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2012年8月

2012年8月31日 (金)

いよいよ明日 ギャラリー再オープン

突貫工事と言う言葉があるけれど、突貫準備で明日、ギャラリー紺邑を再オープンさせます。

なんとかなる(^^)/

ともかく、遊びに来て下さいませ。

2012年8月30日 (木)

ギャラリー 再オープン!

紺邑のギャラリーをきれいに片付けて、数ヶ月経ちます。

今度は、品揃えも新たに、お客様をお持ちすることに致しました、

ギャラリーオープンは9月1日(土)午前10時です。

特別イベントも行いませんが、気楽に遊びに来て下さいませ。

 
ギャラリー「紺邑」 9月1日オープン

営業時間 午前10時から午後5時まで
おやすみ 毎週火曜日

Gallery1

2012年8月29日 (水)

他山の石

「人の振り見て我が振り直せ」と言いますが、先日の催事でつくづく思わされたのはホスピタリティということ。

日本語で言えば、「おもてなしの心」ということでしょうか。

日本では、例えば庭に水をまいてお客様を迎えるなんてのも、ホスピタリティでしょう。

 
紺邑では今、ギャラリーを改装しております。

正確に言えば、品揃えの充実を計っています。

そして、寛ぎの空間作り。

 
しかし、お客様にはギャラリーだけではなく、紺邑そのものの環境を是非楽しんで頂くために、今日も一日中草刈をしておりました。

閑馬は良いところですが、紺邑の立つ場所もまた、すばらしい。

それを味わっていただくのもホスピタリティだと思い、励んでいます。

 
今日は特に、入り口をきれいにしました。

通りがかりの人達が、「きれいになりましたね」と褒めてくださる。

それを支えに、明日からも頑張ります。

2012年8月28日 (火)

アート街道66at一乃館会議

来る9月28日から30日まで、佐野市赤見温泉一乃館で開催予定の「アート街道66展」の打合せ会議を、紺邑でしました。

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バカばっかりやっているわけじゃありません。決めるべき時は決めます!っという会議。

それが終わると、各自持ち寄りの料理を、マイお皿、マイ箸で飲み会、いや食事会。

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相変わらず、皆さんの料理は美味しい。

竹炭の高橋隊長も復帰。

上二枚の写真は、中沢隊員の物を拝借<(_ _)>

 
最後は、私のCDアルバムを聴かせてお仕舞い。

私も、自分の歌を聴けるようになった。

余計な物が、段々取り払われているようです。
 

 
還暦過ぎて、これだけの仲間に恵まれ、幸せなことだと感謝感謝です。

2012年8月27日 (月)

静岡最終日

静岡も最終日となりました。

今回は、本当に勉強になった。

色々あったけれど、商売に対するコミットメントが深く強くなりました。

それも皆、お隣さんのお陰です。

彼らは機屋さんだそうですが、商売に一生懸命です。

親父さんに話しかければ、止まらなくなるくらい話し好きで、捉えようによってはうるさいけれど、それは性分ですから仕方ない。

その親父さんは苦労人らしく、「商売は山あり谷ありでね、うちだって色々あって破産寸前まで行ったこともあるし、親父に早く死なれて云々カンヌン」と話し出して、なんと涙ぐんでいた。

「私は、こんな話しは余りしないのにな?」と、ご自分でも不思議そうでしたが、人に歴史ありです。

そんなこんなで、自分の甘さに今更ながら気付かされた。

ありがたい出会いだと、今は思っています。

 
さて、午後4時に催事は終了。

夕方6時静岡駅発のバスに乗り、東京でバスを乗り換え、11:03分に佐野に無事到着しました。

閑馬は、相変わらずの涼しさです。

 

2012年8月26日 (日)

静岡5日目

早い物で、静岡も5日目だ。
 

職人展では、いわゆる安物売りは無い。良い物を適正価格で販売をするのが「職人展」の良さでしょう。

それも、作っている人が直接売るのですから、実は、流通に乗るよりも価格は安いのです。

我々の品物が小売店で売られるとしたら、3倍はするかもしれませんし、実際にそうなっているものもある。

 
さて今回は、ご承知のように、お隣さんが「安物売り」をなさっている。

それも「B反」や「染めに難あり」という品物で、とても「匠の技と日本の美」というタイトルにふさわしくない物だ。

彼らに責任はありません。いつものように自分たちのご商売をなさっているのでしょうから。

問題は、彼らを「匠の技と日本の美」というタイトルの催事に出展させ、お客様を招き入れている方です。

出展させるなら、タイトルは変えた方がよい。タイトル通りの催事をやりたいなら、出展させるべきではない。

そう思うけれど、私にはもう、この催事へのコミットメントはありませんから物を申しません。

せめて、このブログをご覧になっている方々にはお分かり頂きたいと思うだけです。

 
何人かのお客様が、お買い物をしてくださいました。

中には、一昨日実演をご覧になって、藍染の本当のことを初めてお知りになり、お友達を連れていらしたお客様もあった。ありがたいことです。

しかし、お客様の流れは、確実に安売りのお店の前を通ってから紺邑に来るというもの。


質はともあれ、藍染から藍染に流れてくるのですから、一反3,990円の品を見た後では、紺邑の物はみな高く見える。これは必然。

それでも、1,500円もするハンカチと2,000円もするバンダナを買って下さる。

でも、それ以上の物は売れません。

仕方ない(T_T)

 
その恨み節を、「お宅が安売りするから、うちは高い物が売れないよぉ」とお隣に伝えた。もちろん、冗談めかしてです。

そうしたらその店の親父さん、「ごめんね」!だって。

 
 
浜松から内山さん御来店。

ミカミを誘って、3人で夕飯。

これは楽しかったな(^^)/
 


2012年8月25日 (土)

静岡4日目

静岡も3日が終わると、この催事の欠点ばかりが目に着くようになった。

上げればきりがないけれど、私にはこの催事を盛り上げて成功させようという気持ちが全く無くなっているので、それがどういう事かを伝える気にもなりませんから、何も言わないことにしていました。

ところが今日、ちょっと気がついたことがあった。それは、広告宣伝のこと。

今回は、出店者から費用を徴収してチラシを作っている。もちろん、我が社も払うことになっています。

そのチラシを良く見てみた。

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さて、紺邑の商品は何所にあるでしょうか?

私には分からなかったので良く見たら、左下のシャツに巻いてあるストールが紺邑のものだった。

これは、特別提供品として出したもので、広告商品としては綿チュニックを提出しておいたのです。

割引商品を、お金の掛かる広告商品にされ、それも他社のシャツに巻かれたのでは、訴求効果も乏しいし、商売が成り立たない。

何故こんなことになったのかを担当に聞いたら、デザイナーがスペースが無いと言ったからだと、人に責任を押しつけた。

それで、止せばよいのに「ふざけるな!」と一喝してしまった。

私は自分のことだから分かる。他社の事は分かりませんが、一事が万事ですから、なにか問題があろうと思うし、こういう姿勢は、この催事の其所此処に如実に表れています。

 
なぜこんな事が起こるのかと云えば、基本には担当者の心の持ち方がある。

何所に軸足を置いて商売をしているかということですが、この催事はお客様に対しても我々出展者に対しても、ホスピタリティが全く欠けています。開催することだけに意味があるようだ。

私は20年以上催事に出展しているし、深く関わり合ってきたけれど、こんな催事は初めてだし、他の百貨店には全く見られないものだ。

何故かと考えると、担当者が催事(職人展)を何も知らず、分からないのに、分かった振りをして適当に仕事をしているからでしょうね。

これは、一担当者の問題ではありません。

催事を甘く見ている、上司の問題もあるでしょう。

他の百貨店なら、30になったばかりの若い担当者に、私のような還暦過ぎで海千山千の職人もいる催事の担当を任せられるわけもない。

その根本を変えなければ、何も変わらないと思うけれど、これ以上は言う気もありません。

言うべき事はまだまだある。

しかし、言う価値も認めません。

2012年8月24日 (金)

静岡3日目

夕べは酒を飲まず、ホテルで夕飯を取ってゆっくりと仕事しようと思いましたが、10時過ぎには眠くなって寝てしまいました。

今朝早く起きて、やり残した仕事を致しました。

何かというと、ホームページなどのネット関係の更新などですが、大幅に変えようと思っています。

 
お仕事は相変わらず。

実演が出来るようになったことは、一大進歩。

コツコツとやらせていただいております。

 
今日も酒抜き。

パソコン相手に、仕事をしています。

その成果は、キンキンにお見せできると思います。

2012年8月23日 (木)

静岡2日目

昨夜は懇親会がありまして、伊勢丹レストラン街の中華料理店が会場でした。

実はこの店、準備日に入った。

チャーシュー麺を頂いたのだけれど、スープがいけません。

ですからなにも期待出来なかったけれど、最初のサラダからひと味足りなかった。

それが最後の焼きそばまで続きましたが、紹興酒だけは何とかなった。

お陰で良い気分になり、帰ってからバタンキューだ。

 
初日は多少の賑わいがあった。

食品も一緒の催事なので、物産展の様な雰囲気もあるからなんでしょう。

朝礼によると、そこそこの成績だそうで、担当も満足の様子。

 
さて2日目はどうだったのでしょうかね。

静かな会場を、出展者達がお客様ごっこをして歩いておりました。

紺邑はどうかといいますと、会場の静けさとは別に、お隣のお店のおしゃべりが、とても賑やかな一日でございました。

 
しかし、無駄に時間を過ごすわけにはいきません。

これからの企画と行動計画を立てました。

先ずは、工房のギャラリーを改めて新装オープンさせようということ。

来る9月1日から、閑馬の紺邑は、しっかりとギャラリィーとしてオープンいたします。

これは、改めて告知をさせていただこうと思います。

お待ち下さい。

2012年8月22日 (水)

静岡初日

さて、静岡伊勢丹「匠の技と日本の美展」が始まりました。

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開けてビックリしましたが、お隣の綿織物のお店の値札が、みんな赤札の値引き商品ばかり。

私が経験してきた「職人展」では、今まで見たこともありません。

反物のハギレ1mが三本で1,260円。反物がなんと3,650円から。

お客様が綿の反物二反と色々お買いになっても2万円になりません。

帽子が1,890円。藍染のTシャツが5,250円。おなじく藍染の作務衣が上下で12,600円。

商売としてSaleをするなとはもうしませんが、「職人展」でそれをやられたら、他の人に迷惑だと思うけれど、この催事では誰も気付きません。

 
その内、藍染の実演が始まりまして、何をするかと思いきや、生葉を木槌で叩いて藍染だそうで、看板には「藍染をどうぞ」と書いてある。

それを、子供と母親が楽しそうにやっているんですから、困ったものだ。

 
藍染め師の私はどうしたらいいのだろうかと考えました。

お客様に、本当のことを教えなければなりません。

それをやれば、お隣の営業妨害になりそうだし、この人達は静岡伊勢丹と20年もお付き合いなさっているらしい。

色々な人に相談しましたが、我が道を行くで、淡々と藍染について語ることにしました。

そこで、明日から実演をします。

当たり前なんですが、展示場が狭いのです。

さて、どうスペースマネジメントしましょうか。

2012年8月21日 (火)

草刈 そして静岡へ

ここのところ毎日、草刈をしておりました。

使用前使用後を写真で公表するのも憚れるほどに、もの凄い草ぼうぼうでしたから、そりゃもう大変。

日射病を警戒しつつ、昼間もやっておりましたら、なんと蜂に刺された。

彼らも生き残りに必死なんでしょうが、これで一時中断したものの、余所様から見える範囲はきれいにしました。

それでも1500坪の土地は余りに広い。

 
汗がハンパじゃない。

お蔭で下着を何枚着替えたことか。

クタクタにつかれて、夜9時頃には眠気が差すくらいなものです。

 
21日朝は、静岡へ向けて出発。

22日から行われます「匠の技と日本の美展」の準備です。

 
この間の広島で、すっかりバスが気に入った私は、佐野バスターミナルから新宿東口行きのバスに乗り、西口から静岡行きのバスに乗って参りました。

快適!

草刈で疲れたからだが、ゆっくりと睡眠を取れました。

お昼時は東名高速ですから、昼食をどうしようかと思っていましたが、足柄パーキングエリアで休憩するというので、そこで弁当を買うことに。

ファミリーマートがあったので、「洋食弁当」を買った。

買う時に二度、「お箸をお願いします」と言ったけれど、箸を入れる気配はない。

店員は頷いているので、弁当に着いているんだろうと思ってそのままバスに戻った。

出発して落ち着いたところで、弁当を開けてみたら、どこを探しても箸がない。

弁当を目の前にして、食えないことの腹立たしさったらありません。

ましてや、空腹ときたもんだ。

時間もあるから、ファミリーマートに経緯をメールしてしまいました。

所謂、クレームというヤツです。

 
腹が減れば眠れませんから、そのまま我慢して静岡到着。

伊勢丹は随分久しぶりだけれど、知らない訳じゃありませんので記憶を頼りに歩いて行くと無事見つかりました。

入っていって荷物を降ろし、いつものように会場を挨拶回り。

知っている人もいるけれど、知らない人も沢山居る。

噂には聞いていたけれど、私の常識では「変わった催事」の部類に入るなという印象。

それでも知人は沢山要るので挨拶していると、担当が「親分の見回りですか?」なんて言ってきた。

この人とは一度あったことがあって、それも宇都宮東武の催事でです。

わざわざ様子を見に来たらしく、随分熱心な人だなと思っていました。

 
その内、若い連中が私の所に挨拶に来だした。

それを見たこのご担当は、「あれ!大川さんは大御所なの?私はそういう扱いはしませんよ」なんて、言わなくても良いようなことをわざわざ言う。

なるほど、この人は何かを意識しているなと感じましたね。

余計な意識は疲れるだけだろうけれど、まあ、私のあずかり知らぬ事です。

 
22日から六日間、静岡伊勢丹8階におります。

ご近所の方々、どうぞお遊びに入らしてくださいませ。

2012年8月17日 (金)

地元の中学生達

佐野市閑馬地区は、小学校は複式になっていませんが、中学校になりますと、近隣の小学生達と一緒に田沼西中学校に通います。

一昨年までは、閑馬小学校の3年生達が藍染の見学に紺邑に来ておりましたが、校長先生が替わってからは何故か来なくなった。なんででしょうか?

お金を取る訳じゃありませんし、児童達は楽しんで参加していたのに、おかしな事があるものだと思っております。

今日は、西中の生徒達が、紺邑に藍染体験に来ました。

 
今回の中学生の中には、小学生の時に参加した子供達が半分以上いました。

もう一度藍染をしてみたいからという理由からですが、昨年よりも倍くらい参加者が増えたそうです。

それなのに、なぜ地元の小学校は止めてしまったのでしょうか。不思議だし、残念ですね。
 
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先生達も、結構楽しんでいただいた様子です。

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伝統工芸に触れ合うことは、滅多に出来ることじゃない。

閑馬には、私以外にも工芸家はいるし、芸術家も仕事場を持っています。

せっかくですから、彼らと触れ合う機会を作って欲しいと思います。


2012年8月16日 (木)

広島最終日 帰宅 そして陰徳のお話し

広島福屋の最終日は、午後七時半閉店まで営業です。

鉄道ではその日の内に帰ることが出来ませんので、色々考えたあげく、コルクと一緒に夜行高速バスで帰ることにしました。

夜8時50分広島駅前を発ち、午前7時頃には東京に着くという便です。

 
ずいぶん昔、松山の「いよてつそごう」でコルクと仕事したとき、コルクだけバスで帰った。

その後印象を聞くと、「いやあ、疲れました。二度と嫌ですね」と言っていた。

ところが今回は、「驚きました。快適です。三列シートでWi-Fiは通じているし、各シートに電源は着いているし、良いです」という。

それで私もバスにしたと、こういう訳です。

 
片付け終わり、フロアーの責任者から、「うちにぴったりの商材だと思います。今度は是非、もっと季節の良いときに入らしてください」と、うれしい言葉も頂いて、福屋を後にしてちょいと夕飯。

タクシーを拾って、駅前のバスターミナルへ。

駅構内で寝酒を購入。それも、我が畏友・ワイン醸造家の増子敬公氏が関わり合っているという「三次ワイン」の赤のライトボディー。

 
待っていると、きれいなバスが到着。

乗り込むと、なるほど三列でゆったり座れる。リクライニングにもなるし快適そうだ。

コルクが「ここが電源ですよ。カーテンを頭から被って外を見ても良いですよ」と、事細かに教えてくれて出発。

最初は車体の揺れが気になったけれど、その内に慣れてきた。

ワインを開けて、軽く一口。「こりゃ、良いですな」と、心の中で増子さんに語りかけながらウトウトしだした。

そこで、「夜中起きてもいいや。このまま寝ちゃえ!」と寝てしまった。


気がついたら新宿。

時計を見たら、午前7時。

なんと、10時間以上寝ていたことになる。

コルクは新宿で降り、私はそのまま東京駅へ。

八重洲口に着いて降車すると、身体が軽い。

いやあ、快適でした。

バスがすっかり気に入りましたね。

 
東京駅から又バスに乗り換えです。

地下街で朝食を取った。

トーストにサラダに本日のスープにベーコンエッグにコーヒーという物。

これまた結構で、「さすが東京だ」なんて妙に感心してバス停へ。

家に「8:40分発のバスで帰るよ」と電話していると、「お兄ちゃん、水ないか?」と、車いすの老人が話しかけてきた。

良く見ると、ホームレス。つまり、乞食。

なんと、私は水を持っていた。

それも、新品の2Lのボトルで105円の安物。


昨夜、どういう訳か、まだ水があるのにコンビニでこのボトルを買った。

どういう訳か、この105円の水と500mLの空のペットボトルを、わざわざ袋に入れて東京駅まで運んで来た。

なるほど、この老人のために私は広島から水を持ってきたんだなと合点して、上げることにした。

 
「水あるよ。これで良いかい?」とその2Lのボトルを見せると、重いから嫌だという。

「じゃあ。これに入れようか?」と空の500mlのボトルを見せると、頷いた。

そこに水を注ぐと、「これにも入れてくれ」と水筒を出した。

満タンに入れてやるとゴクゴクと美味そうに呑んで、「すこし空いたから、また注いでくれ」と水筒を突き出す。

また注ぎ足し、500mlの水も上げると、今度は「兄ちゃん、200円位ないか?」と金をせびりだした。

それくらいはあるから、小銭入れを開けると、その中に500円玉も入っていた。

「それが良い。500円が良い」とこのじいさんが言うので、それを渡した。

ちょうどバスが来たので、「じゃあな!」と手を振って分かれた。

 
ありがたかったなぁ。

このじいさんは、私に陰徳を積ませてくれた。

ずいぶん前になりますが、家内と駐車場で車に乗り込むと、何所から現れたか乞食の婆さんが、「千円おくれ。今日食べるものもないんだよ」と、窓をタタキながら言った。

私は黙って窓を閉めて、車を出してしまった。

「あのね、あれは神様だったんだよ」と、家内が私を諫めた。

それが後悔になって、ずーっと心に引っかかっていて、このじいさんのお蔭ですっきりさせて貰った。

夜行バスで身体が軽くなり、水で心が軽くなった。

 
佐野に帰って家内にそれを語ると感動して、「あなたも少し変わって来たようね。唐沢山神社をお参りしよう」って事になって、神様にお礼をして返ってきました。っという、ちょいと長いお話しでしたとさ。

2012年8月15日 (水)

8月15日 戦後日本の問題点など

いつものように8月15日が参りました。今年はそれを、広島で迎えたと云うことに感慨深い物があります。
 

大東亜戦争は昭和20年8月14日、日本はポツダム宣言を受諾し、15日正午、天皇陛下の玉音放送をもって停戦に入り、突然戦闘が止まった。

そりゃ、多少の事はあったにせよです。

そして進駐軍が日本に上陸してきたけれど、それを日本兵も日本人も静かに迎えた。

NHKの「映像の世紀」には、進駐軍が日本に到着し、全国に進行する際、日本軍兵士が路線警備にあたり、皆、道路に背を向け、じっとっ立って米兵を迎え入れている姿が映し出されています。

日本人はそのように、敗戦(正しくは停戦か)をしずかに迎え入れた。余りにも静かに。

それは、進駐軍をして恐れさせる物だった。

 
終戦直後、日本は負けたと思っていなかった。

事実、政界で何が起こったかと云えば、鈴木貫太郎内閣が総辞職し、東久邇内閣が成立したという、今と同じ動きがあったに過ぎません。

それは、新聞記事にも現れていて、朝日新聞は「日本は負けていないのである」と書き、東久邇首相はアメリカに対して「真珠湾を忘れてくれないか。そうすれば日本は広島・長崎への原爆投下を忘れよう。そして同じ自由主義圏の国として共に発展していこうではないか」というような、対等の発言をしている(江藤淳「忘れたことと忘れさせられたこと」)。

朝日新聞はまた「己を罪するの弁」として己の戦争責任を国民に謝罪し、その他の新聞もアメリカ兵の蛮行に対して糺弾も始め、とても敗戦国とは思われない態度を取っていました。

 
そこでGHQは9月16日、朝日新聞を発行禁止にし、翌17日、在京5社を呼び、そこから言論の検閲・統制が始まり、GHQによる日本人愚民化政策(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)が始まります。

それは憲法、教育、新聞・ラジオの報道、皇室の在り方、農業政策と様々に及び、そのまま今に続いております。
 

現行憲法は、日本人を腑抜けにしました。

教育は、子供達に自虐史観を植え付け、言葉と漢字と神話を奪い、歴史と語り合えなくさせて自己喪失を図り、ラジオは「真相はこうだ」「真相箱」と続く番組で、徹底的に日本人が悪者だった事を植え付けた。6・3・3制は、アメリカの実験だと私たちは教わったものです。

日本国民はポツダム宣言すら読まず、日本が「無条件降伏」をしたと教わり思いこまされてもいる。

ポツダム宣言には確かに「無条件降伏」と言う言葉は出て来るけれども、それは「無条件で日本国軍の解散」を求めるものであって、降伏を求めているわけではなく、そもそもこの条文が「条件」です。
(ポツダム宣言)
十三、吾等ハ日本国政府カ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス

皇室典範の改定は宮家を廃し、天皇の跡継ぎを絶って自然消滅を図ったもので、それはハワイの王家にもなされたことであり、その弊害が今、現れております。

戦後の日本国民は、それこそGHQのこの政策の呪縛の中にあり、それに気づくこともない。

 
しかし、これを利用したのも又、日本だということも忘れてはなりません。

吉田茂は、これを承知の上で日本に不利な条約にもかかわらず、日米安全保障条約を締結し国防をアメリカに任せた。

そして浮いた金で、日本の経済的戦後復興に充て、現在の経済大国としての日本がある。

自民党は党の綱領に憲法改正を謳いながら手をつけてこなかったのは、経済復興を優先させたからでしょう。

その結果、戦後の日本人は、日本人としてのアイデンティティを失い、心も失い、矜持も失った。

 
その気付きは、安倍晋三さんの出現を待たねばならなかった。

彼は「戦後レジームからの脱却」を宣言し、憲法改正の道筋をつけ(国民投票法)、教育基本法を改正した。

戦後60年間、ウソをついてきた自民党を本筋に戻したのです。

 
それに対する反対勢力は、日本人に本来の気付きをして貰っては困ります。

例えば日本人の愚民化を図り、日本の金を搾り取ろうとする勢力です。

それは、日本国内ばかりではなく、近隣の国々も入ります。

そして、民主党が誕生した。
 
それが、竹島、尖閣諸島を犯す動きとして、また大統領の発言としてハッキリと現れたのが、昨日今日の出来事です。

願わくば日本人が、この際、これらに気づく契機とならんことを強く願います。

2012年8月14日 (火)

広島6日目

天気予報は雨。

外に出ると、ほんとに雨。

「こりゃいかんな」と思っていたら、今までで一番お客様が多かった一日となりました。

もちろん、成績もそれなりです。

 
広島で何をしているわけでもなく、ただコルクと一緒に仕事してぶらぶらしているだけだけれど、なんと言いましょうかストレスがない。

それだけ良いところだし、私に合っているのだろうけれど、「次来ますか?」と問われると、来たいけれど即答は出来ないという程度の成績でして、悩むところです。でも、良いところです。

 
残すところあと一日となりました。

お盆過ぎの交通ラッシュが気になります。

2012年8月13日 (月)

広島5日目

ようやくオリンピックが終わりました。これで日本も落ち着くかな。

最後の最後で、レスリングの米満選手が金メダル!素晴らしい試合でした。

ボクシングミドル級の村田選手も金メダル。

この二人には、本来のオリンピックにあるべきアマチュアの美しさが見えたように思います。

素晴らしい金メダルでした。

 
閉会式は見ませんでした。

絢爛豪華で、電気を一杯使っていた開会式にウンザリしていましたから。

陶芸家の畏友市川寿山先生が、「日本でする時は、節電で昼間、アトラクションなし、シンプルに行進と、聖火点火と、原点に戻したら、世界中が驚き、喝采すると思うがな?」とお書きだけれど、大賛成です。

今回の入場行進も、規律のない物になっていました。

いつからかな?と思い起こしてみると、東京オリンピックの閉会式からでしょうかね。

あの乱雑な入場の演出は、斬新なものだと、子供心に思った物です。

 
男子サッカーは、試合終了後の出来事でちょいともめておりますが、メキシコが優勝した。

決勝戦は、最後までは見ておりません。

さすがに寝てしまった。

前半は何とか見ましたが、メキシコのサッカーは大きく変わりました。

上手いし強いしスピードもある。

 
思い起こせばメキシコオリンピックの時の三位決定戦の相手が、このメキシコだった。

余りの不甲斐なさに、地元の観衆の心は離れ、フェアーで健気なサッカーをする敵の日本チームを応援しだした。

今、バレーボールなどの応援で見られる、「ニッポン チャチャチャ」という応援は、この時のメキシコ人観衆の「ハーポン チャチャチャ」という応援から始まった。

試合は日本が勝ち、その上、この時から始まったフェアープレー賞も取った。

これが日本なんですから、試合の勝ち負けはともかく、今度のチームも日本らしく戦ったと思います。

4位は、良くやりました。

 
ネットに、こんな写真が紹介されております。

Photo
試合終了後、自分たちの応援席の掃除をしている姿です。

これが、日本です。

選手も良く戦いましたが、観客も良く戦ってくれました。

2012年8月12日 (日)

広島4日目

考えてみますと、お盆だ。

私も、働いていてはいけない時期でした。

でも、広島に久し振りに来てみますと、良いところです。

店も良し、お客様も良し、飯は美味しで、云うことはないようだけれど、お客様の絶対数が足りないのが玉に瑕かな。

これも、時期の問題もあるのかもしれません。

しかし、気持ちよく仕事をさせていただいています。

 
オリンピックで時差ボケのようになっていましたが、それにも慣れてきた。

柔道以外は、結果を残しています。

「監督の運の問題がある」と、誰かが言った。

気付かなかったけれど、それはあるかなと思う。


男子サッカーの日韓戦は、日本選手が疲れていました。

それは韓国も同じですから、言い訳にはならない。

負けは負けです。

しかし、ゲーム終了後の韓国人選手の行動が問題になっていますが、当然のことです。

ネットの上でも話題になっているけれど、こんなジョークが紹介されていた。

*********

Joke

**********

このジョークを受け入れる許容力も、各々の国の問題になるだろうけれど、そこで、私もこんなジョークを紹介してみた。

**********
20世紀初頭イギリス人とフランス人が会話をしていた。
「植民地からは徹底的に搾取しなければいけないな。」
それを聞いた日本人が割り込んできて言った。
「それはひどい。ちゃんとインフラを整えて、教育制度も確立させて、
 豊かにしてあげなきゃ。」
イギリス人とフランス人はきょとんとした顔で言った。
「そんなことをしたら恨まれてしまうよ。」
*********

ところが、この意味が分からないという話しがあった。

なるほど、今の日本人はなにも教えられておらず、ただただ朝鮮人に悪いことをして来たと思わされている。

日本がしたことは、「ちゃんとインフラを整えて、教育制度も確立させて、豊かにしてあげ」た事だと知ればジョークになるけれど、知らなきゃ何が何だか分かりません。

 
例えば「三国人」という言葉は、差別用語のように思われている。

しかし終戦直後は、買い物の列に割り込んでくる人がいて咎めると、それが三国人だった場合、「すみません、三国人の方でしたか」と使っていたように、一種の恐れを含んだ言葉だったと、阿川弘之は書いております。

我々はそろそろ、素直に歴史に向き合い、考える時期に来ているとつくづく思わされた事でした。

戦後既に、67年経つのですから。

2012年8月11日 (土)

広島3日目

3日目は土曜日ですから、少し賑わいがあるかなと思いましたがそれ程でもない。

お店の人に、「静かですね」と言ったら、「そりゃそうよ。今日は宮島の水中花火大会で、三時頃から場所取りに行っている人もいるくらいで、今日はダメ!」という事でありましたが、なるほどなという一日でありました。

 
そう言えば、平清盛で宮島が流行のはずで、観光客で賑わっていると、搬入の日に行ってきたコルクの話しです。

2012年8月10日 (金)

広島の百貨店 福屋

福屋の創業は1929年(昭和4年)の事です。

思えば1927年には昭和金融恐慌が起こり、1929年には世界恐慌に突入するという混乱の時代でした。

そんな中の開業でしたが、広島の人達は当時、導入されたエスカレーターが珍しく、福屋に殺到したと云います。

現在も大不況ですが、これを知ったときには、大恐慌のイメージが少し変わりました。

そんな中でも開業し、立派に現在まで続いている企業があることに心強く感じたものです。
 

16年後には、原爆によって福屋の建物は壊滅的な被害を被ったようですが、それにも耐えて復旧し、今がある。

激動の時代を生きてきた福屋は、広島の人達を元気づける存在のようです。

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今日来たお客様が、「広島の人達は、福屋が大好きじゃけんね」とおっしゃっていましたが、さもありなんと思います。

これは、熊本の鶴屋や鹿児島の山形屋や岡山の天満屋や熊谷の八木橋や東武宇都宮百貨店などの有力な地方百貨店の特徴でもありますね。多分、仙台の藤崎も同じなのだろうと想像します。

催事に来たときは気がつきませんでしたが、こうやってこぢんまりとした出展をしますと、大勢の中では分からないことに気付かされます。
 
しかし、北海道の丸井今井や福岡の岩田屋は、既に経営は他に移っています。それでも名前が変わらないのは、その存在が地方では重要だからなのでしょう。
 
 
この不景気の中、地方百貨店の踏ん張りは、その地に生きる人達に元気を与えるようです。

まだ新しい遠鉄百貨店なども、きっとそのような存在になっていると思います。

お客様に愛されるとは、その地の人達と共に生きるという歴史を必要とするのでしょう。

2012年8月 9日 (木)

広島初日

広島福屋八丁堀本店に来たのは、十年振りくらいです。初めは、親父殿の工房に居た時ですので、二十年くらい前になります。その時は「伝統展」のような催事だった。

広島に初めて来たのは40年くらい前になりますが、駅前の路上で、男達が博打を打っていたのに驚いた記憶があります。

商売的には、余り相性が良くないように思っておりましたので、しばらく来ておりませんでしたが、何故か又来てしまった。

一度、三越に出展したときもありますが、これまた相性が悪く、次を頼まれたときに、京都の下村君にバトンタッチしたくらいです。

 
さて、初日が始まりました。

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売り場はこんな具合ですが、驚いたことに、直ぐにお客様がついて目が開いてしまった。

隣のコルクも同じ。

それが夕方まで続き、コツコツではあるけれど、しっかりとした手応えがあります。

下りエスカレーター前ですし、水彩画の有料催事が上の階でやっていて、外商のお客様も立ち寄ってくれているようです。

 
紺邑の藍染の色は、独特な色合いに見えるようで、「きれいね」といいながらお客様は見てくださる。

隣のコルクがまた藍染に合うし、珍しいこともあって、これまたお客様が立ち寄ってくださる。
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お互いに、助け合っております。

 
コルクハウス「なずな」は、日本で唯一のコルク細工のお店。

母上が始めて、息子の富沢君が手伝っている。

冨沢君は、この業界で唯一我が家族全員を知っている男で、私生活でも色々手助けをして貰っている。

今回も、ホテルの手配から搬入の手伝いまでやって貰っちゃった。

ありがたやありがたや。


2012年8月 8日 (水)

広島

随分ご無沙汰をしてしまいましたが、相変わらず暑い日が続いております。

 
8日に広島に入っております。

9日から15日までの七日間、広島の老舗百貨店、福屋八丁堀本店6階下りエスカレーター前で、コルクハウス「なずな」と二人展を開催します。

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お近くの方、是非お越し下さいませ。

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