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2013年6月

2013年6月27日 (木)

日本橋三越本店「日本の職人『匠の技』展」出展中

6月25日から7月2日まで、日本橋三越本店7階で開催中の「日本の職人『匠の技』展」に出展しています。

この催事も随分長いですが、大きくもなり、時代も変わって参りました。

紺邑の場所も、今年も変わり、柱番号25番というところにおります。

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静かに展開中ですので、是非お運び下さいませ。

 

今回は、ネット環境が悪くてブログの更新もままなりません。

まあ、こんな事もあるということで、お許しの程を。

2013年6月25日 (火)

日本橋三越本店「日本の職人『匠の技展』」初日!

あわただしい日々を過ごし、日本橋三越本店7階の「日本の職人『匠の技展』」の初日が始まりました。

紺邑は、少し分かりにくい場所におります。

それでもなんとかなるのも、さすが三越本店なんでしょうか。


肉体が悲鳴を上げてます。

ひとっぷろ浴びて一杯引っ掛けて休みますですぅー。

2013年6月20日 (木)

繁栄の予感。

毎朝、小鳥のチーチーと鳴く声が、うるさいくらいに部屋に入ってきます。

閑馬では、ウグイスも、ホトトギスも、ヤマドリもキジも、名も知らぬ小鳥たちも雀も、沢山鳴いているけれど、この声は、家の中にあります。

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「暮らしまるごと展」をやったときに、玄関のディスプレーに竹を使いました。
そこに、妙なものが出来た。

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鳴き声の主が、少し見えます。

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ツバメです。

小鳥が孵化したらしく、親鳥たちが必死でエサを持ってくる。
それを喜ぶ小鳥たちの声が、チーチーとうるさいのです。

紺邑には、庇がありません。
彼らの出入りは、一番上の写真に見える、開け放たれた窓。

小鳥の巣立ちは、どうなることやらと、気を揉んでおります。
ツバメは、家に繁栄をもたらすと言いますから、大事にしなきゃ。

 

2013年6月19日 (水)

酒田より無事帰還

山形県酒田市から、無事帰還いたしました。

酒田市は、落ち着いた良い町だったように思いますが、感想を述べるほどに探索したわけでもありません。私の悪い癖で、旅はすれども観光をしたことがない。例えば巴里へ行っても、ルーブル美術館に足を運ぶこともしなかったように。

 

酒田市は、栃木県からは交通の便が良くありませんが、調べると、帰るには二通りの方法があった。

16:43酒田駅発で新庄→福島→小山→佐野
18:00酒田駅発で新潟→高崎→佐野
 
催事は16:00で終わるので、16:43分で帰ろうと思いましたが、佐野に着くのは10分くらいの違いでしかありませんし、新庄で1時間の待ち合わせしなきゃなりません。
 
ゆっくり片付けたほうが良いと思って、18:00にしました。 

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酒田駅は、地方の駅にありがちだけれど、美しくない。
佐野駅は、つまらない。

ガラガラの特急に乗り、新潟へ。
途中、村上を通りましたが、私の祖母の生まれ育った町。
私には、村上の血が入っております。

新潟から様変わりをして、賑やかな新幹線に乗り換え、高崎からの両毛線は、塾帰りの受験生で一杯で、酒田に比べると活気は感じました。

両毛線は、わが生まれ故郷の小俣を通る。
真っ暗で、景色は見えませんでしたが、高校生のころはこの駅から通学しておりました。
まだ蒸気機関車だった。
 
 
そんな感慨を抱きつつ、帰宅。
やはり、閑馬は良いところだと、つくづく思います。

2013年6月17日 (月)

紺邑物語 紺邑の越冬

藍は冬を越せるようになったけれど、その年の12月、紺邑本体が冬を越せそうもなくなった。
少しの資金力と藍染の生産力と販売力では、当然のことです。
 
どこからか、運転資金、いや、正式な創業資金を調達しなければならない。
 
その年の秋、足利市に「足利ドーム」が出来て、そこで足利銘仙についてのシンポジウムを開くと云う企画がありました。
企画した赤間透さんから、私にパネラーになれとお誘いがあった。
しばらく考えさせていただいたのだけれど、現状何もやっていない私に語る資格はないと判断してお断りしました。
 
そうすると赤間さんは、「ポスターもチラシも、大川さんの名前入りで出来ているんですが、分かりました、なんとかします」という。
「それじゃぁー仕方ない。出るよ」っとなって、パネラーとして語らせていただいた。
 
その様子が、地元の新聞に大きく取り上げられ、記事の中に私の名前もありました。
それが紺邑を救うことになります。
 
 
その頃、長崎の友人から、結婚式への招待があった。
とても出席できる状態ではありませんでしたが、「ままよ、なんとかなるさ!」とばかりに行くことにしました。
なけなしのご祝儀を包み、歌を所望されたので、ギターを持って博多まで格安チケットの飛行機で行き、電車にゆられて長崎に着いた。
  
最後だと思って歌を唄い、大騒ぎをしてホテルに帰ろうとしたら、新郎の父上が私に、歌を唄った謝礼を下さった。それは、ご祝儀を含めた経費分でした。
私の状態を、察してくださっていたのでしょう。
 
次の日の朝、帰ろうとしたら、数人の友人が、私を空港へ行く途中の鳥栖まで、わざわざ車で送ってくれるという。
車中、彼らは私に、金の借り方を教えてくれた。
その為に、わざわざ遠回りをして送ってくれたわけで、ありがたいことでした。
 
 
帰ってきて直ぐに、彼らの云うとおりに行動してみました。
 
12月26日、金融機関から融資をするという返事が来て、紺邑は救われ、その資金を元に、次の年、有限会社紺邑が誕生します。
 
決まった理由には、色々あると思うけれど、担当に寄れば、日本橋三越本店や仙台三越など、先々の仕事の契約書があったことと、先ほどのシンポジウムの新聞記事が、上司に融資を説得する資料になったらしい。
 
もう一つ重要なことは、藍染の事業例として、父の工房の実績が参考になった。
 
今から思えば、独立して自分の藍染が出来たのも、結局は父のお蔭です。
 
両親と良き友に、感謝するしかありません。
 
 
  

 
 
ロウソクの村井先生が初めてこの工房に入らしたのは、写真を撮った頃の2006年です。大分きれいになっていました。
「この家には、流石に住めない」と云うと、「そうかな?」とおっしゃった。
私は、「そうかな?」と思ったけれど、あの寒さを経験していらっしゃらないからだと思っています。
言うは易く行うは難しです。

Photoこれが、紺邑の入り口。東武宇都宮の酒見さんなんかは、よくご存じです。

2もう一つの入り口は、南側の写真の左側に見える引き戸。
すばらしくきれいになったけれど、ストック置き場になっています。
カーテンが掛かっている部屋が、事務所です。

 

2013年6月16日 (日)

紺邑物語 越冬の工夫

季節は否応なしに、秋から冬へと寒くなってくる。
  
「正藍冷染(しょうあいひやしぞめ)」とはその名の通り、加温をしない藍染のこと。
ですから、寒い季節は藍染が出来ません。
木の桶を温めたって、液は温まりませんから。
 
私はプロですから、冷染(ひやしぞめ)とは云うけれど、冬場も染めなきゃならない。
しかし、加温をどうするか、思い悩みました。
 
ふと思い出したのが、その昔、愛知県岡崎市で、藍甕を外に出したままで灰汁建て(ご本人がそう表現なさっていた)をしていた中島さんの方法です。
熱帯魚の水槽の温度を管理する器具で、染液の温度管理をなさっていた。
 
早速、それを試すことにしました。

Dscf1532_2_2 (岡崎の、今は亡き中島さん。リュウマチを患いながら、絞りと本染めの藍染をなさっていました。私にとっては、良い先輩でした。)
 
これで染め液を温めることは出来た。
しかし、すくもが器具に付着して、直ぐに壊れる。
あまり安くありませんでしたので、これにはちと困った。
 
放り投げヒーターというものがある。
工事現場で、ドラム缶に入れた水を温める器具です。
これが、あの当時は最適でした。
しかし、ヒーター部分にすくもが付着して焼けるようになってしまうのは、同じです。
ただし、これは滅多に壊れなかった。
 
そして、ようやく冬を越せる目安がつきました。

 
 
 
 
 
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藍甕の加温も大切ですが、染め場の冷えは、私の体を痛めつけます。

ガラス戸があったのですが、そこをカバーで覆いました。
 
今見ると、おおざっぱな工事ですな。

2013年6月15日 (土)

だし巻きと卵焼き

京都の人たちと、京都の刃物屋さん行き付けのお店で宴会を致しました。
 
美味しい料理にお酒とお話しで、大満足ではありましたが、途中で卵焼きが出て来た。
 
京都の人たちは一口食べて、「あっまい、あっまい」という。
 
何故か、京都弁は二度繰り返す。
寒いときは「さっむい、さっむい」、暑いときは「あっつい、あっつい」といった具合。
 
京都のだし巻きは、甘くないという。
「そりゃ、だし巻きだから甘くないので、これは卵焼きだから甘いのだ」と私。
 
京都の人は、なんでも京都が一番だから、関東もんの私が東北を庇うの図。

 
彼らは一口食べて、後は箸をつけようともしない。
 
だから、京都以外の人たちで、全部平らげました。
 
が、しかし、やはりアレは甘すぎました。
 
 
確かに東北は、出汁の取り方が少々足りない。
味は、塩と醤油と砂糖で出す。
 
だから、高血圧と脳溢血など、成人病の問題が大きくあった。
 
「出汁をしっかり取って、塩分を控えめに」という運動があって、その問題が多少解決しているという話しもあるらしい。
 
やはり、京都が一番か。
 
なになに、「東男に京女」と云うではないかと、東男としては控えめに思うのであります。
 
 
今朝、京都のお方にだし巻きを食させていただきました。

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確かに美味しく頂きました。
 
だし巻きですから、甘くない。

2013年6月14日 (金)

京都恐るべし 念珠屋さん

日本の老舗には、恐ろしいほどの歴史を持っているところがあります。
私の知っているお店で、奈良時代から続いているなんていうのもあるくらいです。
 
今回ご一緒している京都の念珠屋さんは、初めてお目に掛かる。
念珠と房を作る手さばきがすばらしい。
催事にすれた連中が、みんな感心している。
 
ところが、品物の見せ方など、催事の店作りにもう少し工夫があった方が良いと思う。
回りのみんなもそう思っているらしく、アドバイスしている。
 
私もそこに加わったのだけれど、良く聞くと、百貨店催事には酒田の清水屋に年1回出るだけ。
いつもは、京都のお店だけで精一杯とのこと。
 
出る必要もないのだけれど、「何故出るのか?」と聞くと、勉強になるからとおっしゃる。
お仕事に、一所懸命だ。
 
参考までに、ある京都の念珠屋さんの、催事の店作りや売り方のお話しをすると、感心した様子。
「でも、それが私の知っているお店なら、新しいのに」とおっしゃる。
 
新しいかな?と思って、「ところで、新しいと云いますが、お宅で何年ですか?」と聞いてみたら、400年だそうです。
 
京都は恐ろしい所です。

山形県酒田市へ

6月11日の朝、「ひょっとして今日、酒田へ行かなきゃならないんじゃないかな?」と突然思った。

「え?荷物送ってないよ!」と家内。
「車で行くしかないかなぁ」と私。
調べてみたら、12日準備で11日に送ればセーフ!
「良かったね」となったけれど、ちゃんと準備しておけば、何と言うことはない話しです。 
 
 
12日午前8時58分JR両毛線佐野駅発高崎行きに乗ると、新潟経由で午後3時前に酒田に着く。
電車が1時間に一本だから、それに乗り遅れると、午後5時半頃着になるので、これを外すわけにはいきません。
 
ところがギッチョンチョン、駅の階段を駆け下り、ホームに着いた途端、ゴトンゴットンと電車は出発。
乗り遅れました。
 
駅員に、「例えば小山から大宮に出て、新幹線で新潟という手は無いでしょうか?」と聞くと、「時間は掛かるしお金は掛かるし、止めた方が良いですよ。次のにするしかないですね」とつれないお返事。
 
そこで時刻表を調べてみたら、9時20分代の小山行きに乗り、宇都宮へ出て山形新幹線に乗って新庄まで行き、陸奥西線に乗り換えて酒田というコースがあるではありませんか。
それも、値段的には一番安いし、到着も午後3時半頃と問題ない!

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新庄に到着。
懐かしいディーゼル車で一路酒田へ。
 
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二両編成の二両目。
ガラガラですが、皆さん、一両目に乗る。
駅のほとんどが無人で、一両目のドアしか開かないからなんだと、しばらくして分かりました。
 
酒田に到着!

暑い!!
それも、真夏のようだ。

準備も終わり、特別招待会も終え、今日14日が正式な初日です。
 
楽しい酒田滞在となりますように。
6月14日から18日まで、酒田市にある「清水屋」の、「古都・小京都まつり」に出展しています。

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2013年6月13日 (木)

紺邑物語 紺邑の藍染の始まり

独立したお蔭で、自分のしたいように藍染が出来るようになり、私の求める色が、出せるようになった。
面白いことに、昔の色がお好きなお客様は、離れて行きました。
好みはこちら側にもあるけれど、お客様にもある。
 
当時は、佐野の工房で染めて、仕上げは足利の自宅でしておりました。
染めたものを家に持ち帰り、家内が仕上げるわけですが、家で乾したり、アイロンを掛けたりする度に、「わぁー、きれい」と驚く。
長年藍染を見続けてきた家内が、色の違いに一番先に気づいてくれました。
 
もう一つ彼女を驚かせたのは、白い布を敷いたアイロン台に、全く青い色が移らないこと。
「洗いの手間を100倍掛けているからだ」と、私は言っていたものです。
 
 
風呂桶だけでは、とても以前のような数は染められません。
 
売る場所も無かったので、コツコツと藍染をしておりました。
 
しかし、染めた物を売らなきゃ存続は出来ません。プロですから。
 
 
9月になり、紺邑として初めて、都心の某百貨店本店の仕事を頂いた。
 
紺邑の品物だけではとても足りないので、友人からも商品を借りたりして送ると、担当者から連絡があり、「品物はこれだけですか?」と聞く。
「追送します」とごまかしてお仕事。
  
そんなことを数回しながら、食い繋いでおりました。
 
 
当時の紺邑に、「捨栗庵(しゃっくりあん)」と、号のようなものをつけた。
 
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正面入り口の脇の右手に、大きな栗の木があったからです。

 
 
 

2013年6月12日 (水)

紺邑物語 風呂桶に藍建て

さて、風呂桶に藍を建てることに決めはしましたが、どうするかが問題だった。
千葉さんの、正藍冷染に挑戦するしかなかった。
 

千葉さんは、すくもを団子状にして木樽の底一面に敷き、灰汁をヒタヒタに足して醗酵を待つ様だ。
多分、団子にするときに、灰汁で練っているに違いないと思った。

国指定重要無形文化財技術保持者会会員の藍染師も、練りで決まるという。

私もそう思うけれど、今までは踏んで練っていた。

この風呂桶は、踏んだり蹴ったりすると、壊れそうだから、踏むのは止めにして、練ったものを入れることにしました。
 

その前に、灰をなんとかしなきゃなりません。

福井の木地師の鈴木さんに相談したら、送って下さるという。
 
それで灰汁を取り、写真の様に、ペールで練ったものを木樽に入れる方法にしました。

 
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貝灰は、国指定重要無形文化財技術保持者会会員(なげぇー!)の藍染師に教えてもらった。

ふすまは、近くのJAで扱っていて、新鮮なものが手に入った。
 
時間は掛かり、その間、ヒヤヒヤドキドキだったけれどしっかりと建ち、紺邑の藍染が始まりました。
 
 

2013年6月11日 (火)

紺邑物語 始めた頃 vol.2

文字通り廃屋の、北側にあったそれぞれ6畳ほどの風呂場と台所をお借りして、紺邑ははじまりました。
他人様がどう見ようと、私達にとっては夢の宮殿のようでした。

2000年の8月末でしたから、暖かかったのも幸いでした。何故かというと、隙間だらけで涼しかったけれど、藍建てにはちょうど良い季節だったからです。

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紺邑の北側の風景です。
 

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黄色いロープカバーの向こう側に見える、横に木材を並べたところは、ガラス窓だった。
掃除しているときに倒れて、全壊。
仕方なく、廃材を切って打ち付けた。

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これが部屋の中の、元窓の姿。
廃材だったので、節の穴が沢山あった。それをガムテープで誤魔化しています。

壁と天井の境目は、5センチ以上の隙間が開いていました。
夏場は良かったのだけれど、秋から冬になると、風が入ってきて寒くて仕方ない。

そこを、タオルを詰めて塞いだ。

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ここでもガムテープが大活躍ですが、私は不器用で、これで精一杯。
それでも壁が穴だらけなんですから、焼け石に水のようで、石油ストーブをがんがん焚いて、お湯を寸胴でがんがん沸かしても、夜になると室温が下がって行き、毎日3℃。
これは私よりも、藍がつらかったろうと思う。
 
藍甕が土に埋まっているのは、冬場の温度管理の為です。
このときの紺邑の藍甕は、風呂の木桶だった。
 
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写真の頃は、もう風呂桶は使っていませんが、当時は冷えないために、布団でグルグル巻きにされていたものです。
 
このように、木樽に藍を建てるやり方を、「正藍冷染(しょうあいひやしぞめ)」と言います。
藍染めで唯一人間国宝に指定された、千葉あやのさんの家に伝えられてきた方法です。
 

 

 

 


 

2013年6月10日 (月)

紺邑物語 始めた頃

紺邑を作った頃の話しをする機会が、二日つづきました。そこで、当時を少し思い出してみた。
 

有限会社紺邑を作ったのは、平成13年2月1日ですが、工房を作ったのは、前年の夏でした。

故あって独立したのは良いけれど、染め場が無かった。
車で走っていて牛舎を見ると、「あの片隅を貸してくれないかな」なんて思っていたものです。
 
ある日ある時佐野のある人に、「廃屋でも良いんですけれど、どこか藍染め出来るところありませんか?」と聞いてみたら、「なんだ、廃屋でもってんだら、うちにあるよ」とおっしゃる。
 
見に行きましたら、なるほど廃屋。
 
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(写真はものすごくきれいにしてからのもので、草ぼうぼうで周囲も家の中もゴミためのようだった。)

ところが、北側の風呂場に、風呂桶と井戸のポンプがあり、藍染めが出来るではありませんか。

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(奥のバケツがおいてあるのが、最初に藍を建てた風呂桶です。この写真を撮った頃は、染め場を隣の十二畳くらいの部屋に作った後の、洗い場になっています。手前のペールは灰汁取り用です。)

台所もあるから、そこでお湯をわかしたり水仕事が出来る。

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(これもきれいになってからで、家内の後ろ側の部屋が事務所になりました。)

 
直ぐに「貸してください」とお願いしました。
なんせ、牛舎の片隅でもと思っていたのですから、そこは天国のようだった。



2013年6月 9日 (日)

藍甕の様々な色合い

私は毎朝、藍染めを始める前に、ティッシュペーパーで藍甕の色を確認しています。

今朝の色です。

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左は8ヶ月たった藍甕の色。
私には、きれいな水色に見える。

真ん中は、3ヶ月たった藍甕の色。
中年の働き盛りの青に見える。

右は、建ったばかりの藍甕の色。
濃いけれど、私には深みが感じられません。
落ち着くまで、後一週間位は掛かることでしょう。
灰汁が多いのも、白い部分を見ればわかります。

2013年6月 8日 (土)

ふすまの事

ふすまを漢字で書くと、麦偏に皮と書くらしい。
そのものずばりで、麦の皮のことです。

今は家畜の餌として使われているようですが、終戦直後の貧しい時期、日本人はこれで水団を作って食べていた。

佐野市は麦の産地ですから、どこにでもありそうだけれど、今は一カ所しか知りません。

そこに買いに行くと、小麦を挽いているおじさんが、「藍染めがふすまを食うとは知らなかったなぁ」と言った。
 
藍はふすまを食べます。
それも、ちゃんと炊いてからあげます。

先ずは、適量の灰汁を沸騰させ、ふすまを入れます。
棒でかき回して、その感触で量を計る。

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後は弱火で、何時間も炊くのですが、今日は朝6時頃から初めて、12時に終わらせました。
 
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薪の量が少ないようですが、これでちょうど良い。
 
気候も暖かくなりましたので、少し冷ましてから藍甕に入れました。
 
ふすまの入れ方には、古くからの言い伝えがあります。
私はそれに従っていますが、その理由は知りません。
 
これを怠るとどうなるかというと、藍の寿命が全く違います。
それは、経験が教えてくれます。

2013年6月 7日 (金)

山羊騒動

山羊が来て四日目の早朝05時30分、外を見たら山羊が居ない!

脱走した!!!!

「こりゃ、困った」と思いましたが、探すしきゃありません。

あわてて着替え、探しに行くことにしました。 

山羊友達の青木さんが、「うちの山羊はしょっちゅう脱走して、そのたびに気がつくと玄関に居るの」というのを聞いていましたので、「玄関にいればいいなぁ」と思いつつ外へ。

ドアを開けると、「めぇぇぇぇ」と山羊の声。

玄関前に居るではありませんか。

ホッと一安心してよく見ると、自動車のタイヤにロープが絡んで動けなくなっていました。

よかったよかった。 

 

山羊を見に、いろんな人がいらっしゃいます。

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佐野山羊プロジェクト?の橋本さんを紹介してくださった金子さんが、ただただ山羊を見に来てくださった。
 
この後、山羊の大将がゆっくりと歩いて私たちのところに来る。

よく見ると、紐が付いていない。

はずれちゃったんですね。

だからといって逃げ出すわけでもなく、私にすり寄ってきたところを押さえて、首輪のはめ直し。

 
そんなこんなやりながらも、藍建てをしております。

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順調です。

泡の感じも良いですが、膜が張っているのがお分かりだろうか。

これで良し!です。
 
ご近所で、草木染めと裂き織りをなさっている方がいらしたので、藍建てと藍染めについて説明すると、「信じられない」を連発。
 
大学で藍染めを学んだのかもしれませんが、私のやり方とは全く違うのですから、無理もありません。 
 

2013年6月 5日 (水)

福島からのお客様と、佐野藍!っと云うお話し。

福島の浪江町から佐野市に避難なさってきて、震災の年の春から閑馬で藍の栽培を一緒にしてくださった斉藤さんご夫妻がご来工。

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浪江町で藍の栽培をやろうとしていたのですが、流石に線量の問題で出来ず、福島の避難先で苗を育て、紺邑の畑に植えることにしたのです。
 
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初めての経験だったはずなのに、流石お百姓さん、すばらしい苗だと思います。我が家とは大違いだ。 
 
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一昨年と同じ所に一種類。

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別な場所に、もう一種類を植えました。

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奥さんは、昨日まで具合が悪かったらしい。いや、佐野から福島に移ってからずっとだ。

今日、突然良くなって、佐野まで来られたと言うことです。

「ここは良いなぁー」といって、楽しんで農作業をして、「元気をもらいましたぁー」と帰られた。

「いっそのこと、佐野に引っ越してきたらどうですか?」と私たちは言っているんですけどね。


  

2013年6月 4日 (火)

山羊来たる!

火曜日は完全休養日。

最近は年齢を感じて、休みが絶対に必要になりました。

 
午前中に、山羊が到着。
 
これはお仕事ではなく、癒し。
 
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山羊のお仕事は、草を食べること。

後はよろしくお願いしますよ。

2013年6月 3日 (月)

山羊来たりなば夏遠からじ

佐野市の街中に、山羊を見に行ってきました。

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ビジネスホテルの前に、山羊牧場があります。

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この山羊たちは、草を食べて生きている。

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こんな草ボウボウの荒れ地も

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こんな具合になると、オーナーの橋本さんが指さして教えてくださっています。
 
紺邑も借りることにしました。

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木を押さえている奴で、名前を「大将」と名付けました。
 
大胆ですが、人なつっこい山羊です。

これで今年は、草刈が楽になりそうだ。

ですから、「山羊来たりなば 夏遠からじ」ってことで、ジャンジャン!

 

2013年6月 2日 (日)

石灰(いしばい)と貝灰(かいばい)、そして染め液の維持管理、っというお話し。

藍建てと染液の維持管理に、石灰を使う紺屋もいらっしゃるでしょうが、紺邑は石灰を使いません。何故かという話しは、5年程前に「貝灰と石灰」という記事に書きました。
 

さて、灰汁で藍を建てることは出来る。
その維持管理が難しく、その後、還元剤を使ってしまう事もある。
維持管理は出来るけれど、悩みは深い。
そんな話しを書きました。

藍染をなさっている女性が、私の所に相談に入らしたことがあります。
お話を聞けば、しっかりと本建てをなさっている。

ところが、維持管理にお悩みだった。
そこで、灰汁の使い方をお教えし、石灰を貝灰に変えることをお勧めした。
まあ、色々お伝えしたのだけれど、後日、こんなお便りを下さいました。
 
▽▽▽▽

大川さま

 

おはようございます。

先日、おじゃました林です。

その節は、貝灰を使用した藍の管理について、

いろいろ教えていただきありがとうございました。

 

10月3日(うかがった日):

帰って早速、木灰を注文。

とにかく藍が元気なかったので、今出来ること、ということで、貝灰を入れました。

 

10月6日:

貝灰で良くなったかな?というところで、染めてみたくなり、

麻の手織りの白生地をカットして染めてみました。

染まるには染まるのですが、灰汁の色が濃くでてしまい、

洗っても洗っても色がさえない・・・・

藍の液もさらさら、

ためしにpHを測ってみると、なんとの7.6! 水じゃん!

でも、色を出してる藍が健気。pH7.6でも色はでる。

ここで、木灰が到着し、灰汁投入!

しばらくすると、藍の華が少し上がってくる。元気になってきた?

藍の液も触るとぬるぬるする。

 

10月8日:

早速また、麻の白生地と麻糸を染めてみる。

どろどろで汚かった藍の液の灰汁も自然と改善されていて、きれいな青色が染まる。

洗ったとき、灰汁がさっと落ちる。

染め終わった藍の液に藍の華が咲いていた。

 

10月9日:

今日の方が昨日より、より藍がめは改善され、青がきれいかも知れないと、麻糸と麻の白生地を染めてみる。

8月の絶頂期に比べると、色に勢いはないけど、昨日と同じきれいな青色でした。

 

1012日:

色に勢いがないのは、私の気が急いてしまい、

藍が回復しないのに染めてしまったせい?

と、2日おいてみる。

藍の華がぽつりぽつりと浮き、表面も深い藍色!

いつに無く元気そう。

期待し、さっそく、麻の白生地と麻糸を染めてみる。

藍がめから出し、絞った糸がギラとエメラルド色に光る。

太陽の光の中で、きれいな青!

3回染め重ねてみる。

厳密に比べると、同じ青でも8月の最盛期のような勢いは無いように感じられます。

また、染め時間も少し長くなりました。でも落ち着いたいい青です。

ぬれている時、色は当然濃く見え、乾くと薄くなる。

その薄くなりかたが、夏より大きい気がします。

 

この何日トータルでは麻の白生地2/3反、3回染め、麻糸800g 3回染めました。

90Lのポリバケツで、この量はお疲れだろうと、貝灰と灰汁を少し入れました。

 

まだ、貝灰の量やタイミングはよくわかりませんが、

夏、散々染めて、いまだに濃い青が染まるのは、石灰をやめたせいでしょうか?

また、今まで、ないがしろにしてきた灰汁の大切さを知りました。

 

先日お会いしたとき、灰の話しをされていましたが、灰がどれだけ必要かわかりました。

今までだと、結局石灰で、アルカリの調整をするので、灰汁は藍を建てるときしか必要ではありません。嵩上げをしてしまえば、灰汁はおしまいです。

 

今後はバケツを増やして、灰汁を用意しなくては・・・・・

 

“貝灰を使った管理は石灰とは別物”。

この何日かで、少し考えが変わったと思います。

ものの本に、「発酵が進むとpHがさがるので、石灰を入れpHを調整する。逆に発酵が進まないときはふすまを入れる」と書いてありました。

今回思ったのは、発酵は元気な証拠!止めてどうする。

発酵をうながせるために、灰汁をいれてやり、貝灰を入れてやるのではなかろうか。

「みんな食べ物なんだよ」。は、このことなのですね。

 

石灰を使った去年は、少し染めると染まらなくなり、何日か空けてまた染める。といった感じでしたが、今年は染まらないという事がありません。

今も10月なのに大活躍です。あの泥のような蒅の中にどれだけの染料が含まれているのでしょうか?

それとも染料は作りだされるものなのでしょうか?

これからは温度も妨げになるでしょうね。

なんせポリバケツは外ですから。

 

私の藍がめと9日の糸の写真を添付しました。

 

先日は貴重なお時間をさいて頂きありがとうございました。

また、教えていただけたらありがたいです。
 
△△△△
 
添付されてきた糸の写真です。

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この方は、冬場は藍染をなさいません。
年を越した藍甕をどうしたら良いかという相談を、次ぎに受けました。
お教えしましたが、今年の春は、無事復活したと、わざわざ報告に来て下さった。
 
なぜ教えるのかと尋ねる人もいる。
少しでも本来の藍染を知っていただき、伝承する人が増えることを願っているからです。
 

(ご本人の了解を得て、公表させていただいています)

 

 

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