蓼藍 小上粉白花種
私は随分前、このブログで「天然灰汁醗酵建て」について書かせていただいた。「藍建ては、灰汁で自然発酵させるなんて言うのは当たり前だから、私は『天然灰汁醗酵建て』とは称していない」とも書きました。つまり、私の藍建ても、謂わば「天然灰汁醗酵建て」だと云うことだったのですが、どうもそうじゃないらしい。
「天然灰汁醗酵建て」と称するには、「江戸時代から徳島で栽培されてきた、小上粉白花種のすくもを使ったものだけが、『天然灰汁醗酵建て』と称することが出来る」と言っている人が居るという話しが、もれ伝わってきた。
江戸時代から小上粉の白花種が徳島で使われていたかといえば、そんなことはないと私は知っておりましたから、不思議な話があるものだと思いました。
大体、小上粉そのものが徳島の物じゃない。原産地は京都です。
明治の半ば過ぎまで、徳島で扱われていた藍があまりに種々雑多だったので、明治37年に県の農業試験場が8品種に整理して比較試験をした。
そして、最も多収なものが小上粉で、百貫、両面平張、赤茎小千本、上粉百貫がこれに次ぎ、収葉価格は小上粉、赤茎小千本、上粉百貫が高く、百貫が最も劣ったという結果が出た。
そこで小上粉は、収量品質ともに最も優れた品種として指導奨励されたため、栽培面積の9割以上を占 めていたということになった。その後、大正9年に各地の品種を収集し比較試験を実施した結果でも、小上粉の収量が抜群に高く紫小千本がこれに次いでいることも分かった。
その小上粉は、「大正末期までは赤花種が栽培されていたが、昭和2~3年頃、この変種とみられる白花種が発見された。白花種は赤花種よりやや晩生であるが青藍含量、収量ともに優れているため、その後現在まで小上粉はもっぱら白花種が栽培されている」と、こう、徳島県の資料にも書いてある。
お分かりでしょうか。小上粉白花種は、昭和の初めに発見されたものなのです。「江戸時代から徳島で栽培されている、小上粉の白花種のすくもを使ったものだけが、『天然灰汁醗酵建て』と称することが出来る」なんて話しは、何所から出て来たのでしょうかね。
まあ、そんな話しが徳島で出ていないことを祈るのみです。もしあったとすれば、恥ずかしい話しだ。
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