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2012年6月

2012年6月29日 (金)

日本橋4日目まで

日本橋三越の催事の四日間が終わりました。

今回はいつもと違う感じが致します。
 

紺邑は忙しいのですが、売り上げ単価がちょいと低いな。

みんな、そういう感じがするそうです。

四日目が一番暇だったんですが、売り上げは一番良かった。

忙しさは売り上げに反映されないところが、この商売の難しいところなんでしょうな。

 
娘が毎日手伝いに来てくれています。

お陰で疲れが取れて参りました。

2012年6月28日 (木)

【江戸のススメ「リサイクル」】 を見て リサイクル、環境・エネルギー問題について

26日は、残りの仕事を片付けるために、日本橋から閑馬に帰りました。

私が取材を受けた、‘謎解き!江戸のススメ「リサイクル」’というBS-TBSの番組の録画も見ることが出来た。
 
エネルギーや環境問題が喧しい現在に、実にタイムリーな企画で、良い番組だったと思います。

私が出た灰と灰汁のところで、「灰汁は色の定着に・・云々」とナレーションがありましたが、あれは「藍を醗酵させ、染められるようにする」というのが正しい。

藍染の観点からは大きな間違いだけれど、「リサイクル」という主題から外れているわけではありませんので、良しとしましょう。

 
地球温暖化が叫ばれ、環境問題が取り上げられるようになり、福島第一原発事故からエネルギー問題が注目され、リサイクルが大切だと言われるようになった。

そのリサイクル文化は、我が日本にあった。

灰も藁も然りですが、究極は糞尿の再利用。

とにかく江戸時代は、無駄にするものが何もなかった。

江戸時代だけだったかといえば、1970年初頭までの日本には、その名残がしっかりとありました。

私が子供の頃も、オムツは藍染の浴衣をつぶしたものでしたし、藁や灰も再利用していたし、水車も生きていた。

燃料は薪でしたから、森に倒木が残っているようなこともなかった。

それが何故、今のようなゴミばかりの時代になってしまったのか、その検証なしに、環境問題もエネルギー問題もないのではないかと私は思います。

 
江戸時代は又、265年間の絶対平和の時代でもありました。

江戸の警察官僚は、100万の人口に対して300名にも満たなかった。

切り捨て後免などといったところで、武士がめったやたらに人殺しなんか出来るわけもなかった。

 
そんな平和な江戸時代を日本人は壊し、維新から明治の時代となり、日清・日露から昭和の大東亜と、戦争ばかりの時代を何故迎えなければならなかったのか。

佐野の偉人田中正造は、足尾銅山の鉱毒事件に立ち向かったけれど、鉱毒事件は何故起こったのか。

我が祖父は、田中正造をリアルタイムで知っていたから、話を聞いて育ちはしたけれど、その理由は聞けなかった。

長じて少し勉強してみると、やはり明治という難しい時代に行き着く。

そのような考察なしに、環境問題もエネルギー問題もリサイクルも語れないと私は思うけれど、全くといって聞くことはありません。

何故かと言えば、明治は江戸の、戦後は戦前の否定の上にあるという面も見なければならないのではないでしょうか。

戦後教育を受けた人達は、骨の髄までそれが染みこんでいて、疑問にすら思うことが出来ないでいる。
 
そんなときに、実にタイムリーな番組でありました。

 
もう一つ素直な印象を述べさせて貰えば、一つ一つのテーマが大きくて重い。

それぞれだけで番組が一つ作れるくらいなもので、もったいないと思いましたが、今後の展開に期待することにしましょう。

2012年6月27日 (水)

日本橋三越本店「日本の職人『匠の技』展」

27日から、日本橋三越本店の「匠の技展」が始まりました。

これに備えて物作りをしてきましたが、染めても染めても足りません。

25日の夜には、東京に行かねばなりませんでしたが、8時に家を出たのに7時50分まで藍染をしておりました。

最後の手入れは息子に任せ、車に飛び乗って一路東京へ。

そんなわけで、テレビも見られず。

 
次の日の早朝から準備。中には朝4時から入っている人達も居たらしい。

職人達もそうですが、スタッフの疲労の方が大変そうだ。

 
何とか店構えも出来て無事開店。
 
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今回も一部屋頂いた感じです。

日本一のお中元会場の出口のところです。

是非、お出かけ下さい。


2012年6月25日 (月)

江戸のススメ「リサイクル」

先日取材を受けましたテレビ番組が、今日放送予定です。

よろしければごらんになってください。

BS-TBS夜10時放送の‘謎解き!江戸のススメ「リサイクル」’という番組です。

江戸時代はリサイクル文化の時代です。そんなお話だと思うけれど、私が藍建てにつかう「灰汁」もそのひとつというお話。

究極は何だろうかとスタッフとお話すれば、私と同じ意見だった。はて、それはいかなるものか?

 
まあ、私が出ようが出まいが、リサイクルに興味のある方にはお勧めでございます。

2012年6月24日 (日)

「四狭間かなた陶展@田沼ふるさと館」 そして素晴らしい出会い

~佐野を焼く~四狭間かなた陶展@田沼ふるさと館」に行って参りました。

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四狭間かなた君は、アート街道66のメンバーの陶芸家です。

佐野に生まれ育ち、筑波大学を二度卒業した変わり者だけれど、陶芸家になっちゃったもの凄い変わり者。

紺邑の極々近所に、人知れず焼き物をしている若者がいるという噂があった。

「アート街道66」を作るときに誘ってみたら、怖々という風情で参加してきた。

聞くと、初めて展示会をするという。

それも二人展だけれど、相手が私の恩人の染色家の田尾さんだというのだから驚いた。

そんな訳だから、彼の存在は誰も知らないと言っても良いくらいなものだったわけです。

最初の集まりの時、他の陶芸家達から、搬入から展示の仕方まで教わっていた位だけれど、今や立派に自立しています。

特徴は、「一ヵ所焼」といって、全てを佐野のものでまかなうと云うもの。

窯の土も釉薬も、全て地元のものです。

 
この人は、自分の物語を沢山持っている。

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だから、だれにでも語ることが出来るので、沢山売れる。

今回は販売をせず、自分の存在を地元の方々に知っていただく目的で展示会を開いたようですが、お客様が沢山入らして、本当に盛会なようです。

 
帰りしな、出口で私の藍染めを着ている人とばったりお会いした。

「あら紺邑さん、会えればいいなぁと話しながら来たのよ」とおっしゃった。

話しをしていて思い出したけれど、毛塚さんと云って、佐野の物づくり界の大親分で、紺邑が初めて佐野で展示会を開いたときにお会いして、沢山お客様を紹介して下さった方。8~9年振りだ。

何で入らしたのかと聞くと、お婿さんがフェースブックで四狭間かなた君とお友達なんだそうです。

世に偶然はないと私は教わったけれど、それにしても驚きました。

 
その後、紺邑にも来て下さり、楽しくお話しをさせていただいた。

私の父とも親しい方だったから、話に花が咲きました。

染めを頼まれ、お婿さんはTシャツを買って下さり、そんなことはなくとも、素晴らしい出会いとなりました。
 


2012年6月22日 (金)

陸蛙

台風が去った後、台風一過と云うほどではないにしろ、お天気になりまして、喜び勇んで藍染をしておりました。

染めに染めても染め足りません。私の気持ちのことですが、どうも満足感がない。なぜでしょうかね。夜中に「藍染めしなきゃ!」と思って、起きてしまうほどなんです。

毎日晴れてくれないかなぁと思っても、今朝起きてみたら大雨だ。

 

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なんの写真かと云いますと、良く見ていただきたいが蛙の写真。

この日はカンカン照りで、熱中病が心配されたほどの暑さでしたが、蛙がひなたぼっこをしているところ。

雨蛙の姿をしていますが、陸蛙と云って雨宿りをする変わり者。

こいつも今日は、往生していることでしょう。

 
この雨はお昼頃までだそうです。

私も雨宿りしながら、ちょいとデスクワークと参ります。


2012年6月19日 (火)

日本一安全なところ

噂に寄れば、我が佐野市に気象庁を退官なさった人が3人(家族?)越してこられたとのこと。

またある噂に寄れば、定年後は日本で一番安全なところで暮らそうと日本中を調べた人が、今、佐野にお暮らしらしい。

風水を調べに調べ、日本で一番優れたところを探された方は今、佐野市閑馬町にお住まいだ。

 
これから台風4号と5号が日本に上陸すると云う。

関東地方を襲った台風の被害で最も大きい物は、昭和22年のキャスリン台風です。

故郷足利市小俣町の我が家も、渡良瀬水系の桐生川が溢れて床上浸水にあい、その水跡が残っておりました。

足利市は渡良瀬川が町中を流れておりますので、死者300人以上という甚大な被害がでた。

Tomoecyou1写真は足利市通一丁目の当時のようす(「決して忘れてはならない災害 カスリーン台風」より一部抜粋 平成12年9月 渡良瀬川工事事務所発行)。

ところが、調べても調べても、佐野市の被害が出てこない。

 
佐野市と言えば、足尾鉱毒事件の田中正造ですけれど、廃村にされた谷中村は佐野市ではない。

鉱毒の被害は、私の経験する限りですけれど、渡良瀬川河南地域でありました。

佐野市は渡良瀬川より北側です。

私の生まれ育った小俣町にも被害はなく、直ぐ側の渡良瀬川南の太田市側が鉱毒被害が大きく、私の子供の頃でも「あの辺りは米が取れないし旨くない」と言われておりました。

もっとも洪水は、決して悪いものではなかった。

谷中村は渡良瀬川と利根川の間にあり、双方の河の洪水で肥沃な土が運び込まれ、農業が盛んだったところでもある。

事は、単純ではありません。

 
さて、3.11の地震ですが、佐野市の被害はわずかだったと思うし、どうも地震の被害の記録があまりなさそうだ。

足利市はそうはいかなかった。

 
事ほど左様に、佐野市は安全な所だと言います。

ぜひ、お住まい下さいな。


 


2012年6月17日 (日)

梅雨時の藍染

染め仕事は、お天気に左右されます。

特に藍染の場合は、酸化発色だし、定着させるわけですから尚更です。
 

お日様に干すのと干さないのとでは何が違うかと言えば、発色の仕方と強さ。

陰干ししてようやく乾いた物は、明るさが無く弱々しい。

これは、濃さとは関係がありません。

天日干しした物は、色は薄くても透明感があって強いのです。

20120618072607写真は絹の広幅ですが、左の水色に強さと透明感を与えるには、お日様に干さなくてはなりません。

20120618072755Tシャツは製品染めをしますが、染める度に干すのが原則。だから、手間が掛かるのです(濃く見えるのは日が当たっていないだけのこと)。この手間を省くと、ろくな事になりません。


初めはお分かりにならないかもしれませんが、5年10年経つとハッキリと分かります。

日に焼けたり、脱色したりするのは、そんなときの染めですから、梅雨時は染めようか染めまいか思い悩む。
 

染めなければ良いという考えもある。

雨の日は、あきらめればよい。

そうなることが、私の人生の目標でもある。
 
その昔は、「紺屋の明後日」が通用した。

今は、世知辛いのであります。

だから、染め直しは無料でやっていると、こういう訳です。

2012年6月13日 (水)

まるで奇跡のようなお話し。

神楽公演を終え、被災地支援の形を変えようと思ったことは書きました。

では、どう変えようとするのかというと、前向きな事をしようと。

具体的な構想もありますが、それはそれとして、そう思った。

 
神楽公演直後の月曜日、熊本の春ちゃんから電話が掛かってきて「釜石で、和菓子の木型と抜き型を探しているから、見つけてあげて頂戴」と言う。この人は76才と年寄りで病弱だけれど、被災地支援をしている変人。16日にまた、気仙沼に入るらしい。

岩手県釜石市で出会った若者から、電話が掛かってきたと、こういうわけです。

 
私が連絡を取ってみると、津波でご主人と店を失った和菓子屋さんが、残された奥さんと息子さんの二人で、仮設で店を再開したけれど、全ての道具を流されたので、その道具が欲しいと云うことでした。

もう一つあって、このお店に勤めだした同級生が美容師で、震災以降体調を崩し、気力も無かったけれど、ようやく、この秋から来年くらいに美容室を再開しようという気になった。しかし、お金もなく、器財もないので、美容道具一式揃えられないだろうかという相談でした。

 
和菓子の道具は、神楽実行委員の田野君に相談してみたら、さすがに顔が広く、市の観光協会副会長という偉い人だから揃えることが出来た。

足利の和菓子屋さんが、素晴らしい道具を提供して下さった。ありがたいことでした。
 

さて、美容道具ですが、娘が美容師なので聞いてみると、さすがに一式揃えることは難しそうだ。

どうしたものかと思案していると、ギャラリーオープンしたその日にお見えになった宇都宮のお客様が美容師だと思い出した。

ちょうど釜石からメールが入り、欲しい器具のリストが送られてきたので、それを見せて「こういう事なんだけれど、器財が手に入らないかなぁ」と相談してみた。

そうしたら「あら!うちをリフォームするつもりだから、上げるわよ!」ですって。

これで解決。まるで奇跡のような事でした。

  
被災地で、和菓子屋さんと美容室を再開するというのは大変な事だけれど、前向きな事だと思います。

それに対して少しでも手助けできることは、ありがたいことですし、今後はそうありたいと思っています。

2012年6月11日 (月)

心機一転 ギャラリーの引越

ギャラリーを、2階から1階に引っ越しました。
 

なんとか日曜日にオープンしようと、神楽公演終了後から、大掃除と大片付けに励んでおりました。

何故そんな気になったかというと、神楽公演を契機に、東北被災地支援の形を変えようと思ったからです。

先ずは、自分の足下をしっかりさせなければ、本末転倒となりかねませんし、どうも、そんな気配もなきにしもあらずだったのです。

 
先ずは、1階入り口に山積みされていた支援物資を、片付けさせていただいた。棄てた分けじゃありません。別の場所に移したのです。
Siwake          (ここで仕分けして被災地に発送していました)
 
そもそも1階は、いわゆるアトリエで、日本語で言えば作業場でしたから、アイロン台や業務用のミシンがあったわけですが、それらも倉庫と2階に運んだ。

ミシンが重くて大変だなと思っていたところに、初老3人組の高橋さんと中沢さんが神楽公演実行委員会の最終会議の打合せでお見えになったので、ついでと言ってはなんだけれど、別の場所に車で運んで下さって大助かり。

書類棚をどうしようかと思っていると、ご近所の溝越さんが来てくれてお手伝いして下さり、これも無事終了。

後は、大掃除。

 
床はコンクリートの打ちっ放しですから、先ずは埃を取るために、水に濡らした新聞紙で隅から隅まで掃き清めました。

閑馬に越してきた時に買った業務用の掃除機が壊れて使えないというので、ちょっと苦労をしていると、千葉から橋本夫妻がお見えになって直してくれた。

それだけでも大助かりだったのですが、2階にあった竹製の飾り棚を1階におろすのをお手伝いいただき、ついでに大掃除も。お蔭で土曜日の夜には、おおざっぱに店作りが出来るまでになりました。

 
さて日曜日。

この日までにギャラリーを仕上げ、お客様を迎えたいと思っておりました。

お客様がいらっしゃる根拠は何もありませんが、ギャラリーを作れば必ずどなたかお見えになるだろうと思いこんだだけのことです。

朝から仕上げに励んでいると、宇都宮の大お得意のSさんから「これから行くわよ!」と電話が入りました。

思い込みがその通りになって驚きましたが、午後になるというので、急いで商品も並べて、遂に新しいギャラリーが出来上がりました。


先ずは入り口
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入った全景
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奥から
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支援物資が山積みだった場所には、竹を焼いて作った飾り棚を置きました。
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東北支援真っ最中にお見えになり、部屋が物資で一杯だった事を知っているSさんは、入るなり「あら!きれい!」と言って下さった。

それから話が弾みまして、大きなお買い物もして下さったけれど、奇跡のようなことも起こった。

それは、被災地支援のことでもあるのですが、それは次回と致します。


2012年6月 6日 (水)

早池峰大償神楽 足利公演 

雨が心配された足利公演ですが、曇り空で始まりました。

Torimai

先ずは、会場のお清めに鳥舞から始まりましたが、木村実行委員長が興奮した様子で本部テントにいる私たちの所に来て、「サプライズです。足利銘仙を着て佐々木親子が踊ってくれてます」という。

本部は舞台から一番離れた入り口横ですから、よく見えません。
ズーム一杯にして写真を撮っておきましたら、なるほど足利銘仙だ。
しかも、親子舞というのが凄いけれど、こういう話しは知らなければ分かりませんから、後で木村実行委員長から説明することになります。

写真をご覧になると、演奏者達が客席に背を向けています。
これがクレームになった。

杖を突いた、少し横に大きめのご婦人が本部に入らして、「太鼓の人達は後ろを向いているから、下に出来ませんか。踊りが見えません。それから、会場がおしゃべりでうるさくて、良く聞こえない。なんとかならないかしら」と、真剣なご様子。

全く無理のない話しですし、その通りだと、私も一緒にいた実行委員の田野君も思った。
ですから、開演前にセーブイワテ代表の寺井さんの奥様にその訳をお聞きしていたので、説明させていただいた。

これが、早池峰神楽の正式な形であること。
そして、飲食しながら楽しむのも又神楽で、クラシックコンサートのようにかしこまって楽しむようなものではないこと。
「早池峰で行われている神楽を、今足利で再現しているのです」とお話しをさせていただくと、御納得いただいた様子でした。
この後、木村さんがマイクで説明してくださった。

雨の予報が、いつになっても降らない。
それどころか、会場の上空だけが晴れている。
田野君が、「神懸かりだね」と云いますが、正しくその通りだと思いましたね。

無事終了し、片付けが始まった。
佐野会場とは、椅子もテントもテーブルも数が違います。
ましてや、神楽舞台の解体作業もありますから大変だ。
そうは思いましたが、ある程度お手伝いをしましたら、身体が云うことを聞いてくれません。
申し訳なかったけれど、最後までのお付き合いは出来なかった。

後で聞きましたら、会場の片付け全てが終わり、神楽殿の解体作業も九分通り終わる頃、天気予報通り、雨が降り出したと云うことです。

神楽殿は、その日の内に岩手県に運ばれました。
「祈りの舞」が、この舞台上で、日本中、世界中で舞われますように。
 

 


2012年6月 5日 (火)

神楽公演at鑁阿寺 「千年の時を越えた仲直り」

早池峰神楽の足利公演は、足利市のシンボルでもある「鑁阿寺(ばんなじ)」で行われました。
Bannnaji

鑁阿寺(ばんなじ)は、足利市のホームページに寄れば

□□□□
鑁阿寺は、源姓足利氏二代目の足利義兼(あしかがよしかね)が、建久7年(1196年)に、邸内に持仏堂(じぶつどう)を建て、守り本尊として大日如来を祭ったのが始まりといわれています。
その後、三代目の足利義氏(あしかがよしうじ)が堂塔伽藍を建立し、足利一門の氏寺としました。
周囲に土塁と堀をめぐらした寺域はほぼ正方形で、約40,000平方メートルあり、鎌倉時代の武家屋敷の面影を今に伝えています。
境内には重要文化財の本堂など貴重な建物が多く、このことから大正11年に国の史跡に指定されています。
春は桜、秋はいちょうの黄葉が素晴らしく、市民には『大日様』と呼ばれ親しまれています。
□□□□
とあります。

私は、足利市で生まれ育ちましたが、そう人に言うと「足利って、あの足利尊氏の足利ですか?」と良く聞かれる。
全くその通りで、室町幕府(足利幕府)を開いた足利尊氏の「足利」そのものです。

鑁阿寺(ばんなじ)は、鎌倉時代に建立された物としては、現存する珍しい建物。
国指定の史跡であり、国や県指定の文化財の宝庫です。
鎌倉市には、鎌倉時代の建物がありませんが、それは、足利尊氏と新田義貞が焼き払ってしまったから。
新田義貞は、足利市の隣り、群馬県太田市の人で、その近くに徳川があり、そこの出身としたのが江戸幕府を開いた徳川家。
この辺りは、歴史の宝庫でもあります。

足利義兼は尊氏の六代前の人で、源頼朝の御家人として、鎌倉幕府成立に大きな功績のあった人。
母親は、頼朝の母の姪。父親は、保元の乱で、頼朝の父義朝と対等の地位を占めた足利義康。妻は、北条政子の妹という人。

義兼は晩年、出家して法名を鑁阿(ばんな)と称しました。
そして足利に隠棲し、邸内に持仏堂を設け、念仏三昧(ざんまい)の日々を送ったといわれていて、これが後に鑁阿寺に発展したというわけです。

こういう謂われのある鑁阿寺ですが、義兼はまた、奥州藤原氏残党が起こした「大河兼任の乱」における鎌倉追討軍の追討使として、東北を鎮圧した人でもある。
征夷大将軍坂上田村麻呂の東北蝦夷征伐の拠点とされる佐野市と、足利市の鑁阿寺で、岩手県の早池峰神楽公演が催されるというのは、東北を鎮圧した佐野・足利と東北の、「千年の時を越えた仲直り」でもあったのです。


追記
大河兼任は「おおかわかねとう」と読む。
私もおおかわ(大川)だけれど、たぶん、なにも関係はございません(笑)

2012年6月 4日 (月)

早池峰大償神楽佐野・足利公演 「神楽舞台」

3日は大雨の予報でしたので、佐野会場の椅子もテントも、全て終了後に片付けました。

夕闇の中、用意したハロゲンランプを全開にして、出演してくれた太鼓の「いとろ」のメンバーを含め、老若男女の実行委員全てが参加し、あっという間に片付きました。

480脚の椅子もテントもテーブルも、トラックに乗せて実行委員の担当の家で保管することになりました。


翌朝8時、唐沢山神社境内の掃除に行ってきました。イベント終了後の大掃除は、我々の習慣です。

実行委員の小林さんと二人で会場を隈無く回りましたが、収穫は、軍手片方一つに、ベンチ下に隠れていた空き缶一個だけ。驚き入ったゴミの無さでした。

あれだけ飲み食いをしたのにも関わらず、さすがに神社境内ですから、日本人はゴミを残すようなことをしませんね。

 
その足で足利に向かいました。

先ずは、書家の根岸先生をピックアップして会場にお連れした。

足利といえば、相田みつをさんですが、相田さんはご自身のことを「書家」とは称していませんでした。それは先輩に、茂木良作さんという書家がいらしたからだと、ご自身がおっしゃっていた。「あの字を見たら、とても自分を書家とは言えないよ」と。

根岸さんは、その茂木良作氏の唯一の弟子と言える方で、様々な賞もお取りになっている。

その方が、ポスターの文字を書いて下さったばかりではなく、受付の文字まで書いて下さった。

Sanouketuke

そればかりか、移動式神楽舞台制作にご寄付いただいた一人一人のお名前数百名のお名前まで書いて下さった。

Kihushamei

この募金は当日も行われておりましたが、その一人一人のお名前を書いて下さっています。

Negishi

皆様の募金で出来上がった、神楽舞台です。

Kaguradenn1
Kaguradenn2
Kaguradenn3

この舞台制作は、今回の復興支援の象徴と言っても良いと思います。

つまり、「鎮魂と祈りの舞」という題の形を表したもの。

募金をして下さった全ての方々の「祈り」と、この舞台で舞い続ける人々と、その舞を見続ける人々の「祈り」の形でもある。

 
神楽舞台は、製作するだけに意味があるわけではありません。活用して初めて生きるものでもあるでしょう。

今後の活動にも、是非、御支援いただきたいと思います。

応援募金のお願い

6月いっぱい、受け付けております。

2012年6月 3日 (日)

早池峰大償神楽佐野・足利公演 at唐沢山神社

昨年の夏、我々は早池峰神楽に出会い、秋を迎えた頃、被災地支援の在り方を考えてしまったとき、早池峰神楽を佐野市と足利市にお呼びして、新しい支援の形を作り出そうとしたのが昨年の10月でした。

第1回目の実行委員会のようなものを、我が家で開催。メンバーは、セーブイワテの寺井代表と木村現実行委員長ほか、数寄屋大工の杉本さん、初老3人組の高橋隊長、中沢隊員に、若林ご夫妻と佐野の遠藤さんと私たち夫婦だけ。

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ここから激動の日々が始まりました。

高橋隊長も中沢隊員も私の家内も、半年余りで6㎏ほどの体重を減らした。

 
そして6月2日に、皆様の力が結集されて、佐野市唐沢山神社二の丸にある神楽殿で、佐野公演が実現しました。

それはまるで幽玄の世界。

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          (下野新聞より)

被災地支援の物産展も三の丸で実施しましたが、ほぼ売り切れとなり、「こんなに売れるイベントは初めてです」と出店者達をして言わしめたほどとなりました。

収益金はもちろん、被災地支援に使わせていただきます。

 
会場が宵闇に包まれる頃には雷鳴が聞こえだし、佐野市に雨が降り出したという報が入ったけれど、唐沢山の会場だけには雨が一滴も降らなかった。まるで、奇蹟のように。

ご覧になった皆さんをお見送りしていると、涙をポロポロ流している人が沢山いらっしゃった。

ありがたいことでした。

 

次の日、足利の会場に行くと、「昨日は雨で大変だったでしょう」と皆さんおっしゃる。

足利も、大雨だったのです。もちろん、3日の予報も雨だった。

そこでも、奇蹟のようなことが起こった。


2012年6月 1日 (金)

早池峰神楽佐野公演前日準備

遂に、早池峰神楽佐野・足利公演が明日行われます。

会場準備の一日でした。

 
先月31日の朝8時から、電源工事で。

今朝早くから、会場の設営準備。

 
午後1時から、田沼東中学校に折りたたみ椅子を取りに行き、椅子並べ。

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この会場が

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途中、雷雨に見舞われたけれど、たまたまテントを張り終わったところだったので、みんなで雨宿り。
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雨も上がり、無事会場設営終了です。

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皆さんのお力で、出来上がりました。

明日の本番は、奇蹟のように雨が降らないことでしょう。

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