旅のことなど
山形屋のお仕事は、淡々と進んでおりますが、毎日ホテルと職場の往復だけで、一度ご担当二人とブラシの内山さんとで宴会をしただけという、端から見ればつまらない日々を過ごしております。
それでも、無意味というわけでもありませんで、時間があれば思いにふけることも出来る。しかし人はこれを、「ボーッとしている」と表現するかもしれません。
そんなことで、ちょっと我が人生を振り返ってみたら、私は19歳の時から旅また旅の生活をしてきたなぁと。海外へも行ったけれど、観光旅行と云えるものは全くなく、何処か仕事がらみ。そんなことで、旅に対してはすれっからしです。
叔父がワシントンにいたので、訪ねて行ったことがあります。
当時彼は、週間読売に随筆の連載を持っていて、その時の私の様子を、「まるで長年そこに住んでいたかのように、自然に振る舞っていた」みたいに書いていましたが、何故そう思われたかと言えば、ただ単に旅に興奮していなかったからでしょう。
日本国内でも同じで、観光地を知らない。
知っているのは、行った町の本屋さん。
歌のお仕事は夜ですから、昼間は時間があるので、本屋に行って何かを買って、部屋でそれを読むという日々だった。だから、七日間の旅なら七冊の本を持って帰っておりました。
歌のお仕事は夜ですから、昼間は時間があるので、本屋に行って何かを買って、部屋でそれを読むという日々だった。だから、七日間の旅なら七冊の本を持って帰っておりました。
私には学問がないから、それを何とか補おうとしたのかもしれません。
今は、本がパソコンに変わってしまったけれど、本質は何も変わりません。
(写真はアムトラックのホームページから頂きました。記念写真を撮る習慣も無いのです。)
今は、本がパソコンに変わってしまったけれど、本質は何も変わりません。
(写真はアムトラックのホームページから頂きました。記念写真を撮る習慣も無いのです。)
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