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2014年3月12日 (水)

佐野の藍 田中正造と二宮尊徳

紺邑のある栃木県佐野市は、藍と藍染の盛んなところでした。

藍農家もたくさんありましたが、御多分に漏れず、合成藍(コールタールから作られた藍染めの原料)が輸入されると、あっという間に滅び、田沼の大川さんという家(私とは無関係です)が最後まで作っていましたが、明治40年ころに佐野の藍づくりは滅びました。

藍づくりをしていた佐野の代表的人物が、田中正造です。

Tanaka_42_2
昨年は佐野市で、田中正造没後100年記念事業が盛んに行われておりました。

私が「田中正造は藍を作っていたのだ」と云っても、佐野市民のほとんどは知らず、その関係者は誰も関心を示すこともなかった。

ですから、その事業に、私は関係することがなかった。



 
「田中正造は、理不尽なものと戦ったのだ」と、佐野の友人で、田中正造を師と仰ぐ金子庸三さんは語ります。たとえ国家権力であろうともと。彼もまた、その事業には関わり合わなかった。
 
ところが、私たちが始めた佐野藍の復活事業に国が関心を示し、バックアップしようと云ってくださる。無碍に断ることもありませんから、これから一緒に成功に向けて進んでいこうと、ミーティングを行いました。ありがたいことです。


昨年、すでに成果が出始めています。

藍農家も増えそうだ。
我々は、田中正造の意思を受け継ぎ、まずは藍の栽培と藍づくりをしようとしています。 

 

「野州の聖人」と云われる二宮尊徳は、「積小維大」と云いました。小さなことの積み重ねで、大きくなるのだと。

Photo_2

尊徳翁は私の尊敬する偉人。その教えを受け継ぎつつ、佐野藍再生に取り組みます。

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