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2011年12月 3日 (土)

佐野の事 秀郷と万葉集など

紺邑は、栃木県佐野市にある。

日本で「佐野」とだけ称しているのは町は、栃木県佐野市だけ。

あとは、「○○佐野」というように、栃木県佐野市と区別するために、「佐野」の前に地名を付けます。たとえば「泉佐野市」と云うように。

なぜかといえば、佐野より古い佐野が、日本には無いからです。

 

佐野といえば、藤原秀郷。ムカデ退治で有名な俵藤太(たわらのとうた)その人です。

史実として有名なのは、平将門を討ったこと(940年 天慶の乱)。

文化では、鉄器を発展させたこと。天命鋳物は秀郷からだし、佐野は刃物をはじめとする武器の生産地となった。

想像するに、徳川家康はこの辺りを通り、小山評定を経て関が原に向かい天下を取るわけだけれど、佐野に立ち寄って武器を揃えたなんてこともあったのではないかと思いますね。

私の師匠の鷲見和尚は、蝦夷征伐をした坂上田村麻呂は、佐野で武器を揃えたと主張をしておりますです。
 
  
 
佐野は、秀郷以前から佐野で、平安時代は「佐野庄」と呼ばれていた。

万葉集には・・・

下野野 みかもの山の 小楢のす まぐはし児ろは 誰が笥か持たむ(「みかもの山」は、東北道佐野藤岡インタの直ぐ側)

 
工房のある閑馬の近くでは・・・

赤見山 草根刈り除け あはすがえ あらそう妹し あや愛しも


閑馬を含む葛生・田沼の旧阿蘇郡では・・・

下野の 安蘇の河原よ石踏まず 空ゆと来ぬと 汝が心告れ

 
なんと三首も万葉集に収められている。古いでしょ!?

ちなみに「阿蘇」とは「麻(あさ)」からきているのではないかと、下野地誌にはある。
 
現在でも、栃木県は麻の一大産地だけれど、その中でも特に品質の優れたものがこの辺りで取れたといいます。

いつごろまでかというと、つい最近までです。

 

つづく

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コメント

「なぜかといえば、佐野より古い佐野が、日本には無いからです。」につきまして、

違うと思います。
全国の佐野という地名の中で、栃木県の佐野がイチハヤク町や市に指定されたからだとおもいます。

あるいは、佐野なんて地名は全国にあるんで、それらと区別するために和泉佐野などととつけたんじゃないかと思います。

いずれにしろ、明治時代以降に名前の変更が行われたんだろうと思います。

矢島さん、コメントありがとうございます。
あなたのおっしゃるようなことも存じ上げています。承知で書いているんです。
市町村などという行政区分は明治以前にはなかったなんてことは当たり前ですから、「いずれにしろ、明治時代以降に名前の変更が行われたんだろうと思います」という事も当たり前。
私は歴史家じゃありませんから、坂上田村麻呂の話も同じで、史実がどうかなんてことを問題にしているわけじゃありません。杓子定規じゃこの世の中、面白くありませんでしょう。
ある詩人は、「現代は事実の時代だ。事実などという歴史の泡ばかり見て、大海を見ない」と言っていますが、そういうことです。
では歴史とは何か?
あなたにご意見があればお聞かせください。

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