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2011年10月

2011年10月31日 (月)

渋谷5日目

昨日、色々あり過ぎたせいか、今日は何事もなく一日が過ぎて行きそうになった。

そんな夜の七時過ぎ、おばあさんがひょいと私の売り場の椅子に腰掛けて話し出した。

「私は若く見えても、もう歳なのよ。幾つに見える?」と言うのが出足。

概ね八十後半かと思いましたが、ご自分で「若く見えても」なんて言うんですから黙っていると、「70?80?」とまた勝手に聞いてくる。

「もう90歳なの」と聞きもしないのにおっしゃるが、そんなもんだろうと、何ら不思議はない。

それから延々1時間ほど、一方的におしゃべりなさる。

内容は実に切実で、彼女の人生の深い深い物語。

「私、男を知らないの。正真正銘の処女よ」ってな具合。

そのたぐいの話が続くのですが、どうも妙な気分。なにせ、相手は90歳ですから。

話を聞くのも功徳だと、じっと耐えておりますと、「ねぇ、人間は生まれ変わるかしら?」と私に聞いた。

「そりゃ、生まれ変わるでしょうよ」と、試しに答えてみた。

「なんで?」とおっしゃる。

「だって、輪廻転生からの解脱をお釈迦様が語っているではありませんか」と、話しは哲学的になりそうになった。

「そう、でもね、私は男を知らないの。だから70歳で死ぬかと思ったら90まで生きたでしょ!?」と、また話しは堂々巡り。

輪廻転生を現実に見ているようでしたが、いつ終わるのかと功徳と思って耐えていると突然、「おじゃま様!」といって立ち上がり、さっさとお帰りになった。

元気に長生きするわけです。

  

近くのジョナサンで美味しい夕飯を頂き、やっと帰ってきました。

私はしっかりお疲れモードだけれど、終わってから飲みに行っている連中がいるらしい。

たいした体力だけれど、うらやましくもないな。

寝る方がよっぽど増しです。

2011年10月30日 (日)

渋谷4日目

(一日間違えていて、今日が5日目かと思ったら、まだ4日しか経っていませんでした。長いなぁー!)

さて、さすが都心の日曜日ですから、朝早くからお客様がお越しになるなんて事はない。土曜日と同様、ゆっくりまったりと始まりました。

そこに、島本さんと垣内さんが、私の藍染をお召しになってご来店。
私のところにもちょっとお寄りになりましたが、それこそ会場中が知り合いですから、ゆっくりと探索なさっていらっしゃる。

島本さんが、山村省二の絣と私の藍染で、コートなどをご注文なさっている。
これが、なかなか出来ないでいて、省ちゃんにも「早く仕事しなさい」と怒られている。
何故出来ないかというと、山村省二の作品が重くて、作るのが簡単じゃないからなんです。
一度染めてみましたが、家内から「これじゃダメ。省ちゃんの反物にハサミを入れられません」と却下されちゃった。

藍染には、先染め(糸染め)と後染め(布染め)と二つの世界がある。
技術的にも出来上がった風情も全く違う物で、絣は先染めの世界で、私は後染めの世界。
絣が好みの方は、私の藍染に興味も示されません(この辺が、百貨店の催事担当者に解っていただいていないらしく、久留米絣と一緒なんだから、他の藍染と一緒でも良いでしょ?っとなるのかもしれません)。
風情の違う物を一つにするアンバランスを、島本さんは面白がる。
染めて作る側は、汗と緊張を強いられるとこういう訳です。

省ちゃんに、「困ったな」というと、私にヒントをくれた。
難しい染めだけれど、イメージがしっかり湧きました。
これで行くことにします。
省ちゃんにはお礼に、立ち食い蕎麦をごちそうしましょう。

しばらくすると、私の後ろ側でなにやら不穏な雰囲気が出てきた。
そのうち、大きな怒声が響いてもきた。
何事かと思って見てみると、昨日入らした高橋さんが、なにやら百貨店の社員を怒っているではありませんか。
逆なら大変。
相手の命が危うい。なにせ彼は、武道の達人だ。
一安心して、放っておきました。
後から私のところに来たので事情を聞きますと、怒るのも宜なるかな。
「気分悪いから帰る」と、彼はさっさと帰っちゃった。
これもまた、武道でしょうかね。
それにしても彼の声はたいした物で、腹から声を出すというのはあのことです。
私は専門家ですから、修練の後が良くわかるのです。

その内、島本さん達がお戻りになって、いくつかお買い上げ。
これもまたお話しすれば、一品一品に物語がある。

「やぁ!」と挨拶する人がいるから、誰かと思えば増子さん親子。
この人達は、日本では数少ないワイン醸造家親子。
会場中をご紹介しましたが、この増子さんは醗酵の専門家だから、見る目も聞く耳もしっかりしている。
「糸染めと布染めの違いを知りたい」と言うので、山村省二のところにお連れしてしばし省ちゃんのお話を伺いました。
またまたお勉強になっちゃった。
伊達に国指定の重要無形文化財指定と言うわけではありませんね。
たいしたもんだ。

懇親会の日だったけれど、私は欠席して、三女に髪を切って貰いました。
明日は、さっぱりとした姿をお見せできる。
 

2011年10月29日 (土)

渋谷3日目

ゆったりとまったりと始まりました。
この2日間の成績は、全体としては素晴らしい物があるそうですが、紺邑はちょいと苦戦中。
それはともかく、変な連中の集まりですから、飽きません。

 
珍しく、高橋さんとお会いしました。

今は亡き横浜三越で会ってから、なんだかんだとお付き合いが始まりまして、この東急東横で、武田刃物と尾崎暁美さんと親しくなっていった。気があったんでしょうね。

尾崎さんは、私の後ろ側でいつもご一緒。
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この方は、シンガーソングライターと言うんでしょうか、尾崎亜美さんのお母様。

武道をおやりになっているそうですが、その所為か、きりっとした立ち姿も歩いている姿も美しい。
西陣の帯にハサミを入れて、バッグをお作りになっている。

「帯にハサミを入れるのは、気合いが要りますよ」とは尾崎さんだけれど、その通りでしょうね。帯の一つ一つに、染めや機織り職人の魂が入っているでしょうから。
「エイ!ヤァ!って気合いを入れて切るの」と、やはりここでも武道の修練が役に立っているらしい。

高橋さんに、「あの方は尾崎亜美さんのお母さんですよ」と言うと、「え!私は彼女の歌に助けられたことがある」と言ってご挨拶に行った。これがきっかけで、今や、暁美さんの追っかけの様らしい。

 
この高橋さんは、去年、交通事故で死に損なったらしい。
そうしたら不思議な力を得られて、人の身体を治せるようになっちゃった。
元々古武道の達人でもありましたから、そんな素養はあったのでしょう。
私を見て「社長!疲れてますね」と、治療をしてくださった。

そうしたら、疲れが取れただけでなく、五十肩のように上がらなかった肩が動くようになり、背中の凝りが柔らかくなった。不思議な力だけれど、いわゆる「気」なんでしょうね。
 
 
 
18:30頃、お客様がお立ち寄りになった。

興味深げに商品をご覧になっているから説明すると、日本橋三越の最終日にお会いした方だった。

その時に、東急東横に出展すると私が話したらしい。

めでたくお買い上げ頂き、有終の美を飾ることが出来た一日となりました。


2011年10月28日 (金)

渋谷2日目 肉づくし

朝一番でDMのお客様に入らしていただき、ポンポンと2着お買い上げ。

高橋の性ちゃんが、「お!大川。オメー良い出足だな」なんて言うもんだから、嫌な股間、間違えた、予感がしましたが、その通りになって、後はなんにも無し。

 

次女が手伝いに来たので、三女も呼んで焼き肉で夕飯。

この日の私は、朝飯が牛丼、昼飯はステーキでしたから、3連続牛肉(^_^)v

ちょいと風邪気味ですから、これでちょうど良いと自己弁護。

娘達からは、「本当にお肉が好きね!」と言われましたが、その通りなんです。

 

さて、これでだけスタミナを付けた3日目や如何に?

2011年10月27日 (木)

東急初日

東急東横のお仕事は、一種異様。

前日の夜の10時から、社員食堂でミーティングをして諸注意を聞いたりなんだり。その間、会場準備が突貫工事でなされている。

11時過ぎて会場準備が出来ると、隣の屋上に集められている荷物を、各々が自分で会場に運び入れるのですが、この作業がちょいと心に「なんでこんな事をやらなきゃならんのだ」と響いてくる。

年寄りの多い催事ですけれど、みんな黙々とやっている。年寄りが多いと言うことは、それなりの実績も名もある人達で、国や県指定の無形文化財やら現代の名工やら工芸会の正会員やらで、地元でも業界でも名士でしょうし、「名人達の仕事展」の名に恥じる人はほとんどいません。

 
名もない私が「なんでこんな事をやらなきゃならんのだ」と思うくらいですから、彼らもやりたいと思ってやっている訳じゃないだろうし、こんな事をしなきゃならないのは、日本広しといえども、ここだけだ。

常識的には、ミーティングが必要なら、それなりの当たり前の時間(例えば夕方)に集めてすればよい。そして、翌朝準備でしょう。当然、荷物を自分で会場まで運ぶなんて事はしません。

まあ、嫌なら来なきゃ良いわけで、それでも皆さん出展なさっている。でも実際、来なくなる人も居るでしょうね。

 

私も歳をとり、割合業界を知る方だけれど、東急東横店の催事には全く縁もなかった。

この「名人展」の初回は8年前ですが、私にも出展のオファーが来て、担当の津田さんが、私が出ていた池袋東武まで挨拶に来てくださった。この方とはこれが初対面。

お話を聞いているうちに、何故か閃いて、「ヒョッとして、藍染がもう一軒が入っていませんか?」と聞いてみると、「いや、諸般の事情がありまして・・」とピッタンコカンカンだった。それを聞いて、直ぐにお断りしました。

そんな経緯があったにもかかわらず、2回目から何故出展しているかというと、この津田さんという方の熱心さとキャラクターに寄る物。

どうにも手の施しようがないほど熱心で、催事に対する思い入れが深い。その熱に伝染するように職人達がやられて、年寄り達も荷物運びをしているように思いますね。

 
もう一つは、この荷上げ以外は、我々出展者に対するホスピタリティーが優れていると言うこともあるでしょう。

催事開催中は、社員が何人も会場を歩いていて、問題が起これば直ぐに対処してくれます。

そういう点においては、この催事は何処にも負けません。何か事が起こっても、社員を捜す必要もありませんし、販売以外で、我々出展者に負担を掛けることがほとんど無い。

でも、やっぱり異様でして、それは藍染が2軒入っていると言うことにも象徴されています。

 
馴染みで生粋の江戸っ子の上田さんが入らして、「おい、なんでもう一軒同じ様なのがいるんだ?」とお聞きになった。

その通りで、これに関しては、承知して参加している私の方が悪い。

ブラシ屋の旦那の「行ってやってよ」という一声で参加していますが、そろそろ考えないといけません。

 

2011年10月26日 (水)

東急東横店へ

久し振りに晴れたので、喜び勇んで朝から染め仕事。

宮城県雄勝町に工房を持つ斉藤さんの奥様がお見えになったり、ご近所の田中さん達が、支援物資の仕分けに入らしたりしたけれど、私は黙々と藍染。

夕方4時過ぎ、ふと東急東横店の搬入日と気がついた。それも夜10時過ぎからです。

こりゃ、体力が持たないと、直ぐに終わらせて昼寝。

夜7時過ぎのバスで新宿に出て、渋谷に着いてちょいと軽く夕飯。

ミーティングがあって11時過ぎから搬入をし、ある程度荷物を出してから、娘のところに帰っております。

ここは夜九時まで営業だから、体力的な問題がありますね。

年寄りには、きつい仕事だけれど、引き受けちゃったんだから仕方ないな。

2011年10月25日 (火)

賑わいの山と早池峰神楽

工房のある佐野市閑馬町は、市街地からだいぶ離れた山間部にありますが、ここのところ、毎日来客があって、にぎやかに暮らしています。
 

日曜日は、千葉の梨農家の中村一家が、ブログをご覧になって支援物資を届けてくださった。

椎茸農家の星野さん家にお連れすると、同じ農家どうして話が弾みましたね。

中村さんは、市川市の市街地の中で農園をなさっている。

それも、除草剤も殺虫剤も使わない農法だそうで、安全でおいしい。

だから、出荷せずに、家の直売で成り立ってしまう。

苦節十何年たち、「私も紺邑の作務衣を注文できるようになりました」と、一着作ることになりました。

 
 
火曜日の今日、岩手県盛岡市から、SAVE IWATEの寺井代表がお見えになった。

足利と佐野に、早池峰神楽をお呼びしようと計画していて、その打ち合わせです。

8月の終わりに、初老三人組と家内や娘たちが岩手に行き、この神楽に出会って感動して帰ってきた。

AKG(足利着物ガールズ)代表の木村さんは、この神楽に長くお付き合いしてほれ込んでいる。

みんなの意見で、呼びたいという事になったのです。

そこで、寺井さんが講演で足利にいらした機会に、会合を持つことにしたと、こういうわけです。

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写真奥左手から、寺井さん、木村さん、宮大工の杉本さん、家内に初老三人組の中澤隊員、高橋隊長、佐野市から花飾り作家の遠藤さんと、天命鋳物師を代表する若林御夫妻という顔ぶれ。

第一回の会合ですから、これから皆さんと縁を繋いで行くことになります。

 

早池峰神楽(はやちねかぐら)は国の重要無形民族文化財でユネスコの無形文化財指定でもある。

これほどのものを、佐野・足利市民にお見せできるというのは、望外の喜びでもあります。

来年の春から初夏にかけての時期を考えております。

2011年10月22日 (土)

被災地支援のお願い

東北被災地の現状は、私たちから見ると複雑で、具体的に表現するのが難しい。あまりにも広くて、個々に状況が異なるようなのです。

例えば今日、岩手県大槌町と連絡を取りましたが、町の中でも、仮設住宅の人達と家が残された人達では違うというようにです。
 

私たちは、家が残され、そこに親戚などが避難してきている大槌町の人達に、支援物資を送っています。

町にはローソンが一軒だけありますが、そこに買い物に行く足がない。

銀行のATMが一つあるけれど、他の銀行の扱いが無く、皆さん、釜石まで行かねばならない。

その釜石までの道は一本しかなく、事故でもあれば大変だし、これから雪が降ればどうなることか。

仕事はないし、また、人々に気力もない。

大槌町で被災者支援をなさっている人達は、自死を心配しています。それは、石巻も同じでした。

 
 
私たちは今、食料を支援しています。今更何をやっているのだろうと自問するときもある。

「支援が無くなったら、どうなるでしょうか?」とお聞きしてみたら、「餓死者が出るかも知れません」とのお答えです。

そして大切なことは、支援することによって、多少でもコミュニケーションを図れる事だそうで、それによって自死を防げるのではないかという思いもある。

 

ご支援をお願いします。
 

先ずは食料ですが、お米などの基本的なものです。 

寒くなりましたので、毛布と掛け布団も募集しています。
 
 
気仙沼へは、掛け布団60枚を持って行きたい。集まり次第、トラックで佐野市に避難してきている福島の方に持って行っていただきます。

大槌には、11月4日に直接持って行きたいと思います。

 
その他、何かありましたら、当方にご連絡下さいませ。

 

NPO法人「ナチュラル」東日本大震災支援事務局
大川公一
〒327-0321
栃木県佐野市閑馬町1010
℡0283-65-8884 FAX0283-65-8884

2011年10月21日 (金)

お葬式

数日前、「公一君?」と私に電話があった。

還暦過ぎの私をそう呼ぶのは、我が伯父の同級生の「リョウちゃん」。昭和6年生まれの81歳。

戦前、佐野市で生まれ育った叔父とリョウちゃんの二人は、旧制佐野中学校から早稲田大学高等学院を経て早稲田大学政治経済学部と、ずっと一緒に青春時代を過ごした仲で、文字通りの親友。

「芳男ちゃんの電話番号を教えてちょうだい」と云う用件だった。「芳男ちゃん」というのが我が叔父で、現在、東京のホテル住まい。

翌日、「芳男ちゃん」から、「公ちゃん。寺澤です。リョウちゃんの奥さんが死んじゃったんだって」と、私に電話があった。葬式に行きたいと「芳男ちゃん」は言う。

彼も81歳だし、電車に乗せたり、バスに乗せたりするのも無理だから、私が送り迎えをすることにした。

何故無理かというと、年齢だけでなく、外国暮らしが長すぎて、日本に慣れていないからです。

 

朝、首都高がちょっと混んだけれど、8時に閑馬を出て9時45分に虎ノ門のホテルに着いた。

ホテルを10時に出て、佐野に着いたのが11時30分。

葬儀は13時30分からだから早すぎるので、先ずは紺邑に連れてきた。

 

「芳男ちゃん」を叔父と言っているけれど、実は、我が母の従弟になる。

彼は一人っ子だったから、我が母達と兄弟のように育ったし、付き合っても来た。

彼の母親は、私の祖母の妹だけれど、私にとっては祖母も同じで、遺品はみんな我が家にある。

 

叔父は早稲田を卒業後、日本で最大の証券会社に入り、フルブライトの留学生として米国に留学。

ニューヨークに長く住んで名誉市民になったり、世界銀行の長官になったり、国会議員になって国務大臣になったり、銀行の会長をやったり随筆を書いたりと、めまぐるしくも忙しい人生を送ってきた。

去年、「芳男ちゃん」が紺邑に来たときに、遺品を見せたら、懐かしい写真が沢山出て来た。

それを題材に、日本経済新聞の「私の履歴書」の連載が、2月1日から始まるらしい。

「最初に、公ちゃんのことを書いたから読んでみて」と、今日、原稿を受け取った。

確かに「佐野で藍染をしている云々」と、私が出て来た。

 

彼はサラリーマンとして、これ以上はないだろうという栄達を遂げた。

だけどその人生は、波乱に満ちた物だ。

ちょっと変わった「私の履歴書」になると思う。

よろしければ、ご一読下さい。

 

「リョウちゃん」の奥さんの葬儀は、滞りなく終わった。

昨年、「芳男ちゃん」が、佐野高等学校の講演会で来たときに会ったのが、今生のお別れだった。

私とも、長いお付き合い。

心からご冥福をお祈りします。 合掌。


2011年10月20日 (木)

草刈

紺邑の敷地は、1500坪ほどあります。

ちょいと広すぎるけれど、大変なのは手入れ。

つまりは草刈です。

染め手が私だけだから、その時間が取れなかった。

だから草ぼうぼうで、ご近所にも迷惑を掛けている。

一念発起して、草刈りをしています。

  

草刈をしなくてはいけないのは、被災地も同じ。

どうしているのかなと思ったら、SOSが来ました。

初老三人組で、南相馬市へ草刈ボランティアに出かけることになった。

三人組の中で私は最近、仲間はずれ。大槌町にも宮古にも行けなかった。

「今度は一緒に行きましょう!」と隊長の高橋さんに言ったら、「え!大川さん、草刈りできるの?」ってとぼけた返事が来た。

私がどういう人間か、誤解があるようだ。

だから、目の前で草刈を見せてやったら、「ハイハイ、分かりましたよ」と、スケジュールを調整してくれたけれど、結局、催事とぶつかって行けない。

まあ、私は現役。他の二人はリタイア後の活動だから仕方ありません。

 

隊長と中澤さんは、福島から帰ってきたら、岩手に一週間泊まり込みでボランティアに行くそうだし、熊本の春ちゃんも一緒だそうです。

初老と75歳のトリオが、出来ることをやってくる。

2011年10月18日 (火)

藤沢最終日

遂にというかようやくというか、最終日が参りました。

月・火曜日は、百貨店のお客様の数は少ないけれど、紺邑はお馴染みに来ていただける日です。落ち着いて商品を吟味できるのでしょうかね。

今日も、賑やかに過ごさせていただきました。

結果は、コートなどの大きい物が売れなかったのに、目標達成!

内容に満足しております。

 

仕事を終えてから、一円塾の塾長の長澤さんと少しお話しをして参りました。

彼は、二宮尊徳の教えを、現在の日本で実践しようとなさっている。

異業種交流のネットワークを日本で初めて作ったのも、長澤さん。

尊徳の本を二冊出版なさっているけれど、最後に「野州の聖人」としての尊徳を書きたいとおっしゃる。

「野州(栃木県)の人達は、尊徳を「野州の聖人」と何故云ったのか忘れているぞ。想い出せ」と、野州の住民たる私にお怒りだが、ごもっともです。

一円塾の関係で、東北支援のお話にもなった。
 
 
 
そして、東京駅からバスの最終で帰宅。

さて、明日から藍染の日々だ。

2011年10月17日 (月)

藤沢5・6日目 オーガニックコットン

日曜日、オーガニックコットンのダブルガーゼで作ったワンピースコートを、しみじみとご覧になっているお客様がいらした。

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「良いわねぇー」とおっしゃりながら、下りエスカレーターでお帰りになった。

忘れた頃に、「やっぱり気になって、1階まで行ったんだけれど戻ってきたわ。ちょっと着せて」と、うれしいお言葉。

お着せしますとぴったりだ。

お値段をお教えしますと、ちょっと考えて「わかった。また戻ってきます。手付けでも打ちましょうか?」とおっしゃるので「いえいえ、こういう物は出会いですから、手付けなど頂きません。お取り置きしておきます」と私が言うと、やはり下りエスカレーターでお帰りになった。

時間が経つにつれ、「手付け、貰っておけば良かったかな?」なんていう、不埒な考えが浮かぶ。

何故かと言いますと、一昨日、帽子をご覧になったお客様が、「取っておいて。銀行に行ってくる」とおっしゃっていたにもかかわらず、お戻りにならなかったという痛い経験をしておりますのでね。

 
諦め始めた頃、「お待ちどおさま」と無事お帰りになった。うれしかったなぁー!

お渡しするときに「ちょっと贅沢ですが、風呂上がりの素肌の上にお召しになると良いですよ」とお教えしておきました。

 
次の日、この方がまたお見えになった。

「あのね、言われたとおり、風呂上がりに着てみたの。そしたらね、私の肌が目覚めちゃったのよぉー。やっぱりあんたは日本人だ!ってね。あんな気持ちの良い物は初めてだから、もっと見せて」と、ズボンとTシャツをお買い求め下さった。

考えてみれば、100年以上も前の日本人は、当たり前にオーガニックコットンを着ていたし、本染めの藍染めを着ていたのです。

「肌が日本人に目覚めた」というのは、実におもしろいな!

因みにこのお客様は、昭和4年生まれ。我が亡き母と同い年。

  

最近の紺邑は、オーガニックコットンを扱っています。

オーガニックコットンとは、一般の綿畑で使っている化学肥料や、殺虫剤や除草剤などの農薬を使わず、有機肥料を用い、天敵の益虫を活用して害虫駆除を行うなど、手間ヒマをかけた昔ながらの栽培方法で育てたコットンのことです。

さて、一般のコットンと何が違うかと言えば、感触が全く違います。とにかく柔らかい。

何故柔らかいかと言えば、繊維の中に入っている空気の量が違うのだそうで、そう言えば、Tシャツを水の上に置くと、3日でも4日でも浮いたままで沈みません。

 
こういう生地を本染めした藍染の製品ですから、日本人に目覚めるわけですね。

 
 
しかしです、オーガニックコットンと称しても、藍染と同じく、その品質は様々。

見分け方もあると思いますが、それはいつか書くことにします。

もちろん、紺邑の扱っているオーガニックコットンには、信頼の証が付いております。

2011年10月16日 (日)

佐川急便事件その後

9月21日に、東京都町田市から23日札幌三越必着で出した商品が、開店の日の27日午後3時に着き、ほぼ一日を無駄にしただけではなく、三越にも企画会社にも催事出展者にもお客様にも多大なご迷惑をお掛けしたという、「大変」なことの後、どうなったかというご報告です。


札幌三越に荷物が届いた次の日(9月28日)、出荷場所の佐川急便町田店に連絡し、「三越のご担当に、佐川急便の都合で荷物の到着が遅れた旨、ちゃんと説明をして謝罪もして来て欲しい。そして、私どもへの損害への対応も検討願いたい」と申し入れをしました。

「かしこまりました。申し訳ございません」と、町田の担当は言った。

言ったけれどもその後、札幌三越へも私どもにも、何も連絡は無い!

これで一人前の会社なのか。

 

私はネガティブなエネルギーにかまけているほど暇じゃないから騒がないけれど、あれ以来、佐川急便を使うことは一切無くなった。

工房に集荷に来る若い衆は良い奴だけれど、指定で佐川急便でなければならないとき以外は、お付き合いは致しません。

  

佐川急便を使っていた他の業者も、「飛脚(佐川急便)は使うもんじゃない」という意見がほとんど。百貨店も「何度も痛い目に遭っています」という。

なんであの会社が成り立っているのか、不思議です。

2011年10月15日 (土)

藤沢4日目

この店は、一週間のうち必ず一日ダメな日がある。

いつも土曜日だと思いますが、今日はその土曜日。

結果は・・・・・ダメでしたね。

でも、いつものことです。

 
今夜は、中華料理に甕出しの紹興酒。

いや、逆だ。

甕出しの紹興酒で中華料理をいただいて参ります。取りあえずの生ビールを、一杯やってからです。

今から喉が鳴りますが、酒のない人生なんて考えられませんね、禁酒中の高江さん!?

2011年10月14日 (金)

藤沢3日目

3日目ものんびりやろうと思っていると、午前中から忙しかった。

午後になってバッタリと暇になり、いつものようにのんびりと出会いを待っていると、DMを出したお客様がお見えになって、あれやこれやとお買い上げ頂き、無事商売になりました。

驚きましたね!っという一日、というお話し・・・m(_ _)m

2011年10月13日 (木)

藤沢2日目

午前中から、とても小田急藤沢店とは思えないお客様の入り。素晴らしい賑わいですが、その中には子供の声が沢山混じっています。

何故かと考えましたら、セールをやっているのですね。

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こうなると、我々の出番ではないなと諦めかけましたが、まてよ!じゃあ昨日は何だったんだ?とまた考え直した。このセールは、昨日からですからね。

じゃあ、今日も良いだろうと、のんびりと出会いを待っていたら、昨日とほぼ同じ成績。これは望外な事なのです。リーマンショック以前に戻った、いや、それ以上の感じです。

 

何が違うかと云えば、やはり品揃え(デザイン)と色具合でしょうね。

以前は「きれい!」と感嘆する人はいた。

今回はそれに加えて、「暖かそう」という言葉が聞こえてきます。

やはり、自分で意識した物作りを怠っていたと、この何年間を反省しています。

 

今、私が藍染に掛ける時間は、およそ一日12時間。

その中には、準備も洗いも精錬も、仕事に関する事は全て入っての話しですが、それでも仕方なく止めている。体力が続けば、もう少し仕事をしたい。

それを以前は、午前九時ちょうどに始めて、午後5時には終わっていた。

物など出来るはずもありませんでしたね。

甘かったなぁと、つくづく思っています。

2011年10月12日 (水)

藤沢初日

朝早くから、朝飯抜きで展示。ようやく店が出来た。

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オープンしたけれど腹が減って堪らず、早い高い不味いの吉野家へ。背に腹は替えられないとは、正しくこのこと。

不満足でも腹をごまかして帰ってくると、お馴染みのお客様がご来店。湘南には、紺邑のお客様がちょうど250人いらっしゃるのです。

早速お買い求め頂いて、順調な出足。

男性のご常連も入らして、お買い物。ついでに長々と世情のお話し。

 
藤沢のお客様は、興味のない物には見向きもなさらない。その代わり、デザインでも色合いでも藍染にでも、興味のある方は気に入れば買ってくださる。

それが解っていますから、のんびりと出会いを待っていれば良いので、余り疲れません。

 
昼は、いわゆる街場の中華屋でタンメン。凝ったラーメンより、余程美味しい。

 
帰ってくるとお客様が売り場にお二人。案の定、興味のある方は、私がいなくても商品を見てくださいます。

めでたく大量のお買い物。レジの女性が「今日は凄いですね」なんて云うほど。

 
しばらくしてまたお客様がついて、一週間の目標の1/3は行っちゃった。

 
春も良い成績でした。

最近、この売り場の評判は良くない。

だけど紺邑は良い。

それで、良い。


2011年10月11日 (火)

藤沢へ

朝九時に、野暮用で銀行に行き、無事終了後、東武伊勢崎線足利市駅へ。

福井からお見えの中野さんをお迎えして、紺邑で藍染講習会。

そこにご近所の櫻井さんが来たので、一緒にハンカチを染めることに。

 
福井からわざわざ入らしたのですから、それなりに楽しんでいただかないと紺邑の名が廃りますので、藍染だけじゃなく、佐野のグルメも楽しんでいただこうと、佐野ラーメンにお連れした。

それなりに美味しくいただき、今度は館林駅までお送りしました。

お別れするときに、「楽しかった」とおっしゃって下さり、一安心。

 
工房に帰ると、佐野の塚原さんが、葛生と小田原からお客様をお連れになった。

そこでまた、藍染の説明会。

気がつくと5時近い。

 
明日から藤沢小田急で「紺邑正藍染め展」がある。

今日は、その準備日。

ところが、朝から動き詰めで時間も体力も気力も失せた。

担当に電話して、明日の朝の準備に変更していただきました。

 
そして今、藤沢のホテルでこれを書いております。

 
電車に乗っていると、サッカー日本代表が勝っているとメールが入った。

幸せな気分で、一風呂浴びたところ。

明日から小田急藤沢店5階下りエスカレーター前の「匠の技」で、「紺邑正藍染め展」が開催されます。

お近くの方、是非、お運びくださいませ。

2011年10月10日 (月)

草木染め

日本には「草木染め」という言葉はありませんでした。これは、山崎さんという方が商標登録をなさった、いわゆる「商標」です。つまりは、伝統的な染色ではありません。

しかし、植物から染料をとる染めは古来からあった。これは、伝統工芸です。

違いは何かと云えば、藍染と同じで、結果が違う。色や堅牢度や役割です。

それをこのブログでは、「黄八丈」を例にとって書かせていただいた。

 

本日千葉県から、深緑色の暖簾を染めたいとおっしゃる、かわいらしい女性で海老さんというお客様がおいでになった。

深緑を綿地でどう染めるか、考えてみました。それも、藍を使って。

どう考えても、藍染は「青」ですから、下染めをしなければなりません。たぶん、濃くて明るい黄色か橙色だろうと想像できる。

さて、それを草木で染めたいという。

私は草木染めは素人だけれど、少しは知っているから「無理だと思うから、合成染料でお染めになって、その上に藍を付けたらどうですか」と、提案させていただいた。

それでも、草木染めにこだわっているので、専門家の日野初江さんの工房にお連れしてお話しを伺うと、私と同じ事をおっしゃる。

「あのね、藍染で深緑に染めるには、先ずは黄色に染める必要があるわね。でもね、時期が悪い。草木で染めるには時期があるの。でもね、きっと無理だと思うわね。この綿地に何度も何度も重ね染めしてみても、きっと斑々できれいに染まらないと思う。だから、合成染料を使った方が良いわよ。日本の染色技術は馬鹿にした物じゃないの。だから、その上に本染めの藍を付けて貰えば、それで十分よ」とね。

その上で、日野さんの染め場を見せていただいたら、海老さんも納得なさった。
 

暖簾に文字を入れたいとおっしゃるし、下染めもしてもらわなければならない。

足利に、田尾さんという名人がいますから、深緑の話しをすると、私たちと同じ事をおっしゃる。その下地を頼んでみるとOKが出た。ついでに、文字も入れてもらうことに。

これで全て解決。

田尾さんは、サンプルを染めてくださるそうで。

 

両毛と云うところは、糸偏に関しては凄いところで、ここで出来ないものはないでしょうね。


 

2011年10月 9日 (日)

被災地支援イベント

4月29日、都立夢の島公園にある「夢の島熱帯植物館」で「茨城県の魚を食べよう!」というイベントをさせていただいた。当時の茨城の漁協も漁師も、元気が無かったからです。

現在はどうかといえば、茨城から東北太平洋側沿岸部の被災地の漁協も漁師も、押しなべてまだ元気がありません。テレビでどんなことが報道されようが、それが事実と、漁協関係者はおっしゃる。

何の足しになるかわかりませんが、また、イベントに参加していただきました。

題しまして「【ベアフットフェスティバル】被災地応援物産展」!

まずは、腹ごしらえ。我が娘たちは大変な戦力です。
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福島の相馬市からも。
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アート街道66の陶芸家筒井童太さんの奥様桃ちゃんもお手伝い。
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現在、茨城の漁協も漁師も大変だけれど、それは被災地すべてがそうだと、茨城県大涸沼漁協の石原さんはそうおっしゃる。

彼は、自分が被災者なのに、東北支援を続けています。

私たちも微力ながら、お手伝いさせていただいている。

このイベントが落ち着きましたら、冬物の衣料品を我が家に取りにいらっしゃる予定。東北は、もう寒いですからね。

こんなこともあろうかと、春から集めておいた冬物が、現在、大きなダンボールに12箱あるのです。

 

私たちは今、岩手県大槌町に支援物資を送っています。

そこは、仮設住宅でもなく避難所でもないところで、家が残ったために、公的な支援は全くといって良いほどない。

数日前、お米を送りましたが、現状を聞くと、何も変わっていないとおっしゃる。食料が未だに足りない。

「放っておけば、餓死者が出るかもしれません」と、大槌町の佐々木さんはおっしゃった。それは、石原さんもおなじ。

 
物資を援助すると、被災者自立の為にならないという意見もあるようです。

そうかもしれないが、まだそんな段階じゃないところもあるのですね。

 
物資援助には、コミュニケーションをとるという側面もある。

石巻の湊水産の社長は、少し落ち着いてきて、孤立し孤独になったときの自死が怖いとおっしゃった。それも、10月以降を心配なさっていました

援助物資をお届けすることで、少しでもそれを防ぐことが出来るのではないかという願いもあるのです。

 
冬物の衣料品、食料を、引き続きご支援賜りたい。

 


2011年10月 8日 (土)

ふすま

昨日、藍にふすまを食わせました。

それを見ていたご近所の溝越さんは興味深そうでしたが、そりゃー、ココアのような香りのするどろどろの変なやつを藍の液の中に入れるんですから、入れる度毎に、「へぇー、ほぉー、そうですか」と呟いておりましたね。
Husumapowder
この人は、灰作りからお手伝いしてもらっていますから、だんだん藍に詳しくなって行くでしょうし、紺邑の生き証人のような人になりつつありますね。

 
 
さて「ふすま」とは小麦の皮のこと。米をつけば糠が残る。小麦をつけばふすまが残るというわけです。

当て字でしょうが、漢字では麦に皮と書きます。

ふすまには、澱粉とミネラルがたっぷり入っていますから、藍の大変良い餌になる。

終戦直後の日本では、これで水団を作って人間が食べていたものです。

 
紺邑の藍建ては「地獄建て」ですから、すくもと灰汁だけで染め液は出来ます。

それを安定させ、より青味を美しく落ち着いた色合いにするために、貝灰(ボレイ)、ふすま、黒砂糖を適量補う。

 
ふすまは新鮮なものを選べとは、我が父の言葉。今回はどういうわけか苦労をしまして、探しに探して、農協のある支部の作業場で、つきたての新鮮な物が手に入りました。
Husuma
それを何時間も炊きます。これも親父の指導で、雑菌を藍に食わせちゃならんし、繊維質をやわらかくして、微生物が食べやすくしてあげろと云う事。

 
液の中にいれる方法は、微生物みんなが食べられるように工夫をします。

入れた後は攪拌せずに静かに寝かせますので、ふすまを入れる前の手入れもしておきます。どういう風にといえば、その時その時で違いますから、藍と相談するわけです。ふすまの量も同じく、その時に一番良いと思う量にします。

一日たっぷりと寝かせて、微生物にふすまを食わせたら、しずかに攪拌してまた寝かせます。

これを書いている今がその時ですが、手入れした藍はすばらしい回復を見せております。大満足です。

 
 
ふすまはしょっちゅう入れているわけではありませんで、時期がある。これは、言い伝えとしてあるのです。

建てたばかりの時に、ある程度の量を入れておき、微生物が食い終わった頃に入れる。

その時期を、一ヶ月という人は多いようですね。でも、甕によって違うでしょうから、頃合は紺屋それぞれで決めていることでしょう。

 
昨年の夏過ぎ、藍の調子が悪くなった。

私は旅先にいましたが、電話で色々指示したけれど、結局すべての藍甕が駄目になった。

後で聞くと、ふすまが入っていなかったらしい。

 
これには参りました。

私の指示は、ふすまが入っているという前提ですから、全部狂っちゃった。

これが売り上げに大きく響いた。大変でしたが、それも経営者たる私の責任だ。

お取引いただいている百貨店や企画会社にも、多大のご迷惑をおかけした。良くぞ見守って下さったものだと、こころから感謝しております。

 
今、私が全てを見ておりますが、ようやく順調になってきた。

直近の札幌三越も、事故はありましたけれど、十分な成績でした(船橋だけが例外)。

それでもあの失敗を取り戻すのは、まだまだ掛かるでしょうが、がんばるしかありませんね。

工房お休みのお知らせ

明日10月9日(日)は、東京都夢の島熱帯植物館で開催される【ベアフットフェスティバル】被災地応援物産展にお手伝いのため、紺邑全員(私と家内)が出かけます。
よって、紺邑はお休みを頂きます。

東京近郊の方々は、夢の島公園まで是非お運び下さい。
なにか、楽しいイベントが盛りだくさんのようです。

2011年10月 7日 (金)

消石灰

伝統的な藍建て(藍を水溶性に変えて染め液を作ること)には、苛性ソーダもソーダ灰も石灰も使いませんし、もちろん、還元剤も使わないし、ブドウ糖も使いません。

石灰を使って「天然灰汁醗酵建て」と称するのは、いかがかと思っております。

たとえば阿波(徳島)の場合、江戸時代は桑名からハマグリの灰を取って使っていたという記録が桑名に残っているといいます。

また、私だって貝の灰を使う。

そうしなければ、「天然」という名はつけられないと思いますね。

 

苛性ソーダも劇薬だけれど、還元剤も体を犯す。
消石灰の場合、こういうこともあるから危険らしい。

消石灰で失明のおそれ 注意を
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111007/k10013095451000.html
▽▽▽▽
家庭菜園でも使われている土を改良する粉状の肥料、消石灰が目に入って失明する事故が起きたため、国民生活センターが、注意を呼びかけています。
国民生活センターによりますと、ことし4月、山口県の80代の女性が農作業中に転び、バケツに入れて持っていた消石灰が左目に入り、その後、失明しました。商品の袋には注意表示がなかったため、家族が地元の消費生活センターに相談したということです。消石灰は強いアルカリ性で、目に入ると細胞を破壊して失明する危険がありますが、酸性の土を中和する作用があり、家庭菜園用にも販売されているため、国民生活センターは、使う際は、保護メガネや手袋を使って目に入らないよう対策を取るとともに、目に入ったときはすぐに水で洗い流したうえで医師の診断を受けるよう呼びかけています。消石灰を巡っては、学校行事で校庭などに白い線を引くのに使われていたため、文部科学省が平成19年に安全な材料に変えるよう通知しています。今回の事故を受けて、農林水産省は、注意表示を徹底するよう求める通知を都道府県や業界団体に出しました。国民生活センターの小坂潤子さんは「消石灰は広く使われているが、危険性はあまり知られていないので、使う際は十分注意してほしい」と話しています。
△△△△

使っている方は、くれぐれもご注意ください。

2011年10月 6日 (木)

品種と品質

日本の蓼藍の品種「小上粉の白花種」のお話をしました。新しい品種だが優れた品種だということもです。

さて、品種は優れていたとしても、それは品質を保証するものではありません。

 
たとえば、お米のコシヒカリは優れていても、すべてがおいしいとは限りません。田んぼ各々でも、精米の仕方でも、ご飯の炊き方でも味が変わる。コシヒカリ以外の米はまずいなんて、誰がいえますか。

藍も同じように、藍農家では、畑の土の作り方や面倒の見方で違うだろうし、藍師では、こなし方、寝床の作り方、積み方、水の打ち方、切り返しの仕方、寝かせ方で違うだろうし、紺屋では、水や灰の質で違うだろうし、建て方や手入れの仕方でも違う。

単純に、原料で品質が決まるものではないことを、我々は知らなければならないし、それはまた、常識でなくてはならない。

小上粉の白花種で作ったすくも(藍)だから、優れたすくもだなんていうのは、この常識が無いだけの話です。
 
 
 
では、すくも(藍)の良し悪しは、どこに現れるかといえば、結果に現れる。

建ち方と色の具合にです。

  
 
佐藤平助さんの言葉を思い出していただきたい。

「苦労させた藍がすくもになると、その汁は赤黒い青味になるわの。ほんなすくもは糸を染めて、すぐに水で洗うても、落ちんがの、藍が。ほんでも無理に温度を上げて、日数をけちったすくもは、紙につけると真っ青で美しいが、糸を染めると、水に落ちて染まらんわの。藍に問うんだの、水を食いきったときに。そのとき、藍は答えてくれる。水が多かった、少なかった、というように」。

ここに、品種の話など出てきません。それは、ものづくりに真摯だからでしょうね。

 
実は醗酵を良く知ると、葉の積み方ですくもの良し悪しが判断できる。堆肥作りも同じだからです。それは、平助さんがおっしゃっていることと同じです。

  

最後に、誤解があってはいけませんから申し上げますが、私は佐藤平助さんのお話を書いてきた。平助さんですからお間違えの無いように。

2011年10月 5日 (水)

天然灰汁醗酵建て 小上粉白花種

私は随分前、このブログで「天然灰汁醗酵建て」について書かせていただいた。

「藍建ては、灰汁で自然発酵させるなんて言うのは当たり前だから、私は『天然灰汁醗酵建て』とは称していない」とも書きました。

つまりは、私の藍建ても、謂わば「天然灰汁醗酵建て」だと云うことだったのですが、どうもそうじゃないらしい。

「天然灰汁醗酵建て」と称するには、「江戸時代から徳島で栽培されてきた、小上粉白花種のすくもを使ったものだけが、『天然灰汁醗酵建て』と称することが出来る」と言っている人が居るという話しが、もれ伝わってきた。

江戸時代から小上粉の白花種が徳島で使われていたかといえば、そんなことはないと私は知っておりましたから、不思議な話があるものだと思いましたね。

 

大体、小上粉そのものが徳島の物じゃない。原産地は京都です。

明治の半ば過ぎまで、徳島で扱われていた藍があまりに種々雑多だったので、明治37年に県の農業試験場が8品種に整理して比較試験をしたんですね。

そして、最も多収なものが小上粉で、百貫、両面平張、赤茎小千本、上粉百貫がこれに次ぎ、収葉価格は小上粉、赤茎小千本、上粉百貫が高く、百貫が最も劣ったという結果が出た。

そこで小上粉は、収量品質ともに最も優れた品種として指導奨励されたため、栽培面積の9割以上を占 めていたということになったんです。

その後、大正9年に各地の品種を収集し比較試験を実施した結果でも、小上粉の収量が抜群に高く紫小千本がこれに次いでいることも分かった。

 

その小上粉は、「大正末期までは赤花種が栽培されていたが、昭和2~3年頃、この変種とみられる白花種が発見された。白花種は赤花種よりやや晩生であるが青藍含量、収量ともに優れているため、その後現在まで小上粉はもっぱら白花種が栽培されている」と、こう、徳島県の資料にもちゃんと書いてある。

 

お分かりでしょうか。

小上粉白花種は、昭和の初めに発見されたものなんです。

「江戸時代から徳島で栽培されている、小上粉の白花種のすくもを使ったものだけが、『天然灰汁醗酵建て』と称することが出来る」なんて話しは、何所から出て来たのでしょうかね。

 

まあ、そんな話しが徳島で出ていないことを祈るのみですな。

もしあったとすれば、恥ずかしい話しだ。

ボレイ末

紺邑では、藍建てに「貝灰」を使うと書きましたが、実は理想は違っておりました。

それは「ボレイ末」を使うこと。

長い間、使いたいと思っていましたが、先立つものが大変なので、貝灰を使っておりました。

 

人間の筋肉を動かすために欠かせないのが、カルシウムです。これが欠乏すると、心臓も動かなくなる。

そのために、血液中のカルシウムは常に一定量含まれていて、だから常に弱アルカリ性というわけです。

欠乏すると生命維持にかかわりますから、常に食事で補わなくてはなりません。

食事で補えなければ、体内の骨などから補給する。骨粗鬆症の原因の一つでしょう。
 

食事で摂れなくなったら、薬か栄養補助食品に頼る。

そのための漢方薬に「ボレイ末」があって、これがカルシウム剤の中で、体内への吸収率が抜群に優れているといわれています。

 
私の仲間の無農薬農家は、これを田んぼに使う。

それも、一反歩あたり1kgだけです。

その中の一人は、お米をたくときに小さじ一杯入れていたら、骨粗鬆症が劇的に改善しました。

 
現在紺邑では、その「ボレイ末」で藍の維持管理をしております。

Borei

今、手入れのために150㎝×50㎝×150㎝の甕に、約1kg入れたところです。

 
藍の液は柔らかで、美しい青色が染まります。


2011年10月 4日 (火)

伝えると云うこと(独り言)

工芸の技術を伝えるというのは、精神という面倒な物が付いている。

だから、難しい。

口で説明できるような物じゃないから、見習い、感じ取らなくてはならない。

見て感じるには、素質と感性が必要だ。今風に言えば適性というやつ。

これがなければ、十年・二十年修業しようが、結局は伝わらない。

 
例えば大工。

弟子にはいると、親方は敵性を見る。そして、無いと分かれば辞めさせ、他の仕事を紹介する。それには、親方の弟子を見る目が必要となる。

その点、私は親方としての敵性がないとつくづく感じている。

 
ここ何年かに比べて、会社としての紺邑は今、成績がよろしい。

それは、藍の建て方(灰汁の使い方)、維持管理方法、染め方、色具合、デザインを変えたからです。

昨年の今と今年の紺邑は、まるで違う工房になった。

 
神様は見ている。

ここ数年は、私の努力が足りなかった。

つくづく感じる昨今であります。

 

2011年10月 2日 (日)

アート街道66展 at一乃館 最終日

朝、ご近所の礒さん宅へうかがって、おにぎりを頂いてきた。なんと10個。

今日のお昼に、みんなで食べることに。このおにぎりは、絶品ですから。

 

少し遅れて、会場に到着。

既に、駐車場は一杯だ。

実は、一乃館には子供の頃から来ていて、ここのご近所は知り合いばかり。

そんな人達も、「しばらくね」などと言いながら来て下さった。しばらくとは、もちろん何十年振り。

ツイッターで知り合った関口さんやら、フェイスブックのお友達の大竹さんやら、今時のお付き合いの方々もいらした。

なんやかやで沢山の人々にお越し頂いた。

どの位かと言えば、驚くほどです(笑)

市長や信金の理事長や商工会議所の副会頭などの、佐野市の重鎮にもお見え頂いた。別段、ご招待したわけではありませんよ。

 
皆様にはお楽しみ頂いたと思います。何故なら、私たちが楽しんだからです。

 
予定通り、午後4時に終了。

反省会を6日に開く約束をして解散。

 

ご来場いただいた皆様には、心より感謝申し上げます。

また来年、このイベントでお会いしましょう。

2011年10月 1日 (土)

アート街道66展at一乃館2日目 「ライブ」

2日目も、会場溢れるばかりのお客様で、「バーゲンでもないのに、何でこんなに人が入るの?」と知り合いに言われたとは天命鋳物の若林さん。

コーディネーターの渡良瀬通信編集長野村さんは、「何所からこんなに人が集まるのでしょうね?」とおっしゃった。

つまりは、盛況だと言うことです。

 

今日は、大川公一(Vo.)栗原憲(Bass)櫻井満(Perc)のライブをやる予定だった。

余りの人の多さに、ライブなんかやると皆さんのお邪魔になるなと感じだした。野村さんも「ライブ、どうします?」と聞いてきたくらいです。

「止める方向で行きましょう」と言うことになった。

  

ところが、「ライブは何時から?」とか、「楽しみにしてまぁーす」とか言う人達が結構いる。そこでどうしようかと、再び考え込んでしまった。

決定的だったのは、栃木からいらした荒川さんの存在。

なんと、ビデオカメラご持参で、ライブを聴く気満々なんですね。

会場に入るやいなや、「何所でやりますか?」と言って、カメラ位置を決めようとするではありませんか。

 
仕方ありませんから、やることにしました。

 
 
栗原さんと、「音合わせしますか」と言うことになって控え室へ。

「ちょっと歌ってみてよ」と私に歌わせると、納得したようにベースを弾き出した。私がどんな風に歌うかを確かめたかったのでしょう。

栗原さんはジャズ・ベーシストですから、メモで出来るものにしようと数曲を選びました。

本番で櫻井君が入り、適当にライブをさせていただいた。

でも、楽しかったな。

でっかくですから、このトリオで営業でもしようかなんて冗談も出たくらい。

 

今日はよく寝たせいか、体調が良い。

おでんを作って、ゆっくりと一人で晩酌をしております。

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