「紺屋」とは
このブログのタイトルは「紺屋の白袴」ですが、「紺屋」とは元々は藍染屋のことです。しかし現在は、染屋の総称となりました。
何故か・・・。
合成藍が日本に入ってきた明治30年ころは、日本の藍染の全盛期でした。阿波藍の生産量は、江戸時代の二倍ほどもあったくらいです。日本人の7~8割は藍染を着ていて、店の暖簾も幟もみな青い藍染。ですから、ジャパンブルーなどと呼ばれたわけです。
それは農村でも山間でも同じで、野良着も布団も手甲も脚絆も半纏も手ぬぐいも何もかもが藍染。ですから、日本中どんな小さな村にも、藍染屋としての「紺屋」があるのが当たり前の社会でした。
私の住む佐野市は厄除け大師が有名ですが、その近くに流れる秋山川の川沿いには、ずらりと紺屋が並んでいました。つい最近までです。
(写真は秋山川。その昔は、藍を洗う川だったといわれるくらいに藍染が盛んでした。)
さて、藍染が滅びたのに、なぜ紺屋が最近まであったかと云いますと、先に書いたように、紺屋は日本中に沢山あった。しかし、彼らが合成藍に手を出したがために、日本人は藍染を使わなくなってしまった。しかし、紺屋も商売は続けていかねばなりません。
ちょうどその頃、合成染料も輸入され、当時の日本人は、初めて藍染以外の色に出合うことになります。これもまた、藍染が衰えた理由でもありましょうが、それまで藍染屋だった紺屋が、赤や黄色など、様々な色を染める「染屋」と変貌します。
しかし、名前だけが残って、それまでの「紺屋」は染物屋の総称となったというわけです。
因みに「紺屋」は、「こうや」とか「こんや」と読みます。
鹿児島では「くや」。そして、「どん」が付く。つまり「くやどん」。
「どん」とは「西郷どん」の「どん」で「殿」のこと。つまり尊称です。
ありがたいことです。
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