紺邑のホームページ

  • 紺邑のホームページ
    新しいホームページがオープンしました。紺邑について、藍染めについての情報です。

ネットショップ

  • G.i-Japan
    藍染を始める方。藍染をなさりたい方もお訪ねください。藍に関する資材とノウハウを提供します。 藍染の製品もあります。 その他にも、沢山そろえて行きます。

イベント情報

フォト

« 2014年7月 | トップページ | 2014年9月 »

2014年8月

2014年8月31日 (日)

千客万来

紺邑のお店開店前、工房に自転車で颯爽と現れた人がいた。その後ろから髭面がゆったりと入ってきた。

初めがカメラマンの倉林さんで、後からの髭面がデザイナーの吉田さん。

吉田さんとは古い付き合いだけれど、倉林さんは初めてお会いしました。

ちょうど刈り取った藍草を表に干していたところで、私は甚平、家内は麦わら帽子といういで立ち。お客様を迎え入れる体制じゃなかったのですが、吉田さんたちなら勘弁してくれるでしょう。

 

その後、午前中に宇都宮からお一人。

なんと、娘の絵をご購入くださった。
   

そのあと、その昔、足利市の市議会議長をやった故松崎さん縁のご婦人方が三人お見えになって、昔話に花が咲きました。

松崎さんは先輩なんだけれど、友人でした。

個性が強く、親分肌で、選挙の酸いも甘いも噛み分けた人だったけれど、ご自分の選挙となるとそうはいきません。

そこで、私たちに目を付けて呼び出し、手伝えときた。

 

私の話を詳しくすると、たいてい「お前は何者だ」と言われるかビッグマウスと思われるかがオチですから書きませんが、松崎さんの選挙の戦略を練った。

候補者の個性が強すぎて、なかなかに大変だったけれど、何とか当選して議長までおやりになった。

私は、女性ばかりを集めた会で歌を歌い、応援演説までしました。

その会にいらして私の歌を聞いた女性達でした。

松崎さんの奥さんの話にもなった。

ご苦労は、聞いています。

奥さんのエッチャンのお誘いで、さる造り酒屋の利き酒会へ行ったことがある。

まあ、そのメンバーを書くと差しさわりがありますから書きませんが、その道中の話が尾ひれを弾いて誤解され、足利に今でもあるらしい。

どうも困ったものだけれど、私は今、佐野市民だからいいや!ってなもんです。

バンダナを藍染して、来年の日傘をご注文いただいた。

「今日は楽しかった」と言って下ったけれど、私も懐かしく楽しい時間を過ごさせていただきました。
 

写真はありません。

とる暇もありませんでした。


http://www.watarase.ne.jp/mirai/shigi/31a.htm

2014年8月30日 (土)

茨城県まで、「すくも藍と沈殿藍・藍染めを科学する」という講演会に行ってまいりました。

科学者が藍染めを語るわけですが、初めは先生の口から発せられる「藍染」という言葉に違和感がありましたし、何十人という聴衆がみなさん藍染めをなさっているところに私が居ることが不思議でした。

数年前なら、出席もしなかったでしょうが、私に大きな心境の変化があったということです。

結論を言うと、勉強になりました。
目を開かせてもらったところもあるし、日本の藍の現状も知ることができました。なにせ、染め液の中の微生物を、事細かに調べた結果を教えてくださったのですから。

691338535683_296
                                                                                                    素敵な会場でした。
 
 
終わってお昼をいただきながら、先生と親しくお話させていただいたけれど、こちらも大変勉強になりました。

藍の微生物の、環境を閉じ込める能力の話なんて、秀逸。つまり、何百年後、蘇る可能性があるということです。

沈殿藍の作り方にも、大きな示唆を頂いた。
それは、作る時の石灰の量。
染め液を作る時の、アルコールの使い方。
沖縄で、なぜ泡盛を入れるのかがなんとなく分かりました。
簡単に言えば、水に溶けない藍を水溶性に変える時に必要なんだそうです。
 
すくもで藍建てする場合、いくつか面白い話がありました。

一つは、石灰の使い方。
この先生が皆さんに、「何故石灰を使うんですか?pH調整ですか?」とご質問なさった。
みなさん、「そうです」とお答えだけれど、先生は「石灰はダメです。水に溶けませんから溜まるだけです」と、私と同じことをおっしゃった。
その後のことは、ここでは書けないお話になったけれど、それはやはり、化学から見た藍染めですから仕方ありません。

もう一つは、醗酵させるための最高温度。
私は父から「50℃を決して超えるな」と言われてきたけれど、まさにその通りということです。超えた場合は、微生物の生態系が変わってしまいます。
これは、軽々に考えると間違えます。
気温や藍甕の置かれた環境を考慮しなければなりませんから。

そして、清酒を使う意味は何もないとうお話し。

 
まだまだありますが、私は先生の前に座らせていただき、お昼もごちそうになってしまいましたが、およびくださった大島さんはじめ、主催者の皆様に感謝申し上げます。

2014年8月29日 (金)

藍の手入れ

妙に小難しい話が続いていますが、この三日間は激動の日々でした。

なんとも忙しく、それも染仕事だけではありませんで、体力も気力も気も使い果たした感じです。

そうしますと、不思議なことに藍も疲れる。

 

今日は、忙しい中でも灰汁を取り、貝灰を使って染液の手入れをいたしました。

何をしたかというと、少し醗酵を落ち着かせたのです。

20140829181034
藍甕を棒で撹拌することはめったにしませんが、したほうが良いと思う時もある。

今日はその日でしたのでやってみると、藍の華がこじんまりと、しかもしっかり建っていて、ちょうどよくなったのが分かります。

なんで?と思われようと、これで良しです。

華が大きくて力が無いのは、見た目派手ですが、良くありません。

 

さて、今日の仕事は終わりにします。

あとは言わずと知れた、おさけ。

2014年8月25日 (月)

プロとアマチュア 教育の問題

 七年ほど前、ある小学校で、藍草を育て、刈り取り、すくも(藍染の原料)を作り、苛性ソーダと還元剤を使って藍建て(染め液を作ること)して、子供たちが一年がかりで藍染めをしたという報告を目にしました。題して「藍の栽培及び藍染めで輝くこども達」。
   
 この報告を読んで、一瞬私は自分の仕事を疑った。子供にも出来ることをしているのだろうかと。私も子供の時代がありましたから、そこに思いを馳せてみると、出来はしません。
   
 
 藍草を畑で育てるには、土づくりからはじまるわけで、それをどうするか。藍草をどう育てるか。雑草の草取りをどうするか。水の問題。天気の問題。様々に農家は思い悩み、体を使い、藍草を育て、刈り取り、葉を乾燥させる。その一つ一つにもまた、いつどういう風にという問題がある。
 
 藍師はそれを、どうやってすくもにするというのか。どのようなすくもが良いとされるのか。書ききれないほどの問題がある。
 
 紺屋は、染め液をどう作るのか。またそれをどう維持し、染めるというのか。これもまた、書ききれません。
 
 これらのことを、この子供たちは出来ると教わってしまった。そして輝いたという。
 
 どんな仕事だって、一人前になるには、経験や修行が要るなんてことは、世の中に出れば当たり前のことです。だけど彼らは、出来てしまう。
 
 
 現在はこのように、なんでも「出来る」と教える。だから子供たちは、出来ないのはやらないからだと思う。やれば出来ると思っている。
 
 
 私たち職人が、この子たちに何を教えたところで、「藍染めしたことあるし、出来る」と思っているから、耳を貸そうとしないでしょう。親たちも、「あなたがやった藍染めよ」と、藍染め職人の私の前で言う。私がしていることを、その子がしたと。出来ると。
 だから、私たちはこの子たちに認められ、尊敬されることはありません。

 同じように、この子たちは誰も認めなくなります。それは、親も教師も同じ。
 
 こういう子供達は、世の中に出て、出来ないことに出くわして戸惑うことでしょう。
 
 何故出来ないのかが分からない。
 
 そりゃそうだ、なんでもできると教わって育ったのですから。 

Om3_2688_2            染めたものを洗いますが、なぜ洗うかがわからなければ、洗い方もわかりません。

2014年8月24日 (日)

プロとアマチュア

藍染めを教えるのは、難しい。

「そんなことはない。教室もある」という意見もあろうかとは思いますが、プロを育てるには、それなりのことを伝えなければならないと、私は考えています。

確かに、藍染めの液があれば、だれでも藍染は出来ます。染液に、糸や布を入れればいいんですから。

問題は、どのように染め液を作り、どのように染め、どのように染め上がり、それを人がどのように使ってくれるかです。
 
それが、大きく言えば、文化だと思います。
 
 
 
歌も同じで、声の出る人なら、曲を覚えればだれでも歌えます。

だけど、お金を取って人に聞かせるには、体を作り、声を出す訓練をして、曲を覚えて練習し、聴いて頂くために人に集まってもらわなければなりません。そして、その人の歌を聞きたいと思う人が多くなければ、人は集まりません。その上に、素質が必要です。

それが、本来のプロ。
 
今は、ずうずうしく人前で歌えれば、ひょっとすると歌手に成れる。自分を歌手だと言えばいいんですから。

どうしてかといえば、歌を聴く人の耳が育っていないから、上手い下手が分からないのですね。

 

少し前までは、プロとアマチュアにははっきりとした隔たりがあったものですが、昨今は、これが分からなくされていて、アマチュアの文化になってしまった。
 
 

高校野球の季節ですが、あの選手たちの中で、何人がプロに成れるでしょうか。成れたとしても、レギュラーになり、そしてオールスターに選ばれるのはどれくらいかと考えれば、プロで活躍している選手の凄さが分かるというものです。

しかし、これが分からない。分からなくされている。

プロ野球の選手に対する尊敬が、昔とはずいぶん変わりました。まるで、タレント扱いだ。



これが、今の日本の文化の程度。

どうして?と考えると、教育の問題に行き着きます。

 

(つまらない話かもしれませんが、書いて置かなければと思っていますので続きます。)



Ko_kame                                                                                     藍は茶色です。だから、洗うと茶色の水になる。
 

 
 

2014年8月23日 (土)

忙中閑あり 「カフェ・ブロッサム」

お陰さまで、毎日お客様の来工があります。ありがたいことです。

その中のお一人が、「お昼食べない?」と言ってくださったので、久々に、佐野の山里にあるログハウスの「カフェ・ブロッサム」に行ってまいりました。

20140823143342_2
こんな写真では、この素敵なログハウスの魅力は伝わりませんが、素敵です。

駐車場には、他県の車ばかり。遠く東京からもわざわざお見えになるし、CMのロケ地にも良くなっているようです。

20140823145538_2
ステーキをいただきました。肉質といい焼き具合といい、絶品!

霜降りの和牛もそりゃ良いですが、私はこういうステーキらしいステーキが大好き。

ビールはレーベンブロイ。これも良く合う。

サラダには、ご主人推薦のスペインのオリーブオイルと粗挽きの塩コショウだけ。これがまた一々よろしい。もちろん、パンも結構。

結構尽くめの食事の後は、ご主人と奥様がテーブルにいらしてしばし歓談。

 
 

ご主人は、有名人。

そのお姿は、アーリーアメリカンそのものだから、このログハウスも良くお似合いです。

白いお鬚姿でモーガンを運転している姿は、あんな年の取り方をしたいと、私の憧れでもある。

建築家なのに、なんでレストランを経営しているのか理由が良く分かりませんでしたが、まあ、良く働くお姿を見ると、健康のためなんだなと思いましたですね。

土日祭日だけの営業だから、なかなか伺えないのです。

詳しくは、ホームページで。

2014年8月20日 (水)

青いトンボ

畑仕事で、山崎牧場の子供たちが大活躍しています。

合間に、昆虫採集もしている。

だから、普段目につかない虫たちに、私たち大人も気づかされます。

20140814112242
藍畑に青いトンボ。

 
 
長男が、自分の藍畑で、青くなった幼虫を見つけまた。

「なんで青くなったんだろう?」と、NHKの子供電話相談室に電話をかけたら採用されたのだけれど、答える先生が、「それはすごい、それはすごい」と興奮気味で、結局答えがなかったのだそうな。

2014年8月19日 (火)

手間をかけること

仕事はなんでも手間がかかります。伝統的は藍染をやっていると、つくづくそう思うし、仕方がありません。

文明というやつは、手間を省くことを発明し続けています。

藍染も、コールタールから100%の藍を見つけ出し、それを化学的に簡単に染められるようにして、大量生産の藍染を可能にした。

それで何が起こったかといえば、藍染の意味を失ったと、私は長々と書き続けて、古来からの藍染を手間をかけながら続けているわけです。

 

今年は、藍染の原料の「すくも」が非常に少ない。

良心的な紺屋は、みなさん困っているはずです。

だから、自分で作るしか無いわけだけれど、これも面倒です。

種をまき、土を作り、定植し、草取りをし、畝を作り、水をやり、刈り取り、茎と葉を分け、天日干しをし、、藍こなしをし、水を打っては切り返し、醗酵させてスクモを作る。

そこには経験とノウハウが必要なわけで、勉強もしなければなりません。

これもまた、当たり前です。


紺邑の庭が、藍草で一杯になっちゃった。

20140819111620
20140819112239
この手間を省いた藍染は、やはり困ったものだけれど、紺屋が藍農家と藍師を兼ねるようになると、また昔に戻ることになる。

良いか悪いかは、わかりません。
 


 

2014年8月18日 (月)

遠来のお客様 正藍染体験

ここのところ続けて、遠来のお客様がお見えになっています。

 
一組は、東京からの若者。

もうお一人は、静岡から。
 
紺邑をどこでお知りになったかを聞くと、フェースブックの「藍染」ページ。
 
お陰さまで、読者がたくさんいらっしゃる。

それにしては書いていませんが、一つ一つに時間がかかるのです。

20140816122511
20140816122520
バンダナを染めてみましたら、感激なさっていました。
 
糸も輪ゴムなどの道具を一切使わずに、柄を出しています。
 
良く見ていただくとわかりますが、裏と表が出ていますでしょ。
 
20140816122511_2 20140816122520_2
ちょいとぼけていますが、これが藍染の特徴であり、人の役に立つ理由でもあるんです。

こうならない藍には、藍染の存在理由がありません。

生葉染めもこうなりませんし、化学的に処理した藍や合成藍も同じ。
 
不思議なものです。



このお客様は、藍染の過程の一つ一つの変化に感動なさっていました。

2014年8月17日 (日)

藍草を刈る 佐野尽くし

テレビの取材がありまして、14日に佐野藍復活プロジェクトの時間のあるメンバーで藍草の刈り取りをいたしました。

20140814111849 
10390008_676617329079421_8417132879

 
染めるところも撮っていただいた。

10606187_676620355745785_8945587842 
こんな感じですが、染めているのは、近くの太田さんちで飼っている羊の毛。
 
20140816131624 
濃紺に染め上げてみましたが、作業中につき、髪がぼさぼさだ(泣)

10557337_678055245602296_4217540367
 
すべて佐野産の藍染でございます。
 
 
 
放送は、関東ローカルと栃木ローカル。

なんとラジオでも放送されたらしいですが、実はどちらも見そびれ聞きそびれ、後で録画を見せてもらいましたとさ。
 
放送局の方々には、感謝<(_ _)>

録画してくださった鈴木さんにも、感謝<(_ _)>

2014年8月16日 (土)

沖縄のこと

「私の最初の海外経験は、グアム島」と書きましたが、正確には沖縄です。年に六回くらいは行っていましたが、パスポートのようなものが必要だった。


090627_173311_ed_2

仕事場は米軍キャンプでしたが、私たちを招聘したプロモーターの家に住み、沖縄中を回りました。仕事が終わった後、ポーカーをやって朝まで遊んでいました。麻雀じゃないところが、当時の沖縄らしいところ。

それでも若かった私は、熱い沖縄で、毎日何キロも走っていました。体を作らなければ、唄が歌えなかったからです。

 

今話題の辺野古基地での、命がけのステージは以前書いたかもしれませんが、ベトナム戦争末期の米兵は荒れていて、基地内のクラブで打ち合いがあって人が殺され、ショーがキャンセルなんてもこともありました。

車は右側通行で、ドライブスルーのファーストフード店も既にあり、まるでアメリカの姿が沖縄にはありました。

沖縄の人たちがそれを嫌がっていたかどうか、何とも言えないという感想が私にはあります。

沖縄が騒がしいですが、ことは単純ではないとも思います。

 
 
何年か前、沖縄に行きましたら、その様変わりに驚きました。
 
米軍基地が少なくなり、そこが街になっていた。
 
横浜も同じです。本牧・根岸辺りは、当時まるでアメリカでしたが、今は面影もない。





2014年8月13日 (水)

グアム島の思い出

私の最初の海外経験は、グアム島。
 
昭和46年の12月。
 
飛行機はB727。
 
米軍の慰問で、日劇のダンサーと一緒にショーのチームとして行った。
 
ベトナム戦争末期。

バックバンドは米兵で、エレピ、ドラム、ベースのトリオだったけれど、フルバンドの譜面で
良く伴奏してくれました。
 
 
宿舎は、退役兵達の宿舎で、昼間は暇だから、基地内のバスに乗って、グアムの米軍基地を回って軍艦を見たりしていた。
 
毎晩飲んでいたその宿舎のバーで、体の大きな退役黒人兵と親しくなり、彼のおんぼろキャデラックの真っ赤なオープンカーで、グアム島一周のドライブをした。

その時、私は妙な感覚を味わい、帰ってきて父親に、「グアムには、絶対に日本兵が生き残っている」と言った。
 

横井正一さんが見つかったのが、その一か月後のこと。

「おい!本当だったな。驚いたな」とは、父の弁。

私は驚かなかった。

だって、確信があったから。


久しぶりにテレビを見て、思い出しての一文。

Iwadare891

2014年8月12日 (火)

町田の最終日

町田の最終日

6日から始まった町田の「紺邑正藍染展」も最終日を迎えました。

自分のミスとはいへ、宇都宮からの連続となり、休む間もなく働いた訳ですが、思いの外元気。
台風などがあって、その諦めが、精神的にも肉体的にも休みになったのかもしれません。

1日頭痛に悩まされましたが、それも完治!っと思います。

昨日は藍染をなさっている方がいらして、長く藍染談義。もちろん、正藍染です。
この方は、正藍染しか知らない珍しい人。独学ですので、わからなくなって悩み、私を訪ねて来た。

昨日は藍建ての基本をお話ししたのだけれど、「日本中に藍建てを知りたい人が居ると思いますよ」とおっしゃり、どこを調べても、ちゃんとした藍建ての記述はないとのこと。
これを伝えなければ、日本の正藍染は途絶えるかもしれない。そう大袈裟に家内も私に言う。

何とかしようと考えています。
藍建てを教えた息子はしっかり建てられるし、指導した金子さんも出来るようになっていますから。

2014年8月10日 (日)

町田は東京都だけれどほぼ神奈川県。

私は杉並区の娘の所から通っていますが、朝出た時は雨は降っていなかったのに、町田に近づくと大雨!
「小田急線は、小田原の大雨で遅れが出ています」と案内があったのですが、やはり東京にある神奈川だ!

低気圧の所為か、頭痛がある。
歳も歳だから頭の血管が切れたら大変と、みんなが心配して下さって早退けしたら、お馴染みの道遊さんがお見えになった気配が携帯電話にあったのでメールしてみると、案の定だった。

私のことを「ハムイチ君は?」等と言って社員をからかってお帰りになったとか。
お買い物までして下さってありがとうございます。

また秋に藤沢でお会いできるかと思います。


今朝の状況は写真の通りですが、幸い、昨日までにそこそこの成績ですので、のんびりと1日を過ごすことにいたします。

2014年8月 7日 (木)

小田急百貨店町田店「紺邑正藍染展」開催中!

小田急百貨店町田店7階「匠の技」で、「紺邑正藍染展」開催中です。

20140806172536_2
20140806172502

私のブッキングミスで、宇都宮の最終日が搬入日。

気が付かなった私が愚かでした。



8月6日(水)から12日(火)まで、町田店7階時計売り場前に一人で藍を染めております。

どうぞ、涼みにでもお出で下さいませ。

2014年8月 4日 (月)

今の佐野 そして足利 その未来

宇都宮には、年一回出展します。
だから、今回は一年ぶり。
古いお客様は、「七夕様ね」とおっしゃる。
 
新しいお客様に「佐野から参りました」と言ったら、「最近、佐野はすごいですねぇ。足利と栃木に挟まれて目立たなかったけれど、何か勢いを感じます」とおっしゃった。「足利出身です」と申し上げると、「足利は勢いがないですねぇ」と。
私は佐野市民で足利市民ではなくなったけれど、その衰退は心配だけれど如何ともしがたい。

佐野は、職人の町。
足利は、旦那衆の町。

旦那衆は職人を使ってきた。
だから「旦那様」という言葉がある。
双方にその気質が残っているからか、佐野には足利に対して不思議なコンプレックスのようなものが感じらる。
それがなくなってきたように思われます。

だけど、佐野の人は、それを表に出しません。
つまり、内に秘めたものがある。
それが少しづつ、現実化されてきた。
佐野のこれからは、面白いですよ。

足利は、「旦那衆」の気質を残しているのに、それに気がつかない。
旦那衆の町は、それはそれで特徴であり気質だから、変えるのは難しい。
ならば、生かそうとすれば良いと思うけれど、そもそも、旦那衆の気質とはいかなるものか、足利市民が知らない。

2014年8月 3日 (日)

宇都宮の「匠展」

某百貨店の催事担当から電話。「宇都宮はいかがですか?豪華メンバーで」という。

さすが、長年の付き合いで、よく分かっている。

栃木県の人は気が付かないし、この種の催事は他にもあるから同じだと思っている節がありますが、実は、他の百貨店が言うように、「豪華メンバー」の集まりです。

20140731142533

百貨店祭事に出たことのない、佐野の吉田さんの作品群。

見ているのは、企画会社の神田さん。

何を思うか。

20140731142706

京扇子の大むら。

これからのこの業界を背負って立つ逸材。

実演も、本物がいかなるものかがわかりますよ。

私は父上とも親しかった。

20140731175622
越前竹人形。

水上勉の小説のモデルは、この人の祖父。

まじめな男で、「私は大川さんに怒られたことがありません」と、昔、怒りんぼうだった私に言う。「怒る相手を選ぶよ」っとわたし。

手間のかかった創作人形ですが、来年の節句にお買い求めいただいています。

20140731174247

手作り万年筆の大橋堂。

初めてお会いしたのはいつの日か?と考えると、もう数十年前だ。

日本橋の高島屋の「伝統展」で、おじいさまの名人と出会った。

なぜか気が合って、親しくさせていただいたけれど、古き良き伝統を今に生かし、本当の万年筆の書き心地を伝え続けています。

20140731174554
犬張り子の田中さん。

江戸時代から続く本物の犬張り子は、この方で途絶えます。

仕方ないけれど、今更後継者もいません。

一つ一つ手描きしていますが、お話を聞くだけでも貴重です。

« 2014年7月 | トップページ | 2014年9月 »