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徳川家康の先祖は新田義貞の新田氏だと、家康の祖父清康が言ったらしい。
足利尊氏の「足利氏」と同じように、「新田氏」は源氏の直流で、いわば武家の本家筋。だから、源頼朝と同じように、足利尊氏も徳川家康も征夷大将軍になれた。一方、天下を取ったように見える秀吉は、氏素性がハッキリしないから征夷大将軍になれず、関白となった。
では、新田氏はどこの人かというと、今で云う群馬県太田市。尊氏の足利市とは、渡良瀬川を挟んで隣同士。
そこに、世良田東照宮がある。
新田氏の始祖の義重の子新田義季(よしすえ)がこの辺りを治め、利根川沿いの「押切」を開拓して徳川と称し、名も「徳川義季」とした。
徳川家は、南北朝時代に徳川郷を追われ、流れ流れて岡崎にたどり着き、松平と名を変えた。その七代目が家康。
家康は、三河を統一したとき、新田義季にならって徳川家康と称した。
これが、松平が徳川になり、家康が征夷大将軍になれた物語。
この辺りは落ち着いた雰囲気のある良い場所ですが、私は初めてお参りさせていただきました。
太田市は新田義貞だけれど、その終末は悲劇。確かに義貞を滅ぼした足利尊氏は天下を取ったけれど、新田の子孫の徳川も天下を取った。
太田市は、その辺りをもっと面白く語っても良いと思うけれど、もう一つ、太田市は藍草の産地でもあった。利根川の向こうは渋沢栄一の深谷という、これもまた藍草の一大産地。面白そうです。
シンクロナイズドスイミングの井村コーチは、選手に「全力を出し切っていない」と怒るそうだ。選手たちはそこで考える。「全力を出し切っているのに何故言われるのだろう」と。だから向上して、世界的な選手になれた。
ところが昨今、「私は全力を出し切っています!」と自己評価する人たちに出合ようになってきたという。
ある時、「藍が建たない。どうすればよいか?」と私に質問してきた人がいる。どうやっているかを聞いて、「あなたのやっていることは自分勝手だ」と私は言ったことがある。その人は、「私が自分勝手などということはありません」と自己評価をした。理由はともあれ教わっている私に「自分勝手だ」と言われたなら、「なぜだろう?どういう事なんだろうか?」と考えれば良いものを、言われたことに対して自己評価して終わってしまう。こういう人は、向上することも、藍建てや藍染の本当のことに気づくこともないでしょう。
私は昨年から考え方が変わりまして、人様に藍甕をお貸しして藍染、それも本染めの体験をしていただこうと。それ以前は、自分で建てた染め液に、人の手が触れるだけでも嫌でした。
それからは、様々な人たちが藍染体験にいらっしゃっています。
彼の命題は「健康」だそうで、農法も有機無農薬。
藍草も育て始め、その内、藍師や染め師になるかも知れません。
素手で染めましたから、手は真っ青。青くなるのがお嫌な方にはもちろん、手袋も用意してあります。
1日では染め上がりませんでしたので、1日おいてまた来るそうです。
染めの体験ともう一つは、染めの受注をしています。
本染めの色をお求めの方のためです。
そして、刺し子用の布三色。
縹、藍色、濃紺に染め分けました。
手前にあるのは、藍草の乾燥葉の一部。つまり、藍農家も始めちゃったわけです。
やることがありすぎて夕方にはクタクタでしたが、佐野市街地まで夜は会議でお出掛け。
帰ってきたらオリンピック!
忙しいこと(^_^;)
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