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2014年1月 7日 (火)

「褐色(かちいろ)」について

 あるネット上の記事に、「褐色(かちいろ)」が書いてありましたが、どうも知らずに書いているように思うし、誤解が広がってはいけませんので、それについて再び書いておこうと思います(私は何度か書いています)。それにはこう書いてある。

《一見黒色ではと見紛うほど濃く染めあげた暗い紫みがかかった青の「褐色(かちいろ)」は鎌倉時代の武将たちに、縁起のよい「勝ち色」として大変好まれたのだとか。この独特の自然が醸す色が出せるのも、「すくも」で建てた藍ならでは。》

 この記事だけでなく、「褐色(かちいろ)」は昔から伝わる徳島(阿波)独特の色だという記事をよく目にします。 
  
 「褐(かち)は勝に通ず」で、「勝色」とも書きます。鎌倉の昔から、後戻りしないトンボを「勝虫」と呼び、武士に好まれていたようですが、「褐色」もまた、武士に好まれていたようです。
 これには実質的な理由もあって、藍染めは重ねて染めれば染めるほど糸や布を丈夫にしますので、鎧を繋ぐ糸に使われたのが褐色(かちいろ)だった(実際私は、鎧を作っている人から、「褐色で絹糸を染められますか」と頼まれています)。

 搗色(かちいろ)とも書きます。搗は「つく」と読むように、褐色に染める糸や布に光沢を出すために、それらを臼に入れ、杵で突きながら染めた。

 江戸時代後期の国学者斎藤彦麻呂が「神代余波(カミヨノナゴリ)」で・・・

 《紺に染て臼にてつき又そめてつきいくたびもいくたびもしかれば黒くなりて赤き光り出る物なり(紺に染め、臼に入れてつき、それを何度も何度も繰り返して黒くなり、赤き光りが出た物だ)》と書いています。それを搗染(かちぞめ)と呼び、播州飾磨(現在の兵庫県姫路市飾磨)で染められていました。
 何度も染め、その度に搗いて黒くなってその上に赤い光が出た色が「カチ色」。ただ単に黒くなった色を言うわけではありません。

 江戸時代に書かれた百科事典ともいうべき「守貞漫稿」の19巻は、「染め織り」について書かれていますが、そこにかち色を「カチン色」として・・・

 《(前略)又播州飾磨ノ里ニテ藍ノ濃染ヲカチ色ニスル也 カチ勝ヲ仮用シ祝シテ古ハ軍陣ニ之用 今ハ婚礼ニ用云々》と書いてあります。つまり、播州播磨の染めだと。

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 また、後白河法皇が編まれた「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」の中には・・・

 《いかで麿 播磨の守の童して 飾麿に染むる搗(かち)の衣着む》と、やはり、播州播磨の染めだと書いてある。

 どう読んでも徳島の染めではありません。

 そして、後白河法皇は平安末期の人。その頃の日本には“すくも”の文化はありませんから、カチ色は「『すくも』で建てた藍ならではの色」でもない。
 こういう間違った記述がまかり通っているから、今の藍染めの世界は、誤解ばかりになっています。

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