてここまで来ました。

読者も結構いらっしゃるようで、実にありがたいと思っています。
  
 
これをビジネス化しようということは端から考えていませんでしたし、どうも、そういうことが出来ない性質だと自分を認識しだしていますが、昨日、福井の読者から、「大変興味あるから、10月伺いたい」というお電話をいただいた。

こういうことは、ブログを書く良い刺激といいますか励みといいますか、動機付けになりますね。ありがたいことです。

 

藍染めという、誤解の多い世界に生きておりますと、マスの世界じゃ多勢に無勢で、私なんか直ぐにつぶされてしまうでしょうが、こういう情報伝達機能は、ありがたい文明の利器でありますね。

いや、藍染めだけじゃない。伝統的な民工芸すべてに言えるかもしれません。

その意味では、facebookなんかの登場は、より多くの人に親しく語れる機会が増えたということでしょうね。

 
惜しむらくは、我々の世界は、こういう便利なものを活用する人が少ない。

なぜかといえば、そもそもが「便利」と反対側で生きているからなんでね、またそれが、本当のことが出来るってことで、世の中ママなりませんな。

2011年9月28日 (水)

溝越さんとコンサルタントと

「秋の長雨」と云いますが、秋は思ったより雨が多いらしい。ましてや女心のように移ろいやすく、お天道様が貴重です。

今朝も晴れるというので、6時過ぎに洗い物を始めた。これをしなければ、水槽が空きませんから染めが出来ないし、仕上げもできない。

 
裏口から「おはようございます」と、ご近所の溝越さんが、愛犬ボブを連れて入って来た。朝のお散歩の途中に、お寄りいただいたというわけです。

早朝だし、おかまいも出来ませんでしたが、四方山話を沢山。

干し物をしていると、「物干しは要りますか?」とお聞きになるので「もちろん」というと、「後でお持ちします」となった。
 
 

お帰りになった後は、いつもの通りに藍染。

午後になって、「どこに置きますか?」と、また溝越さん。軽トラックで物干しを持ってきて下さった。

お陰様で乾し場が増えて、仕事が楽になります。感謝m(_ _)m

 

溝越さんとお茶を飲んでいるところに、コンサルタントの勝沼さんがおいでになった。

企業診断をしていただくと、大分改善しているといわれ、少し安心しました。

 

それにしても、経営というのは難しいことで、私は反省しきり。

何があったとしても、社長の私の責任。

 

夕方、札幌に商品を送りました。

もちろん、「ネコ」でです。

 

今日は一人で晩酌。

明日は、アート街道66展の準備です。

 

2011年9月27日 (火)

秋の一日

一人になりますと、やることが沢山ある。

午前中は、染めたものの洗いと事務仕事に追われ、気がつけばお昼。

息子と二人、野菜一つ入っていない焼きそばで、「野菜を入れないとちょっとしょっぱいね」なんて言いながら昼食をとり、午後から藍染め。

そして、昨日の「大変なこと」も、何とか15時には三越に納品され、展示が終わって直ぐに、ウールのショールが売れたという、うれしい知らせも入った。

 
夕方疲れて、染を止めようと思ったら、「裏地を染めて」と家内に言われ、それからなんと12メートルも染めた。

裏地は、染め斑を気にしませんから、藍染めの中では一番楽なんです。

 

ようやく終わって、息子と買出し。

惣菜を買ってきて、二人で晩酌しながら夕飯。

涼しくなれば、酒は日本酒。

二合徳利を三回つけて飲んだらいい気分。

2011年9月26日 (月)

大変

【大変】を辞書で引くと・・・
1 重大な事件。大変事。一大事。
2 物事が重大であること。また、そのさま。
3 苦労などが並々でないこと。また、そのさま。
っとありますが、文字通り、大変な一日でした。

 

先ずは女房殿が、明日からの札幌三越で開かれる「日本の職人『匠の技』」という催事に出展するために、バスで羽田に向かうことになった。

バスターミナルに送ってゆく途中、「飛行機のチケットは?」と云う。

なんと、家に忘れてきたらしく、取りに戻ったら、バスに乗り遅れた。

 

電車やその他のバスの時刻表を調べたら、何をやっても飛行機に間に合わないので、私がそのまま、車で羽田に送って行くことに。

午前8時15分に佐野を出て、途中混んだけれど、10時ちょっと前に羽田空港に着いた。飛行機は11時発ですから、余裕だ。

 

やれやれと昼過ぎ家に着くと、札幌から「あのー、御社の荷物が届いていないんですが、調べてみてくれますか?」と、企画会社の小山さんから電話。

そんな筈はない。なにせ、小田急町田店を20日に終わり、そのまま23日必着で札幌に荷物出ししているはずだからです。日程に、もの凄く余裕があった。

荷物を預けた佐川急便に電話したら、「台風の影響で、荷物が着くのは明日になります」と、暢気な答えが返ってきた。

台風なんて、そりゃあ、大きかったけれど、あっという間に通り過ぎたはずだ。そんなことは、日本の常識。

ましてや、23日必着で出している荷物が、27日になるとは何事か!

遅れるなら遅れるで、言ってくれればこちらで対処も出来た。

 
それからが大変。

町田小田急担当の高坂君からも、札幌からも、佐川に連絡入れてくれて様々に交渉。

三越は、明日の朝7時に荷物を上げられるようにしてくれた。そうすれば、なんとか開店に間に合う。

佐川に電話して、「なんでも良いから、明日の朝7時に荷物を付けてください。三越にも交渉して、開けてくださるそうです」となった。

やれやれと思ったら、「やはり、明日の15時近くに札幌に着くことのなります」と、佐川から連絡があった。

「そりゃ困る。飛行機出してもヘリコプターを用意してでも、荷物を明日朝入れて下さい。仕事なんですから当たり前でしょ。取りあえず、荷物が今、何所にあるのかだけでも教えてください」なんてことなどをやりとりしても、「済みません、やはり、明日の午後になります」という結論を出されてしまった。

 

私は、仕事に穴を開けたことは、この生涯でワンステージだけ。

長崎の仕事だと思って行ったら、福岡だったことがあり、慌ててタクシーを飛ばして行ったけれど、ワンステージ穴を開けた。

生涯にたった一度だけのことが今、起こりつつある。

いや、今度はまるまる一日穴を開け、それどころか、お客様と三越と他の50人の職人と企画会社に迷惑を掛けてしまう。

佐川急便は、なにをどう考えているというのでしょうか。

「なんとか明日の朝7時にはご連絡できるようにします」というけれど、連絡してくれたって、荷物が着かなければどうしようもない。

台風で間に合わないと分かれば、私が自分で札幌まで荷物を運ぶことも出来た。女房殿を羽田に連れて行き、長崎から福岡までタクシーを飛ばしたようにです。

23日必着の荷物が27日になるなら、それなりの連絡をして対処するのが、仕事という物でしょうに。

 

飛脚はダメだと皆さんおっしゃる。ネコにすれば、こんな事はないとも。

そんな評価があるだけでも、恥を知らなきゃなりませんね、佐川さん。

 

結局、女房殿も明日、開店に間に合うように出勤することになったけれど、商品が無いから何も出来ない。

御来店いただいたお客様に、謝る事しかできません。

電話すると、「今日は大変だったの。羽田で飛行機に不都合があって、45分も待たされたのよ」ですって。

 

これだけ色々あれば、後は良いことしか待っていないでしょう。

「人間万事塞翁が馬」、「人生は糾える縄の如し」と言いますからね。

そう考えるしか、無いじゃありませんか。

手入れ

さあ、染めよう!と意気込んで藍甕の蓋を開けると、今日は色が出ていません。

無いと言うことはないはずなので、手入れを致しますと、しっかりと出て来たので、藍染めは明日に持ち越しだ。

 
ちょうどその時、高橋さん達がいらした。

灰汁に黒砂糖を溶くときに、私がじっと考え込んでいるのを見て不思議そうでしたが、あれは、藍がどの位黒砂糖を欲しがっているかを考えていたんです。

次に嵩上げと、今日は手入れで終わってしまった。

 
灰汁を採る灰が足りなくなってきました。

明日は息子に、篩ってもらうことにします。

何もかも一人というのは、体力が持ちませんのでね。

2011年9月25日 (日)

リサイクル文化の日本

足利市に、【銘仙姿で足利散策 県外から予約殺到、地域おこしに意欲 栃木】というイベントがあったと云います。

産経新聞の記事の中に、「この日は着物をPRする市民団体『AKG(足利着物ガールズ)23』のメンバーも参加し、銘仙姿でイベントをサポートした」とありますが、AKG(足利着物ガールズ)23のリーダーが、岩手県にボランティアに行っている木村さんその人です。


このイベントは、私が知る限り、町おこしイベントとしては出色だと思います。

それは、町並みと、銘仙という足利の産業の歴史を融合しているからですが、もう一つは、日本特有の文化である「着物」を見直しているという点にある。

  

今世界は、地球温暖化とやらでエコロジーが叫ばれ、リサイクルが見直されていますが、日本人のライフスタイルは、正しくエコロジーとリサイクルの文化だった。

江戸時代はゴミ一つ無い時代といわれ、それは1970年代初め、田中角栄の列島改造論により、大量生産大量消費の世界に入るまでなんとか続いた。
 
現在、リサイクル文化の最先端と云われるドイツは、70年代までの日本を学び、今日本はドイツに学ぶ。

歴史の皮肉ですね。

   

日本のリサイクル文化の尤も典型的な例は、人糞の肥料としての利用にあるけれど、きれいな話しでは無いので遠慮することにして、着物に目を向けてみたい。

 
 
着物は反物から作りますが、仕立てたあと、ハギレはほとんど出ません。洋服はどうかなど、推して知るべしです。

お直しし、洗い張りしながら長く長く着られますが、最後は雑巾で終わる。藍染のゆかたは、おしめになった。正しく、リサイクルそのものです。
 

たたんで仕舞いますから、場所を取りません。だから、箪笥などの家具も少なくて済むし、へたすりゃ行李に入れれば済んでしまう。狭い国土と家屋敷に、ピッタリ合っていますし、これこそ、エコですね。

後ろ姿は帯で美しく見せ、帯と着物のバランスも、柄に柄を合わせても美しい。そこに、隙のないデザインの妙味が生まれる。

つまりは、日本の伝統文化の復活こそ、リサイクル文化の実現だと、伝統に身を置く私はつくづく思う。
 
  

灰の利用も然り。

日本人に、植林の文化があったこと。

だから、海が豊かだったこと。

木を切り、家や器を造り、削りクズを燃やして灰を作り、灰は我々染め屋が灰汁を取って色出しや精練に使い、灰汁を取りきった灰は、焼き物の釉薬となる。

灰汁と餅米であくまきを作り、ミネラルたっぷりの保存食にもなる。

今で云う洗剤も、灰だった。

灰を田畑に蒔けば栄養となり云々と、書けばキリがありません。

 
リサイクルを叫ぶ人々よ、反原発を叫ぶ人々よ、願わくば日本の歴史と文化に思いを馳せて欲しいと、心から願います。

なぜ原発が出て来るか?疑問に思う方は是非とも日本の文化を見直していただきたい。

 
 
こんな事を思わせるイベントを、出色と言わずしてなんと言いましょうか!


 


SNS 特にfacebookというやつ

百貨店に出展していますと、「いつ染めるんですかぁ?」と疑問を投げかけられることがある。つまり、「本当は、染めていないんでしょ!」と暗に言っているわけだ。

ある著名な藍染師に、「あの方(私のこと)は、職人ではありません」と言われてもいるらしい。
 
 

私は確かに、染めの職人らしくないのかもしれない。それは、歌い手だという経歴も容姿も関係するのだろう。

「私は藍染めをしています」なんて言うのは簡単だけれど、それをどう証明するかといえば、そりゃ、実際に見てもらうか、信じてもらうしかない。
 
しかし、噂は根拠も無くあるし、人間には、邪推や思い込みってものもあるから始末に負えないときもある。

手が青くなっていても、「わざわざ手を染めている」と噂が立てば、「へぇ、そうなんだ」なんて話にもなるし、世間はそういうものでもある。

 
そんなことを私は全く気にしてはいないけれども、何が言いたいかというと、ネットは便利だということ。

 
このブログで私の日々を書いていれば、染めているなということもわかるでしょうが、これも脚色できないわけじゃない。嘘を書けば良いことですら。

ところが、SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)というやつが現れた。たとえば、ミクシィやフェイスブックなどですね。

これには、なかなか嘘がつきにくい。特に、フェイスブックは実名ですから尚更です。そして「お友達」には、ご近所さんもいれば、家族も仲間もいる。

だから、嘘は直ぐにばれる。

 
これは面白いと、パソコン音痴の私でも思います。

 
たとえばこの写真は、昨日染めたものを、今私が干した風景。

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今、工房にいらっしゃれば、この風景が見られる。


こういうことを時々刻々と発信できるというのは、割合凄いことだと思いますね。

ホームページやブログでは、こうは行きません。って、ブログで書いているところもまた、ネット社会の面白さでしょうかね(笑)


2011年9月23日 (金)

日傘用の藍染

洋傘の中島さんが、日本橋三越本店で藍染の綿の日傘を売った。もちろん、紺邑の藍染。

数日後、そのお客様がまた入らして、「私、生涯でこんなに涼しい日傘は初めて。母にあげたいのでもっとグレードの高い物はある?」とおっしゃるので、シルクの藍染の日傘をお売りした。

ところが、これで紺邑の染めた藍染の日傘は売り切れ。

後は、私が染めない限り、藍染の日傘は出来ません。

予約もあるから、私は日傘用の藍染めの布を染めなければなりません。

 

日傘用の藍染は、特に紫外線に強くなければならない。

だから、目一杯日に焼きながら染めます。つまりは、天気の良いしか染められない。

ところが、ここのところ雨模様。

今日の午後、ようやく日射しが差したので、染め始めました。

 

シルクの広幅の10mの布。

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写真でその大きさがお分かりになるかどうか分かりませんが、これを4枚、灰汁で建てた本建ての藍染で染めるのですから簡単じゃありませんが、分かって下さる方はそれ程多くはないでしょうね。

 

今日は下染めのみ。もちろん、何回も藍染めしている。

この布は一日水に浸けて灰汁を抜き、明日また洗い、天日で干し、今度は柄出しをする。

 

まあ、伝統的な工芸品は、おしなべてこれくらいの手間が掛かっていることなど当たり前ですから、別に苦労話をしているわけではない。

しかし、お分かりになる消費者は少ない。

何故なら、もっと簡単で便利な藍染があるからですが、そんなお話しは、書いても来たけれど、また、ゆっくりと書き続けて行きたいと思います。

 

2011年9月22日 (木)

秋の空と愚痴と

秋の空は、女心のように変わりやすいと云うけれど、今朝は台風一過の晴天だったのに、午後は大雨だ。

お蔭で藍染のローテーションが大狂い。

 

それにも耐えて染め、「アート街道66展」の打合せで、赤見温泉の一乃館へ。

ほとんどのメンバーが集まり、スムースに会議は進みました。

 

帰ってきてまた染め仕事。

染め物を干すことが出来ませんから、仕事もそれなり。

 

干せない物は、明日まで水に浸けて灰汁抜きを致します。

水槽に水が溜まる間、何度やっても失敗してきた無線ランの設定をしてみた。

今日は何故か上手くいきそうな気がしていましたが、その通り、無事設定完了!

もの凄く快適に、このブログを書いております。

 

これから事務仕事が残っておりますが、こればかりは慣れません。

なんとかならんでしょうかね、って、これはただの愚痴でございまするぅ~m(_ _)m

台風 その周辺の出来事

台風15号が来ました。久し振りに、台風らしい台風が通過した感じです。

一説では、51年ぶりに栃木を通る台風とのことですが、そう言えば私は子供の頃、小学校の校庭で台風の目に入ったことがある。あの突然の静寂は何とも云えませんが、歳をとるというのは様々な経験をしてきたと云うことだなと、しみじみ感じます。

 

そんな中、ある人から電話があり、「ねぇ、お宅になんか事件が起こってない?」とおっしゃる。

まあ、無いとは云えないけれど、「事件」と云うほどの事は何もないので「ありませんが、何のことです?」とお聞きすると、「お宅に国税が入ったという話しがあるんですよ」と。

驚いたけれど、その前に大笑いしてしまった。

現状を打破し、国税局が調査にはいるくらいになってみたいとは思うけれど、入る理由もありゃしません。

一昨年、税務署が調査に来たことがあるけれど、正直にやってますから何事もなくお帰りになった位なものだ。

ん!?それとも差し押さえ!!

それも、ありませんですよ。

なんだかんだとお話ししたけれど、「噂というのは怖いなぁ」と言うことで終わりました。

  

噂と云えば放射能。

ある友人のところに家内が行くと、家族で日本を脱出する準備をしていたという。

まあ、自由ですけれど、我が家は少なくとも、日本と心中するくらいの覚悟は出来ております。

それにしても日本人の特徴は、相手に心を寄せ、相手の身になることが出来ることだと私は思っておりますから、東北の被災地や被災した方々の事を考えれば、助け合おうとは思っても、日本を脱出するという選択肢はあり得ません。

  

現在は、情報があふれている。

その中から、何をどう見るかと云うことは、大切なことではないでしょうかね。

それを「批評の精神」と云うのだと、私は思うけれど、戦後はそれを失わせられている時代かもしれません。

2011年9月21日 (水)

町田総括

町田小田急が終わりました。

結果は、今までにない良い成績を収めることが出来た。

前年の250%増しと云うところでしょう。

 
 
ここには何回か出展していますが、一度たりとも満足な成績を上げたことが無く、実を云えば、出展したいと積極的に思う百貨店ではなかった。

担当の高坂君と親しいから、「年に一度くらいどうですか?」と口説かれて、「それもそうだな」という具合で出ているところなんです。

世は不景気だし、三連休だし、隣では九州展をやっていたしと、良い条件とも思えない時期でしたが、今回は十分な成績でした。

中島さんも、良いとは云えないにしても、文句はないと思います。

  

さて、不得手な分析をしてみると、売場の変化があると思います。 
 
 
今までの「匠の技」には、一度に4社出展しておりましたが、それが2社になり、その分売場が広くなり、落ち着きが出て来た。

我々も、ゆったりと陳列できるし、お客様ともお話しが出来る。

元々自力のある百貨店だし、お客様も多いところですから、お蔭で、大きな物が売れるようになりました。

 
 
これは、高坂君の努力の賜だ。

藤沢から転勤して以来、徐々に徐々に変革させてきた。

出展する業者も選別し、グレードアップを図った。

その結果だと思いますね。

 

一方で、我々が出展していて、売上が落ちている売場もある。

そう言うところは、担当者にポリシーもなく、努力もしていない。

どこ?って、高坂君が担当していた、転勤前の売場です。

 

2011年9月20日 (火)

刃物屋の引退

大阪の堺と言えば刃物の産地で、「堺の打ち刃物」と云えば昔から名が通っているし、私もこのブログで、本焼について紹介させていただいております。

そんな堺の刃物屋さんで、古い付き合いの「カモシタ」というお店があります。

大阪の近鉄百貨店上本町店で「職人の技展」が始まったとき、その草創に尽力したのも、「カモシタ」の立花さんという人だった。

代表の藤村さんを陰で支え、売れもしなかった催事を大きくし、それが日本中で今開かれている「職人展」の大元になっているのです。
 
「カモシタ」は、現在の「職人展」の存在の、大功労者の一人です。
 
  

催事の売上が上がり始めると、出展したい連中や、影響力を持ちたい連中から様々な動きが出て来て、「カモシタ」の立花さんや、その他の草創に力を尽くした大阪の人達は、はじかれてしまった。

はじかれた人達の傷は、今でも深い。

はじいた人達はそれに気付きもせず、草創の努力に目を向けることも知ることもせず、催事がどうだ、業者がどうだと理屈をこねる。

そう言う人達へは、神がちゃんと報いを与えているように、昨今、私は感じております。

 

今回の町田小田急は、紺邑と中島洋傘の二人展でしたが、実はその側で、「カモシタ」も出展しておりました。

「カモシタ」と小田急の付き合いは、もう何十年にもなる。

その28年間を担当していたのが、私とも古い付き合いの熊本さんだ。

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ここのところ会う度に、「もう、身体がボロボロです」とおっしゃっていたけれど、遂に、この町田小田急を最後に引退なさることになった。

今日が、熊本さん現役最後の日となりました。

 

朝礼の最後に、担当の高坂君が、「皆さんと長い付き合いだったカモシタの熊本さんが、今日で引退なさいます」と云って、社員一同からの記念品が渡されるというハプニング演出があった。

あいさつを求められた熊本さんは、暫し言葉に詰まりながらも、「私の人生で最良の日となりました」と語った。

彼と百貨店の人達とが、いままで素晴らしい関係を築いてきたことが分かりますね。

 

熊本さんは、とにかくよく働きます。

朝早く出勤して、お客様から預かった刃物の研ぎを始め、閉店後も消灯ギリギリまで研いでいる。

営業中はもちろん研ぎっぱなしで、中島さんも「あんなにまじめに働く刃物屋さんに初めて会いました」と云うくらいなものです。

 
 
熊本さんが引退した後のカモシタには、溝口さんという後継者がいる。

この人もまた、先輩の後ろ姿を見ているせいか、本当によく働きます。

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研ぎは手研ぎで、けっしてグラインダーなどを使うことはない。

研ぎだけで一人前になるには、相当時間が掛かるとは、熊本さんの言。

そう言えば、堺の本焼の職人が、「鍛冶屋は鍛冶屋の、研ぎ屋は研ぎ屋の本文を尽くしていけば、堺の刃物はまだまだ大丈夫だ」と語っていたのを想い出しました。

 

熊本さんには、長い間ご苦労様でした。


2011年9月18日 (日)

町田5日目

書くような成果の何もない日となりました。

土・日は、両方良いと言うことが最近はありません。

昨日の土曜日が素晴らしかったので、仕方がない。

本日は、これまで。。!

2011年9月17日 (土)

町田4日目 ウールケープ

さすが土曜日で、ゆったりとした滑り出し。

お昼近くに、杖をついた老婦人がお立ち寄りになったので、ウールケープをお勧めしてみた。

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写真の元は違うけれど、アルパカ・リャマ・モヘア混紡のこういうお品物。
 

特徴は、ユニバーサルデザインにある。

肩を使わずに腕を袖に通すことが出来るし、ボタンが二つだけなので、着やすく脱ぎやすく、着せやすく脱がせやすい。

つまり、身体が不自由な方が着るのに最適であること。

マントと違って、袖が縫ってあるので、風が下から通らず暖かく、杖を邪魔しない。

そして、軽い。

なんと言っても、ウールの広幅を染められる紺屋なんて、日本に何軒もありゃしませんから、こういう品物は余所にはありません。


御試着したこの方は、考え込んでしまった。

「カナダに行くのよ。こういう物を持ってきて欲しいと云われてはいるの。ところで、小さくたためるかしら?」とおっしゃるのでたたみ方をお見せすると、益々考え込む。

「わかった。ちょっと回ってくるから待ってて」といってお帰りになった。それも、下りエスカレータを使ったので、私は半分あきらめた。
 

しかし、ヒョッとするとヒョッとするので、昼飯を抜いてお待ちしていると、今度はオーガニックコットンのコートが気になるというお客様が入らした。

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これまたご説明し、試着なさると、素晴らしい着心地と軽さと感触と色合いがお気に召して、考え込んでしまった。

まあお二人とも、お値段なんでしょうね。

 
この方が同じように、「考えます」と云ってお帰りになるその時、ウールの客様がお戻りになって「やっぱり頂くわ」となって無事商談成立。

この日の売り上げは、これだけで十分。

午後2時を過ぎておりましたが、安心してお昼に参りました。

 
お祝いに回転寿司。

店の名を「大黒屋」といいます。

これが美味しい。回転寿司では出色です。

マグロはさすがに良くありませんが、小鰭のシメ具合がしっかりしています。

穴子もそれなりだし、自分でつけますがツメ(あまだれ)も悪くない。

 
満足して帰ってきますと、先ほどの綿コートのお客様がお戻りになって、「やはり、頂きます」となって、これまた商談成立!

 
その他にもボチボチと商売になり、めでたしめでたしの一日でありましたとさ。


2011年9月16日 (金)

町田3日目 初心に返れ

お隣の相模原伊勢丹では、九州展を開催中だとかで、オンセの高江さんも来てるし、こりゃ強敵だなと思っていたら、高江さんのバッグを持ったお客様が入らしてお買い物してくださった。

他にも、ご案内状を出したお客様に沢山来ていただき、町田としては思わぬ成績になっています。

 

今回は、沢山品物を染めて持ってきた。

DMも皆さんにお出しした。

こういう当たり前のことを、初心に返ってしてみたら、ちゃんと結果は着いてくるものですな。

 

昨年は酷い成績だったけれど、それは世間や景気の所為でもない。

私自身に問題があったと言うことに、遅ればせながら気がついております。

でもね、何か無いと気がつかないのも人間でしょ!?

  

この辺に住んでいる帆布の細野君が、遊びに来てくれた。

「君の住んでいるところは東京、神奈川県どっちだ?」と聞くと、「かろうじて東京都なんですが、大川さんが書いたとおり、町田は、東京都民には『あそこは神奈川』だといわれ、神奈川県民からは『東京』といわれている、孤立した町なんです」と嘆いていたな。

2011年9月15日 (木)

町田初日・2日

町田小田急の二人展。

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手前が、中島洋傘、奥が紺邑です。

 

初日は、今は亡き純ちゃんの愛娘のナッチャンに会えた。

町田に住んでいたのが、純ちゃんとも一緒にバンドをしていた、須藤というベーシスト。

彼もフルバンド出身だったけれど、亡くなった。

私は未だ61歳なのに、友人を随分亡くしています。

 

それはそうと商売ですが、紺邑は、町田よりも藤沢の方が合っているようです。

お客様の絶対数は、町田の方が遙かに多いけれど、商品が鎌倉や茅ヶ崎などの湘南の方が向いていると云うことなんでしょう。

それは毎回つくづく感じるけれど、2日目は初日より忙しかった。

3日目はもっと忙しくなって、最終日まで尻上がりで行きたいものです。

 

でもね、相模原を合わせると、この辺りには250人近い客様がいらっしゃる。

年に一度くらいは町田に来て、アフターケアーもしませんとね。

2011年9月14日 (水)

ナッチャン 坂入純の事

「大川さん」と呼ぶ声がするのでそちらを見ると、うら若き女性が立っている。

一瞬頭が回転して、直ぐにナッチャンだと解った。

会うのは何年ぶりだろうか。

 

私の二十代は歌を歌っていたわけだけれど、稼ぎは良くて、東京に家を買おうと言うくらいだった。

実際に、世田谷の深澤に良い物件があって、不動産屋のOKもでていた。

でも何か物足りないと思っているところに、バンドをやらないかという話しがあった。

収入は1/3になるけれど、やってみたいと思っちゃったんですね。

当時の私は、バンドに伴奏をしてもらう立場で、一度演奏者の中に入ってみたかったのです。

家内も許してくれて、バンドに入り、機材一式そろえたら、家を買うどころではなくなった。

 

私を誘ったのは、古い付き合いのナベさんですが、バンドリーダー、いわゆるバンマスは坂入純というギターリストでした。 
 
初対面のはずでしたが、話しをしてみると、私が帝国ホテルのレストランシアターに出演していた時の、ビッグバンドのギターが純ちゃんだった。

それで直ぐに意気投合して、私の人生の一時期、苦楽をともにすることになるのです。
 
 
 
純ちゃんは、当時のしばたはづみさんなどの小沢プロダクションの歌手の伴奏を良くしておりました。

謂わば、伴奏のプロですね。

お陰で私は、気持ちよく歌わせてもらったし、彼も私を認めてくれていた。

ベースの神田君ことカンちゃんと同じアパートに歌手が住んでいて、彼のデモテープ作りを手伝い、「公ちゃんよりも声の高い歌い手に初めてあった」と言っていました。

それが、「ダンシング・オールナイト」になるのです。
 
   
 
私より一つ年上の彼は、「君が50歳を過ぎた時の歌を聴きたいな」と言ってくれていた。

つまり、少し枯れた私の歌という意味なんでしょうね。

 

純ちゃんは、それを待たずにあの世に旅立った。

私の人生の、最大の後悔がそこににあるのです。

 

葬儀の日、純ちゃんの自宅に友人達が集まり、帰ろうとすると、「皆さん、今日は父のために集まっていただきまして、ありがとうございました」と、けなげに挨拶していたのが、一人娘のナッチャンだった。多分、高校生じゃなかったかな。

立派な挨拶でしたが、それが今、結婚して彼を連れてきて、私の前に立っている。

   

感慨無量でありました。

2011年9月13日 (火)

東京都町田市へ

朝早く起きて、今日の晴天を見越して、昨日染めた物の洗いをいたしました。

まあ、量があって充実感がありますね。

 

しかしです、今日から東京都町田市へ出張だ。

なんでわざわざ「東京都と書いたかというと、あそこは東京なのか神奈川なのか解りにくいからなんです。

東京だって、ご存じでした?
 
 
明日から、10時から20時までお仕事と言うことになる。

今のペースは、午前6時頃からお仕事して22時には寝るというもの。

数時間の時差が生じるのですが、これが辛い。

 
今日は、その調整の日にしまして、九時過ぎに昼寝をいたしましたら、13時頃まで寝られた。

これはありがたかった。

染めも仕事ですが、販売も仕事でしてね、疲れていると力が入らないのですよ。

それでもウールの大物の洗いをしたりして、快い疲れとともにバスに乗り込み、なんとか町田に到着いたしました。

 

今回は、洋傘職人としては日本一だろうという中島澄さんとご一緒です。

着いたとたん、傘の藍染を催促されちゃった。

日本橋三越で、私が染めた藍染の日傘を買ってくださったお客様が、「生涯でこれほど涼しい日傘にあったことがない」とおっしゃり、「母にあげるので、もっとグレードの高い藍染の日傘はないかしら?」ということで、絹の藍染の日傘を買っていただいたと言います。

それくらい評判が良いし、まだ待っているお客様が何人もいるので、なんとか染めろと先輩の中島さんに言われちゃったので、帰ったら染めることにしましょう。

だけどね、日傘用の藍染はそれなりの染め方があって、何倍も手間が掛かるのですよ。

 

14日から20日まで、小田急百貨店町田店7階「匠の技」におります。

お近くの方、是非お運びくださいませ。

2011年9月12日 (月)

青い手

私の手は、写真のように青い。

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素手を液の中に入れて染めているからで、これがいわゆる紺屋の手だと思っている人たちがいます。
 

先日のフォーラムでも、私の手を見て「私は、紺屋の手が大好きです」と言って来たご婦人がいた。

どうも困ったもので、紺屋の手は青いと思っていらっしゃる。

実際は、青い手をした紺屋もいれば、青い手をしていない紺屋もいるのですよ。

 

そもそも染めは、道具を使うし、職人はそれを工夫してきた。

これは、生産効率を上げる為の機械化に通じるようだけれど、根本的に違う。

道具は、「本質を損なうことなく、生かす」ということが前提だからです。

反物を染めるときには伸子(しんし)を張る。糸染めなら「かぎ手」を使う。だから、手が染まるようなことは無い。
 

私のように、手が染まっている紺屋の方が少ないでしょうね。

手が青いなんていうのは、道具を使うという知恵を働かせていない証拠みたいなもの。

伸子を張って布染めをすれば、藍染めの液が痛まないから、私だって使いたい。

なぜ使わないで素手で染めているかといえば、染めるものが昔と違ってきたからです。
 
 
これは、広幅のウールの生地です。
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良くごらんいただければお分かりと思うけれど、ステンレスの物干し竿がしなっていますね。二本使っているのですが、それほどに重いのです。

伸子を張るどころではありませんから、素手で染めるしかない。

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甕も道具なら、広幅の布を染めるために大きな藍甕を作り、素手で染めるしかないから手が青い。

伝統工芸も時代とともに変わる、または変わらねばならないと言うのはこういうことで、本質は何も変わらないし、変わったら伝統もへったくれもありません。
 

手袋を使うという人がいますね。これには、二つ意味がある。

一つは、手が青くなるのがいやだから。藍と語り合うことが出来ない人だな。

もう一つは、手が荒れるからというもの。これは、今風の化学建ての藍染めっていうだけのこと。

  

国指定重要無形文化財技術保持者会会員で工芸会正会員という省ちゃんは、「藍染めは、液の中に入れたものだけが染まります。外に出てきたものを触っても、染まることはありません」と言った。けだし、名言だな。


2011年9月11日 (日)

町内行事

朝6時から、町内のゴミ拾いと草刈。

草はともかく、拾うゴミなど全く無い。きれいなものです。

 

10時頃まで藍染めをしていると、初老三人組の高橋隊長と中澤さんがご来店。中澤さんが作った竹細工の棚を持ってきてくださった。

「若葉の会」のメンバーもご一緒。

もの凄いパワーの女性グループで、被災地からお布団の要望があったとき、あっという間に20枚そろえてしまうし、ハエ取りのペットボトルも、数百という数で作ってしまう。

「若葉」という名前がついていますが、皆様、私の先輩の高橋さんよりも年上。良い名ですね。

  

11時から御嶽山のお祭り。

町内の人たちが集まって、お神酒をいただく。

 
 
ここは山岳信仰があった土地。

春は「神の山」をお祭りします。

 

昼の酒は良く利きます。帰ってから昼寝になっちゃった。

でも、仕事は仕事ですから、2時過ぎに起き出して藍染め。

  

寝た分だけ仕事時間が押して、寄る7時半まで染めておりましたとさ。

2011年9月10日 (土)

ボランティア団体のフォーラム

栃木県のボラティア団体が主催する『とちぎ協働フォーラム in 足利2011』に、パネリストとして出席してきました。

随分前にスケジュールを押さえられていたので、お断りするわけにもいかず、さりとて藍染は待ってもくれず、11時集合のところを10時半まで染めて、慌てて会場の足利市民会館に向かいました。

 
 
このフォーラムの参加者達は、皆さん、何らかの形でボランティア活動をなさっている方々。

基調講演も、「ボランティア・NPOそして、協働(きぼう)の明日へ」というもので、講師は早瀬昇(社会福祉法人大阪ボランティア協会常務理事)さん。

どうも、堅苦しくて嫌だなと思っておりましたら、あに図らんや、これが面白かった。

この人が漫談風に語るのが面白かったわけではありませんよ。内容がです。

 
 
その後に分科会に分かれ、第1分科会「新しい絆を育むまちづくり」のパネリスト。

基調講演にしろ分科会にしろ、出席者は皆さん、パソコン持参でお話しなさり、レジュメなども用意なさっていた。

私は「どうしますか?」とは聞かれてはいたけれど、何にも用意せず、当日、「アート街道66展」のポスターとDMを配らせていただいた程度で、話す内容さえ考えておりませんでした。

 

まあ、何とか終わりまして、それから懇親会。

さすがにボランティア団体の集まりですから、東北被災地支援でお世話になっている、松崎さん、赤坂さんなどにもご挨拶できたことが収穫かな。

 

私とボランティア活動が似合わないと言う人もあるかも知れませんが、これが古い話で、高校生の時に「日本青少年赤十字団」に所属しておりまして、私はなんと、団議長を務めさせていただいておりましたね。 

なんでか?と言いますとね、我が母校は男子校で、色気も素っ気も無かった。女子校との交流が多かったのが、この団体という、不純とも言える動機で始めちゃったのであります。

でもね、ちゃんとまじめに活動しましたですよ。

2011年9月 8日 (木)

熊本の春ちゃん(大震災から半年)

我々の東北被災地支援は、日本中の人々の支援を頂いて、今でも続いています。

その中に、熊本の春ちゃんという人がいます。

御歳75歳の苦労人。

病弱な身体で生まれ育ち、看護師になって京都で暮らし、生まれ故郷の熊本に戻って一人暮らしをしている。

明るい人で、私たち物づくりをしている職人を贔屓にしてくださる良いお客様でもある。

  
 
震災直後に熊本から被災地に入り、支援を始めた行動派で、熊本に帰ってからも、何とか現地に滞在して支援活動をしたいと考えていた。

しかし、年齢と体力は如何ともし難く、回りからも「無理して他人様に迷惑を掛けるんじゃないよ」とも言われ、忸怩たる思いをしていた。

私たちと連携を取り合い、果物やら電池やら防虫剤やら長靴など、九州で揃えられる物資を被災地に直接送る活動をしてもらっていた。
 
それでも被災地に入りたい気持ちは抑えられず、八月の終わりに、私を除く初老三人組の二人と、家内と次女と、佐野市の初老夫婦と春ちゃんとで、岩手県に行って参りました。
 
 
 
春ちゃんは熊本から飛行機で羽田へ。羽田からバスで佐野に着いたのが午後四時過ぎ。

それから支度をして、午後11時過ぎに車で佐野を出発。

車内で一泊して、大槌町内で個人で支援活動をしている佐々木さんとお会いして物資をお渡しして宮古へ。

ボランティアの施設で寝袋を使い一泊して、仮設住宅に住む人達と懇談するという、年寄り向けのボランティア活動。

宮古から盛岡に行き、大きなボランティアネットワーク「SAVEIWATE」の寺井代表に会い、一晩語り合ったらしい。
 
 

盛岡には「I scream」と云う赤ちゃん相手のお店をやりながら、個人で被災者への救援活動をしている高橋君という若者が居ます。

私たちは、彼を窓口にして岩手県の被災地支援もしておりました。

ところが彼は、SAVEIWATEを知らなかった。

そこで家内達が寺井さんを紹介し、本日、「先日、ご紹介頂きましたSAVE岩手。昨日さっそく連絡を入れました。本日、今から物資を分けてもらいに行ってまいります。そのまま、お昼には陸前高田へ入ります」というメールが入りました。

 

今回の旅で最大の成果だと、連絡を受けた私たちは喜んだ。

高橋君と私たちを仲立ちしたのは長女ですから、その旨をメールすると、「Iscreamのブログに写真がでてるよ」とメールが帰ってきた。

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さて、春ちゃんは誰でしょう?

ん?一目瞭然??

 

さて、被災地に滞在したいと言っていた春ちゃんですが、その理由もあったのですが、今はその時ではないと感じたらしく、一緒に帰ってきて足利のホテルに泊まり、熊本に帰りました。
 
 

今朝、春ちゃんに電話をすると、なんと「千葉さんと今、朝ご飯食べてるよ」と言う。

千葉さんというのは、春ちゃんからミカンを送ってもらった気仙沼の人だ。

「えぇ!気仙沼にいるの!?」と聞くと、そうだという。

驚いた行動力ですな。

お時間があれば、SAVE IWATEI screamのホームページとブログをご覧頂き、御支援いただければ幸いです。

2011年9月 7日 (水)

珍しいお客様

雲一つ無い晴天に、相変わらず藍染に励む一日となりました。

 
午後、染めた物を干しておりますと、そこに、一人の若者が現れた。

東京の八王子から入らしたのだけれど、なんと、信号のない田舎道を、車で12分掛かる田沼駅から、2時間半掛けて歩いてきたとのこと。

 
この人は、藍染が大好き。

銀座三越で会ったときも、不思議な藍染のシャツを着ていて、とても目立つ存在だった。

そのシャツも、どこそこの藍染の手拭いと、青梅の工房で買った板締めの布を、仕立屋さんに頼んで作ったオリジナル作品だった。

 
この人の藍を知ろうとするエネルギーは、八王子→新宿→大宮→久喜→館林→田沼という乗り換えをして電車に揺られ、2時間半掛けて歩いて紺邑まで来たことで分かろうというものです。

ですから、こちらもそれに応えなくてはいけませんから、紺邑の藍染、藍建ての全て見せて差し上げた。

何をどんな風に見せたかという説明は、紺邑にお越し下さいましたときにお話しさせていただきます(笑)。
 
 
少しお話ししますと、例えば、石灰を使っている藍と使っていない藍の違い、藍の匂い、攪拌の仕方、灰の作り方と作った灰、灰汁の取り方から灰汁のヌルヌル具合、藍染の色の変化から染め方洗い方、各々の藍甕の色の違いなどなど。

たまたま、昨日のブログで書いたように、藍建ての最終局面の日だったから、フスマを焚いているところから藍甕に入れるところまで、彼は見ることが出来た。

フスマを入れる現場を見た客人は、私の藍染人生で彼が初めてだけれど、こればかりはタイミングが合わなければ絶対に見られないことで、彼の情熱がそうさせたのでしょうね。

Photo

フスマを入れた後の藍甕の様子だけれど、攪拌はしていません。

まるまる一日寝かせてから優しく攪拌し、また寝かせてから染め始めます。

昨年はどうも、この作業を怠ったらしく、藍が全滅してしまった。その反省が、今あるのです。
 
 
 
帰りは、足利市駅まで車で送りました。これなら、足利市→久喜→新宿→八王子と、簡単です。

東京方面から電車で紺邑にいらっしゃる方は、足利市駅が便利です。

何も歩くことはありません。ご連絡いただければ、お迎えに上がりますからご安心の程を(^_^)v

2011年9月 4日 (日)

旨い酒 「酒は大七」

日本酒について私は、ブログに二度書いております。

言いたいことは一つで「フルーティな日本酒などまっぴらだし、ギンギンに冷やさなければ美味くない酒もごめん被りたいし、飲みやすい酒もいただけない」と言うこと。

だけど、好みは自由だから、大吟醸などという、臭くて冷やさなければ飲めない酒が好きな方がいても、別に構いやしません。

 

こんな事を、福島県二本松の田中さんに言いましたら、この間の宇都宮の職人展の時に私好みの酒を持ってきて下さった。

それが、北関東の人間には昔からお馴染みの「大七」です。

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もちろん、人肌につけて飲みましたが、久々に手応えのある日本酒を頂きました。


2011年9月 3日 (土)

灰汁取り

今日も今日とて、台風で雨と風の一日。

藍染は無理なので、昨日精練した布の下染めと、灰汁取りと嵩上げの一日としました。

先ず、灰の支度。
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灰を篩で振るった物。
サラサラで美しい。
 
ビニール袋を取り出して、お湯を貯めたペールに灰を入れます。
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袋を直接入れれば、灰は飛び散ることがありません。

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そして攪拌。

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あとは、静かに休めて、灰を底に沈ませ、灰汁が出来るまで待つと、こういう訳です。

2011年9月 2日 (金)

台風 だから精錬

船橋で、武田刃物の日記に良く出てくる梨園の家族が、私を訪ねて来てくれた。

収穫には未だ早い時に、台風が日本に向かっているという。

梨園のご主人は、「仕方ありません。台風で実が落ちるからと言って早めに取れば、味が十分ではありませんから」と。

そして、「今日の午後も明日も畑に出て、出来ることをします」とも。

「きっと台風は逸(そ)れるよ。そう私も祈ることにしよう」と言いましたが、確かに四国の方に逸れた。

しかし、その影響は関東にも現れ、毎日雨と風が酷い。

 
 
梨も影響を受けるでしょうが、藍染も同じで、染めた物が乾きません。

乾かない染めは、弱いから、出来れば雨の日は染めたくない。

だから今日は、精錬の一日としました。

精錬とは、染めようとする布や糸についた糊や油や汚れを取る洗濯みたいなものです。

紺邑では、それらを灰汁で煮て取ります。
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一時間ほど煮ますと、真白に見える布から真っ茶色な汚れが取れる。
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物によっては、二度繰り返しますが、これを怠ると染まりが良くありませんから、藍染に限らず、染めには必須な事なのです。

 

この台風は足が遅い。

明日も染めはダメでしょうから、精錬などの準備だけは怠らないようにしましょう。


2011年9月 1日 (木)

社長業

紺邑を立ち上げるときに、ある人から会社にした方が良いというアドバイスを受けた。

その通りにしましたが、夫婦二人と息子が時折手伝うだけの会社になると、良かったか悪かったかわかりません。

それでも会社は会社ですから、必然、社長業というのがある。これがいつまで経っても肌に合わない。でも、やらなきゃならない。

朝から晩まで、経理仕事でパソコンに向かい合っておりました。決算なんです。

 

夕方6時半から、アート街道66の会合。

早めに遠藤さんや栗原さんや山縣さんが来てくださって準備を手伝っていただき、助かりました。

 
今月の30日から10月2日までの三日間、近所の赤見温泉の一乃館で、アート街道66展をすることになったので、その打合せです。

 
今回から、天命鋳物の江田さんと、陶芸の長谷川さんが加わり、総勢21名の作家が集まります。

 
打合せも無事終了。

私は名目上の実行委員長だけれど、そう言う立場の人間が必要だと云うだけのことで、本当に名目上のこと。

今回も様々な方々にお世話になりながら、開催いたします。

 
詳しくは、後ほどお知らせします。


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