家業のこと 藍染のこと レースのこと
私の祖父大川英三は、終戦後直後、栃木県繊維工業試験場長となりました。
群馬大学を出たばかりの小此木さんという方を徳島県に派遣して、藍染について調べさせたりもしていました。
昭和29年に、試験場で開発したトーションレースを地場産業にすべく、生まれ育った小俣町に帰り、大川特殊レースという、日本で初めてのトーションレースの会社を興しました。
トーションレースは今、日本の80%以上が小俣町で作られていると言いますが、祖父の願い通り、地場産業として存続しています。
昭和29年に、試験場で開発したトーションレースを地場産業にすべく、生まれ育った小俣町に帰り、大川特殊レースという、日本で初めてのトーションレースの会社を興しました。
トーションレースは今、日本の80%以上が小俣町で作られていると言いますが、祖父の願い通り、地場産業として存続しています。
レース業界でそれを知る名古屋の会社が、私を紹介してくださっています。
染めている私の顔がちょいと妙ですが、まあいいでしょう。
祖父が始めたレースが、祖父が研究させ父が再興した正藍染として、再び世に出られれば幸いだと思っています。
染めている私の顔がちょいと妙ですが、まあいいでしょう。
祖父が始めたレースが、祖父が研究させ父が再興した正藍染として、再び世に出られれば幸いだと思っています。
« スマホ用の紺邑ウェブサイト | トップページ | 正絹の藍染 »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 教える事 教わること(2016.08.17)
- 千客万来(2020.06.21)
- 常識(2020.06.20)
- 学問(2020.03.28)
- ゴッドハンド(2020.03.27)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント