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2012年11月

2012年11月30日 (金)

震災関連死のことなど

読売新聞に、以下のような記事があります。

▽▽▽▽
震災関連死 342人に
<福島・双葉郡8町村「直接死」上回る>

 東京電力福島第一原発の警戒区域などがかかる双葉郡8町村で、震災の影響で体調を崩すなどして亡くなった「震災関連死」の死者が342人に上り、地震・津波による死者254人を上回ったことが、各自治体への取材でわかった。

(中略)
 南相馬市立総合病院で診察してきた東京大医科学研究所の坪倉正治医師は「転々と移動し、震災から数か月後に死亡したケースが多い。災害弱者のサポートは大きな課題」と指摘している。
(2012年5月10日 読売新聞)
△△△△

復興庁は、震災関連死の死者を、「「東日本大震災による負傷の悪化などにより死亡し、災害弔慰金の支給等に関する法律に基づき、当該災害弔慰金の支給対象となった者」と定義して調査をしています。

平成24年8月21日の報告では1632人。11月2日の報告では2303人に増えました。


以下は、毎日新聞の社説です。
 
震災関連死 認定は迅速に、柔軟に(毎日新聞 2012年11月01日)】
▽▽▽▽
平野達男復興相が東日本大震災の「震災関連死」が2303人(今年9月末現在)に上ると公表した。
 
 震災後、避難生活などの影響で亡くなった人の数だ。阪神大震災の919人を大幅に上回る。
 
 これまでの原因分析では「避難所における生活の肉体的・精神的疲労」が約3割、「避難所への移動中の疲労」「病院の機能停止による初期治療の遅れ」が各2割だ。
 
 福島県民が1121人でトップ。福島第1原発事故が、かけがえのない命を奪った現実を改めて示した。震災1年経過後も同県民35人が亡くなった。平野復興相は「深刻に捉えねばならない」と述べ、県と合同で対策チームを発足させる。しっかり取り組んでもらいたい。
 
 震災関連死と認められれば、災害弔慰金が市町村を通じ遺族に支給される。主たる生計維持者は500万円、それ以外は250万円だ。被災者の生活再建に重い意味を持つ。(後略)
△△△△

「福島第1原発事故が、かけがえのない命を奪った現実を改めて示した」とあるけれど、私は「福島第1原発事故後の対応が、かけがえのない命を奪った現実を改めて示した」としたいと思う。
 

被災して避難なさった方々には、様々なことがありそうです。
 
私たちも、佐野市に避難なさってきた人たちとお付き合いしてきましたが、やはり、色々ある。


福島県南相馬市小高区に行ったとき、ボランティアを前にして地元の人が、「みんな戻ってきたいと思っているんです」と語ったけれど、故郷とはそういうものでしょう。ましてやとなりの原町区では、普通の生活があるのですから。

Cafe2
福島の被災地は、原発事故による強制避難があった。

彼らの帰郷の障害は、放射線です。

線量が低い地域では、人々に帰ってくることを呼びかけている所もある。

しかし、迷いも見える。
 
いたずらに放射線を恐れ、風評を流し、「福島に子供は住めない」などと煽る人たちの影響は、残念ながら大きいと云わざるを得ません。


昨年の震災後の春先、浪江町の老夫婦が佐野市に避難して来られた。

避難所を4ヵ所転々として、佐野にたどり着いたとおっしゃる。

最初の避難所では、夫婦でおむすびを半分ずつに分けて食べていた。「寒かったし、情けなかった」と語ってくれました。

彼らは農家だったので、少しでも気休めになればと、一緒に畑仕事を始めたのだけれど、今は福島市に転居された。

20110507120734

当時も今も、世間では彼らを責める人もいる。

曰わく、「原発の補助金をもらって、良い思いをしていたのだ」と。

彼らはそれを感じ、じっと絶え忍び、遠慮して声を上げない。それが東北人、福島県人だと私は思う。

その上で、震災関連死者の数字があることも、知って欲しいとおもいます。


<参考資料>

平成24年8月21日
震災関連死に関する検討会(復興庁)
 
http://www.reconstruction.go.jp/topics/240821_higashinihondaishinsainiokerushinsaikanrenshinikansuruhoukoku.pdf
http://www.reconstruction.go.jp/topics/20121102_sinsaikanrensi.pdf

(福島市政策推進部広報聴課)
http://www.city.fukushima.fukushima.jp/uploaded/attachment/13557.pdf

2012年11月29日 (木)

原発事故の冷静な分析と情報と判断と現状と・・・

震災の話しは、書く方も重たくてなかなか書けませんが、お読みになる方も大変だと思いつつ、続きでございます。

 

原発事故以来、早い段階で、年間の被曝量が100ミリシーベルト以下なら、健康被害への影響はそれ程大きくはないという冷静な話しをなさる、放射線治療や医師や専門家が沢山いらっしゃいました。

その根拠は、ICRP(国際放射線防護委員会)の勧告によるものです。

しかし、マスコミに現れる専門家と称する人たちやジャーナリストの中には、情緒的に、または作為的に、恣意的に、または専門外のことであるにもかかわらず、放射線の健康に対する被害を、殊更に大きく言い立てる人たちがいましたし、今でもいる。
 
彼らに影響された人たちは、ICRPの勧告も、政府の方針も、本来の専門家も信用しなくなってしまった。

それによって、福島は差別され、放射線をヒステリックに情緒的に恐れる人たちが今でもいる。このことは、福島にとっても日本にとっても、実に不幸なことです。
 
政府の初動が、こういうことを許したと私は思っていますし、今後政権が変われば、原発事故と当時の政府の対応がしっかりと分析され、見直されることになるでしょう。


さて、「政府はそれなりにやってきたことを、私は知らない分けじゃありません」と書きましたが、何をしてきたかというと、昨年の11月から12月にかけて、「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」を作り、専門家による意見をしっかりと聞き、討論していたのです。

それを報告書に取りまとめ、政府の方針と対応を今年の2月、【「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」報告書に基づいた健康への影響とこれからの取組み】というパンフレットを作って、福島県の人たちには明示しました。

このパンフレットは良くできていると思いますし、これを取りまとめた細野豪志担当大臣の仕事を、私は評価しています(リンクしていますので、是非、ご一読をお勧めします)。


福島第一原発事故による放射線汚染は、「低線量被曝」だと私が言うと、放射線を恐れる人たちは「そんなはずはない」とおっしゃる。そんな素朴な疑問にも、このパンフレットはしっかりと答えています。それも、丁寧に分かり易く。
残念ながら、この努力は福島だけに向けられている。全国に発信すべきなのに。
それは、福島や被災地の差別解消に役立つはずですが、何故なのでしょう。


様々な人たちの努力で、福島の放射線汚染の健康被害への影響と実態と現状が分かってきました。

例えば最近、WHO(世界保健機関)は「(福島における)がんなどの発生について、全体的には「(統計学的に)有意に増える可能性は低いとみられる」と結論づけた」といいます(朝日新聞11月25日(日)9時5分配信)。

福島の被災地では、内部被曝、外部被曝、空間線量など、しっかりと計られるようになり、その結果、外部被曝も内部被曝も、非常に低いレベルであることがわかってきました。

ラジオ福島特別番組「ホールボディーカウンター~調べてわかった被ばくの現状」(2012年7月21・28日放送)】などに詳しいですが、これも又、福島県内だけの放送だった。


まだまだありますけれど、既に福島は上記のような状態なんです。

しかし、避難している人は未だに多いし、問題は山積みです。


済みませんが、まだ続きます<(_ _)>


2012年11月26日 (月)

出会い

福島県南相馬市小高区に、草刈りボランティアに行って参りましたが、その最終日、一緒に草刈りをした二人連れがいました。

車のナンバーを見ると浜松からだった。

「来週、浜松の遠鉄に行きますよ」と、お知らせだけしておいた。

Odaka4 
現場は、写真の人家に近い田んぼの周辺と道路の路肩の草刈り。

この集落に、一人も住んでいません。

午後五時には無人になり、後は警察官の見回りがあるだけ。

この人が、遠鉄に来てくださって再会。

先週の金・土・日の3日間も、一人で小高に入ったそうで、震災後の4月から続けているのだそうです。
 

ここのボランティアセンターでは、隣の原町区に宿泊施設も持っています。

Haramachi1 
11月だというのに、入り口に葦簀。寒そうでしょ!?

これが、寒いんです。部屋のドアは、網戸ときたもんだ。

Haramachi2 
右の小屋は、自家発電所。奥はトイレ。

この宿泊施設には、ガス・水道・電気が引かれていません。津波にやられた場所だからですが、理由はそれだけじゃない。こういう事は、なかなか説明しにくい。

南相馬市原町区は、もう普通に生活できる地域で、小高区と比べれば天国と地獄の差がある。それなのにこんな状態は何故か?っと言う話しなんで、やはり説明は難しいな。


さて、この方はベンツに乗っていたので、原町の街中にあるホテルに泊まっているのだと思って、「お泊まりはどちらですか?」と聞いてみたら、ここに泊まっていたのだそうです。

「寒かったでしょ?」とお聞きすると、「寒いですよ!毛布二枚にダウンを着て寝袋で寝てました」ですって。

震災直後の4月から福島県いわき市に入っていたそうで、ボランティアとしては経験が長くて深い人。
 

浜松市の近くには、浜岡原子力発電所があります。

ここの再稼働の問題と、人々の放射線に対する恐れの話しを彼から伺った。

それが、この辺りの景気に多大な影響を与えているという。

なるほどと私は思ったけれど、これもやはり、原発事故の冷静な分析と情報が足りないのではないかなとも思います。
 
 
福島第一原発から20キロ圏内は、被災直後の様相がまだ残っています。

ボランティアの仕事もまだまだ必要で、東京電力の社員達も頑張っているけれど、一年八ヶ月も経っているのに、この体たらくはなんなのでしょう。

政府はそれなりにやってきたことを、私は知らない分けじゃありません。

被曝放射線量の基準もちゃんと住民に示してもいるけれど、それが周知もされず、認知もされず、信用もされていない。
 

長くなっちゃったので、次の機会にします<(_ _)>

2012年11月25日 (日)

ウールの帽子が初お目見え!

紺邑の帽子を作ってくださっていた方が病に倒れ、それ以来、帽子が余りありませんでしたが、ようやく作ってくださる方に出会えました。

今回、初お目見えです。

Cap1
右はアンゴラ、左はアルパカ・リャマ・モヘアの混紡。

Cap2
後ろ姿です。

早速、お嫁に行ってしまいました。

Cap3_2
アンゴラのキャスケットです。

Cap4_2 
美しい青が、紺邑の特徴でもあります。 

2012年11月22日 (木)

世相雑感

最近の百貨店の売り上げは、全体的によろしくないというニュースがありますが、それは、何処も同じ秋の夕暮れだ。

日本経済新聞にも「10月の百貨店売上高、6カ月連続減少 前半に冬物衣料が苦戦」という記事が出ています。

 
この不況は、リーマンショック以来長い。

私は政治不況だと思っておりまして、つまりは民主党不況だと。

我々零細企業には切実ですが、何せ規模も声も小さいですから、政府に届くわけもなく、歯がゆい思いをしておりました。

先の総選挙の時、「民主党を選ぶことは、不況と混乱を選ぶことだ」と、既に来店客数が減りだした百貨店で仲間に熱弁を振るったものですが、これまた力及ばずだった。

 
リーマンショックで株価は一時、7千円台前半まで落ち込んだ。

麻生さんは、矢継ぎ早の経済政策で、それを直ぐに1万円台に戻したことなど、国民は理解しようともせず、今はお忘れでしょうね。

麻生首相は当時、「この不況は100年に一度。全治3年」と云っておりましたが、彼が政権をそのまま担っていれば、今頃は不況から脱出していたでありましょうが、死んだ子の歳を数えるほどに虚しいことだ。


ようやく解散総選挙となりました。

政治不況、つまり民主党不況からようやく脱出する機会が訪れた。

 
私は仲間内に、「解散と同時に円安・株高に向かい、総選挙で安倍政権が実現すれば、今の不況から180°変わって景気が良くなる」と、予言をしております。

安倍さんは、復活の兆しもない頃から金融緩和を主張し続けてきたことを私は知っていましたので、そのわけも説明しましたが、その通りになりつつあります。


民主党政権は、反安倍・麻生・自民という、当時の空気を作り出したマスコミに影響された国民によって作られたものですから、責任は民主党にあるわけではなく、国民にあります。

安倍さんの金融緩和発言に、そのマスコミと与党民主党が反発している。

彼らの云うとおりにして、この不況と混乱があるのですから、今度は逆の選択を国民にはしていただきたいけれど、果たしてどうなりますことやら。

2012年11月21日 (水)

浜松遠鉄百貨店「クリエイティブ工房」開始

11月21日から27日まで、浜松遠鉄百貨店7階「クリエイティブ工房」で、輪島漆器の「たかいで」さんと二人展です。

Entetu1

Entetu2
高出さんは、個性的な漆器をお作りになります。

誕生日が一緒で、彼はまるまる一つ年下。
変人ですが、一週間、迷惑を掛けられながら過ごすことになりそうです。

2012年11月18日 (日)

福島の被災地へ 少しその報告

震災の被災地へは、昨年の4月13日に石巻に初めては入り、その後、三十何カ所とお付き合いして、物資を持って行ったり送ったりしておりました。

震災当初は福島に行こうと思ったのですが、ガソリンもなく、入れてもくれずに行きそびれていまして、今回、ようやく行くことが出来た。

震災から一年七ヶ月が経っているというのに、昨年の4月の趣が福島にはありました。まるで、時間が止まったままのように。
 

とにかく、奇妙な風景です。

集落や街はある。

しかし、人の気配がない。

居るのは、警察官とボランティアだけ。

Odaka1
Odaka2 
この街が、静まりかえっている。 


飯舘村を通ってこの町に来たのですが、そこの田畑は荒れ放題で、猿の大群が我が物顔で畑に群れていたのには驚きました。

Iidate3
Iidate2 
写真は飯舘村の田畑ですが、NHKの県内ニュースによれば、イノシシや熊も、人を恐れず畑に現れているそうです。

こういう情報は、福島県内だけでなく、全国に知らせるべきだと思いましたね。

 

ここが同じ日本であることが信じられません。

何で放って置くのかと思う。

私たちは現場に入れるのですから、政治的に何かやり用があるでしょうに。

現政権が、被災地と親身になることが出来なかった現実が、ここにあるように思います。

2012年11月17日 (土)

福島県の被災地へ

14日、カーラジオを入れたら、野田首相が条件付で解散すると発言。

直ぐに自民党の安倍総裁が条件を呑み、解散が決定。
 
15日早朝午前六時、福島へボランティアに出発。
 
Hukusima1
目的は、原発事故の20キロ圏内のお掃除。これくらいしか私たちには出来ません。

飯舘村を通過。

人の気配が無い。
 
午前11時前、ボランティアセンター到着。
 
Senter2
直ぐに作業開始。

先ずは、瓦礫の撤去と畑のゴミ拾い。

現場の集落は、静まりかえっていました。

そこに、依頼主の老夫婦が入らした。

しばらくお話ししたけれど、笑顔がない。

一時東京に避難なさり、今は原町区にお住まいだという。

何が大変と言って、ストレスだとおっしゃる。


南相馬市は、鹿島、原町、小高三地区が合併して出来たもの。

ボランティアセンターは、その内の小高地区にあり、私たちの活動地域も同じ。
 
 
近くの温泉で汗を流し、宿泊施設へ。

驚いたことに、電気、ガス、水道全てが止まったままでしたが、ボランティアの若い人たちは、良くやっています。


被災地の印象を一言で申し上げれば、震災から一年七ヶ月。時計は止まったままの様でした。

2012年11月13日 (火)

町田最終日 待てば海路の日和あり 慌てる乞食はもらいが少ない

商売にはジンクスがあるようで、私の場合、朝一番でハギレが売れた日は一日いけません。

最終日の朝一で、そのハギレが売れちゃった。

案の定、ジンクス通りに一日が過ぎて行きました。

最終日に大きなお買い物予定のお年寄りも見えない。

彼女の人生を語れるくらいお話ししたのに、残念なことです。

 

夕方5時に終わりにしまして、ゆっくりまったりと片付けを始めました。

明日からこのステージに立つ大島紬の城君たちが来て、大阪以来の話も出来、片付けもほぼ終わる頃、担当の高坂君と来年春のスケジュールを打ち合わせしていると、「ごめんごめん、何時まで?」と、そのお年寄りが目の前に現れた。

「父が具合が悪くなって、そっちに行っていたらこんな時間になっちゃったのよ」とおっしゃる。

父上は99才。さる大手ゼネコンの草創の頃からの人。

そんなことまで知るようになった間柄ですから、来て下さっただけでもありがたいと思っていたら、しっかりとお買い上げ頂いた。

実を云えば、これ一つで一週間分なんですから、あるとないとじゃ大違いだったんです。

急いで片付けして帰ったら、再会はままならなかったでしょう。

慌てず騒がず、ゆっくりと片付けをして、城君や高坂君と話しをしたお蔭です。

「待てば海路の日和あり」「慌てる乞食はもらいが少ない」と云いますが、全くその通り!
 

代々木からバスに乗り、佐野に帰って参りました。

酒が美味い(^^)/

2012年11月12日 (月)

町田その後

町田小田急は、淡々と進んでおります。

全くダメという日もなく、もの凄く良い日もない。

その中で、一人のお年寄りに出会いました。

ご来店いただけなかった日は一日だけ。

そして、一時間くらいはお話ししてお帰りになる。

結局は最終日に、大きなお買い物をして下さるようだけれど、さて、どうなりますことやら。

 

ここは一昨年までは、あまり商売にならない売り場でしたから、今の状態でもたいしたものだと思います。

何度も書いていますが、担当者の熱意とやる気で、売り場は変わるという良い例だと思います。

そのかわり、出展できなくなった人達もいるわけで、彼らにとっては困ったことでしょう。
 

あさ、消防訓練がありましたが、しっかりとまじめにおやりになっていた。

当たり前のことなんでしょうが、震災前に比べれば、どこの百貨店でも取り組みが真剣です。

2012年11月 9日 (金)

町田2日・3日目 藍染二人展の良いこと そしてちょっと、権威について。

藍染の二人展は、気のあった者同士、本染め同士ですから、気も遣わず助け合いながら進んでいます。

 

近くに藍染大好きな陶芸家のような図案屋さん(つまりデザイナー)がいらっしゃいまして、どこそこの紺屋さんには良く通ったし、あそこも知っていると話しかけてくださる。

止せばいいのに、私が本染めについて語ったら、キョトンとなさる。

「え!でも、触っていると手が青くなるでしょ?」
「匂うでしょ?」
「色落ちがしばらく続くでしょ?」

そうおっしゃるから、触っていただき、匂いを嗅いでいただいた。

プロでもこうですから、消費者の誤解はなかなか解けることがありません。

今回は、国指定重要無形文化財の山藍が一緒ですから、私の説明にも説得力が少しは増していることでしょう。

こう云うときは、権威が役に立ちます。

その意味でも、この組み合わせは面白いけれど、二度目があるかな?
 

某所で「権威」について書きましたが、国の無形文化財は、その審査や、なってからも色々大変らしい。それが、他の指定と違うところです。

栃木県の烏山和紙も、国指定の無形文化財です。

選定されるとき、代表の福田弘平さんはお断りしたそうな。理由は様々でしょうが、面倒だったのでしょうね。

どうしてもと頼まれて、無形文化財となったけれど、何故頼まれたかと云えば、烏山和紙が無形文化財に指定されないと、他のより歴史の浅い手漉き和紙の産地を、無形文化財に指定できないからです。

こういう事は、難しいことが沢山あります。

簡単に、解釈、批評、批判など出来はしません。



2012年11月 7日 (水)

町田初日 藍染づくしの二人展

町田が始まりました。

今回の相方は、久留米絣の山藍です。

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立っているのはエッチャン。山藍の若奥様。

同じ藍染の世界ですが、糸染めと布染めは趣が全く違います。つまり、競合しませんので、こうして並ぶ事が出来ます。

山藍の久留米絣は、本染めの藍染、手織り、手括りの国指定重要無形文化財です。

長い伝統に培われていて、私は非常に勉強させられています。

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こちらが紺邑です。

藍染にご興味のある方は、滅多にない機会ですから、お越し下さいませ。

2012年11月 6日 (火)

町田でウイスキー飲む、というお話し。

明日11月7日から13日まで、町田小田急7階「匠の技」で、久留米絣の「山藍」と「紺邑」の、藍染づくしの二人展です。

催事では一緒になることはあるけれど、二軒だけで展示販売するなんて、初めての出来事。

こんな事が出来るのも、担当の高坂君ならではだろうと思います。

 
展示の準備に、次女がやってきてくれたので、終わってから回転寿司へ。

「大黒さん」という店ですが、これが回転寿司では出色。ちゃんとした握り寿司です。

行ってみたら、並ばされたくらいに混んでおりました。

食いに食って満足して、ホテルへ。

 
風呂に入って、ウイスキーをやりはじめました。
 
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ジョニ黒のポケット瓶のラッパ飲みです。

 
ウイスキーやブランデーのような強い酒の良さは、腹がくちくても美味しく飲めること。

食後に強い酒をストレートでクイっとやるのが良い。

ハイボールなどという軟弱な飲み方は、食後はいけません。

しばらく酒を楽しむことと致します。

では(^^)/
 

2012年11月 3日 (土)

うどんの町桐生の「ソースカツ丼」と「うどん」の支店物語

桐生は人知れずうどんの町ですが、人知れず「ソースカツ丼」の町でもある。

その代表は、志多美屋(したみや)。

思い立って、木工の谷中さんを誘って昼飯に行ってみました。

どころが、祭日の土曜で、その上ファッションウィークで街中人で一杯で、行ってみたら並んで待っているような状態。

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店の中も一杯の人で、あきらめて志多美屋支店へ。

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実は、十数年ぶりに来た。

ここは相生という、桐生の町はずれにあって、知る人ぞ知るお店。

昔は、ただの田舎の食堂だったのに、まあ、店がきれいになっちゃったのには驚きました。

入ってみると、お客は一人だけ。

味はどうか?

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カツが4枚。みそ汁は別注。

一口頂いて、美味い!!感激!!!

もう、幸せ一杯の美味しさでした。

ここは、穴場でしょうね。

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実は、こんな小さな一軒家の1階が食堂。
 
たぶん、本店よりも丁寧な揚げ具合だと思う。
 
ソースも言うことなしです。
 
 
 
展示会場「レンガ」の隣りに、うどん屋があります。

これまた、ただの田舎の食堂の風情。

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ここに入った人が言うには、皆さん「美味い」!

よくよく見ると、「川野屋支店」とある。あの名店の支店だった。

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桐生は、面白い町です。

佐野の人が来て、「うらやましい」とおっしゃった。

でも、そう単純でもありません。

2012年11月 2日 (金)

うどんのまち桐生の、中華そばとラーメン

群馬県桐生市は、人知れずうどんの町。その消費量は、高松に匹敵するといいます。巣鴨のカレーうどんのご主人も、たしか桐生出身ではなかったかな。

町中にうどん屋さんがある。

「ひもかわ」をご存じだろうか?

 

さて、もちろんラーメン屋さんもあるけれど、これがまた結構なのです。

まずは「桐和軒」。

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桐生タイムズの交差点を、桐生川に向かって直ぐの小さな小さな食堂。テーブルも三つしかない。

ここの「中華そば」は、まさに「中華そば」。

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ナルトが泣かせますが、中華そばはこうでなくてはいけません。最高です。
 

次に紹介するのは、昨日頂いた「よしだや」。

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こちらは佐野と同じく、手打ちのラーメン。

粉は館林、チャーシュウの豚肉は地元赤城と、もの凄く拘った、それこそ「ラーメン」。

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フレンチをやってもおかしくない美しい女性店主が仕切っていますが、心のこもったラーメンです。

馬蹄形のカウンターに座敷もある、お客様が一杯のお店です。

頂いたのは野菜チャーシューラーメン。

双方、結構でした。

2012年11月 1日 (木)

桐生レンガで展示会開始!

11月1日(木)から、群馬県桐生市にある「ベーカリ-カフェ レンガ」で「アート街道66 秋のアート&クラフト ~見たり 買ったり 作ったり 秋のひとときごゆっくり」という展示会が始まりました。

出展は・・・
 
木工・谷中聡子
正藍染・大川洋子
染め織り・日野初江
とんぼ玉・山縣佐智子
花手芸・遠藤紀子
シルバーアクセサリー・緑川裕子
 
アート街道66花の女子組!
 
11月4日(日)まで、好評開催中!!
 
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