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2012年10月11日 (木)

生きた歴史書 「じんじん人生」

 平凡に生きることの難しさは、政治家のような「気持ちよさ」を感じずに生きることでもあると思ってきた。「気持ちよさ」は、社会的に認められる事から生まれるもので、それは人前に立つ人達に共通するもの。
 
 演歌歌手が売れなくなっても、いつまでも歌手を続けているのも、同様の「気持ちよさ」を覚えてしまったからだと。政治家も然り。
 社会的に認められなくとも、人は生きなければならない。それを「平凡」とも「普通」とも云うのかも知れない。

 ここに一冊の本がある。
 題して「じんじん人生」。

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 栃木県佐野市に長く生きた老人達を取材し、昔話を語ってもらい、一冊の本にまとめたもの。発行者は、先輩でもあり畏友でもある金子庸三さん。「非売品」とある。

 読んでみて、歴史とは、生きた人々の中にあるものだと、つくづく思わされた。
 
 金子さんにとって、佐野が生んだ偉人・田中正造は、郷土史を学ぶテーマとしてあるという。その足跡をたどっていて、「郷土史を学ぶ上で大切なのは資料の発掘であると同時に今を遺すことである事を学んだ」と金子さんは書く。
 そして「今を生きる様々な人の人生を記録する。それは将来、郷土史を学ぼうとする人が出現したとき、彼らにとっては貴重な資料になるかもしれない」と。

 その通りだと、私は思う。

 詩人ポール・ヴァレリーは歴史を海にたとえ、近頃の歴史家は、事実という海の泡ばかり見ていると批判する。つまり、歴史的事実を重んじて、歴史の生命を見ないと。
 歴史的事実という泡沫をいかに巧みに操作しても、歴史という大海は作れない。
 現代は事実の世紀だが、事実では時代は作れない。
 海はその上で人が泳ぐもの、魚を釣るもの、航海するもの。
 評論家の小林秀雄は詩人ポール・ヴァレリーの言葉を紹介し、「歴史の魂を体得するには、詩人の魂を必要とするのだ」と書いている。

 
 田中正造も、その時代を生きた。
 この本に現れた人々もまた、同じ。
 金子さんの、「詩人の魂」を読んだ気がします。
 
 佐野を愛する人には、必読の書だと思います。なにせ、佐野弁が溢れている。
 
 お問い合わせは、藍企画まで。
 非売品ですが、1200円でお譲りするとの事です。

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