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2014年10月24日 (金)

葬式

生まれて初めて、神式のお通夜に行ってまいりました。
   
榊をお供えし、二礼二拍手一礼するのですが、柏手は音を立てないまねごとでした。神式に通夜があることも初めて知った。
ご近所のご老人とご一緒したのですが、昔の葬式の話になった。
   
「若いころは土葬だった」とおっしゃいましたが、私の子供のころも土葬です。
   
火葬場が出来たのは、私が小学生の頃ですから昭和30年代。それまでは、日本は大抵が土葬だったと思います。当時は薪で焼いていましたから、焼き上がるまで丸々一日掛かりました。遺体を運ぶのは、リヤカーだった。
   
棺桶の材料は松の木。油が多いからなかなか腐らず、葬式が立て込むと、床堀さんは大変だった。床堀さんと云うのはご近所の役割で、墓を掘る人のこと。下手すると、骨になる前の遺体と対面する羽目になる。
   
「縦棺(たてかん)でしたか?」と聞くと「そうだ」とおっしゃる。
 
縦棺というのは、よく時代劇で見る棺桶のことで、遺体を不自然に折り曲げ、骨を折って縦に詰め込みます。これで、完全な死を確かめたのでしょう。
   
通夜にもその役割があって、「ご臨終です」と死を宣告されてから一晩、身内が遺体とともに過ごして完全なる死を確認するのが通夜。交代で遺体と添え寝をしたり、一晩中線香を絶やさなかったものです。
   
私の生まれ育ったところでは、坊さんが帰った後、ご近所の皆さんが念仏を唱えました。それは、この閑馬辺りも同じだったようです。「なんまいだー~ぶーつなんまいだぁ」と念仏を唱えている間、コップに入れた水を回して、最後に庭にまいて成仏を願った。
   
酒も飲みました。
   
めったに飲めない酒が飲めるのが、通夜と葬式。ですから宴会の様に賑やかだった。飲み過ぎると念仏がうまく合わなかった。
   

 

日本人はこうやって、つい最近まで死と親しんで生きてきた。昨今は、通夜も葬式もただの儀式となり、死を身近に感じられない世の中になってしまっているように思います。
   
因みに、私の家は横棺でした。近所の古老に言わせると、「そりゃ相当墓がデカかったんだな」と。その通りでしたが、縦棺だろうと横棺だろうと、墓に埋めた後、掘った土を焼香するように、皆で墓に入れるのは変わりなかったようです。

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