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2015年6月 4日 (木)

磨墨(するすみ)伝説

 閑馬に何故「磨墨(するすみ)の池」があるのかというお話しです。

 

 足利尊氏の六代前の先祖で源頼朝の御家人足利義兼が、頼朝に馬を送ろうと思った。噂に寄れば、足利の近くの沢に名馬がいるというので、家来に命じて捕らえさせることにした。

 その沢に行くと、噂通り二頭の大きな名馬がいた。一頭はその場で捕まえることができた。その馬は、生きている物になんでも食らい着くので「生食(いけずき)」と名付けられた。
  
 もう一頭には逃げられてしまったので追いかけて行くと、ある沢に入って行った。馬もさすがに疲れたのか、池で休みながら水を飲んでいるところを捕まえた。その沢を、馬が閑かになった所として、「閑馬」と呼ぶようになった。 
 
 その馬は、まるで墨を磨ったように真っ黒だったので「磨墨(するすみ)」と名付けられ、馬が水を飲んだ池を「磨墨の池」として、今も閑馬に残る。
  
 素敵な物語だと、私は思います。
 
Photo

 実は磨墨伝説は、日本各地にあります。この写真は、お隣鹿沼市の「磨墨が渕」ですが、岐阜にも静岡にも千葉にも長崎にもある。そのどれもが俗説であって、史実とは言い難い。しかし、そういう伝説がその土地で生きてきたことは、大切にすべきことだと思います。

 それにしても佐野市は、閑馬の名のいわれについて
(1) 源頼朝が平家との合戦にそなえ、軍馬を集めるため馬がりをした時、野生のすばらしい馬を2頭見つけ、1頭はすぐに捕えられましたが、もう1頭は走りつかれ池で水をのみ休んでいる所を捕えられました。馬が静かになったところで「閑馬」と呼ぶようになったといわれています。その2頭は、池月と磨墨と名付けられ軍馬として大活躍をしました。
(2) 昔は神馬とも書かれましたが、どうやら馬とは関係がないようです。おそらくカノマから転化したか、カンマキのキが取れた形であろうと思われます。狩野(かの)、狩野蒔き(かのまき)は焼畑のことです。
(3) カンマはカンマキの下略であろう。切替畑(きりかえはた。焼畑。)をカンマキというので、地名は焼畑に由来するものと思われます。

 こう書いている。野暮で夢がない。「焼畑に由来するものと思われます」って、思われますなら磨墨と思われますでいいじゃないか。
 
 全国の磨墨伝説は、すべて俗説。その中に閑馬・飛駒の磨墨と生食(いけづき)の物語がある。大切なのは史実ではなく、伝説を聞いて生きてきた、又は生きている人々の生活です。
 
 ほかの地域では、磨墨伝説を伝説として大切にしている。
 佐野は見習うべきだと、「磨墨の池」の閑馬に住んで思います。

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