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2013年9月

2013年9月30日 (月)

札幌三越「日本の匠 職人の技展」終了!

 札幌三越で行われていた「日本の匠 職人の技展」が終了!ご来店にただいました皆々様に感謝。
 最終日は雨模様でしたが、沢山のお客様がご来店。さすが、三越の自力を見せていただきました。

 ホテルに帰ると、「お客様は本日チェックアウトで・・・云々」とフロントが云う。つまり、部屋は無いよと。だけど、領収書ももらっていないし、朝のフロントの人は何も言わなかった。

 「荷物は?」と聞くと、ビニール袋に入れてまとめてある。

 私物をそんな風にあつかわれた事にちょっと注意をすると、フロントの若い女の子は困った様子。

 まあ、私の勘違いだから、直ぐにネットで部屋を取り直して何事もなく寛いでおります。

 明日は久しぶりの我が家。

 「染めるぞ!」と、仕事に燃えております。

2013年9月29日 (日)

佐野 そして 札幌

 「アート街道66展 in 一乃館」も無事終了したようです。ご来場下さった皆様、会場の一乃館、出店して下さった皆さん、受付など裏方をお務め下さった皆さん、このイベントを広報して下さった皆様、全ての関係者に、遠く札幌から心より感謝です。

 アート街道66のメンバーには、お疲れ様でした。

 

 札幌は、ありがたいことに紺邑としては満足の行く催事となりました。

 腹も満足。

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 この「う月食堂」にはお世話になりました。

 

 本日は、遠く夕張からもお馴染みのお客様に来ていただきました。長くお話しを致しましたが、こういう出会いが催事の醍醐味ではあります。

2013年9月28日 (土)

「アート街道66展 in 一乃館」始まりました!

 「アート街道66展 in 一乃館」が始まりました。

Photo
 会場の一乃館の玄関です。

Kobayakawa
 受付の小早川さん。いつも裏方で助けてくださいます。ありがとうございます。

Nakaniwa
 中庭の様子ですが、晴れて良かったし、会期中は秋晴れでしょう。

Konyu
 紺邑はこんな感じ。

Miso_wine
 ワインと味噌の販売という、変わった組み合わせ。双方とも、地元産。すばらしいお味。

 作家の作品も思い思いに趣向が凝らされています。

Yositei
 佐野と云えば人形です。ご存じない方も多いですけれどね(笑)

 それにしても、楽しそうで良かった。

 後二日。茶席もあります。是非、お出で下さいませ。


 Photo by nakazawa





2013年9月25日 (水)

雨の札幌

 なにか、歌謡曲にあるような表題ですが、今日の札幌は朝から雨。

 マネキン(売り子)さんによると、札幌の人は雨だと家から出ないらしい。雪だったら何の問題もないとか。そういえば、山形の人もそういっていました。雪国は雨に弱いのでしょうか。

 その言葉通りの一日で、少なくとも紺邑は取り立てて書くようなことは一切起きませんでした。

 

 夕飯は、いつもの定食やさん。
 今日は貸し切り。

 「おまかせ定食」を頼んだら、「今日は何にしようかな?」と、女将さんが独り言。
 出て来た料理は、ホタテの刺身、ホッケのブツ切り、いくらの醤油漬け、豚肉の生姜焼き、エビフライ、魚の揚げ物2種類、豚の角煮とタマネギの煮物にご飯にみそ汁。これで800円なり!

 大満足で帰って参りました。

 写真無し<(_ _)>

2013年9月24日 (火)

札幌三越初日

 札幌三越の「日本の職人 匠の技展」が始まりました。日本全国から、49人の職人が集まっているそうです。

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 紺邑は、こんな感じで店作り。いつもと変わりないようですが、ちょいと狭め。

 ゆっくりとのんびりした開店でしたが、午後になってK川さんがお見えになった。
 紺邑が札幌に来ているのは、この方に会うためと云っても過言ではありません。物づくりも、K川さんをイメージして作ってきていますので、お勧めするものがみんなお似合いになる。今年はお母様が倒れたので、ご来店が難しかったようですが、時間を見て来て下さいました。

 大変ありがたい時間を過ごさせていただきましたが、やはり初日は疲れが出ます。

 サッサと帰って参りまして、例の食堂で夕飯。

 部屋に帰り、一っ風呂浴びたところです。

札幌の大衆食堂

 札幌に初めて来たのは、もう40年も前になります。年に6回は来ていたかな。

 当時は飛行機なんて乗れませんでしたから、夜行寝台特急で青森、青函連絡船で函館、そして電車で札幌という長旅でした。釧路に行くには、24時間かかった。それが今では、1時間半も掛からない。時代ですね。

 私が生まれ育った栃木県は海無し県ですし、60年も前はそれこそ物流も発達していませんでしたから、美味い魚が食べられず、あるのは真っ白な塩鮭かサンマの開きくらいなものでした。だから私は魚を知らず、好きでもなかった分けですが、北海道に来て、新鮮でおいしい魚に出会い、突然魚好きになりました。
 
 それから40年も経ちますと、新鮮な魚が栃木でも食せるようになったし、ましてや東京おやで、日本中でそれぞれの新鮮な魚を食べられるようになると、北海道の食に魅力を感じなくなりました。「新鮮なら良いってもんじゃない」と思うようになった。これも、時代でしょうか。

 札幌は、食がダメになったと思っています。刺身も大きさと量を誇り、丼も同じだし、そこに手の入った料理と云うものがない。これでは、飽きられてしまうことでしょう。

 だから私は、大衆食堂で夕飯と致しました。
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 うすら汚れていて、私の好み。

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 値段も書いていないけれど、何とか食えるだろうと入って行くと誰もいない。
 「いますか?」と声をかけると、奥の方から「はーい」とおばちゃんが出て来た。
 「おすすめ定食」を頼むと、「みんな手作りだから、ちょっと時間が掛かりますよ」と言う。
 手作りは当たり前だし、こちらは時間はたっぷりあるから、ビール一本をゆっくり飲みながら待つと、いつの間にかビールが空いちゃった。次ぎに、コップ酒を一杯頼んで、これもゆっくり飲んでいると、飲み終わる頃に定食が出て来た。

 刺身が三切れ、いくらの醤油漬けが少々、アスパラに豚肉を巻いた物が二本に、イカリングと魚の揚げ物が二種類に、ご飯とみそ汁。
 どれどれと、刺身を一口。美味い!
 次ぎに、魚の揚げ物を一口。美味い!
 イカリングを一口、美味い!
 全部、良いものでした。

 「夜は何時まで?」と聞くと、「適当です。一応8時までと云うことにしてます」だって。
 三越は7時閉店。さて、食せますやら。

2013年9月22日 (日)

年に一度の札幌

 一年ぶりに、札幌三越に参ります。

 期間は9月24日(火)から30日(月)までの七日間。

 10階催事場に、日本全国から職人が集まります。

 近郊近在の方々、是非お遊びに入らしてくださいませ。


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9月24日(火)~30日(月) 本館10階 催事場
幾多の修業と研鑽を重ね、技を磨き続ける日本の匠。日本全国の文化と伝統の品々を一堂にご紹介します。
※最終日、午後6時終了

2013年9月17日 (火)

里山を守る

 私の住む栃木県佐野市閑馬町は、小さな山里ですが、近年、森が荒れたためか気候の変化のためか、獣が出たりして田畑が荒らされています。そこで「里山を守る会」が出来て、森林の整備をはじめました。

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 何をやっているか様々でしょうが、山羊を放している。

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小屋も手作り。

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 イノシシってヤツは、農家が丹誠込めて作った作物を、あっという間に食い尽くす。がっかりして農業を辞めてしまう人も出て来る。
 これを始めて、周辺から被害が無くなりましたとさ。

2013年9月16日 (月)

堆肥と山羊

 山崎牧場の堆肥が好評なので、軽トラック一杯をご近所で分け合うことに致しました。ついでと言ってはなんですが、山崎牧場で生まれたときから飼っていて、大きくなりすぎて手に余り出した山羊を引き取ることにもなりました。

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 お隣の木村さんが見守る中、堆肥を入れようとしていますが、これ一杯で1500円ですから激安です。

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 大きな山羊でその上気性が荒く、近くに駐めた車に体当たりして傷を付けたりし始めた。ので、短いロープに繋がれっぱなしでした。それを、閑馬のヤギ牧場に放してやろうというわけです。

 乗せているのが、椎茸農家の星野さん。見つめているのが、シンセキ村村長の太田さん。
 

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 右のお二人が、山崎夫妻ですが、生まれてから一緒だった山羊を手放すことに寂しそうです。

 

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 ヤギ牧場は、閑馬北区山間部の里山保全と鳥獣害大作の一貫でもあるのだけれど、この大きなヤギは直ぐに慣れた様子です。名前が「タマゴちゃん」だったけれど、体の大きさに全く似合わないので、星野さん達が「ゴルゴ」と名付けました。

2013年9月15日 (日)

いけばな野外展

 閑馬は朝から大雨で、台風も来ているという。こんな日に、足利フラワーパークで「龍生派両毛支部いけばな野外展」が開催されています。

 紺邑の庭先に生えていた篠竹が、出店者の朝戸さんによって生かされていいますし、招待もされていたので、雨で人の出も少ないかもしれず、こんな時こそと思い、行って参りました。

 ところがギッチョンチョン!駐車場は車で一杯。

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 当たり前ですが、場内も人で一杯の大盛況です。

 入り口で丁寧な説明を受けてから受付に行こうとしたら、我が故郷小俣町の大先輩、清水さんの奥様がいらっしゃった。久々に歓談。朝戸さんもお見えになって、私たちを会場に案内してくださった。

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 300m以上の作品が、133名の手によって続く、その入り口にある作品。テープカットで使われたものを使っています。朝戸さん作!

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 こんな風に、個性的な作品300m以上続き、飽きさせません。

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 紺邑の篠竹に、照明フィルムを使った風車をアレンジした朝戸さんの作品。

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 清水さんとお弟子さん達の作品。足利らしく、整理やさんの昔の道具を使っていますが、龍生会派は面白い作品作りをします。

 それにしても、その動員力には驚きました。初日には数千人の来場者があったとか。足利フラワーパークも驚いていることだと思いますが、私も驚いた。

 16日までのイベントですが、台風が心配です。






2013年9月11日 (水)

歌を唄うマイクのことなど

 佐藤 桂さんと云う方が撮ってくださった、私が歌っている写真。地元のタウン誌「渡良瀬通信400号記念」のパーティの一コマ。

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  ワイアレスマイクですが、これはスイッチのある司会・スピーチ用で、歌には相性が良さそうではないけれど、私は別にこだわりません。
 オカリナの宗次郎さんが演奏したためか、モニターも揃っていて、自分の歌っている声がしっかりと聞こえてくる。もちろん、オカリナを拾うマイクは別ものです(笑)。

 
 私が歌い始めたのは44年も前ですが、その頃は、今のような音響設備なんか考えられませんでした。

 マイクが口から離れているでしょ!? これをオフマイク。マイクを口に付けっぱなしをオンマイクと言うのだそうですが、私は拡声器で歌ってきたから、マイクに頼らない癖があって、PA(音響)の人に、「今時めずらしいですね」と言われる。
 当時はマイクに頼れませんから、声を出す訓練をしなければならなかった。これは死ぬほど練習しました。 
 
 声帯の成熟は身体の中で一番遅く、30才くらいだと言われます。だから、20代は声も出ないし、あまり歌うなと言うのだそうですが、私は19才からプロとして人前で歌い出した。
 仕事ですから、声が出なくとも唄わなくてはなりません。音響なんて、ほぼただの拡声器の時代でしたから、自分の声を鍛えざるを得なかった。
 今は、声を出す訓練をしなくても、音響の力で歌は歌えます。良い時代かどうかの問題は別ですけどね。
 
 マイクなんか無い時代もあった。クラシックの人たちは、それが今でも当たり前でしょうが、その代わり、コンサート会場の音響が充実しています。
 ジャズを歌っていた人たちはどうしていたか、ティーブ・釜萢さんに聞いてみたら、ビッグバンドをバックに、メガフォンを使って歌っていたそうです。これには驚きました。

Img_1724282_51583446_0 (ティーブさん。私の師匠。思い出が沢山あるけれど、私は彼の最後の飲み友達だったと自認しています)
 
 
 さて、私は60才を過ぎました。このパーティの参加者は、二百何十人も居たそうですが、十年以上私の歌を聴いていません。
 「大川は今でも声が出るのだろうか?」と懸念していたようですが、終わると皆さん「変わりないねぇ」と言って下さった。親しい人は「なんか、前より良くなったみたいだ」とも言って下さった。
 面白いもので、若い頃よりも今の方が声を出すことが楽になって、歌が自由になりました。音域も広がっている。スティービーもビリー・ジョエルの曲も、オリジナルキーで別に何ともない。
 歳を取るのも、取り方でありがたいことだと思い始めましたです。

2013年9月10日 (火)

肥料 山崎牧場

 藍草を栽培していますと、肥料の問題に突き当たります。それは、家庭菜園も同じ。何か良い物はないかなと思っていますと、念ずれば通ずで、知り合いと言いますか、紺邑のお客様に、良い肥料を作っている方がいらっしゃいました。

 栃木県佐野市下羽田の山崎牧場です。

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 この牛たちの乳で作ったカマンベール・チーズは、とても美味!

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 和牛もいます。

 そんな牛たちからの肥料があるわけですが、全く臭いがしませんし、サラサラ。

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 藍草を栽培している人たちに見せたら、大好評です。

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 こんな値段ですが、まあ安いこと安いこと。

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 このバケツ一杯で50円で、しかも「大盛りOK」! 袋一杯で200円と云うところです。
 もちろん、大量に使えばもっと安くなる。
 セルフサービスってのは、日本ならではだと思います。

 


2013年9月 6日 (金)

正藍の日傘

 日傘が、東京の傘職人の中島さんから届きまして、ご注文いただき、待ちわびていた方々にご連絡をしましたところ、取りに来て下さり、ついでと言ってはなんですが、スカーフなんぞもお買い上げ。ありがたいことです。
 
 この日傘が大好評なんです。

 中島さんが、某百貨店でこの日傘を販売したら、次の日にその方がまた入らして、「私、生涯でこれ程涼しい日傘に出会ったことがありません。母に上げたいからもっと良いのないかしら」とおっしゃった。

 これは綿ですから、少し値の張る絹の日傘をお作りしたという物語のある日傘です。

Sunshade

 日傘用の藍染めは、一手間違います。染める度に、日光に晒す作業があって、カラッカラに乾かす。その手間を何度も何度も繰り返して紫外線に強い藍布にするのです。
 
 ところが職人は、出来上がるとその手間を忘れるという悪い癖がある。だから、何度でも染めることを厭わないわけですが、これは、子を産む母親と同じかも知れません。

 こんなに優れた日傘を、いつかお手元にお持ち下さることをお勧めします。紫外線を防ぐだけでなく、染めも傘も、職人の手仕事ですから、修理が利くのです。


2013年9月 5日 (木)

小学生達の藍染め体験

 閑馬小学校の3年生17名と引率の先生が来工して、藍染め体験をしました。
 

 足利にあった父の工房には、小学校五年生の社会科授業の一環として、50人から100人規模の小学生達が、東京などの都会からバスで来ていました。私が担当していましたが、小学生達相手に約一時間半の真剣勝負だった。

 話すことは、先ずは戦争の話し。「日本がアメリカと戦争をしたのを知っているか?」と聞くと、「えー!」っと大抵驚きます。
 
 次ぎに、日本が貧乏だったこと。コロッケに挽肉一つ入っていたら、「肉だぁー」と喜んだこと。そもそも、コロッケなど滅多に食べられなかったし、トンカツは肉を思いっきりたたいて平べったくしていたなんて話します。
 
 もちろん、藍染めと関連しての話しですが、私の着ている青のTシャツを指さしながら「これは何色だ?」と聞くと、時折皮肉れた児童もいて、赤だとか黒だとか云う。そう云うときの先生は、困ったっという顔をなさいます。
 
 次ぎに、分析の話しをします。
 藍を分かろうとするとき、どうするかと云う話しです。

 藍の色を赤だというような児童に、「君を分かろうとして、どうするか。科学というヤツは、先ずは分析してみるんだな。君の心臓はどうなっているんだろうか、血管は肝臓は脳はと、切り刻んで調べる。そのデータを集めてコンピュータに掛けて答えが出た時、君はどうなっている?死んでいるだろ」っと。「藍も同じなんだ」と。
 「では、生きた君を分かろうとするには、どうしたらいいか。それは、君と親しく語り合うことだ。そして、君がどんな人間かが少し分かる。藍も同じだ」と。

 そして、藍染めを語りながら、ハンカチを染めて、最後に、工房の前の川で染めたハンカチを洗います。
 
Aiai1_2                                 (写真は父の工房のパンフレットから。今はありません)

 染めたハンカチを川の流れにつけると、手元から美しい青色が浮かび上がってくる。それを見て小学生達は歓声を上げる。そして、青を赤だと言った皮肉れた児童が、帰る時には見違えるように素直になっていることに、先生達は驚く。

 そんな経験から児童達に話そうとしますが、さすがに三年生はまだ幼いかも知れません。ですから、難し話しは無しです。
 

2013年9月 3日 (火)

世相雑感 平和について

 日本には、原子力発電所をどうするかで議論があります。私は、議論を厭いません。何故なら、安全保障上の問題があるからですが、その視点はほとんどありません。

 私は、もう少しでこの世からいなくなる。我が子達の人生は、先が長い。私たち親がいなくなった後も、平和に暮らしてもらいたいと心から思うし、願う。だから、原子力発電が必要なのですが、いたずらに恐怖を植え付けられた人々の感情的な声は大きい。彼らは、日本を危うくしています。

  今、世界はきな臭い。経済危機が解決しているとは思えないし、シリアもエジプトもあるけれど、近くでは韓国も中共もロシアもある。そして、北朝鮮問題も。小さな油断が日本を危険へと向かわせ、それが子供達を脅かすことになる。親たちは、しっかり考えて行動すべきだと思います。
 

 幸い、安倍政権が誕生しました。私の書いたことなど、この政権では前提としてあるように思います。私は、日本にとって僥倖だったと思うけれど、それも大多数の国民が支持をした結果です。ありがたいことでした。

 エネルギー問題では、安心・安全を前提に原子力発電を維持しつつ、その他の再生可能エネルギーなどの開発・普及に最大限の力を傾注して行くという、実に冷静な判断をなさっている。
 しかし、「安心」というのは難しい。安全だと分かっていても、根拠もなく危険だと言い張る人々の声が大きいければ、雰囲気として危険だと言うことになりますから。
  
 安倍さんの日本の舵取りの難しさは、こういう「空気」の様な物との戦いにあると思いますが、それは、大東亜戦争以前の日本と、良く似ているようにも思います。

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2013年9月 1日 (日)

良い田舎

 随分ご無沙汰をしてしまいました。気が付いたら9月。小なりと云えども、紺邑は会社ですから、やらなきゃならないことが沢山あって、それにかまけていたら9月に入っちゃった。

 紺邑の敷地は約1500坪あります。東京のお客様がお見えになり、土地の値段の話しになって、「なんだい、うちの一坪分にもならないねぇ」とおっしゃった。

 広い土地には草が生えます。とても山羊一頭では間に合いません。

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 草刈をして、刈った草を燃やして、そんな作業を毎日しても、とても一人じゃ刈り尽くせない。その上、藍の畑が400坪くらいありますから、その手入れも生半可じゃありません。

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 紺邑は山の中にあるようですが、佐野駅まで25分、足利市駅まで30分、館林駅まで35分と、自動車さえあれば便利なところ。高速道路の佐野・田沼インターから10分で、東京から1時間ちょっとで来ることが出来ます。そして、土地代は一坪分で1500坪!

 この暑い夏を、遂にエアコンを一度もつけずに過ごしました。なにせコンクリートのビルは皆無。アスファルト道路は一本だけ。回りは緑に囲まれているのですから、昔の日本の姿が此処にある。だから閑馬は過疎にもならず、人口が増えているという良い田舎なのです。

 お見えになったお客様の印象はいつも、「良いところですねぇ」です。

 心も目も体も休まるところ。
 是非、お越し下さいませな。

 

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