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2015年8月17日 (月)

田中正造と藍

 明治の昔、足尾銅山の鉱毒によって、渡良瀬川沿いの住民が苦しみ、谷中村は廃村となって村民は強制移住させられた。それに立ち向かった田中正造は、佐野市が生んだ偉人ですが、彼は自伝の中で、「藍玉製造を青木某に問い以て躬踐實行の日課を左の如く定めぬ」と書いています(「躬踐實行」は「実践躬行」のことと思います)。

 それは・・・

 朝飯前必ず草一荷を苅る事
 朝飯後には藍ねせ小屋に入り凡そ二時間商用に従う事 
 右終りて寺入りせる數十の小児に手習讀書を授くる事 
 夕飯後また藍ねせ小屋に見廻り夜に入り某寺院に至り朋友と燈火に會して漢籍の温習を為す事 
 又耕耘は常の事にて公務は自宅にて取扱ふ例とせり

 継いで「藍玉の原料仕入れは毎年残暑の交にして前後三十日許は當業日夜非常の運動なり一日近村に原料を集む」と書く。

 藍だけを説明すると、「(田中正造は)藍玉づくりを青木という人にならい、次のように実行した。朝飯後には藍ねせ小屋に入り二時間過ごし、夕食後にまた藍ねせ小屋を見廻った。藍玉の原料の仕入れは毎年残暑のころで、その三十日くらいは非常に運動になる仕事で、近くの村々に集めに行った」と書いてあるわけです。

 「藍ねせ小屋」とは、藍の乾燥葉を水を打って堆肥状態にし、藍染の原料のすくもを作る小屋のこと。
 藍玉とは「すくも」を杵で突き固めて切ったもの。
 「藍玉の原料」とは、藍草の葉を乾燥させたもの。

 こうして田中正造は藍玉をつくり、三年の年月を費やした計画は図に当たって三百両という大金を稼ぎ、社会という大学に入る入学金としたと書いています。
 つまり、田中正造が社会で活躍したきっかけは、藍玉づくりから始まったわけです。時は幕末、歳は十代の終わり。

 田中正造は、下野国阿蘇郡小中村の生まれです。現在の佐野市小中町ですから、近村とは阿蘇郡を含む佐野のこと。如何に佐野で藍が盛んだったかが偲ばれます。

 佐野市では、「田中正造没後100周年記念事業」が2012年から2014年3月まで行われました。しかし期間中、田中正造と藍について語られることはなく、市民で知る人も少なかったのは残念です。

 因みに当時(幕末)の300両とはどれくらいの金額かと云いますと、江戸時代の大工の棟梁の月収が3両くらいと云いますから、それの百カ月分。今でいえば、工務店の社長の月収の百カ月分。

 それがどれくらいかは、お近くの工務店にお尋ねください(笑)

Tanakashozoseika写真は田中正造の生家

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