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2012年3月29日 (木)

古事記に見る藍染 「大国主神と藍染」

大国主神は別名を大穴牟遅神(おおあなむじのかみ)・葦原色許男神(あしはらしこおのかみ)・八千矛神(やちほこのかみ)・宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)と、五つの名前があり、兄弟は八十神もの大勢おいでになった。
しかし、その全ての神々は、国を大国主神に譲って身を引いた。
何故かと言うお話し。

その大勢の神々はめいめい、稲羽(因幡)の八上比売(やかみひめ)と結婚したいと思っていて、みんなで稲羽に行ったときに、大穴牟遅神(大国主神になる前の名)に袋を背負わせて、従者として連れて行った。
そこで、「因幡の白兎事件」があったわけだけれど、助けられた兎が「八上比売はあなた様が獲得なさいます」と申したとおり、八上比売は「私は大穴牟遅神と結婚します」と言った。
大勢の神々はそれに怒り、何度も大穴牟遅神を殺すけれど、御母の命の力でその度に生き返る。

心配した母親の神が、「ここにいると、あなたはまた殺されてしまう」と、大穴牟遅神を紀伊国の大屋比古神(おおやびこのかみ)の所に人目を避けて行かせたけれど、大勢の神々は探して弓に矢をつがえてやって来て、大穴牟遅神を引き渡せと要求してきた。
そこで大屋比古神は、大穴牟遅神を須佐之男命の所に逃がした。
須佐之男命の所に参上すると、その娘の須勢理比売(すせりびめ)が出て来て、お互い一目惚れで結婚を言い交わした。

そこでまた、父親の須佐之男命に殺されそうになったり色んな事をされて、大穴牟遅神は妻の須勢理比売を背負って逃げた。
気がついた 須佐之男命は追いかけるけれど、既にはるか遠くに二人は行ってしまった。
そこで大穴牟遅神に呼びかけて、「そのお前が持っている生太刀と生弓矢で、おまえの異母兄弟の大勢の神々を追い払い、おまえが大国主神となって、我が娘須勢理比売を正妻として、宇迦(うか)の山の麓に宮殿を建てて住むが良い。こいつめ」とおっしゃった。

こうして大勢の神々を追い退けて、大穴牟遅神(大国主神)は初めて国をお作りになった。
大国主神は稲羽(因幡)の八上比売とも結婚して国に連れてきたけれど、正妻の須勢理比売を恐れて子を置いて国に帰ってしまった。

<八千矛神(大国主神)の歌物語>

さて、ようやく本題。
古事記には、八千矛神(大国主神)の歌物語がある。
先ずは、八千矛神(大国主神)が越国の沼河比売(ぬなかわひめ)との間の歌のやりとりがあって、この二人は結婚した。
次に、嫉妬深い正妻の須勢理比売命(すせりびめのみこと)に八千矛神は困惑して、出雲国から大和国に上ろうと思い、旅支度をしてお立ちになり、片手を馬の鞍に掛け、片方の足を鐙に踏み入れながらお歌いになった。

ぬばたまの 黒き御衣(みけし)を
まつぶさに 取り装(よそ)ひ
沖つ鳥 胸見る時
はたたぎも これは適(かな)はず
辺(へ)つ波 背(そ)に脱き棄(う)て
そに鳥の 青き御衣(みけし)を
まつぶさに 取り装(よそ)ひ
沖つ鳥 胸見る時
はたたぎも こも適(ふさ)はず
辺つ波 そに脱ぎ棄(う)て
山県に 蒔きし あたたで春(つ)き
染木が汁に 染衣(しめころも)を
まつぶさに 取り装(よそ)ひ
沖つ鳥 胸見る時
はたたぎも 此(こ)しよろし
いとこやの 妹(いも)の命(みこと)
群鳥(むらどり)の 吾が群れ往(い)なば
引け鳥の 吾が引け往(い)なば
泣かじとは 汝(な)は言ふとも
山処(やまと)の 一本(ひともと)すすき
項傾(うなかぶ)し 汝(な)が泣(な)かさまく
朝雨の 霧に立たむぞ
若草の 妻の命(みこと)
事の 語り言も こをば

ようやく藍染が出て来ました。
□□□□
山県に 蒔きし あたたで春(つ)き
染木が汁に 染衣(しめころも)を
まつぶさに 取り装(よそ)ひ
□□□□
「山県」とは「やまあがた」の略で、「あがた」は山地の畑のこと。
「あたたで」とは異蓼ということで、大陸から持ち込まれた蓼藍のこと。

だから、これを訳せば・・・
□□□□
山の畑に蒔いた藍蓼を春(つ)き
その染め汁で染めた衣を
ピッタリとお召しになり
(角川ソフィア文庫「古事記」から)
□□□□
こうなるわけです。

さて、私は藍染めの職人ですから、「たでをつく」と読んだときに「蓼を突く」と文字が浮かんだ。
藍の染め液を作るときに、たぶん昔の人は、棒で突いていたのかもしれないと思っているからです。
実は私は、今でも藍を建てるときに、突いています。

次に全訳を載せておきます。

(ぬばたま色の)黒いお衣装を
ぴったりと お召しになり
沖の水鳥するように 胸もとを見た時
羽繕いをばたばたするように点検しても これは似合わない
浜辺の波が返るように 背後に脱ぎ棄て
(翡翠色の)青いお衣装を
ぴったりと お召しになり
沖の水鳥するように 胸もとを見た時
あれこれ点検しても これは似合わない
浜辺の波が返るように 背後に脱ぎ棄て
山の畑の蒔いた 藍蓼を春(つ)き
その染汁で 染めた衣を
ぴったりと お召しになり
沖の水鳥するように 胸もとを見た時
あれこれ点検すると これぞ似つかわしい
愛しい 我妻よ
(群鳥《むろどり》のように)私が伴人(ともびと)と一緒に旅立ったならば
(引き去る鳥のように)私がここを去ったならば
泣きはしないと おまえは言ってみても
山の 一本すすき そのように
首うなだれて おまえが泣くさまは
朝の雨が 嘆きの霧となって立つだろうよ
(なよやかな)我が妻よ
(角川ソフィア文庫「古事記」)


この歌を受けて后が歌を返し、酒杯を交わいあい、大国主神はもう大和には行かないと約束し、互いの首に腕を回しあって、今に至るまで出雲に鎮座なさっている。

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