紺邑のホームページ

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2012年4月

2012年4月30日 (月)

上六5日目 月曜日

月曜日だけれど、祝日。

以前は、お休みだから百貨店へ行こうというお客様がいらしたと思いますが、今はそうはいきません。

特にこの催事は、わざわざ来てくださるほどのものだった。

それも、今や昔。

その分、仲間内のコミュニケーションが深くなるところは、良い面ではあります。
 

新しい知り合いも出来、仕事も紹介し合える。

実は私も、二つほど新しい仕事が出来ました。

仲間は、ありがいですね。

2012年4月29日 (日)

上六4日目 日曜日

またまた静かに始まり、一時沢山のお客様がお見えになった。

噂を聞けば、大きな物が随分売れたらしい。

紺邑さんは、ちと苦戦でしたけれど、全体はもの凄く良かったと思います。

 
本日は懇親会。私は、久し振りの出席です。

ここ数回は気に入らないことがあり、へそが曲がっておりまして出なかった。

今回からは、担当の宇治君が戻ってきたので出席。

案の定、歌を歌わされましたが、今や「皆さん聞いてくださってありがとう!」という感じになりましたね。

円熟の境地とでも言いましょうか(笑)

 
もはや二次会はありません。

この二次会が、極々一部の連中に利用されていた。

無くなって結構なことだと思います。

 


2012年4月28日 (土)

上六3日目 土曜日

連休の始まり。

やはり静かに始まりましたが、これが最後まで続きました。

 
昔の半纏を洋服にしてお召しのお客様が、我が店にお立ち寄りになった。

ふと見ると、「足利」という文字が書いてある。

なになに!我が故郷ではないか!!

無理矢理写真を撮らせていただいた。

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驚きました。

 
「また来るわ」のお客様が二人。

割合期待できる感じですので、良しとします。


2012年4月27日 (金)

上六2日目

いつもの事ながら、静かに始まりました。

全盛期でも、午前中は忙しくなかった。

では、全盛期はどのくらいのものだったかというと、いまの日本橋三越と同じくらいだったのですから、それはそれはもの凄かった。

その後、会場が変わり(確か10階から9階へ)、2週間催事になり、なんだかんだと変化して今がある。

では、今はどのくらいのものか?

売り子(マネキン)さんをつける人件費は、捻出できなくなりました。

ですから、お昼を食べに行くと、売り場に人がいなくなります。

それを近所の仲間でカバーしますが、販売を期待するわけにはいきません。自ずと、昼食時間が短くなる。

今日は、奈良の「ふきのとう」の薫君から、差し入れ弁当があったので、亭主の誠君と二人でゆっくりと美味しくいただいて帰ると、お一人お客様がいらした。

お馴染みの方で、ひょいとTシャツをお買い求め頂いて、目が開きました。

その後もご常連に来ていただいて何とかなりましたが、昔日の日々が懐かしいな。

2012年4月26日 (木)

上六初日

昨夜、荷物行方不明事件がありまして、紺邑の荷物の大部分が会場になかった。

私は覚悟を決めて、運送会社に問い合わせしようと、書類を取りにホテルに帰ると、部屋に入ったところで担当の宇治君から、「済みません。荷物見つかりました」と電話が入った。

めでたしめでたしでしたが、そんなことがあったので、準備開始時間が遅れ、結局は中途半端に終わらせたために、今朝早く出社いたしました。

約2時間かけて、ようやく店が完成。

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準備万端整いまして開店。
 
直ぐに、超ご常連の岩井ご夫妻がいらしてお買い物。

その後、次々とお客様に恵まれ、名和さんご夫妻が最後かと思いきや、終了間際に「きれいな藍染ね」と仰ってくださったお客様に二つほど買っていただき、一日で山形の一週間の成績を上回りました。

久々に、上六らしい一日を迎えることが出来た。

ありがとうございました。


2012年4月25日 (水)

The「職人の技展」

日本の百貨店で、工芸だけを集めた催事を最初にしたのは、難波高島屋。

その後も、高島屋系列の専売特許のようなものでした。

それを打破したのが、近鉄百貨店上本町店(上六)の「職人の技展」です。

ご苦労なさったのは、トンボ玉の藤村さん。

彼の自己犠牲の上に、今の職人展はあるけれど、そんなことを知らないで恩恵を被っている人は沢山いるでしょうね。
 

一時は、もの凄い成績を上げておりました。

会場は、お客様がいっぱいで歩けないくらいだったし、4カ所あったレジには、私たちが並んだくらいです。

それを見た他の百貨店が追随して今があるわけだけれど、関東の最初が東武宇都宮百貨店だったのも、今は昔の物語ですね。

私と大森と平井で、当時の催事担当だった鈴木さんにプレゼンして始まったのです。

その時にお見せした資料が、この上六の催事だった。

そこに熊谷の八木橋の担当者達が来て、千葉の三越も始まり、関東全域に広まっていった。

 
東武百貨店船橋店の催事担当者から、宇都宮の鈴木さんに、「なにか面白い催事ありませんか?」という連絡が来て、私と鈴木さんと二人で説明に船橋に行って始まったのが「にっぽん全国職人の技」という催事。

当時は、ブラシ屋の旦那の会社も、○沢企画も無かった。

だから職人は、全員私が連絡を取って来て貰っていた。

準備日に、荷物を会場に上げるのも、私と百貨店担当者でやったのだけれど、いまから考えてみれば、彼らは私がマージンを取っていたと思っていただろうし、今でもそう思っているでしょうね。

事実は、私も藤村さんもそういうことをしなかった。

良い悪いは、別の話です。


私がなんで一銭にもならない催事を企画していたかというと、関西の藤村さんの労に関東で報いるためだったのです。

そんなことも、だれも知らない時代になってしまいました。

こういう事も、世の習いなのでありましょうね。

 
そんなこともあるけれど、明日から近鉄百貨店上本町店の「職人の技展」が、明日から始まります。

やはり、良いメンバーが集まっています。

 

2012年4月22日 (日)

紺屋とゼニガメ

千葉県から、橋本ご夫妻が入らした。

日曜日ですから、いつもなら2階でお茶でも飲みながらお話しするのですが、今回の私は藍染中。

藍甕のある染め場に座っていただいて、お茶を飲んでいただいた。

私は藍染しながらお話しをしましたが、お二人に遠慮も出来ず、いつも通りに致しました。

 
私の染めは、甕から出すと必ず三度洗い、天日に干して又洗って染めるの繰り返しです。

「なんで洗うんですか?」と質問がきた。

「普通は、染めてから酸化させて、また染めるんじゃないんですか?」とね。

 
私の藍染は、木灰の灰汁、フスマ、貝灰などのアクが多い。

アクは酸化を邪魔しますから、先ずは水槽で、灰汁を布全体から洗い落とします。
 
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次の水槽では、繊維の間に隈無く水を通して酸化し易くする。
 
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最後に洗濯機で軽く洗って、外で天日干しという具合。

晴れていない場合でも、酸化させるために外に干します。

もちろん、一々洗い方はある。

 
染め物を、甕に入れて出し、出しては入れるだけなら、面倒なことはありませんね。

しかし、洗いをしっかりやると、色合い、斑、強さが全く違います。

5年後、10年後を考えると、やはり洗いは肝心な事だと思うからしつこくするわけです。

そうしたら橋本さんが、「日本昔話を思い出しました」と、そのお話しをして下さった。

題して「紺屋とゼニガメ」。

▽▽▽▽
昔あるところに、川を挟んで東と西に二軒の紺屋があった。
二人の紺屋はいつもその川で、染めた布を水洗いしていた。
ある日、白い髭を生やしたお爺さんが二軒の紺屋にやって来て、「お金はいくらでも出すから、この布を紺色に染めて下され。」と言い、白布を一反ずつ置いていった。

東の紺屋は「しめしめ、金は望みのままだ。」と言って喜び、西の紺屋は「よほど大事な布だろうから、丁寧に染めねば。」と考えた。
ところがこの白布は、いくら一生懸命染めようとしても川で水洗いするとたちまち元の白布に戻ってしまい、どちらの紺屋もどうしても染めることが出来なかった。
二人はすっかり困ってしまった。
やがて約束の日になって白髭のお爺さんがやって来た。

東の紺屋は約束通り出来たと言って、水洗いせずに乾かした布を差し出した。
お爺さんは、何も言わずに大金の入った箱を置いて帰っていった。

西の紺屋は染められなかったことを謝ると、白布と一緒にもう一反の別の紺色の布を差し出した。
お爺さんは、やっぱり何も言わずに大金を置いていった。

その夜、東の紺屋が変な物音に目を覚ますと、箱の中の大金に手足が生えてみんな小さなゼニガメになっていた。
ゾロゾロ箱から逃げ出したゼニガメを東の紺屋が追いかけていくと、川の中からあの白髭のお爺さんがゼニガメ達に手招きしていた。
お爺さんはその川の水神さまだったのだ。

それ以来川の東側はゼニガメのために水が濁り、良い染め物が出来なくなってしまったが、西の紺屋は水神さまからもらった金で益々大きな紺屋になって繁盛したという。
△△△△
 
興味深いですね。

2012年4月21日 (土)

藍染の日々

正直言いますと、山形の催事を入れてしまったので、染めが追いつかない。

染めても染めても、商品が足りません。

毎日、クタクタになるまで染めておりますが、幸い、藍の調子が真によろしい。

濃く染まるというのではありません。色合いがよろしいのです。

御陰様で、モチベーションは上がりっぱなしですので、藍染も大順調。

 
その上に、すくもも届きましたので、新しい藍の仕込みをはじめました。

息子のスケジュールが合わず、また私が踏み練りからやっております。

この冬が寒かったこともあり、灰も沢山ある。

紺邑に運気が回ってきたように、勝手に感じておりますが、昨年の今頃とは全く違う実感もあります。

 
がんばろ(^_^)v

2012年4月18日 (水)

瓦礫

早池峰神楽公演の打合せを、唐沢山神社で行いました。

茨城漁港の石原さんも、来て下さった。

「石巻の湊水産に行ってきましたよ」と報告すると、「石巻もなかなか大変だ」とおっしゃった。

「でも、漁港も再開した様子でしたよ」というと、「上がった魚で、使い物になるのが少ないのです」ですって。

瓦礫と一緒に上がるから、傷が付いて使い物にならないのだそうな。

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このプレハブに漁協も入っていたので、かなりの復興をきたしていたのですが、実際にはなかなか厳しいようです。

瓦礫がきれいになっているようですが、実は、瓦礫も増えている。

たとえば、ここは

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こうなった。
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となりは

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この建物は撤去され、更地に。

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その瓦礫は、こんな風に積まれているだけ。

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この他にも沢山あります。

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これをどうするのでしょうか。


2012年4月16日 (月)

山形最終日 そして帰還

最終日の朝、前夜の酒が祟って早寝になっちまって、お蔭で早起き、それも午前2時半という体たらく。

しばらく起きていて、パソコン遊び。

又寝して、8時過ぎにようやく起きて、なんだかんだと支度をしていたら、はや出勤時間となってしまった。

おかげで湯殿山神社参りが出来ませんでした。

 
さて、開店してみると、伊賀焼の森里さんがもの凄く忙しい。

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なんと、湯殿山神社参りをなさって来たと。

いやはや、恵比寿様の霊験はあらたかでありますなぁ。

森里さんには初めてお目に掛かりましたが、古伊賀焼の再現にも力を入れている伝統工芸師。

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僭越ながら、作品は面白かったな。

お話を聞いてみたら、日本橋三越の三重展で、市川先生と裏表だったそうです。

 
無事終了して、一路山形駅へ。

18:08分発の新幹線に乗りました。

ホームに行くと、出展者達がたむろしていた。

名古屋方面の方々が多かったですが、なんと夜11時には着いてしまうらしい。

佐野には10時着ですから、1時間しか違わない。

理由は後から分かりました。

 
先ずは腹ごしらえ。

駅弁を買いにいったら、売り子のおばあさんが一生懸命説明するのでついつい買ってしまった「おらだのごっつお」。

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中身は庄内豚のチャーシュー丼。想像した通りのお味でした。

宇都宮で降りて、新幹線の乗り継ぎ。

その待ち時間、約40分。

ホームは人っ子一人いない。

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ようやく小山駅に到着。

今度は、両毛線に乗り換えるのですが、その待ち時間約30分。

宇都宮と足せば70分が乗り継ぎ時間です。

名古屋の方々は、東京駅で4分から20分の乗り継ぎだそうですから、ローカルは不便ですな。

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写真は、小山駅の両毛線のホーム。

写っている駅蕎麦が、私は大好き。

お汁は真っ黒で麺はゆで麺で、駅蕎麦はこうじゃなきゃ行けませんっていうお味です。

 
22時佐野駅着予定が、栃木で待ち合わせの東武線が遅れて、22時02分に佐野駅到着。

ようやく閑馬に帰って参りました。
 
 
さて、私は何故山形に行ったのか?

理由は未だに分かりません。

何かあるはずだな。

2012年4月15日 (日)

山形の日曜日

今朝も湯殿山神社をお参り。

恵比寿様にしっかりと「商売繁盛」を祈願して参りました。

もちろん、子授け・安産の守り神のお牛様にも、構うことありません、商売繁盛、家内安全、国家安泰を祈願。

 
さて、出勤。

何事もなく時は過ぎゆく。

仕方なくお昼。

また、何事もなく時は過ぎゆく。

 
ところがギッチョンチョン、神はお見捨てになりません。

3時頃になるとバタバタと商売になり、またご利益を頂きました。

これを、普段の行いというのでしょう。

ありがたいことでございます。

 
昨日いらした寒風さんが、また来てくださって宴会。

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どうも、伊勢丹以来ちょいと飲食が過ぎまして、体重が増えてきた。

これも偏に、一緒に働くメンバーが悪いのでございます。

2012年4月14日 (土)

山形の土曜日

朝は5時半頃から起き出し、6時半過ぎに部屋を出て久し振りに朝のお散歩。

目指すは湯殿山神社。

ちょいと肌寒く、耳も痛くなりそうでしたが、なに、我慢我慢。

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Image_12653458847しっかりとお祈りし、帰りがけに、門前に鎮座まします牛をなでながら、商売繁盛、家内安全、国家安泰を願って帰って参りました。
 
 
 
 
 
 
さて開店。

なんと、朝一番にお客様がついてお買い上げ。

お昼過ぎも、夕方近くも。

驚くほどに、霊験あらたか。

明日の朝も、もちろんお参りに行って参ります。

 
でも、売れるのはストールばっかり。

着るものはやはり、おしゃれに過ぎるようです。

 
あれ?

いま神社のホームページを見たら、お牛さんは「子授け・安産の守り神」だって。

まあ良いか(笑)

2012年4月13日 (金)

山形2日・3日目

2日目、「これ下さい」と、オーガニックコットンストールが簡単に決まりました。

良く考えてみると、初日に見てくださったお客様ではないかと思う。

やはり山形の方は、一度ではなかなかお決めにならないようだ。
 
 
Facebookでお友達になった、神主の鬼海さんがお見えになった。

若いのにビックリしましたが、私のことを「学者だと思っていました」ですって。

そんな内容のことを書いていますかね?

話が弾み、山形和傘と蜻蛉玉をご紹介させていただいたけれど、楽しんでいただいたご様子。

良かった良かった。

 
3日目の今日は、何事もなく時は過ぎ、どうした物かと思っていたら、夕方に突然お客様がついてシャツジャケットをお買い求め。

なんとかなりました。

伊勢丹新宿店用におしゃれな物を作りましたが、それが山形には合わないようです。

まあ、仕方ないな。

 
夕方6時半に営業が終わります。

夜が長いけれど、ホテルに大浴場がありまして、まるで温泉宿のようにそれを楽しんでおります。

2012年4月12日 (木)

和傘

和傘の職人、古内清司さん。

一緒に仕事をしたのは、かれこれ20年近く前の話し。
その間一度、仙台三越に会いに来てくださっているので、何年ぶりになるだろうか。

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和傘とは洋傘に対する名称で、それ以前は「からかさ」と言われていました。
野口雨情作詞の童謡「雨降りお月さん」では、♪一人で傘(からかさ) さしてゆく♪と「傘」とかいて「からかさ」と読ませている。

日本の傘は、「源氏物語絵巻」や「一遍上人絵伝」にも描かれているらしく、日本古来より使われていたもの。

 
山形和傘は、嘉永二年(1849年)に、遠州浜松より転封された水野家が、徒歩衆(かちしゅう・下級武士)に傘作りを奨励したことが始まりで、200年ほどの歴史があります。

明治維新以降は、その人達が傘作りで生計をたてるようになり、業者も増えて、最盛期には山形近郊で百軒を超え、東北一の産地となりました。

しかし、洋傘の普及とともに業者も減り、今では古内家ただ一軒となってしまっています。

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古内家オリジナルの「浮世絵傘」。傘骨が46本で長さは2尺。

古内さんは、私が知る職人の中で一番真面目な人。「似合わないけど、良いですねぇ」と言ったら、「遊びが足りませんか?」ですって。遊びもまた、似合わないな。

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右が「番傘」です。傘骨は52本。
 
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名入れも出来ます。

白いですが、使っている内に色が出てくる。
「こんな風に」と古内さんが見せてくださっていますが、写真では上手く伝わりません。
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その他にも、蛇の目傘、日傘、舞傘(日本舞踊に使われるもの)、朱傘(神社、寺院、茶道などで使用する大きな傘)、ミニ傘などをお作りになっています。

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写真はミニ傘と傘福(吊し雛用)で、インテリアとしてもとても良いものですが、しっかり傘として作られています。


インターネットも何もやっていない、全くのアナログの人ですので、ホームページなどあろうはずもありません。

せめて、連絡先でも書いておきます。

古内和傘店
山形市東原町1-4-10
℡023(623)2052


2012年4月11日 (水)

山形初日

山形市を訪れるのは20年振りくらいになるでしょうか、本当に久し振りです。

大沼のある街中に初めて入りましたが、きれいな町並みで驚きました。

 
さて初日。

伊勢丹からの荷物が着かず、中途半端に開店。

昼近くに到着し、バタバタと店作りをしまして、何とか格好が付きました。

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後はお客様を待つだけです。

 
朝礼に寄りますと、このお店は尻上がりに売り上げが上がるそうで、つまりはお客様は何度も足を運んでくださるのだそうです。

なるほど、簡単にはお買い物していただけず、「今日からでしょ?」と皆さんおっしゃる。

つまりはまた来ると言うことなんでしょうが、その言葉を信じながら、一日を終えました。

 
終了時間はなんと6時半。

夜が長いな。

2012年4月10日 (火)

山形へ

佐野駅から11時26分発のJR両毛線に乗り、小山→宇都宮と乗り換えて、山形駅に14時52分に到着。

宇都宮で約1時間の待ち合わせがありましたから、山形市も随分近くなりました。

寒い寒いと言われて覚悟してきましたが、それ程でもありません。

約20年ぶりの山形です。
 

今佐野は、桜が見どころ。
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一方の山形は、福島から奥羽本線に入ると雪景色。
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これが、米沢を過ぎると雪が無くなるのですから不思議。もちろん、山形市にも雪はありません。

 
明日11日から、山形の老舗百貨店「大沼」で、「日本の伝統工芸とうまいもの展」です。


2012年4月 9日 (月)

新宿総括

伊勢丹新宿店の「ものづくり×ものがたり『日本の手しごと展』」が終わりました。

紺邑としてはまあまあの成績でしょうが、チラシにご紹介いただいた商品は売り切りました。

これは、伊勢丹新宿店が如何にお客様に信頼されているかの証ですね。つまり、伊勢丹新宿店のチラシに載るような商品は、良いに決まっていると受け止められているという感じです。

 
このお店は、他の百貨店と全く違います。この催事を企画した人達はそれをお解りの上で、こんなおしゃれな催事にしたのでしょう。

凄い冒険のようだけれど、私は面白いと思っています。

 
考えてみると、「職人展」そのものが、難波高島屋の冒険から始まった。

それが30年以上も続いて根付いているから、今のスタイルが当たり前のように思われていますが、始めた人達にはそれなりの工夫や苦労があったはずです。

そう考えると、この新しい試みは注目に値すると思います。
 

後は、我々が如何に応えるかという問題が生じている。

紺邑は少し考えて、伊勢丹新宿店向きの商材をお持ちしましたが、それは当たったように思います。

しかし、その商品が他の百貨店でどうなるかという問題も出てくるわけで、対応は簡単じゃありません。

 
ひとまず成功裏に終わったようで、一安心ですが、我々も「精進しなきゃ」と考えさせられた催事でした。

2012年4月 8日 (日)

親子のワイナリー

新宿の土・日曜日は息子が帰りまして、私一人でお仕事。

どうなるかと思いましたが、ボチボチでございました。

 
土曜日には、春香さん。日曜日には敬公さんと、一日違いで増子親子が御来店。お二人はワインの醸造家で、足利の老舗のラムネ屋さんでもある。

増子さんは、ワインの醸造家としては日本に及ばず世界で活躍なさっているけれど、自分の会社としては、ワインの製造免許を持っているわけではありませんから、他のワイナリーの立ち上げのようなことばかりやって来た。

それが今般、製造免許をお取りになって、自らワイナリーを経営することになった。

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ブドウ畑を持たないワイナリーの誕生です。

そこはそれで、増子さんの長い経験が生きる。

なんせ、日本中、世界中のブドウ畑をご存じだから、少量だけれど、個性的なワインが出来ることでしょう。

「大川公一のワインを作るよ」なんておっしゃっていただいたけれど、そんな事が出来るワイナリーなんだろうと、もの凄く楽しみです。

 
古い付き合いで、親父同士も友達。

だから色々解ることもあって、先行きの障害まで私には見える。

お話しをしてみると、やはりなと言うこともあるけれど、そう言うものは夢と実力がぶち破ることでありましょう。

 


 


2012年4月 6日 (金)

新宿の日々

この催事の企画は、初めは若手で行くと言うことだった。

途中変更したらしいけれど、息子と二人でやることにしました。これは、紺邑としても初めてのこと。

良く働いてくれまして、私は随分楽をさせて貰った。

 
2日目も3日目もそこそこの成績で、紺邑の伊勢丹としては十分だと思っています。

商品構成を伊勢丹の客層に合わせたと言うこともありますが、年1回の出展のためにデザインを考えるというのは、一つ一つ物作りをしている方にはちょっと無理もありますね。

「今回の目標はどれくらい?」と息子に聞かれたから「2日で半分行った」と答えましたが、その位です。

 
伊勢丹新宿店の催事ですから、百貨店関係者が沢山見学にお見えになっている。

でもね、っと私は思うけれど、こういう形の催事は伊勢丹ならではで、他の百貨店の参考にはならないと思います。

2012年4月 4日 (水)

新宿伊勢丹までの日々 そして初日

「一年後の石巻」は、3月30日の事ですが、まだご報告が終わっていません。実は、パソコンの関係で、続きが書けませんので、後ほどとして、ただいま伊勢丹新宿店におりますので、それまでは、染めまた染めの日々でした。

その他は何も出来ずに、4月3日の搬入も任せ、私は一人で黙々と藍染。

それも夜11時過ぎまでと言うハードなものでしたが、藍が良く答えてくれました。

4月4日早朝7時15分に佐野市を発ち、伊勢丹新宿店の初日に間に合った。

 
今回の催し物の題名は「ものづくり×ものがたり『日本の手しごと展』」というもの。コピーライターが入っていることが分かります。

会場のデザインはまことにおしゃれで、いわゆる「職人展」という趣からの脱却をはかり、伊勢丹カラーを出そうという意図も意欲も伺えます。

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紺邑はこんな感じです。

 
さて初日。

チラシに大きく載せていただき、それを見て沢山のお客様に来ていただいた。

こんなに、チラシの効果を感じたのは初めてです。

それも、伊勢丹のカードをお持ちじゃないお客様だというところが、面白いな。

お陰様で、良い成績の初日でしたが、実は私たちも、伊勢丹のお客様に合うデザインを工夫したという努力はあったのですよ。

 
また、娘のところからの通勤の日々が始まりますが、今回は息子と二人です。

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