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2013年6月11日 (火)

紺邑物語 始めた頃 vol.2

文字通り廃屋の、北側にあったそれぞれ6畳ほどの風呂場と台所をお借りして、紺邑ははじまりました。
他人様がどう見ようと、私達にとっては夢の宮殿のようでした。

2000年の8月末でしたから、暖かかったのも幸いでした。何故かというと、隙間だらけで涼しかったけれど、藍建てにはちょうど良い季節だったからです。

Photo_2 
紺邑の北側の風景です。
 

Photo_3

 
黄色いロープカバーの向こう側に見える、横に木材を並べたところは、ガラス窓だった。
掃除しているときに倒れて、全壊。
仕方なく、廃材を切って打ち付けた。

Photo_4


これが部屋の中の、元窓の姿。
廃材だったので、節の穴が沢山あった。それをガムテープで誤魔化しています。

壁と天井の境目は、5センチ以上の隙間が開いていました。
夏場は良かったのだけれど、秋から冬になると、風が入ってきて寒くて仕方ない。

そこを、タオルを詰めて塞いだ。

Photo_5 
ここでもガムテープが大活躍ですが、私は不器用で、これで精一杯。
それでも壁が穴だらけなんですから、焼け石に水のようで、石油ストーブをがんがん焚いて、お湯を寸胴でがんがん沸かしても、夜になると室温が下がって行き、毎日3℃。
これは私よりも、藍がつらかったろうと思う。
 
藍甕が土に埋まっているのは、冬場の温度管理の為です。
このときの紺邑の藍甕は、風呂の木桶だった。
 
Photo_6 
写真の頃は、もう風呂桶は使っていませんが、当時は冷えないために、布団でグルグル巻きにされていたものです。
 
このように、木樽に藍を建てるやり方を、「正藍冷染(しょうあいひやしぞめ)」と言います。
藍染めで唯一人間国宝に指定された、千葉あやのさんの家に伝えられてきた方法です。
 

 

 

 


 

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