啓發録
幕末に一瞬の輝きを放ち、早世した福井藩の俊英、橋本左内をご存知だろうか。
14歳にして「啓發録」を表し、松平春嶽に多大な影響を与え、彼亡き後は、春嶽の決断力さえ鈍ったという。つまり、幕末の春嶽の活躍の陰に、左内がいたということなのでしょう。
なんでこんなことを書くのかというと、その「啓發録」の写本をお持ちいただいたからです。

その方が、ご自分で写本をおつくりになった。
私のためにですが、お約束から3年くらい経っている。それほどに手間のかかったもの。
ありがたいことですが、読むのも大変そう。
この方は、福井の老舗料理屋の御子息で、縁あって今は宇都宮にお住まいです。
栃木県小山市のギャラリーで二人展をやっているときにお見えになり、幕末から明治の話になって約三時間、私がほとんど聞き役だったという方。
今日は、私も少しお話をさせていただきましたが、話しは幕末から先の大戦、中国の歴史から朝鮮問題から日本の戦後問題に至るまでで、先回と同じく三時間くらいはお話しされた。
私は染めながらでしたが、そばで聞いていた家内が面白がっておりました。
お帰りの際、「話の通じる人になかなか出会えないので、今日は欲求不満の解消になりました」とおっしゃった。
坂本龍馬は、福井に三度訪ねているそうです。
坂本龍馬は、福井に三度訪ねているそうです。
最後に、由利公正に会い、その一週間後に暗殺されましたが、この方は、「下手人は長州藩士だ」とおっしゃる。
さて、いかがなものでしょうか。土佐の貝崎さん(笑)
さて、いかがなものでしょうか。土佐の貝崎さん(笑)
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