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石巻の岩本さんから電話があり、「そちらに会議に使うようなテーブルはないでしょうか?石巻には全くなくて、みんな倒産する前に津波で持って行かれてしまったようなんです」と、もの凄いことを簡単におっしゃる。
石巻で朝市が開かれることになり、岩本さんの会社も出店することにしたようなのですが、商品を並べるテーブルが無いと言うことらしい。
さすがに震災から一年経ちますと、支援物資の内容も変わりますね。
そこで、足利市と佐野市を探しましたら、良いテーブルが見つかりましたので送ることにしました。
宅配便の業者に見積もりを出して貰ったら、もの凄く高い。
それなら持って行っちゃおうと云うことになりまして、初老三人組が、久しぶりに石巻に行くこととなりました。
岩本さんに、「持っていきますよ」と電話すると、「それでは、一年後の我が社を見てください」とうれしそうに仰った。
そう言えば、最初に伺ったのは、昨年の4月13日ですから、およそ一年経ちます。
朝6時ちょっと過ぎに出発。
左から、中沢隊員、高橋隊長、大川隊員。
東北道を福島に入り、一年前を思い出す。
「あのころは道ががたがたで、自衛隊と全国の県警で一杯でしたね」と。
今から考えれば、戦地に行くかのような緊張感だった。
石巻に入りますと、街はすっかり復興していて賑やかなものです。
しかし、北上川を渡ると、見違えるようにきれいになってはいるものの、それはただ瓦礫を撤去しただけの暗い街並みでした。
これが、午後12時半ころの風景です。
一年前は
こんなのが道を塞いでいたのですから、それから比べればきれいだけれど、でも静かです。
目的地の湊水産に到着。ここもきれいになった。
湊水産は、震災直後から80名程の被災者を会社に引き受け、民間の避難所となっていたところです。
そのホームページを是非ご覧頂きたいと思います。
こちらをクリック!
(つづく)
大国主神は別名を大穴牟遅神(おおあなむじのかみ)・葦原色許男神(あしはらしこおのかみ)・八千矛神(やちほこのかみ)・宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)と、五つの名前があり、兄弟は八十神もの大勢おいでになった。
しかし、その全ての神々は、国を大国主神に譲って身を引いた。
何故かと言うお話し。
その大勢の神々はめいめい、稲羽(因幡)の八上比売(やかみひめ)と結婚したいと思っていて、みんなで稲羽に行ったときに、大穴牟遅神(大国主神になる前の名)に袋を背負わせて、従者として連れて行った。
そこで、「因幡の白兎事件」があったわけだけれど、助けられた兎が「八上比売はあなた様が獲得なさいます」と申したとおり、八上比売は「私は大穴牟遅神と結婚します」と言った。
大勢の神々はそれに怒り、何度も大穴牟遅神を殺すけれど、御母の命の力でその度に生き返る。
心配した母親の神が、「ここにいると、あなたはまた殺されてしまう」と、大穴牟遅神を紀伊国の大屋比古神(おおやびこのかみ)の所に人目を避けて行かせたけれど、大勢の神々は探して弓に矢をつがえてやって来て、大穴牟遅神を引き渡せと要求してきた。
そこで大屋比古神は、大穴牟遅神を須佐之男命の所に逃がした。
須佐之男命の所に参上すると、その娘の須勢理比売(すせりびめ)が出て来て、お互い一目惚れで結婚を言い交わした。
そこでまた、父親の須佐之男命に殺されそうになったり色んな事をされて、大穴牟遅神は妻の須勢理比売を背負って逃げた。
気がついた 須佐之男命は追いかけるけれど、既にはるか遠くに二人は行ってしまった。
そこで大穴牟遅神に呼びかけて、「そのお前が持っている生太刀と生弓矢で、おまえの異母兄弟の大勢の神々を追い払い、おまえが大国主神となって、我が娘須勢理比売を正妻として、宇迦(うか)の山の麓に宮殿を建てて住むが良い。こいつめ」とおっしゃった。
こうして大勢の神々を追い退けて、大穴牟遅神(大国主神)は初めて国をお作りになった。
大国主神は稲羽(因幡)の八上比売とも結婚して国に連れてきたけれど、正妻の須勢理比売を恐れて子を置いて国に帰ってしまった。
<八千矛神(大国主神)の歌物語>
さて、ようやく本題。
古事記には、八千矛神(大国主神)の歌物語がある。
先ずは、八千矛神(大国主神)が越国の沼河比売(ぬなかわひめ)との間の歌のやりとりがあって、この二人は結婚した。
次に、嫉妬深い正妻の須勢理比売命(すせりびめのみこと)に八千矛神は困惑して、出雲国から大和国に上ろうと思い、旅支度をしてお立ちになり、片手を馬の鞍に掛け、片方の足を鐙に踏み入れながらお歌いになった。
ぬばたまの 黒き御衣(みけし)を
まつぶさに 取り装(よそ)ひ
沖つ鳥 胸見る時
はたたぎも これは適(かな)はず
辺(へ)つ波 背(そ)に脱き棄(う)て
そに鳥の 青き御衣(みけし)を
まつぶさに 取り装(よそ)ひ
沖つ鳥 胸見る時
はたたぎも こも適(ふさ)はず
辺つ波 そに脱ぎ棄(う)て
山県に 蒔きし あたたで春(つ)き
染木が汁に 染衣(しめころも)を
まつぶさに 取り装(よそ)ひ
沖つ鳥 胸見る時
はたたぎも 此(こ)しよろし
いとこやの 妹(いも)の命(みこと)
群鳥(むらどり)の 吾が群れ往(い)なば
引け鳥の 吾が引け往(い)なば
泣かじとは 汝(な)は言ふとも
山処(やまと)の 一本(ひともと)すすき
項傾(うなかぶ)し 汝(な)が泣(な)かさまく
朝雨の 霧に立たむぞ
若草の 妻の命(みこと)
事の 語り言も こをば
ようやく藍染が出て来ました。
□□□□
山県に 蒔きし あたたで春(つ)き
染木が汁に 染衣(しめころも)を
まつぶさに 取り装(よそ)ひ
□□□□
「山県」とは「やまあがた」の略で、「あがた」は山地の畑のこと。
「あたたで」とは異蓼ということで、大陸から持ち込まれた蓼藍のこと。
だから、これを訳せば・・・
□□□□
山の畑に蒔いた藍蓼を春(つ)き
その染め汁で染めた衣を
ピッタリとお召しになり
(角川ソフィア文庫「古事記」から)
□□□□
こうなるわけです。
さて、私は藍染めの職人ですから、「たでをつく」と読んだときに「蓼を突く」と文字が浮かんだ。
藍の染め液を作るときに、たぶん昔の人は、棒で突いていたのかもしれないと思っているからです。
実は私は、今でも藍を建てるときに、突いています。
次に全訳を載せておきます。
(ぬばたま色の)黒いお衣装を
ぴったりと お召しになり
沖の水鳥するように 胸もとを見た時
羽繕いをばたばたするように点検しても これは似合わない
浜辺の波が返るように 背後に脱ぎ棄て
(翡翠色の)青いお衣装を
ぴったりと お召しになり
沖の水鳥するように 胸もとを見た時
あれこれ点検しても これは似合わない
浜辺の波が返るように 背後に脱ぎ棄て
山の畑の蒔いた 藍蓼を春(つ)き
その染汁で 染めた衣を
ぴったりと お召しになり
沖の水鳥するように 胸もとを見た時
あれこれ点検すると これぞ似つかわしい
愛しい 我妻よ
(群鳥《むろどり》のように)私が伴人(ともびと)と一緒に旅立ったならば
(引き去る鳥のように)私がここを去ったならば
泣きはしないと おまえは言ってみても
山の 一本すすき そのように
首うなだれて おまえが泣くさまは
朝の雨が 嘆きの霧となって立つだろうよ
(なよやかな)我が妻よ
(角川ソフィア文庫「古事記」)
この歌を受けて后が歌を返し、酒杯を交わいあい、大国主神はもう大和には行かないと約束し、互いの首に腕を回しあって、今に至るまで出雲に鎮座なさっている。
古事記には、藍染に関係するであろうと思われる記述が2カ所あります。
一つは大国主神(おおくにぬしのかみ)の歌に藍染があるけれど、長くなりますので、先ずは大国主神についてのおさらいをメモ代わりに一席。
(角川ソフィア文庫「古事記」を参考に)
伊耶那岐命(イザナキノミコト)と伊耶那美命(イザナミノミコト)が結婚して大八島(おおやしま・日本の国土)をお生みになり(国生み)、次に、石・木・海・水・風・山・野・火などの森羅万象の神々をお生みになった(神生み)。
しかし、火の神をお生みになったのが原因で、伊耶那美命は亡くなり、あの世(黄泉の国)へお行きになってしまった。
伊耶那岐命(イザナキノミコト)は大いに悲しみ、伊耶那美命を黄泉の国までお迎えに行かれ、「決して覗いてはいけません」との約束を破って伊耶那美命のウジの湧いた恐ろしい姿を見てしまい、怒った伊耶那美命と黄泉の国の醜女に追いかけられ、最後は離縁をしてようやく逃げてきた。
その汚れを洗い落とされた時(禊ぎ)の最後に、左目をお洗いに為った時に天照大御神(あまてらすおおみかみ)が、右の目をお洗いになった時に月読命(つくよむのみこと)が、鼻をお洗いになった時に須佐之男命(すさのおのみこと)の、いわゆる三貴子がお生まれになった。
伊耶那岐命はたいそう喜ばれて、天照大御神には高天原(たかあまのはら・天上界)を、月読命には夜の世界を、須佐之男命には海原(うなはら)を治めさせることにした。
ところが須佐之男命だけは、指示に従わず、母を恋しがって泣いてばかりいるので、伊耶那岐命は怒って国から追放してしまった。
追放された須佐之男命は、姉の天照大御神に相談するために高天原に向かう。
須佐之男命はそこ(高天原)で散々乱暴を働いたので、驚いた天照大御神は天の岩屋の戸を開いて閉じこもってしまうと、天上界も地上も真っ暗闇になってしまった。
そうすると、万物の災いが一斉に起こった。
そこで、高天原の八百万の神々が集まって相談し、鏡やら何やらを用意し、天宇受売命(あまのうずめのみこと)が岩屋の戸の前で面白おかしく踊ると、高天原が振動せんばかりに八百万の神々がどっと笑った。
天上界も地上も真っ暗闇なはずなのに、何をしているのかと不思議がった天照大御神がお出ましになり、また光が刺して天上界も地上も明るさをとりもどした。
神々はまた相談して、須佐之男命に多くの財物を出させ、髯と手足のつめを切って罪を祓わせて、天上界から放逐した。
天上界を追われた須佐之男命は、出雲の国にお降(くだ)りになり、櫛名田比売(くしなだひめ)を助けるために八俣の大蛇に酒を飲ませて退治し、その八つの尾の中ほどの尾を切ると剣が出てきた。
これは尋常の剣ではないと思った須佐之男命は、天照大御神に献上なさった。
これが草薙の剣。
須佐之男命は櫛名田比売と結婚して、出雲の国に宮殿を造ってお住まいになった。
生まれた子が八島士奴美神(やしまじぬみのかみ)でその子の子の子の子が天之冬衣神(あまのふゆぎぬのかみ)で、この神がつくった子が大国主神。
どうも、いつの間にか藤沢が終わってしまいました。
5日目も6日目も、そこそこの成績で、ほぼ7日間の目標に近づいていました。
最終日はさすがにのんびりしたもので、3時頃にはもう終わりだと思って片付けの準備を始めようと思うほど。
ところがギッチョンチョン、大常連がお二人お見えになって楽しいお買い物で夕方5時となり、目標も上回り、めでたしめでたし。
町田は「竜頭蛇尾」でしたが、藤沢は「終わりよければすべてよし」でした。
東京駅から例の如くバスで佐野に帰るわけですが、19時05頃ついて19時50分のバスだからずいぶん時間がある。
地下の立ち食い寿司屋で、一人打ち上げ。
もの凄く混んでましたが、ゆったりと生ビールを2杯やって寿司を美味しく頂いた。
皆さん何故か、箸で食べているけれど、私は手。
皆さん何故か、2種類も3種類も一緒に頼むけれど、私は一種類ずつ。だって、ご飯が乾いちゃうでしょう。
そんな馬鹿なことを考えつつ、腹一杯にして2千円ちょっと。
結構な一人打ち上げでした。
閑馬は寒いです(>_<)
藤沢の土曜日は、いつも良くない。
なーーーんも期待していなかったけれど、取り置きがあったので安心もしておりました。
開店してしばらくしたら、DMのお客様がお買い物してくださいまして、簡単に目が開き、12時過ぎ頃に取り置きのお客様にも来ていただいた。
お昼から戻ってきたら、ご常連が次々と見えて、作務衣だシャツだポンチョだと出まして、担当が「もう帰っても良いくらいですね」なんて言うくらい好調な一日となりました。
こんな事もあるんだなと、自分でも信じられない位です。
少し疲れをとるためにも、今日と明日は近くに泊まります。
藤沢に着いてみれば、雨だ。
こりゃ、どうなるかなと思うけれど、なるようにしかならないのが藤沢の特長です。
案の定、淡々と時は過ぎゆく。
えいや!と昼飯。
今日はトンカツ。
満腹になったら眠くなって、ついウトウト。
「お疲れ様です」と、新任の担当に起こされちゃった。
それからも淡々と時間が経過。
その内お客が付いて、バンダナを一枚販売して、お茶挽きを免れた(意味お解りでしょうか?)。
ようやく、大常連の鈴木さんとお友達が来てくださり、楽しくお買い物。
この時期に、ウールのセーターとはありがたい。
この状況は、今一なんだけれどまあまあと言うところ。
こんなものかなと思いつつ、帰り支度を始めた午後6時半過ぎ、またお客が付いて、本日も立派な成績(^_^)v
慎重に、間違えの無いように電車に乗り、無事帰って参りました。
ただいま、酒をかっくらっておりますです。
先週から感じていることですが、百貨店のお客様に購買意欲が感じられるようになったようです。
昨年より、販売に苦労がなくなりました。
まあ、この店は特別で、欲しい方はちゃんと買ってくださいますけれどね。
常連のようにお買い物なさったお客様がいらした。
ところが、初めて。
「いつもここに出ているでしょ?」とお聞きになるところを見ると、気に掛けてくださっていたんですね。
「いつか頂こうと思っていたの」とおっしゃる。
長くやると言うのはやはり、意味があります。
昨日ほどの忙しさはありませんけれど、今日の方が成績は僅かに良かった。
藤沢としては、これで良しです。
明日からは、ご常連がお見えになることでしょう。
多分。
こんな感じでやっています。
朝早めに出て準備。
開店すると、目が回るほどの忙しさ。
レジにいる人達が、「忙しいですね」と言うほど。
最後までは続かなかったけれど、ありがたいことでした。
何故かと言えば、DMを出し損ねて、明日か明後日到着で、初日は全く期待してなかったからです。
気持ち良く、帰宅の途に就いた。
気持ち良く、19:11分発快速急行新宿行きの電車に乗った。
ウトウトとしていたら、ぞろぞろと乗客がみんな降りちゃった。
そんな駅が、藤沢の近くの小田急線にあったかな?と駅名を見ると「鵠沼海岸」とある。
あれ、そんな駅あったかな?と、慌てて路線図を見たら、次は片瀬江ノ島ときたもんだ。
別の電車に乗っちゃったんですな。
仕方なく、そのまま藤沢に戻り、19時27分発の急行に乗って娘のところに帰りましたとさ。
好事魔多し、禍福はあざなえる縄のごとしだ。
町田が終わりました。
「竜頭蛇尾」って感じだけれど、「始めよければ全て良し」だ。ん?違う??
今日が藤沢の搬入日ですから、町田の荷物を持っていかねばなりません。
宅急便では間に合わないので、赤帽を頼みました。
夕方5時半に町田を出発。
私は眠くて眠くて、ぐっすりと寝ておりましたが、藤沢に到着したのが7時半だ。
走行時間なんと2時間。いつもの倍は掛かっています。
道の混むまいことか混むまいことか。だったらしい。
私は寝ていて分からなかった。
町田の荷物を、そのままの形で詰め込んでいますから、出して並べるだけで何とか店になった。
8時半には小田急を出て、帰宅。
疲れているはずなのに、車の昼寝のお陰か、割合元気にしております。
明日も早い。
お休みなさいませ。
昨年のデータを見ると、日曜日と月曜日がよろしくない。
今回もそのようになっちまって、残念無念!
いや、実はそうでもないのでありまして、「やはりな」という感じです。
「明日来るわね」というお客様も、どなたもいらっしゃらなかった。
夕方6時過ぎ、お隣が「大川さん、今日は1回もお休みに行っていませんよ。大丈夫ですか?」と心配してくれた。
なに、一日休んだようなものだから、全くご懸念には及びませんよってね(^_^)v
あーあ(>_<)
私はお年寄りが大好きで、話して飽きることが滅多にありません。
今日の午前中も、おとなしそうなお婆様がお見えになって、ただただおしゃべり。
その内、藍染と紺邑の商品についてご説明すると、興味を抱かれた様子。
地味で引っ込み思案のように思えたので、静かな商品をお見せしていたら、「私、図々しい質だから、かわいらしいのが良いのよね」と、思わぬ事をおっしゃる
若々しくかわいらしいフード付きのベストをご紹介したら、これがいたくお気に召した。
「お値段がお値段だから、ちょっとサンドイッチでも食べながら考えてくるわね。でも、あなたと話すと、漫才みたいで面白かったわ。いつまでやっているの」。
「20日までいますから、どうぞごゆっくりお考え下さいな」
「うーん、夢見ちゃうかもね。じゃあね」と手を振りながらお帰りになった。
しばらくして戻って入らして、「考えたわよ。頂くわ」てなことに。
「実はね、帰る振りして郵便局でお金をおろしてきたのよ」ですって。
ありがたかったなぁ。
それから大繁盛となりましたが、説明するだけで誰もお買い求めにならない。
「考えてくる」を合わせると、もの凄い売り上げになるのですが、いつもうまく行く訳じゃありません。
でもね、相当な手応えはある。
「期待は裏切りの始まりだよ。期待しなければ、裏切られることもない」とは、我が祖母の教え。
ですから期待はしませんがね。でもね、相田みつをさんじゃないが、私も「人間だもの」・・・(^_^)
今日も午前中で売り上げが出来てしまい、後はどうしたんだろうという雰囲気。
正藍染めは、アレルギー体質の方に好まれるけれど、朝一番のお客様達がそうだった。
オーガニックコットンのショールとシャツを、各々二枚ずつお買い求め頂き、数が出たのでそれだけでもたいしたもの。
その上に、作務衣のお取り置きと、ウールケープが入金されたのですから、担当の高坂君も「凄いですね!」と云ってくれる数字となりました。
もう一つ楽しみなのが、ウールポンチョ。
気に入ってくださっているのですが、価格が価格なだけに、ちょいと考慮中なんです。
この売り場は、高坂君が来る前まではゴチャゴチャで、私たちの隣で実演販売があったりなんだりと、何の売り場か分からなかった。
それを整理して3年。
「匠の技」というコーナーにふさわしい出展者を集め、お客様の信頼も得られるようになったのでしょう、昨年から反応も結果も全く違ってきました。
「やはり、三年は掛かりますね」とは高坂君。
色々あったでしょうが、良くやりました。
町田小田急3日目。
相変わらず寒い。
たっぷりと朝食を取って出勤。
何故なら、午前中が勝負だからです。
どういう分けだか、昼飯前しか売れないのです。
今日も今日とて、12時半で終わってしまった。
それでも、高価なウールケープが出たりなんだりで、十二分の成績。
これが一日続けば凄いのだけれど、世の中ままなりません。
終了間際に、お取り置きのお客様が入らしてくださり、上乗せが出来た。
これだから、午後も気を抜くことは出来ません。
夕飯は、娘の手料理で一杯。
旨かった!でございます。
初めて町田に来たのは、鍛冶屋の紹介でした。
悲惨な成績だった。
それからさすがに来なくなりまして、次の切っ掛けは、売り場をリニューアルするから協力して欲しいと、担当者に云われたからです。
紺邑は出展しないつもりだったけれど、他の職人を紹介しておいて出ないわけにも行きません。
やはり、成績は芳しくなかった。
何か、合わないのですね。
出展したりしなかったりでしたが、藤沢の高坂君が担当になっちゃって、「秋辺り、どうですか?」何て言われて、又出展するようになった。
それでも、成績は芳しくなかった。
ところが昨年、急に良くなった。
高坂君が、売り場を変えたのが最大の原因だと思っていますが、今はとてもやりやすいように感じます。
初日も2日目もそれなりですし、お取り置きや受注を入れれば、町田としてはこれで良しという感じです。
13日、町田小田急の搬入の日ですが、朝から日が照って、絶好の藍染日和り。
昨日染め上げたものを洗って干し、仕上げなければならない物をまた染めていると、出発の時間。
16時35分発のバスに乗って、王子からJRに乗り、新宿に出て18時08分発小田急線急行に乗り換えました。
割合混んでいて、私は立つことなりましたが、「お座りになりますか?」と言われて、若い人に席をゆずられた。
生まれて初めてで、うれしかったけれどショックだったなぁ。
まあ、還暦を過ぎていると言うことは間違いない事実だけれど、自分を老人だと思ったことはありませんからね。
準備は完全ではないけれど、明日の早朝にすることにして、東京は杉並の娘のところに帰りました。
14日、朝早く部屋を出て町田へ。
今度は席をゆずられることもなく、無事町田に到着。
本日より、小田急百貨店町田店7階「匠の技」で、「紺邑正藍染展」を開催中です。
朝八時半に佐野を出て、栃木県那須町に行って参りました。栃木県もまた、震災被災地なのです。
特に県北と東側は地震の被害が大きかったし、今は、風評被害にあっています。
佐野に来ていただこうと、「日野屋」という麹屋さんに伺いました。
昔ながらの本物にこだわる、まるで麹界の紺邑みたいなお店でした。
話しが弾むこと弾むこと、いつまで経っても終わりそうもありませんでしたが、お昼にはお暇を致しました。
有名なお店らしく、わざわざ東京からもお客様がお見えになるとか。
また、風情もまことに結構です。
オリジナルのお味噌造りも出来るそうです。
その後、和菓子屋さんとお蕎麦屋さんにより、2時44分に佐野に帰着。
2時46分、黙祷を捧げることが出来ました。
この一年、様々なことがあった。
そんな思いがこみ上げてきたのか、涙が溢れてきた。
被災地は未だ被災地のままです。
一刻も早い復興を、願ってやみません。
雨で染めがままならないために、午後意を決して、佐野市文化会館展示室で開催中の「R293美術展」に家内と二人で行って参りました。
お目当ては、田村真澄さんの作品。
「R293」というのはパンフレットによれば、「美術展のタイトルにあるR293は、北関東を横断する国道293号線(日光へ向かう区間を日光例幣使街道と呼び、栃木県足利市から茨城県日立市を結ぶ国道。)を示すもので、同国道の沿線上で活躍する芸術家に因み名付けたものです」。とありますが、少し我々(アート街道66)と似ていると言えなくもありませんね。
受付で300円の入場料を支払うと、それ以上のパンフレットを頂きました。こんな凄いものを作ることは、私たちにはとても出来ません。
受付の人が、「今日は田沼先生が入らしています」とおっしゃった。
作家達が交代で出ているらしいのですが、偶々今日が田沼さんの当番だった。
会場に入って挨拶すると、他に人が誰もいなかったので、久しぶりに会う家内と二人でキャッキャと大騒ぎ。
私は、会場内の作品を見て回りましたが、田沼さんの作品が見あたりません。
騒いでいる二人の所に行って、「ところで田沼さんの作品は何所にあるの?」と聞くと、別の展示室でした。
入って行くと、そこは別世界。
何と云いましょうか、「ザ・田沼真澄ワールド」かな。
大作を初めて拝見しましたが、日本人ならではの感性に溢れ、もの凄いエネルギーも感じるし、沢山の人に見て頂きたいとつくづく思いました。
タピストリーだと思いますが、私の写真では、作品のすばらしさは伝えられるわけもありません。
3月31日まで開催されていますので、是非ご覧になって頂きたいと思います。
公演日
2012年3月1日(木)~31日(土)
開演
10:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日:3月5日(月)、12日(月)、19日(月)、21日(水)、26日(月)
会場
佐野市文化会館 展示室
観覧料
一般 300円/高校生以下 無料
チケット発売
好評発売中
お問い合せ
佐野市文化会館 tel. 0283-24-7211(9時~22時/休館日:月曜日)
早池峰神楽佐野・足利公演が、来る6月2日(土)と3日(日)、佐野市唐沢山(からさわやま)神社と足利市鑁阿(ばんな)寺で行われます。
昨年から実行委員会を作って準備をしてきましたが、唐沢山神社の宮司様には正式なご挨拶をしていなかったので行って参りました。
宮司の佐野さんには、快くお迎えいただき、お話しもしてくださった。
それにしてもきれいな境内で、ゴミ一つ、枯葉一つ落ちていない。
宮司は「当たり前です」とおっしゃるが、そうでしょうかね。
お参りをして境内を歩きますと、藤原秀郷の時代に突然タイムスリップしたようです。
この石垣が、1000年の昔そのままの姿。
写真を撮っている人は「凄いな凄いな!こんな石垣が残っている城跡なんて、見たことない。これはまた来なきゃダメだ!」と、興奮気味に私たちに語りかけてきましたが、正しくその通りでしょう。
曇っていましたから、スカイツリーは見えませんでしたが、晴れた日にはこんな感じだそうです。
唐沢山神社神楽殿の早池峰神楽公演は、チケットを販売する前からもの凄い問い合わせを頂いています。
やはり、この神楽殿で早池峰神楽が見られるということが、人気の秘密なのかもしれません。
此処は、二の丸跡です。
お知らせすることは沢山ありますが、追々アップして行くことに致します。
三月に入ると、さすがに暖かくなりました。
毎日毎日、染め仕事に勤しんでおります。
暖かくなったとはいえ、その前が寒すぎましたから、まだ、ストーブは欠かせませんし、雪も降るし雨も降る。
雨が降れば、洗い物が乾きませんから、藍染のモチベーションが下がる。
以前なら、グダグダと仕事をしたもんですが、最近、ずいぶん変わりまして、淡々としっかりと出来ることをしております。
「神楽界のマイケルジャクソン」なんて冗談めかしてご紹介した佐々木さんが、「神楽というのは、神様を楽しませる為にある。では、観客のために舞わなくても良いのか。観客とは、神楽にとってどういう存在か。それは、皆さん一人一人に宿る神様がいらっしゃるから、その神様に楽しんで貰う。それが、神楽です」。とおっしゃった。
実はこの言葉で、気づいたことがありましてね、三波春男が「お客様は神様です」と言った言葉の、真の意味についてです。あれは、佐々木さんと同じ意味合ではないかとね。
私は三波春男が大好きで、彼が紅白歌合戦に出なくなってからは全く見なくなったくらいですが、やはり、凄い人だと今更ながらに思いました。
極々最近、天命鋳物の若林真秀さんが、「大川さん、我々の仕事は、神様に捧る仕事です」とおっしゃった。
確かに我々の仕事は、一千年以上の歴史がある。
何故続いてきたかと言えば、そう言う意味があったのかと、これにもまた、気づかされました。
そんなこんなで、私もずいぶん変わったわけですが、それは早池峰神楽との出会いがそうさせた分けです。
佐野市と足利市で早池峰神楽公演を企画し、私も実行委員の一人ですが、8日に、会場となる唐沢山神社の宮司に正式にご挨拶してから、この場でも発表したいと思います。
一面の雪が、あっという間に溶けてゆくほどに暖かな三月を迎えています。
今日は、藍甕の面倒を見る日としまして、染めはしないつもりでした。
その分、気持ちに余裕があったのか、なんと目覚めが朝8時。
久しぶりに熟睡しましたが、さすがに我が家の布団は結構ですね。
午前中のんびりしていると、11時頃に金子庸三さんが入らした。
今日は、初老三人組の高橋さん中沢さんと昼食会をやろうと云うことになっていたのです。
彼が書いた田中正造の劇の台本を読んだ感想から、先ずは会話が始まりました。
読後の感想は、「巻を置くあたわず」と云うほどに面白かったこと。先ずはこれが前提。
台詞が余りに説明的に過ぎるけれど、作者の意図が良く現れていて面白かったけれど、台本としては、役者にもう少し信を置いて語らせても良いのではないか。
などと話しをしていると、八王子から山田さんが来工。
今回は、佐野駅で自転車を借りて、1時間掛けて閑馬まで入らした。
私たちの会話に参加、といっても聞き役。
せっかくだから、田中正造についてひとくさり紹介してから、金子さんと議論再会。
そこに、高橋さんと中沢さんが到着。
しばし、演劇の話に花が咲き、お昼としました。
それからなんやかやと話しが弾み、金子さんが帰ったのが3時を過ぎておりました。
その間、全く話しが途切れない。
家内が「男を三つ書いて姦しいって云うんじゃないの」と、しみじみと言うほどにうるさかったらしい。
金子さんが帰った後は、早池音神楽佐野・足利公演の話しになり、実行委員長の木村克子さんも入らして細かな打合せ。
ホームページも出来ましたので、ご覧下さい(正式なご紹介は、プレスリリースを待っていたします)。
私は、藍甕の手入れもし、それを山田さんに見せながら、また神楽の打合せと、なんともめまぐるしい時間を過ごし、気がついたら午後7時。
佐野市の活性化を図る「いっ展べぇ」というイベントの打合せがあったので、急いで商工会議所へ行って会議に参加。
これについても、近々にご紹介しなければなりません。
午後8時半には帰宅。
忙しかったなぁ。
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