紺邑のホームページ

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2014年10月

2014年10月30日 (木)

認定式

久しぶりに栃木県庁に行って参りました。

紺邑の地域産業資源活用事業計画が認定されたので、その認定式に出席させていただいたわけです。

「させていただいた」といっても、紺邑が主役ですからありがたいことです。

地元では、近々にその様子がテレビで放送されるでしょうし、新聞も取り上げてくださるようです。



もう一社、別の認定を受けた会社の方々がたくさん出席なさっていましたが、紺邑は私一人。

なんとも寂しいですが、まあ、こんなものです。

   

しかし、県庁はデカい!

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                                                                 (写真はこちらからいただきました。「栃木県の県庁所在地 宇都宮で暮らす」)

2014年10月28日 (火)

近所にできた食堂のお話

佐野市内の県道66号線を、閑馬から下彦間を通り、飛駒に入るあたりに、妙な建物が建ったのがこの8月。

飛駒に行く機会が多くなった昨今、気になっていました。

先日、閑馬小学校でコミュニティ祭りがあって、招待状が来ていたので行くと、久しぶりに会ったご近所の桜井さんに、「知り合いが食堂を始めたんで行ってくれ」と、その食堂の名刺を渡されました。

それを見て、直ぐにあの建物だと分かりました。

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掘っ立て小屋というかログハウスというか。

名前を「またぎ」という食堂ですが、とにかく行ってみました。

元々はウナギ屋さんで、天然ウナギを出すといいますが、昼飯にしては豪華なので、味噌カツ定食とカキフライ定食を頼んだ。

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写真は味噌カツですけれど、カツの下にライスが隠れている。

何気ない料理だけれど、何か凝っていて美味い。例えば、みそ汁の具のワカメが結構なように。

写真はないけれど、カキフライの揚げ具合もよいけれど、カキが美味かった。

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コストパフォーマンスにも満足!

桜井さんは良いところを教えてくださったけれど、「桜井さんの紹介できたといえば、何かいいことあるかな?」と聞くと、「そうさな!?コーヒーくらいは出してくれるだろうよ」というから楽しみにしていましたら、案の定、最後にコーヒーが出てきた。

ただし、定食についているんだそうな。

まー、いっか!



そうそう、建物の前の池は釣り堀だけれど、お客は誰も来ないそうです。そりゃそうだ。釣り堀だってわかんないものなぁ。

ご主人は桜井さんの友達だから、変な人。

2014年10月27日 (月)

お知らせです。

帰って参りますと、やらなければならないことが山積みです。

夫婦二人だけの工房になってから、仕事を減らしてきました。出張もその一つで、今は月に一度出るようにしています。

それが、諸般の事情で、今回は二週連続になってしまいました。大きく反省していますが、これも浮世。

 

お問い合わせやらなにやらも、沢山いただいています。

それにお答え出来ないでいまして、ご迷惑もおかけしています。

実を言いますと、夫婦二人の工房の片割れの家内が、ケガをいたしまして、一か月余りの入院を余儀なくされておりました。

ご心配かけてもいけないと思い、書いておりませんでしたが、ご迷惑をかけている方々も出るようになりまして、お知らせしておこうと思います。

その上に出張があった訳で、入院の初めの札幌三越は、多大なご迷惑をかける事となりました。

 
幸い、10月14日に退院をしまして、家内は今、家におります。

膝をケガしたのですが、不幸中の幸いは左足だったこと。車の運転が、何とか出来ますから。

少しづつ仕事に復帰しております。

ご注文やら染直しなど、徐々に対応してまいりますので、ご辛抱くださいませ。

2014年10月24日 (金)

葬式

生まれて初めて、神式のお通夜に行ってまいりました。
   
榊をお供えし、二礼二拍手一礼するのですが、柏手は音を立てないまねごとでした。神式に通夜があることも初めて知った。

   
 
ご近所のご老人とご一緒したのですが、昔の葬式の話になった。
   
「若いころは土葬だった」とおっしゃいましたが、私の子供のころも土葬です。
   
火葬場が出来たのは、私が小学生の頃ですから昭和30年代。それまでは、日本は大抵が土葬だったと思います。当時は薪で焼いていましたから、焼き上がるまで丸々一日掛かりました。遺体を運ぶのは、リヤカーだった。
   
棺桶の材料は松の木。油が多いからなかなか腐らず、葬式が立て込むと、床堀さんは大変だった。床堀さんと云うのはご近所の役割で、墓を掘る人のこと。下手すると、骨になる前の遺体と対面する羽目になる。
   
「縦棺(たてかん)でしたか?」と聞くと「そうだ」とおっしゃる。
縦棺というのは、よく時代劇で見る棺桶のことで、遺体を不自然に折り曲げ、骨を折って縦に詰め込みます。これで、完全な死を確かめたのでしょう。
   
通夜にもその役割があって、「ご臨終です」と死を宣告されてから一晩、身内が遺体とともに過ごして完全なる死を確認するのが通夜。交代で遺体と添え寝をしたり、一晩中線香を絶やさなかったものです。
   
私の生まれ育ったところでは、坊さんが帰った後、ご近所の皆さんが念仏を唱えました。それは、この閑馬辺りも同じだったようです。「なんまいだー~ぶーつなんまいだぁ」と念仏を唱えている間、コップに入れた水を回して、最後に庭にまいて成仏を願った。
   
酒も飲みました。
   
めったに飲めない酒が飲めるのが、通夜と葬式。ですから宴会の様に賑やかだった。飲み過ぎると念仏がうまく合わなかった。
   
日本人はこうやって、つい最近まで死と親しんで生きてきた。昨今は、通夜も葬式もただの儀式となり、死を身近に感じられない世の中になってしまっているように思います。
   
因みに、私の家は横棺でした。近所の古老に言わせると、「そりゃ相当墓がデカかったんだな」と。その通りでしたが、縦棺だろうと横棺だろうと、墓に埋めた後、掘った土を焼香するように、皆で墓に入れるのは変わりなかったようです。

2014年10月23日 (木)

帰宅

二週間ぶりに帰ってまいりました。こんなに長い旅は久々の事。

帰ってきますと、これまた様々なことが待っている。つまりは浮世というやつ。

なんとか沈まないように生きてゆかねばなりません。

 

一番気になるのが藍の調子。

二週間放っておきましたが、手入れをすると何とかなりそうな気配。

そりゃそうで、そうなってもらわなければ困ります。

 

自分で作ったすくもの藍建ても、これから試みなければなりません。

うまくいくはずですが、さて、如何に!

楽しみでもあるし、不安でもある。

 

それにしても佐野は寒い。

ストーブが入っていました。

2014年10月22日 (水)

大阪最終日の出来事

最終日、年配の女性が目の前にお立ちになり、「ホームページを見ています」とおっしゃった。
藍染をなさっているとも。

それから藍建てと染の話になり、事細かに教えて差し上げました。

メモを取りながらお聞きになっていたけれど、お年を聞くと七十歳!

絞りをして、本染めに挑戦なさるという。

ご立派というしかありません。

帰り際に、山村省二氏にも紹介しましたが、「是非、灰汁で醗酵させた藍で一度でも染めてみてください」と励まされました。


終了間際、閑馬の工房にもいらした岡本さんが来てくださった。

以前よりずっと元気そうで、事実、病気も回復に向かっているらしい。

藍染めの話になり、やってみる!っという話になりました。

佐野にもまた来てくれるそうですから、私の持っているものをしっかりと伝えたいと思います。


熊本からは「ステンレスの藍甕をつくり、地獄建てに成功しました!」という素晴らしいメッセージが入りました。

手入れについてちょいと返事を書きましたが、私のノウハウが伝わって行く実感があります。


最終日、商売は忙しいとは言えませんでしたが、素晴らしい出会いの一日となりました。

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2014年10月20日 (月)

トンボ玉

日本の蜻蛉玉は、江戸時代に途絶え、大阪の藤村英雄氏が復活させたものです。なにせ大阪には「玉造」なんてところがあるくらいですから。

それを受け継ぐ藤村広樹さん。

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正倉院に蜻蛉玉がありますが、それを復元するには昔からの技法を復元しなくてはならなかった。

広樹さんの祖父英雄氏は、それを再現し、藤村家はそれを守り続けています。これを、「古法窯づくり」と呼びます。

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このボロボロになった窯がそれで、炭火を使い、ガラスを溶かして顔料を混ぜ、色ガラスから作っています。仕入れるのは原料のクリスタルガラスだけで、後はすべて自分で作っている。こんな面倒をやっているのは、日本では藤村家だけでしょう。

火力は、炭の量で決め、灰を使って玉を冷まします。

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熱いですから、扇風機は欠かせませんが、この実演ができるのは名古屋まで。

それより東の百貨店では出来ませんから、宇都宮に毎年来ていただいても、栃木県民にお見せできないのが残念です。



藤村英雄氏の再現した「小桜トンボ」は、それはそれは見事なもので、天明鋳物の若林さんにお見せしたら、何かヒントを得たような様子でした。

広樹さんの父上真澄氏は、大阪の伝統工芸士の上に現代の名工で黄綬褒章受章者。まあ、そういう人はこの業界に当たり前のようにいらっしゃるにしても、広樹さんから見ればなかなかに大きな壁でしょう。

自分も大きくなって来はしましたが、それは身体。

ますます修行をして、藤村広樹ここにありとなってもらいたいものです。

ん?なっているかな。

2014年10月19日 (日)

懇親会

近鉄百貨店上本町店の「職人の技展」名物の懇親会がありました。

その昔、私の父親たちがやっていた、「京都と小京都展」の小京都だけの懇親会のやり方をみんなに教えて始まったもの。

それまでは、新聞社が来たり店長が来たりと、堅苦しさこの上もなく、しかも会費が初め8000円という職人泣かせの高額だった。

それを止めることになり、じゃあ、出展者で勝手にやろうと始まったのが今の懇親会です。

 

くじを作り、入場前にそれを引いて、同じ番号の席に座ります。ですから、誰が隣になるかわからないという仕掛け。これをやりますと、いっぺんに会場が和やかになります。

一人一品景品を持ち寄り、これもくじ引きで当たります。宝飾の人たちの景品や傘などは大人気。

自分の景品を当ててしまった場合は、好きな景品を指名して、ジャンケンで勝てば総取り。負ければ取られる。

景品交換券もあって、交換したい景品が当たった人を指名して、これまたジャンケンで勝てば交換できる。

こいつが盛り上がる。

しかし、会場を探したり、くじを作ったり、景品を集めたり、それに番号を入れたり、席に番号札を置いたり、面倒なことがたくさんあります。

それを、幹事たちが手慣れた風にこなすところが、上六の職人展ならでは。

私は景品交換会の司会をいつもやらされる。

何かで人を指名しなければいけない時に、「そこの頭の薄いの!」とか「体のでかいの!」なんて言ったらしい。覚えてないけれど、言われたほうは「しょうがないな」と立ち上がる。相手は伝統工芸士。

誰かさん達は、「頭が薄いのって、髪の毛かな、中身かな?」なんて勝手なことを言っていたらしい。

くじには「職人代表挨拶」「乾杯」「最後の締め」なんて言うのもあって、偉いも偉くないも、若いも若くないも全く関係がありません。

私は、「最後の挨拶」を引いちゃった。

ついでに歌も歌わされ、まるで宴会係。

おかげで爆睡しましたとさ。

   

ちなみに、私の当てた景品は、山藍の藍染のストール!もちろん、本染め。国指定重要無形文化財技術保持者会会員で工芸会正会員という山村省二作。もちろん、国宝展にも出られる人。

写真は無し!

誰も撮っていなかった。

2014年10月17日 (金)

萩焼

大阪で、久しぶりに萩焼の森田夫妻に会っています。

萩焼らしい萩焼を作ろうとしている人たちです。

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何年か前、釉薬の話になって、灰汁をとったあとの灰を送ったことがありました。

それを釉薬にした萩焼を頂いちゃった。

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左は酸化、右は還元。何か、藍染のようなお話です。

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いつもは樫の木の灰を使っているとのこと。

私の灰は楢灰ですが、少し柔らかさがあるような気がします。

   

それにしても、私が灰を分けた人で、初めて釉薬にしてものづくりをしてくれた人たちです。

日本人は木を使って生きて来た。

それを燃やした灰から灰汁をとり、染屋が色だしに使い、紺屋は染液を作ることに使った。

灰汁をとり終わった灰は、焼き物屋が釉薬に使って来た。

こういう、究極のリサイクル文化を持っていたのが日本です。つい最近の1970年代初めまでは、そんな文化が残っていました。

それを見習ったのがドイツだけれど、今日本人はドイツに学ぼうとしている。

日本人が日本を知りません。

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宇都宮に一度お呼びしたけれど、さすがに萩からでは経費が嵩む。無理は言えません。

昔からの萩焼にこだわる焼き物を、一度でも栃木の人たちに紹介できただけでも良しとしましょう。

その内、また来てくださるとうれしいな。

2014年10月16日 (木)

突然ですが、大阪!

しばらくご無沙汰をしていました大阪天王寺区上本町六丁目にある近鉄百貨店上本町店の、元祖「職人の技展」に出展しています。

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このひと月あまり、バタバタと忙しくてようやく大阪に来たという感じです。

帰ったら藍染めだけに勤しめたらいいなと思いつつ、一週間、藍勤めまするぅ~<(_ _)>

2014年10月 9日 (木)

小田急百貨店藤沢店「紺邑正藍染展」

十月八日(水)~十月十四日(火)まで、小田急百貨店藤沢店五階下りエスカレーター前の「匠の技」で、「紺邑正藍染展」開催中です。

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湘南のお客様は、「きれいね」と言ってくださるので大好きです。

台風が気になるところですが、今のところ良いお天気です。

どうぞ、お越しください。

2014年10月 7日 (火)

藍の栽培 そして無農薬について

藍の葉藍草の栽培で、無農薬を謳っているところがあります。それはそれで素晴らしいと私は思いますし、我々の栽培も同じです。

しかし、問題が無いわけではありません。

無農薬で育てたところで、藍の葉に含まれる藍分が少なく、色も良くなければ、その藍の葉は良いものとは言えないからです。

ましてやそれを使って化学建てをしたのでは、無農薬の食材を、化学調味料と着色料と保存剤などをたっぷり使って料理する事よりも良くありません。

   

私が無農薬農法と関わりあって二十何年になりますが、その農法の基本は、土と人間の体を同じだと考えることです。

これは、有機農法とは異なります。

いわゆる有機農法は、決められた薬剤なら使っても構わないからで、その中には、土(人間の体)にとって必ずしも良くないものも含まれています。

この辺りはあまり知られていませんが、気をつけなくてはならないと思います。

Sanoai_aidate5                                                                       (佐野藍を甕に入れ、灰汁を入れて棒でついているところです)

私たち佐野藍は、こういうことにも気を配っていきます。

つまり、藍染めは、木灰の灰汁で建て、貝灰とふすまで管理した染液を使う、伝統工芸の正藍染だということです。

   

大切なのは結果です。職人仕事はみんなそうだ。

その意味では、無農薬栽培を標榜したところで、品質が劣ったものを作ったり、工程がそれを裏切って薬品を使う化学建てであったり維持管理だったりすれば、無農薬栽培は何の意味も持ちません。そこには、販売の戦略的効果があるだけです。

そして、化学建ての藍染を正当化することにもなりかねません。

世の中は難しいと、藍染が言っています。

2014年10月 3日 (金)

グレンフィディックを使ったマロングラッセ

朝八時から、閑馬よりももっと山奥の飛駒へ行って、藍畑で藍草刈り。

午後、「アート街道66展 in 一乃館」の会計報告会へ。

また飛駒に戻って、佐野藍の藍ごなしの見学。疲れちゃってお手伝いできなかった。

帰り際、ちょいと気になっていた近くの筒井童太・もも子夫妻の家にお邪魔。

何故来たかを察したモモちゃんが、マロングラッセを出してくださった。

一口食して、思わず「美味い!」とうなりましたね。

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何と、スコッチのシングルモルト「グレンフィディック」を使ったマロングラッセ。

一口食して、その栗の生きた味に感動。

グレンフィディックを使った妙味が、その辛さにしっかりと出ています。

もちろん、辛いというのは甘くないという意味じゃない。

これは、食してみないと分かりませんが、モモちゃんの作る物は何でも美味しい。

私は大ファン。

童太さんは、幸せ者だ。

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