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2012年9月 9日 (日)

御嶽山信仰

今日は、紺邑のある佐野市閑馬町木戸地区のお祭りの日。

なにを祭るかというと、紺邑の裏山の御嶽山です。

御嶽山というともちろん木曽ですが、その神様を勧請したのが、閑馬の御嶽山です。

勧請とは、「神仏の分霊を他の所に移して祭ること」を言うのだそうです。

毎年、代表の三人が山に登ってお参りすることになっていまして、今年は私もその内の一人でした。

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お掃除をして、お参りをして、帰ってきてから町内の皆さんが集まり、集会所から御嶽山に向かって2礼2拍手1礼をしてから宴会、と言うのがお祭りです。

 
 
御嶽山は、私の生まれ育った栃木県足利市小俣町にもあり、その頂上には、御嶽座王大権現像と御岳社があります(参考「菱の御嶽山を登る」)。

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このホームページに、「1は御嶽山。小俣濁沼のO家が御嶽山を勧請して付いた山名」とありますが、ここでいうO家とは、我が大川家のことです。

 
日光にも御嶽座王大権現像と御岳社があり、日光市史の修験の項に、以下のような記述があるそうです。

「近世末期に至り、木曽御岳山の勧請があった。これは、日光山の修学院慈観と輪王寺寺侍・高野将監、そして足利小俣の御岳山真精講先達・大川繁右衛門等によって大真名子山に勧請されている。「大真名子山記」によれば嘉永四年(1851)に勧請の話があり、文久三年(1863)には木曽大滝村より、御岳山座王大権現、八海山神王(大頭羅神王)、三笠山刀利天、清滝不動、里宮の五ヵ所の御神石を勧請している。鉢石町高野宅庭前に御岳社が建立され、元冶元年(1864)座王大権現(本地虚空蔵菩薩)銅像が大真名子(本地虚空蔵菩薩)山頂に安置された」。(参考「日光を漂ふ」)

大川繁右衛門というのは、私の6代から7代前の人。

大川繁右衛門(何代?)→雲平→信介(初代)→英三→仁→公一となります。まあ、直接のご先祖であることはハッキリしております。

輪王寺寺侍・高野将監の高野家は今でもありますが、親戚筋でもあり、大川家の娘が老中水野忠邦の家に上がるとき、高野家に養子に出してから行っており、その時に水野家から頂いた品々は、今でも大川本家にあり、県の文化財指定にもなっています。

「真精講」というのは、上野の国(群馬県)と下野の国(栃木県)の御嶽山信仰をしている人達の集まりで、その代表が大川繁右衛門だったと云うことでしょう。


その像は、日光の大真名子山(標高2,375m)山頂にある。

Nikko_zaou(参考「大真名子山(2010年8月14日)」)
 
本家の大川眞保育園園長に聞くと、「あの像は、どこそこのなんとかという名のある人に造ってもらったそうだ」と言っていたけれど、「どこそこのだれそれ」かを忘れてしまいました。その内又、聞いておきましょう。

 

こんな因縁があるわけですが、閑馬の御嶽山に、大川繁右衛門が関わっていないはずもありません。

感慨深い一日となりました。

 
 
さて、蔵王権現と座王権現とありますが、御嶽山信仰の権現様は「座王」。吉野金峯山寺(きんぷせんじ)は「蔵王」。その違いは、またいつぞやに。

ついでに、大川家はいつ頃からある家かと言うと、こんなホームページがありました。
因みに、ここに出て来る「恵性院」というお寺は、大川家の菩提寺ですが、私達が結婚式を挙げたところでもあります。

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