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    藍染を始める方。藍染をなさりたい方もお訪ねください。藍に関する資材とノウハウを提供します。 藍染の製品もあります。 その他にも、沢山そろえて行きます。

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2015年7月

2015年7月30日 (木)

東武宇都宮百貨店 職人の技展 栃木の匠展

 東武宇都宮百貨店の催事に出展しています。
 「職人の技展」は20回目で、担当者はみんな偉くなっています。社長も店長も担当だったというくらいなものです。

 私も歳を取りました。
 20年前は若手だったのに。

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 こんな感じでやってます。

2015年7月28日 (火)

職人の技展 と 栃木の匠展

 7月29日(水)から8月4日(火)まで、栃木県宇都宮市の東武宇都宮百貨店5階イベントプラザで、「にっぽん全国 職人の技展」と「栃木の匠展」が開催されます。

 北関東でこれだけの規模の「職人展」はここだけですし、栃木の伝統工芸が見られる良い機会と思います。

 見応えありますよ。

 是非、ご一覧下さい。

2015年7月26日 (日)

夏休みの課題

 中学生が夏休みの宿題に藍染を選び、体験と勉強に紺邑まで来ました。

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 お母様も一緒に体験。

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 良くできました。

 こう書くとあっという間だけれど、宿題ですから少し丁寧にお話ししました。

 夏休みの課題がこんなに早く終わると、後が楽だな。

2015年7月25日 (土)

ブラジルからのお客様

 数日前に電話が入って、藍染をしたいという。私が何か話しすると、「なるほどね」などと生意気な口調で返事をする。来たら説教してやろうと思ったら、ブラジル人でした。りっぱな日本語に、返って恐れ入りました。

 本気で藍染をしたいらしい。それも、ブラジルで。
 どうしたら良いかはこれから考えますが、彼女は自分の生き方を考えた上でのこと。

 これから修行ですが、協力しなきゃと思います。

 写真取り忘れました。

 紺邑は、小さいながらも世界的になってきた(笑)

アート街道66メンバー 森さん店オープン

 アート街道66のメンバー森憲司さんが、佐野駅南に店舗をオープンします。今日はそのお祝いの会。

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 盛大で、午後6時から始まりましたが、八時過ぎからも駆けつけた人がいます。

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 お仲間のベリーダンス。

 この後、おもしろいことになりますが、さて、紹介して良いやら。

 店は、佐野駅を南に行き、新しい市役所の十字路を左に入って少し行った塾の手前の2階。

 どうぞ、おこしやすm(_ _)m

2015年7月24日 (金)

タイからのお客様

 タイの方々は、藍染も経験者。勿論、日本のやり方とは違います。それは、沈殿藍というもの。すくもにしないのです。何故それが出来るかというと、気候が違うからです。

 沈殿藍は、暑いところでなければなりません。ですから、日本では奄美大島以南のやり方なのですが、最近、日本列島も暑くなりましたので出来ないこともありません。

 今回は、それを少し彼女たちから教わりました。

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 たぶん、染め方も違うかも知れません。身をもって体験していただきました。真剣です。

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 「水を沢山使うんですねぇ」という感想です。

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 午後になって急に染めわけをしたいとなった。色に変化を付けたいとのこと。

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 如何でしょうか。

 布は、彼女たちが育て、紡ぎ、糸にして手織りしたヘンプ(大麻)です。

 すばらしい感触をしています。

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 お疲れ様でした。

 しかし、これで仕上がりではありません。

 仕上げようとして私も一生懸命に教えたのですが、実は時間切れ。お日様が隠れてしまったのです。

 後日、帰国なさってからの仕上げ方法を教えて、終了です。

2015年7月23日 (木)

タイからのお客様

  東南アジアは藍染が盛んなところ。タイも然りだけれど、たぶん、日本と同じような悩みを抱えている様に思います。それは、伝統の破壊。

 そんなタイから、ヘンプ(大麻)を無農薬で育て、紡ぎ、テキスタイルにしている人たちが紺邑にお見えになりました。

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 先ずは藍畑を見学。タイはキツネノマゴ科、日本は蓼科の違いがあります。そして、藍建て(染め液の作り方)も全く違う。

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 葉を乾燥させるのは日本、ヨーロッパ、アフリカなど。東南アジアは生葉を使います。もちろん、「生葉染め」じゃぁありませんよ。そういう藍染はありません。
 記念に乾燥葉を差し上げました。

2015年7月21日 (火)

唐沢山神社へお参りに

 次女が帰って来まして、翌日、唐沢山神社にお参りに行きました。

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 大安吉日に、神恩に感謝。

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 私は佐野に来て初めて、唐沢山神社の凄さに気づかされました。

 ご神体は藤原秀郷公で、歴史は浅いけれど、ここに見える石垣は、それこそ秀郷公由来の1100年前のものが現存しています。日本のお城の中でも、希有な存在だろうと思います。

 佐野市の歴史と文化は、とても深いものがあります。ただ、市民がそれに気づいていないのが不思議です。

 

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 東京へ帰る娘を隣の館林駅まで送って行きました。15分くらいなものですが、館林から東京に行く電車は、しょっちゅう出ていて便利なのです。

 駅前の「花山うどん」が一杯で残念。館林はうどんの街。

 それにしても、暑いなんてものじゃない。人の住むところかと思うほどです。

2015年7月18日 (土)

藍草の水洗い

 藍草を水で洗いました。

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 何でこんな事をやるか?
 生葉染めは藍染ではないからです(笑)

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 こんな具合。

 明日も続きます。

2015年7月 9日 (木)

藍染体験

 東京から女性がお二人、藍染の体験にお見えになった。家内が「某超一流ホテルの方々よ」と教えてくれました。
 そのホテルには、私の叔父が住んでいるので聞いてみると、お二人のところに頻繁に現れるとのこと。「縁ですねぇ」とおっしゃるけれど、正しくその通りだと思います。

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 接客業だから手を青くしてはいけないかと思いきや、なんと素手でお染になった。

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 道具を一切使わ無いのが紺邑流ですが、良く染まりました。

 秋には大勢でお越しくださるかもしれません。

桐生倶楽部と大川英三

 祖父英三(ひでぞう)が、栃木県足利繊維工業試験場場長になる前は、桐生倶楽部の副理事長だったそうです。

 

桐生倶楽部というのは、そのホームページによれば・・・

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一般社団法人「桐生倶楽部」は明治33年9月に誕生した。
産業人の社交機関「 桐生懇話会」をその設立母体としている。
当時桐生町と周辺町村の有力者は相集い、協力して桐生停車場、銀行誘致、また電話設置等に尽力、桐生町発展の基礎をつくった。
会員は、いずれも 政治、経済、文化等各分野での実力者で、会の発言は、つねに町政、世論を大きくリードした。
人の交流も繁くなったので、大正7年8月、社団法人桐生倶楽部と発展改組。平成25年1月一般社団法人として現在に至る。以来、文化活動の拠点として揺るぎない基盤を築いた。社員は創始の志を継承して、社員たる誇りを誇示、幅広く活躍している。
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 祖父英三は、大正11年桐生倶楽部に入社し、その会報には英三についてこう書かれています。
【昭和43年12月10日桐生倶楽部会報「感謝状を受けた人々の横顔」】
大川英三氏
 大正11年入社以来、理事6期、常務理事5期、副理事長5期をつとめた。現在名誉社員。
 茶道、華道、謡曲、日本画、短歌、古美術鑑賞等々その趣味の多いこと、知識の豊のことは他に類がないであろう。しかも熱心な無教会派のクリスチャンで氏の主宰する「聖書研究会」は倶楽部創立以来現在迄、毎日曜欠かさず続けられている。こうした氏の教養なり生活態度なりが格調高い倶楽部の雰囲気を作る上に裨益する事、誠に大きいものがあったに違いない。理想に燃えた若き斎藤長平、青木専治、大川英三のトリオの活躍は倶楽部史のうえで大きく評価されるものである。
 
 相当な趣味人であることがうかがい知れますが、どちらにしろ、私は背伸びしてもかないません。

2015年7月 8日 (水)

祖父の市長選

 祖父は昭和30年、足利市長選挙に立候補しました。私が4歳の時で、これが選挙初体験。
 家族が選挙戦に夢中で、私が行方不明になったと大騒ぎをしたらしいけれど、その時の私の記憶に残る風景は、織姫神社の鳥居と逆さ川と足利市は西宮の風景。

 この選挙は妙で、対立候補の木村浅七氏(名誉市民・名市長として名高い)の選挙事務所には、英三の長兄で、地元自民党の大立者だった元県議会議長の大川信介が陣取り、片や英三の事務所には、父仁の友人だった木村浅七氏のご子息が毎日来ていたというものだし、そもそも木村さんと英三も仲が良かった。

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 当時を知る人は、「面白い選挙だった」と今でも言いますが、投票率も91.45%と、その成果が表れています。いろいろと思惑のあった選挙だと聞いていますが、これを機に、社会党の国会議員も生まれ、父も市議会議員となった。

 ちなみに自民党の木村さんも社会党の英三も、この選挙は共に無所属候補でした。木村さんは、このほかの選挙は自民党からの立候補です。

 この選挙を機に、祖父は故郷小俣町に帰り、トーションレースを創業することになります。

 

2015年7月 6日 (月)

栃木県繊維工業試験場長 大川英三

 私の祖父大川英三は、昭和23年、栃木県繊維工業試験場場長となり、栃木県の繊維産業を指導していました。トーションレースを創業し、今や日本の80%以上が、私の故郷栃木県足利市小俣町で作られています。いわば地場産業としてあるわけですが、英三はトーションレースの地場産業化に腐心しました。

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 (祖父は、藍染にも注目し、当時群馬大学を出たばかりの小此木さんという方を徳島まで派遣して研究をさせた。)

  

 トーションレースだけでなく、日本の繊維産業は厳しい状況にあるようです。皆さん、何かを探していらっしゃるし、その中に、私のような本染めの藍染があるようで、日本各地から問い合わせが来るようになりました。

 6日、名古屋と足利市小俣町からお客様がお見えになった。小俣からの人はもう55年のお付き合い。それもトーションレースで英三の弟子のような人。私の藍染とコラボレーションすることになりましたが、祖父の仕事が、今になって生きることになる。

 世の中、何が起こるか分かりませんね。

 

2015年7月 3日 (金)

閑馬小の子供達

 恒例になった閑馬小学校3年生の児童達の藍染体験をしました。今年からは自分で染めますが、みんな結局は素手。もちろん、無料!

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 大騒ぎの大喜び。

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 帰る道すがら、藍畑によって藍草の見学。葉っぱをおみやげに帰りましたとさ。

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