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2012年2月

2012年2月29日 (水)

帰宅

朝起きてみると、熊本は暖かいのに、テレビでは関東の大雪を伝えている。

我が佐野市閑馬も、10㎝も積もっていて寒いらしい。

少し暑いけれど、冬支度をして帰路につきました。
 
  
 
飛行機を降りる時、「寒いですからコートをご着用下さい」というアナウンスがありましたが、本当に寒い!

家に電話すると、「こっちに帰ってきても、迎えに行けないから東京に泊まったら?」と家内は云うけれど、実は母の体調が優れず、病院探しをしなくてはならないのです。

無理してでも帰らなければなりませんので、地元の田沼駅まで行き、タクシーをつかって帰ることにしました。
 

携帯のJナビを駆使して調べ、羽田空港→品川→上野→久喜→館林と乗り継いで田沼に到着。

それでも15時39分に着いた。

熊本を朝9時に発ってのことですから、割合早かったと思います。

 

これからまた、忙しい日常が始まります。

 

2012年2月28日 (火)

熊本後半

どうも、毎晩のお酒が入っておりまして、書く時間が、いや、体力がありませんで、ついつい寝てしまう毎日です。

紺邑は、5日目まではちょいと辛かったけれど、6日目の一日で何とか面目を保ったかなというところです。
 

今回は、随分とメンバーチェンジがあった。

理由は分かりませんが、担当者としては、相当の冒険をしていたのではないかと推測します。

結果は、前年も予算も大きく上回り、めでたしめでたしの様子。

世話役の小山さんも担当の白石君も、ご苦労様でした。

我々出展者達が、楽しく仕事をさせていただいた結果でしょうね。

 
毎日、春ちゃんが来てくれた。

周りが不思議がるけれど、友達だし仲間だから話しをしていて楽しいし、75年の波乱の人生を持っている人ですから勉強にもなった。

毎日私に説教をするところが玉に瑕だけれど、先輩だから仕方ない。

本当にお世話になりました。

感謝です。

 
明日帰りますが、忙しい日常がまた始まる。

これにもまた、感謝です。

2012年2月24日 (金)

熊本3日目

正直なところ、鶴屋の木・金曜日は、売り上げがあまり期待出来ないらしい。

 
ところが、昨日の木曜日は、紺邑も全体もOK!

今日の金曜日も、どうも同じくOKだったといいます。

これはありがたいことです。

天候が回復しますと、さすが鶴屋は動員力がありますね。

 
終わってから、春ちゃんと中島さんと三人で中華料理で夕飯。

春ちゃんの姓は「徳永」ですが、中島さんのお母様の姓も「徳永」。

熊本の徳永さんは、東京の中島さんの母上にそっくりだそうで、三人でご飯を食べるのも、偶然と言うことは無いのかもしれません。

それを中島さんは「奇跡」とおっしゃった。

およそ、らしくない言葉だと思うけれど、職人には、そう言う感性が無いといけないのかもしれない。

何故なら、技術の伝承というのは、そう感じる感性が必要だからですね。

 
難しい話しをするには、ちょいと酒が入りすぎ。

今夜は、ビールと紹興酒だ!

2012年2月23日 (木)

熊本2日目

泡盛「久米仙」のお陰か、朝4時頃に目が覚めてしまい、後はウトウトで朝が始まりました。

今日から急に暖かくなったようです。

こういう気候の変化は、我々着る物を売る商売には余りありがたくない。お客様が、何を買って良いか迷うんですね。

午前中は雨模様で、その所為かどうか、静かに始まりました。

レイアウトがどうもしっくり来ないので、お隣の贄田さんに相談しつつ、変えてみました。
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そのお陰か、午後になって新しいお客様に恵まれ、ありがたい一日となりました。努力はするものですね。

紺邑としては、この時期まあまあの成績ですが、全体も良い雰囲気らしい。

まだ始まったばかりだけれど、品揃えは充実してきたので、後は、私次第でしょうから頑張ってみます。

 
毎年恒例の懇親会が、賑やかに行われ、良い酒を頂いた。

食べるものも十分あったのに、帰りにラーメンを食べて来ちゃった。

せっかく痩せたと言われているのに、こりゃ太って帰りそうだ。

2012年2月22日 (水)

熊本鶴屋初日

朝6時から展示開始。

私は二時間もあれば終わる。

だから、8時過ぎにホテルに帰って朝食。これが充実していて、お腹いっぱい。

また戻って、元気よく開店準備。
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白石君の、簡潔でも気持ちのこもった朝礼があって、いざ開店。

 
震災被災地へ、熊本からボランティアに行っている春ちゃんが来て長話。

この人は、仲間だけれどお客様。

ちょいと買い物もしてくださり、その上、久米仙という泡盛をぐい呑みつきで差し入れてくださった。

 
夜7時に終了。

さすがに皆さん疲れていて、ホテルに直行だ。

お店の出口でお弁当を売っていたので、「鹿児島黒毛和牛牛めし」というのを買い、ホテルの隣の総菜屋でサラダを2品買い足し、部屋で久米仙をやりながら夕飯。

ゆったりとした時間を過ごさせていただいた。

これも、久し振りのことです。

2012年2月21日 (火)

熊本へ

色々やることがありまして、朝6時からお仕事をして、10時35分佐野バスターミナルから王子行きのバスに乗り、王子から京浜東北線で浜松町経由羽田空港に行き、JALに乗って熊本に参りました。
 
 
羽田で早めに中に入り、腹が減っていたのでカレーライスを食べた。

しかし、何となく物足りない。

待合いで、洋傘の中島さんに会った。

搭乗時間まで、あと一時間半もある。

「ビールでも行きますか」という中島さんの問いかけに、「そうしましょうかね」と即答。

珍しいことに、空港内に立ち食い寿司屋があったので、そこで物足りない腹を満たしながらビールを始めたら、板前がなんだかんだと話しかけてきたから答えていると、なんだか本物の寿司屋にいるような気分になっちゃった。

「立ち食い寿司ってーと、銀座の三原橋にあって、良く行ったもんだ」と私が言うと、「あの、映画館の上ですね」とこの板前がいう。

あんなところを知っているのが珍しいので、「なんで知っているの」と聞けば、「私は18から銀座で修行をしたんです。隅から隅までしってますよ」ときたもんだ。

「あの頃で2カン100円だった」というと、「昭和30年代ですね」と、さすがに詳しい。私が小学生の頃です。

栃木の私が、昭和30年代の銀座の立ち食い寿司屋をなんで知っているかという話しは、長くなるな(笑)

日本酒もやっつけて、良い気持ちで飛行機に乗ると、あっという間に熊本に到着。
 

寒い寒い!畑に雪が残っていました。

 

2012年2月20日 (月)

昔の人の知恵(エコロジーの事)

ここのところの寒さは、椎茸農家の星野さんに言わせると、昔に戻ったようだと言います。確かに、外に置いた灰汁のペールの氷は、分厚くなって決して溶けませんし、外に出るガラスのドアが、凍って開かなかったくらいです。

それでも染めなければならないけれど、とてもじゃないが、身体が動きません。

だから、朝の行事は、先ずはストーブに火を入れること。

でもね、コンクリート床の1階は、なかなか暖まりません。
 
 
その点2階は、ご近所の吉田さんのスウェーデンサッシのお陰で、直ぐに暖まるし、冷えることも少ない。このサッシは、優れものです。 
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直ぐに暖まり冷めないこのサッシは、エコに最適だけれど、1階のコンクリートの床は如何ともしがたい。

 
朝の仕事の一つに、水を出すと言うことがあります。

紺邑の使う水は、全て地下水だから、しばらく出しっぱなしにしておくと、湯気が出る位になる。何せ、一年中17℃ですからね。夏冷たく、冬暖かいのです。時折、水道水を使うと、それはまるで氷のように冷たくて、素手が使えないほどです。

自然の力は凄いと思うけれど、そう言えばその昔は、染め場は土間だったし、藍甕は地下に埋めている。

それはやはり、地熱の効果で、夏涼しく冬暖かいと言うことなんでしょう。

 
やはり昔の人は、優れた知恵を継承していた。

それは、藍染も然りなんだけれど、私もついついコンクリートの床にしてしまっていました。

  

また、一日忙しかった。

夕飯が夜11時という始末だ。


神楽界のマイケル・ジャクソン

ブログを書けないときは大抵、身体が動かないほどに疲れている上に、酒が入っちゃって寝ております。

昨夜も8時頃まで染め仕事をしてから、ご近所の礒さん宅で夕飯を頂き、ついでに越乃寒梅をやったら飲み過ぎちまって爆睡!とこういう訳です。

 
 
早池峰大償神楽の佐々木さんが19日、栃木県足利市にいらっしゃいました。

文化庁が「全国神楽協議会」というのを一昨年作ったのですが、昨年の大震災で延び延びになっていたフォーラムに出席するために上京なさったので、その帰りにお立ち寄りいただいたのです。御歳81才になったお誕生日でもありました。

佐々木さんは、神楽界のマイケル・ジャクソンと言われるくらいの人だそうですが、その舞台を見ている私は、なるほどと思います。

そういう方と、酒を飲みながらお話しをしようという集まりがありました。

もちろん私も出席予定でしたが、事態がそれを許してくれませんでした。

 
朝八時半から、佐野市のホテル「マリアージュ仙水」というところのイベントの、搬入展示をしなければなりませんでした。

染め仕事もありますから、私は展示を手伝ってから、すぐに帰るつもりでしたが、家内が「一度家に帰らせて」というので、「直ぐに交代してくれよ」とその通りにしたら、待てど暮らせど帰ってこない。

結局、染め始めたのが2時過ぎで、三時半にはイベントの撤去に行かなきゃならなかった。

また染め出すと、もう4時を過ぎてます。

佐々木さんを囲む会は6時からですから、とうてい出席は無理。まさか、仕事をしないわけには参りません。

私は諦めて、家内だけが行きました。

 
黙々と藍染をしておりますと、夜9時になって家内から電話。「これから2次会なんだけど、『やっぱり大川さんがいなきゃ』って皆さん言うから、来ない?私が迎えに行くよ」というので、仕上げを急ぎました(後から聞くと、だれもそんなことを言ってなかったらしい。ただ、家内が私を佐々木さんに会わせたかっただけでしたね)。

結局、夜10時近くに工房を出て足利へ。

盛り上がっているところに到着し、佐々木さん手ずからお酌をしてもらっちゃったものだから、ついつい日本酒を飲んでしまいました。

正直なところ、お昼しか食べていないので、お腹ペコペコ。身体はボロボロ。そこに美味しいお酒と楽しい会話ですから、酒が進むのは仕方ありません。

 
会話の内容は様々だったけれど、神楽ですから神様のお話しになる。

「神楽というのは、神様を楽しませる為にある。では、観客のために舞わなくても良いのか。観客とは、神楽にとってどういう存在か。それは、皆さん一人一人に宿る神様がいらっしゃるから、その神様に楽しんで貰う。それが、神楽です」。そんな話しが、佐々木さんの口から出ると、還暦過ぎた私も涙が出て来そうになった。

実際に、佐々木さんの舞台を見て、私の目から大粒の涙があふれ出て、自分で驚いたくらいです。

そんな様子は昨年、「早池峰神楽」と題して、このブログに書いて置きました。

 
家に帰ってくると、0時半だ。

これじゃあ、ブログは書けません。

2012年2月17日 (金)

久々に雪が降っています。

栃木県というと、余程山の中だと思われているようで、西の方々から「雪はどうですか?」と良く聞かれます。

この間、東京が雪だったときは、私の所は降りませんでした。

そのくらいなもので、佐野市は関東平野の突き当たりで栃木県の南端。山間部じゃないのでありますよ。ただし閑馬町は、山間部ではあるけれど、山奥じゃあない。

閑馬にいらっしゃった方は、「おもったほど、田舎じゃないね」とおっしゃる。

この「思ったほど」が、余程思った程だということなんで、田舎であることに間違いはありません。

 

義弟のお母様がお亡くなりになった。

お通夜に行ってまいりましたが、広い駐車場が一杯。

生前のお人柄が忍ばれます。

ご冥福をお祈りいたします。

合掌

2012年2月14日 (火)

藍染に勤しむ日々 そしてバレンタイン

ここ数日、藍染に勤しんでおります。

とにかく、染めなきゃ紺屋じゃありませんからね。

 
それにしても、染めても染めても染め上がらない。

こんな感慨は、簡単に染まる藍染をやっている方にはお分かり頂けないだろうけれど、そんなこと言っても詮なきことだから、黙々と染めております。

 
寒い!とにかく寒い!

温めていない藍甕に手を入れたら、痛いほどに冷たかったけれど、醗酵していて色がちゃんとある。えらい!とついつい叫んでしまいました。

手を尽くして手入れをしたら、しっかりと戻って参りました。

 
寒いと身体が動きませんので、ここ数日は、遂に石油ストーブをつけてしまった。

そうしたら現金なもので、仕事が苦にならなくなりました。

お陰様で、順調に進んでいます。

 
世間は、私の仕事など関係なく、バレンタインだそうで、百貨店のチョコレート売場は大変な人混みらしい。

そのチョコレートは何所へ行くのやら。

私の所へは、例年の如く、名和さんから一個だけ届きました。

私には娘が三人おりますし、女房殿も一人いる。

ああーそれなのにそれなのに♪

2012年2月10日 (金)

訃報

新しい藍が建ちますと、物理的に染めが楽になります。

だからと云って、好みの色合いが出せるかと言えば、そんなに単純でもない。この辺りが、難しいところです。

音楽で言えば、音が出れば良いってもんじゃない。そこには、音質だの個性だのがあるはずでね。

なんでも良いのは、アマチュアの世界で、それは何でも同じでしょう。

 
 
訃報が入りました。企画会社の吉川さんが、旅先で亡くなられた。

余りの急なことに、心底驚いております。

吉川さんに初めてお会いしたのは、今はありませんが伊勢丹の吉祥寺店。

私みたいなものにも、いつもニコニコと笑顔で接してくださった。

誠実なお仕事をなさる方でした。

まだお若いことと思う。

心から、ご冥福をお祈りさせていただきます。
 
合掌。

2012年2月 8日 (水)

藍甕とウールの広幅のお話し

藍甕は普通、一石五斗(約270リットル)の大谷焼です。

今、私が建てている藍甕は、幅50㎝奥行き50㎝深さ150㎝ですから、1125リットルの体積がある。つまり、4倍強の大きさ。

それを灰汁だけで建てていますので、使う灰の量が半端じゃない。

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130リットルのペール三本をフルに使って、灰汁を取っています。

使う灰の量は、それぞれ12~13㎏。

自分で作ったものやご近所から頂いたものばかりですが、炭も入っていますから、細かく振るってから使います。

灰汁は130リットル全部使える分けじゃない。凡そ80リットル強でしょう。

おおざっぱに計算しても、十数回灰汁を取らないと、藍甕は一杯になりません(一杯にはしませんけれどね)。それも時期を見て、弱い灰汁も使うから、そう単純でもない。

一石五斗の甕なら、3回ちょっとで済む。


なぜこんな甕が必要かと云えば、今や生地染めは、広幅の時代だからです。ヤール幅で91㎝ですが、100㎝を超えるものなんてざらです(反物は38㎝)。
 
ウールの広幅は、130㎝くらいの物もある。大谷焼やペールの藍甕で染めることは出来ません。

これが、「日本でウールの広幅を染められる紺屋は、そう多くはない」と私が言う理由です(糸染めや、セーターなどを染めることは出来るでしょうけれどね)。

 
紺邑が染めて作っているウールのケープやコートは、世間にそうあるものじゃありません。ましてやアルパカなどおや、であります。
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(写真はメンズウールコート)

恥ずかしながら、こういう事に、改めて最近気がついた(笑)。


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今日の嵩上げの結果です。後一歩ですが、実によい感じだし、色も出ています。


2012年2月 7日 (火)

千客万来

千客万来の一日でした。

午前中は、市役所からTさんが書類を持ってきて下さった(実名を出して良いかどうか分からないので、イニシャル)。


しばらくすると、有機農業とオカリナで名の通った黒澤さんが、変わったコンサートのお誘いに。

私とは立場を異にする方なんだけれど、なぜか話しが弾む。

それは、農業、政治、音楽、田中正造についてと様々。

地元に同じ大学出身者が少ないとおっしゃるから、「どちらの大学ですか?」とお聞きしたら、ICU(国際基督教大学)だそうで、これは黒沢さんのイメージとずいぶん違うけれど、なるほど、英語の先生な分けだ。

ICUでは、同じ英語の教室に、TBSの宇宙飛行士だった秋山さんがいたそうで、そう言えば彼も農家になった人だ。今でも連絡しあう仲だそうです。

 
午後は、新聞の取材で神楽実行委員会の事務局が集まり取材。ポスター印刷の打合せで林さんも来て下さった。

そんなこんなでクタクタ。

だから、酒が旨い(^_^)v

 
さて、黒澤さんとは立場が異なるとはいえ、私は否定している分けじゃない。彼は立派な方です。

だから、なんでも協力することにしているので、コンサートの告知を致しましょう。

佐野近郊の方々、ご興味あればご参加下さい。

私は行けませんが、家内は伺います。

Photo_2

立場が違うことは、お分かりだろうか(笑)

2012年2月 5日 (日)

嵩上げ

藍が建たなきゃ、藍染は出来ませんが、簡単にはできやしません。
じっくりと時間を掛けて醗酵させなければなりません。

それには、寝かせることだけれど、その間は我慢です。

冬場は温めなければならない。
つまりは、冷やしちゃいけませんから、写真のような姿にします。

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この甕はステンレス製で、断熱材がたっぷりと入っていて、簡単には冷えません。

灰汁を足して、嵩上げをしたんですが、一人で作業しているものですから写真は無し。

また、灰汁を取りますが、大きな甕なので沢山要るのです。

2012年2月 1日 (水)

お役所

毎朝「寒い寒い」を連呼していますが、その所為かどうか、洋子さんが風邪で寝込んでいます。

そうなると、私は生きていることに手も足も出なくなる。

困ったものです。

それでも、出来ることをやりました。

何をしたかと言えば、お役所回り。

 
佐野市生涯学習課・文化振興課・観光立市推進室・佐野市観光協会に行き、担当の皆さんにご挨拶して、宇都宮の県庁に足を運び、やはりご担当とお話しをして参りました。

これは、私の役割だ。

 
栃木県庁に、初めて足を入れましたが、威風堂々たる構えだった。

中はさすがに省エネで暗く、廊下に電灯はほとんどついていません。

それでも外光が差して明るいのは、設計のお蔭なんでしょうか。

昔から役所は、時代の最先端を行く建物だった。

Photo
旧栃木町役場も、風情がある。

 
佐野市役所は現在、建て替え中です。

どんな建物になりますやら、楽しみだ。

なにせこれまでが、ぼろっちかったですからね。市民もお役人も、良く辛抱したと思います。
 

その為に今回は、閑馬から車で10分の田沼庁舎。そこから15分くらいの国際交流協会。そこから5分の観光立市推進室と、広い市内をくるくると回らなければなりませんでした。

まあ、これも私の役割だ。

 
帰宅して走行距離を見ると、凡そ120㎞。

良くやりました。


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