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2015年2月 9日 (月)

群馬県の大胡へ 上泉伊勢守のことなど

所用で、ヤギの橋本さんと群馬県は赤城山の麓、大胡(おうご)へ行ってまいりました。側は良く通ったのだけれど、街中に入るのは初めて。結構大きな町で、今は前橋市の一部になっているらしい。

大胡といえば剣聖上泉伊勢守だけれど、橋本さんに話したら「知らない」という。「柳生流はご存じ?」と聞くと、辛うじて知っていました。だけど、塚原卜伝も知らなかった。

  

上泉伊勢守は剣の大名人。新陰流の祖。

柳生の里に立ち寄り、柳生宗厳と宝蔵院胤栄へ印可状を与えています。「バカボンド」という漫画がありますが、それ以前のお人。熊本の丸目蔵人も弟子。

袋竹刀を考えた伊勢守は、今の剣道の大元かもしれません。

  
  

柳生宗厳は、伊勢守の新陰流を学び、柳生新陰流を生み出した。

将軍の指南役となった宗厳の息子宗矩は政治家だけれど、尾張柳生の柳生兵庫助が剣を継いだとする人もいる。

  
戦国時代の兵法(剣法)は、鎧を着ていかに戦うかと教えた。

だから、上段が今の中段。中段が今の下段。

そりゃそうで、鎧を着たら、今の上段は無理ですから。

だから、今から見れば、猫背のようなかっこ悪い構えになるし、そういう絵が残されています。

鎧を脱いだ剣法に変えた革命児が、宮本武蔵と柳生兵庫と云われる。

武蔵が二刀を構え、すっと立っている絵は有名ですが、ああいう姿は武蔵以降で、あれを「すったちの構え」と云うのだそうです。

もう一人、これを編み出したのが柳生兵庫。

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男は、こういう話が好きだと思っていたけれど、まあ、人それぞれです。

帰ってきてから、剣道をやっていた息子と話をすると、さすがに上泉伊勢守は知っていましたが、柳生兵庫と「すったちの構え」は知らなかったな。

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