刃物屋の引退
大阪の堺と言えば刃物の産地で、「堺の打ち刃物」と云えば昔から名が通っているし、私もこのブログで、本焼について紹介させていただいております。
そんな堺の刃物屋さんで、古い付き合いの「カモシタ」というお店があります。
大阪の近鉄百貨店上本町店で「職人の技展」が始まったとき、その草創に尽力したのも、「カモシタ」の立花さんという人だった。
代表の藤村さんを陰で支え、売れもしなかった催事を大きくし、それが日本中で今開かれている「職人展」の大元になっているのです。
「カモシタ」は、現在の「職人展」の存在の、大功労者の一人です。
催事の売上が上がり始めると、出展したい連中や、影響力を持ちたい連中から様々な動きが出て来て、「カモシタ」の立花さんや、その他の草創に力を尽くした大阪の人達は、はじかれてしまった。
はじかれた人達の傷は、今でも深い。
はじいた人達はそれに気付きもせず、草創の努力に目を向けることも知ることもせず、催事がどうだ、業者がどうだと理屈をこねる。
そう言う人達へは、神がちゃんと報いを与えているように、昨今、私は感じております。
今回の町田小田急は、紺邑と中島洋傘の二人展でしたが、実はその側で、「カモシタ」も出展しておりました。
「カモシタ」と小田急の付き合いは、もう何十年にもなる。
その28年間を担当していたのが、私とも古い付き合いの熊本さんだ。
ここのところ会う度に、「もう、身体がボロボロです」とおっしゃっていたけれど、遂に、この町田小田急を最後に引退なさることになった。
今日が、熊本さん現役最後の日となりました。
朝礼の最後に、担当の高坂君が、「皆さんと長い付き合いだったカモシタの熊本さんが、今日で引退なさいます」と云って、社員一同からの記念品が渡されるというハプニング演出があった。
あいさつを求められた熊本さんは、暫し言葉に詰まりながらも、「私の人生で最良の日となりました」と語った。
彼と百貨店の人達とが、いままで素晴らしい関係を築いてきたことが分かりますね。
熊本さんは、とにかくよく働きます。
朝早く出勤して、お客様から預かった刃物の研ぎを始め、閉店後も消灯ギリギリまで研いでいる。
営業中はもちろん研ぎっぱなしで、中島さんも「あんなにまじめに働く刃物屋さんに初めて会いました」と云うくらいなものです。
熊本さんが引退した後のカモシタには、溝口さんという後継者がいる。
この人もまた、先輩の後ろ姿を見ているせいか、本当によく働きます。
研ぎは手研ぎで、けっしてグラインダーなどを使うことはない。
研ぎだけで一人前になるには、相当時間が掛かるとは、熊本さんの言。
そう言えば、堺の本焼の職人が、「鍛冶屋は鍛冶屋の、研ぎ屋は研ぎ屋の本文を尽くしていけば、堺の刃物はまだまだ大丈夫だ」と語っていたのを想い出しました。
熊本さんには、長い間ご苦労様でした。
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コメント
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長年、ご苦労様でした。
お陰様で、我々、後輩が商売をさせて頂くことが出来ます。ありがとうございました。
投稿: ティディベア | 2011年9月21日 (水) 08時01分