紺邑のホームページ

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2014年6月

2014年6月30日 (月)

雨の日本橋

日本橋界隈は、毎日のように雨が降っています。

昔は「日本橋三越は雨に弱い」なんて云われなくもなかったものですが、さすがのお中元の効果か、日本橋再開発のお陰か、随分大勢のお客様がお見えになっています。

ただし、屋上のビアガーデンはかわいそうなくらいで、この一週間で営業しているのをほとんど見かけません。

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少しレイアウトを変えましたが、実際にはハンガーラックの数が減っています。お陰さまで、吊るしているものが少なくなりました。

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有名な催事担当者のKさん。自らカメラに収まってくれましたが、大きな心境の変化があるのでしょう。

私は、大変にお世話になった。

百貨店の人ですが、出店者の気持ちがわかる人。

今回は、久しぶりにしみじみと一杯やりました。

2014年6月28日 (土)

三越本店のお中元は、日本一。

その会場の側で「匠の技展」は開催されていますから、人の賑わいは一日中続いています。

特に日本橋界隈の再開発が進み、街並みも美しくなり、三越本店の入店客数は、前年比120%の増加で、その数は、ディズニーランドなら入場制限をするほどらしい。

お陰さまで、成績もそこそこ。

この店の自力は、半端ではありません。

 
 
ベストが主役と書きましたが、横浜のお客様が、それだけのためにお見えになってくださった。

「新館に行ったんだけれど、それらしき店がなくて、歩いていたら大きな看板に、お宅はこちらと矢印が出ていたんでこられたんだ」と、そのお客様はおっしゃった。

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それが、この大きな看板です。
新館から本館への通路にあります。

全出店者の写真と説明。そして、日本の地図を示して、どこから来ているかもわかるようになっています。

三越はえらい!

2014年6月27日 (金)

今回の力作!

今回は、パッチワークベストが主役です。

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一枚作るのに、何日もかかる。

それをこれだけ作ったのは、紺邑としては少々力が入っています。

おかげさまで評判も上々で、ありがたいことです。

サイズは各種。

パターンオーダーも承っていますので、どなたでもお召になれます。

どうぞ、ご覧下さいませ。

 

2014年6月25日 (水)

日本橋三越本店「匠の技」展 開催中!

6月24日(火)から、日本橋三越本店7回催物会場で、「日本の職人『匠の技』展」が始まりました。

私は、どういうわけか、ポスターにもチラシにも表紙で出ておりまして、まるで指名手配をされているようです。

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地下鉄銀座線改札口をでたところの、三越の電飾看板。

人影を見れば、その大きさがお分かりかと思います。

 

本館代表が、私。

新館代表が、京友禅の大家、堺映祥先生。

 

面はゆい気もしなくはありませんが、ありがたいと思います。

エレベーターに乗っても地下鉄に乗っても私の姿があるなんざぁ、めったに味わえない気持ちです。

三越のチラシもご覧下さいませ。

2014年6月22日 (日)

日本橋三越本店に出展します

6月24日(火)から7月1日(火)までの8日間、日本橋三越本店7階本・新館催物会場で行われます、「日本の職人『匠の技』展」に出展します。

紺邑は、本館の奥まった一角で、ギャラリーのように展示していますので、ゆっくりとお話も出来るかと思います。

Nihon_bashi_takumi                                                    (写真は昨年の様子。たぶん、同じ場所です)

今回も、様々な作品をお持ちしますが、目玉はパッチワークベスト。

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上がメンズ、下がレディース。

サイズに合わせて、パタンオーダーも承ります。

今回は、たくさん作りました。

そのほか、おなじみの作務衣、ブラウスなどなど、これまた、一生懸命作りましたです。



日本中から、その業界を代表する職人が集まる楽しい催事です。

お忙しいとは存じますが、どうぞ、気楽においで下さい。

2014年6月20日 (金)

藍染め保存会の人たち

19名の「藍染保存会」の方々が、紺邑にお見えになりました。

本建てをして藍染めをなさっているとのこと。

灰を見せ、灰汁の取り型から建て方、染め方という、割合専門的で深いお話をさせていただいた。

もちろん、時間は足りませんが、おおよそのことはお話ししました。

「カルチャーショックです」なんて声も聞こえましたが、私は紺屋で専門家で藍染が生業ですから、趣味でなさるのとはずいぶん違うということだと思います。

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「『藍染保存会』という名をつけているのですから、しっかりと藍を知り、それを保存してください」と申し上げました。

それにしても、立派な活動だと思います。

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時間が押してしまって記念写真を撮るでもなく、みなさんバスでお昼へ。

今度は、私がお伺いしたいと思います。

2014年6月15日 (日)

懐かしいお方

とにかく、時間があれば染めています。

ただし、サッカーワールドカップは別。

しかし、お客様が第一であることには違いありません。


日本の試合の日、懐かしいお客様がお出でになりました。

佐野市に最初に工房を開いた時の隣人、岡田さんだ。

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父の日、ご家族がサプライズで紺邑に連れていていらした。

知らされていなかった岡田さんは、驚いたことでしょうが、私たちも驚いた。

ハンカチを染めて、藍染を楽しんでいただきました。

それにしても、お世話になったなぁ。

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この建物が最初の紺邑ですが、これでもきれいになった方で、草ぼうぼうでゴミだらけだった廃屋。

周りをきれいにし、草むしりもしたから、少しは喜んでいただけたかもしれません。

新参者の私たちを、かわいがってくださったのが岡田さんです。

2014年6月12日 (木)

緑川さんから「蛍を見に行きませんか」というメールが入り、喜び勇んで行ってまいりました。

何処とは言えませんが、二か所。

それはそれは、素晴らしい光景で、たまたま来ていたお客様もお連れしたのですが、「ここは天国だ!」とおっしゃっていました。

近所の陶芸家の桜井一家も一緒。

残念ながら、写真は無し。

私たちは、良い所に住んでいます。


「喜び勇んで」と書きましたが、実は、私は「花より団子」の口で、家で酒絵飲んでいたほうがいいのですが、今度ばかりは感動しました。

「ほたる祭り」などと言った人ごみの中のほたる見物なら、やはり「花より団子」ですけどね。

2014年6月10日 (火)

佐野藍を発表

私達が佐野の街中に工房を開いたのは、2000年の夏。

仕事もなく、工房周辺の草むしりをしながら、「なんで私は佐野に居るんだろうか」と思っておりました。何か意味があるのだろうと。

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山間の閑馬に工房を移し、「アート街道66展」をやった時に、当時の副市長だった石田さんと云う方が、佐野市史と田沼町史のコピーを持って来て下さり、佐野が藍の産地だったことを教えてくださった。
ご近所のシイタケ農家の星野さんからは、田中正造が藍を作っていたことを教えられた。

「これだな」と、私たちは思った。

そして2011年、大震災が起き、福島から避難なさって来た斎藤さんご夫妻と藍の栽培を始め、翌年、田中正造没後100年記念事業が佐野市で大々的に行われだしたのを機に、石田さんはじめ、市民有志に呼びかけて、佐野藍の栽培をみんなでやることになりました。

それが昨年実を結び、今年になってなんとすくも(藍染めの原料)まで出来てしまった。

その様子が、新聞記事になって報道されました。

まだ途に就いたばかりですが、これからコツコツと、みんなで協力し合いながら、佐野藍の復活に励んでいきたいと思います。

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2014年6月 9日 (月)

藍染めの効用

久しぶりにお昼を、葛生のレストラン「味彩」でいただきました。

559313_371840112887852_646553229_n                                                                                                   (写真はネット上からいただきました)

シェフの高橋淳子さんが、藍の種と葉を使った料理を考えてくださるとのこと。

楽しみです。



古来藍は、葉も種もすくもも染も、その薬効効果が言い伝えられていますが、これを化学的に証明するには、面倒でお金もかかる。

本に書いてあるからと云って、何に効くだの殺菌作用があるだのということは出来ません。浮世には、薬事法などという法律もありますから。

しかし、そうでなくとも人間の体験・経験・実感としてのそれもあるはず。


その一つに、肌を守るということがあります。

野良着や剣道着が藍染めなのは、汗疹にならないからだと。赤ちゃんのおむつが藍染だったのも、かぶれがないからだと。



「味彩」で食事をしていましたら、顔を湿疹で赤くした赤ちゃんがいました。お母さんに、藍染のお包みで抱かれていた。

それは、私が染めたオーガニックコットンのお包みだった。

湿疹が出来て、お母さんの友人に勧められた薬を塗ったら、真っ赤になって泣き止まなくなったんだそうです。

そこで、この藍染めのお包みで肌を当ててみると泣き止むし、寝られるようになった。そして、真っ赤な湿疹も、随分よくなったそうです。



こういうことが、藍染にはあります。ただし、正藍染でなければなりませんが。

それはまた、藍染めを染める意味でもあります。

2014年6月 8日 (日)

働くこと

だいたい、ブログが疎かになる時は、染仕事に勤しんでいる時で、くたくたになるまで染めています。

だいたい、私は限度を知らない。それが、組織の中で生きてこなかった人間の性みたいなものかもしれません。

「やめればいいのに」と疲れた体が語りかけてくるけれど、「こいつを終わらせてしまおう」と、ちょっと元気が残っている自分が答える。

そんな仕事が辛いかと云えば、そんなことはないからありがたい。


私は社会主義者の中で育ったから、労働歌を知っています。

♪幸せはおいらの願い  仕事はとっても苦しいが

   流れる汗に未来を込めて  明るい社会を築くこと

  みんなで歌おう 幸せの歌を  響くこだまを  追って行こう♪


彼らは、仕事は苦しいものだと教える。
では、汗に未来を込めた「明るい社会」とは何か?働かなくても良い世界のことか。

「みんなで歌おう 幸せの歌を」とは、永遠に来ない幸せを追っているようで、私には虚しいもののように思われます。



日本は、神々でさえ働く国。

働くことは、苦しいことじゃない。意味あることだ。喜びでもある。

極東の小さな島国が、世界に冠たる大国となり、平和な歴史を持つのも、そんな所以があるのだと、藍染が教えてくれます。

意味を失っている人も見受けるけれど、それが、戦後の大きな問題でもあるでしょう。

何せ、労働歌があったんですから。

2014年6月 6日 (金)

寒い(*_*; そして、建てている佐野藍

お寒うございます。

北海道で38度だ、近所の館林でどうだと云うほどに暑い日が続いていましたが、梅雨入りとともに突然寒くなりました。

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なんと、ストーブに火を入れました。

これで、灰汁を温めて藍甕の手入れをいたします。


ちゃんとした藍甕に建てた「佐野藍」が、もう一歩で染まるようになります。

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これにかさ上げする灰汁をストーブで温めて入れます。

ゆっくり仕上げをしたら、皆様にお披露目したいと思いますが、たぶん、建ちます。

えらいこっちゃ!

2014年6月 3日 (火)

藍の定植

福島から、斎藤さんご夫妻がご来工。

自宅で育てた藍の苗を、紺邑の畑に定植しに入らした。

今回は、奥様同伴。

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飯島さんがお手伝いに来てくださって、農作業。

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一段落して、お昼。

斎藤さんの奥様お手製のおにぎりと漬物をいただきました。



現在、浪江町から伊達市に避難なさっているお二人は、福島市に定住なさることをお決めになったらしい。候補地に佐野も入っていたのだけれど、残念。

震災の日から数日、避難所での食事は、小さなおにぎり一個が三人分だった。

二人の斎藤さんたちには、そのおにぎりから一人分を削って小さくした一個が与えられたそうな。

「情けなかったなぁ」と、斎藤さん。



当時我が家は、被災地へ物資の支援をしていましたから、福島からの避難者にそれらをお分けしていました。斎藤さんたちにも同じ。

そんな思い出話から、当時の被災地の話を色々しましたが、飯島さんは初めてお聞きになったようで、おどろいていました。

伝えるにも、ちょっと重いお話です。

2014年6月 2日 (月)

佐野と「麻」のことなど

佐野藍を育てていますが、その関係の事を少し調べていますと、面白いことがたくさんある。

佐野から無くなってしまった物は、藍だけではありません。

麻、楮皮(こうぞ)、ゆり、たばこ、そして綿、などなど。

 

万葉集に

上毛野(かみつけの) 安蘇(あそ)の真麻群(まそむら)かき抱(むだ)き  寝(ぬ)れど飽かぬを  何(あ)どか吾(あ)がせむ

「上野の安蘇でとれる麻の束を抱くように あの子を抱きかかえて寝るけれど 満ち足りない いったい私はどうしたらよいのだろうか」

こういう歌があります。

なんとなくわかるような気がする歌ですが、私の住む旧安蘇(あそ)郡は、栃木県だから、「上つ毛野(群馬県)」ではなく、「下つ毛野(栃木県)」のはずなんですが、今でも県境ですから、当時は何かあったんでしょう。

それはともかく、万葉集の昔から、「安蘇の
真麻群(まそむら)」と云うくらいで、麻が栽培されていたことがわかります。



嘉永元年(1848)に書かれた「下野国誌」に・・・

「安蘇郡はすべて山畑にて麻をおほく作る地方なり。おしなべて下野は麻を作る国なれども、安蘇郡より出るを第一とす。安蘇のまそむらと読めるも、真麻群にて、安蘇といえるも麻よりい出し名ならんといえり」。

という記述がある(田沼町史)。

つまり、「安蘇」の名は「麻」由来だと云うことですが、それも「安蘇郡より出るを第一とす」というくらい、品質が良かった。



いつぞや紺邑に入らした安蘇郡の葛生のご老人にこの話をすると、「私の子供のころは、秋山川で麻を洗って小遣い稼ぎをしたもんだ」とおっしゃった。

つい最近まで、安蘇の麻栽培はあったのです。

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