仁と礼
私の父親の名は「仁」と書いて「ひとし」と読ませました。時折、「じんさん」と呼ぶ人も居た。その兄は「信夫」といい、齢90才にして未だ健在です。
「仁」と「信」は、仁・義・礼・智・信という、人の常に守るべき五つの徳目、儒教の「五常」というものだと、我々世代は何気なく教わってきた。謂わば、道徳として常識の一つです。
孔子の弟子の顔淵(がんえん)が、その「仁」について孔子に尋ねた。
顔淵(がんえん)仁を問う。
子曰く、己に克(か)ちて礼に復(かえ)るを仁と為す。一日己に克ちて礼に復れば、天下仁に帰せん。仁を為なすは己に由(よ)る。而(しこう)して人に由らんや。
顔淵曰く、其その目(もく)を請い問う。
子曰く、非礼は視ること勿なかれ、非礼は聴くこと勿なかれ、非礼は言うこと勿なかれ、非礼は動くこと勿なかれ。
顔淵曰く、回(かい)不敏なりと雖えども、請(こう)斯(こ)の語を事こととせん。
子曰く、己に克(か)ちて礼に復(かえ)るを仁と為す。一日己に克ちて礼に復れば、天下仁に帰せん。仁を為なすは己に由(よ)る。而(しこう)して人に由らんや。
顔淵曰く、其その目(もく)を請い問う。
子曰く、非礼は視ること勿なかれ、非礼は聴くこと勿なかれ、非礼は言うこと勿なかれ、非礼は動くこと勿なかれ。
顔淵曰く、回(かい)不敏なりと雖えども、請(こう)斯(こ)の語を事こととせん。
顔淵が仁の意義をたずねた。
先師はこたえられた。己に克ち、礼に帰るのが仁である。上に立つ者がこの道に徹底すれば、天下の人心もおのずから仁に帰向するであろう。仁の実現はまずみずからの力によるべきで、他にまつべきではない。
顔淵がさらにたずねた。実践の細目について、お示しをお願いいたしたいと存じます。
先師がこたえられた。非礼なことに眼をひかれないがいい。非礼なことに耳を傾けないがいい。非礼なことを口にしないがいい。非礼なことを行なわぬがいい。
顔淵がいった。まことにいたらぬ者でございますが、お示しのことを一生の守りにいたしたいと存じます」(現代訳論語)。
先師はこたえられた。己に克ち、礼に帰るのが仁である。上に立つ者がこの道に徹底すれば、天下の人心もおのずから仁に帰向するであろう。仁の実現はまずみずからの力によるべきで、他にまつべきではない。
顔淵がさらにたずねた。実践の細目について、お示しをお願いいたしたいと存じます。
先師がこたえられた。非礼なことに眼をひかれないがいい。非礼なことに耳を傾けないがいい。非礼なことを口にしないがいい。非礼なことを行なわぬがいい。
顔淵がいった。まことにいたらぬ者でございますが、お示しのことを一生の守りにいたしたいと存じます」(現代訳論語)。
父親も、随分重い名を付けられたものだけれど、ここで孔子は、「礼」と言った。
礼を学ばざれば、以って立つことなし。
礼を知らざれば、以って立つことなし。
礼を知らざれば、以って立つことなし。
「礼を知らないと人格形成が出来ず、人間関係がうまくいかないよ」っという教えでしょうか。「礼」を知らない「無礼者」になるなと。
「礼とは「『礼儀作法』のことだ」という人もいる。「礼儀」は「マナー」と「エチケット」。「作法」は「ルール」。これらがなければ、人間社会、人と人との付き合いが乱れることになります。
そこで儒教は、人間関係を規律する五つの徳目として、「父子の親」,「君臣の義」,「夫婦の別」,「長幼の序」,「朋友の信」の「五倫」を説く。身近なところで言えば、「長幼の序」など何処に在りやと、情けなくなることもあります。
足利市は足利学校のある街。そこには孔子廟もある。

良い町です。
自戒を込めて。
自戒を込めて。
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コメント
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昨日、FBでのやりとりを拝見しておりますので、心中深くお察し申し上げます。
「子曰く、非礼は視(み)ること勿なかれ、非礼は聴(き)くこと勿なかれ」は、「相手にするな・無視しろ」いう意味と思うのですが、「許してあげなさい」という意味合いもあるのでしょうか。ちょっと悩んでしまいました。僕は、許せない方でして・・・・
もっと踏み込んで、「導いてあげなさい」となると暗澹たる気持ちになってしまいます。相手がオトナの場合は、喧嘩覚悟になりますものね。
投稿: はーびー | 2013年8月 6日 (火) 11時25分
はーびー様、コメントをありがとうございます。
「はーびー」はHerbie Hancockの由来?(笑)
さて、心中察していただき、感謝。
袖すり合うも多生の縁ですから、ちょいと返事を差し上げましたが、なにもお分かりにならなかった様子です。
「仕方ありません」と書いて終わりです。
>「許してあげなさい」という意味合いもあるのでしょうか<
無いと思います。
許すことさえ勿体ない。相手にしないことが一番。
導くのも無駄。
>相手がオトナの場合は、喧嘩覚悟になりますものね。<
それこそ、無駄!(笑)
やはり、相手にしないことだと思います。
投稿: 紺屋 | 2013年8月 6日 (火) 17時53分