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2016年8月

2016年8月30日 (火)

染料と薬効

 随分前になりますが、「植物から取る染めは本来、人の役に立ってきた。そこに本質的な存在の意味がある。だから、人間は捨てることなく使い続けてきた」と書きましたが、現代はそれを忘れているか理解出来ないと云えると思います。
 
 染料やその元となる植物の薬効効果は、人間の生活の知恵としてあった。それが化学的な合成の染料に取って代わられ、色だけが残ったと云うことはあるかと思います。つまり、染めの本質的な意味を現在は失っている。
 
 例えばクチナシは黄色を出しますが、生薬として消炎、炎症を防ぎ、赤を出すアカネは消炎、止血、通経薬としてつかわれていたし、ムラサキは消炎、抗菌作用が知られています。紅花染は血行を良くするとは、古くからの言い伝えです。だから女性の下着に使われた。
 
 特に藍は、その薬効についての記述は約二千年前の中国の薬物書「神農本草経」にすでに表わされていると云いますし、日本でも江戸時代の「和漢三才図会」に「五臓六腑を整える」とある。
 
 そういうものはいつか紹介するにしても、現代は科学的分析を求めます。
 結果的に腹痛が治り、血が止まり、炎症を防ぎ、血行が良くなれば、本来人間はそれで良しとするものだしそれを利用しようとするし、してきた。しかし現代は、何故そうなるかという理由が科学的に明確にならなければ納得できなくなってしまった。だから、分析が必要になる。
 
 例えばここに、こういう検査結果がある。
 
<国立大学法人 弘前大学(青森県弘前市、以下:弘前大学)とサンスター株式会社(本社:大阪府高槻市、代表取締役社長 吉岡貴司、以下:サンスター)は、2007 年 8 月に締結した「研究連携の推進に係る協定」に基づき、2009 年 6 月よりタデ藍の抗真菌活性に着目した共同研究に取り組み、このたび、新規タデ藍エキスを開発、スキンケア用途での有用性を使用試験により確認しました。>
 
 ずいぶん面倒なことをしなければならない世の中になりました。しかし、仕方ありません。「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律(旧薬事法)」がありますから。 
 したがって、こういう分析が数多く見られだしたのも、ごく最近のことのようです。
 
 とにかく藍は、草も染も、人間の肌に優しいものです。藍染の場合は強アルカリ性でも、灰汁だけを使い、苛性ソーダも石灰も使わないことが肝心ですが(笑)。
 
 
 
 藍染の効用は丈夫で長持ちする事にもある。
 
 現存する日本最古の藍染は、正倉院にある縹縷(はなだのる)。一千三百年前の物が、色の変化もほとんどなく現存しています。

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<藍染めの絹紐を巻き束ねたもの。天平勝宝4年(752)の大仏開眼会で用いられた由緒ある品。大仏に眼睛を点じた筆に結び付けられ、参集者はこの紐を手にして功徳に与ったとされる。>

2016年8月27日 (土)

薬草としての藍草

 本日、久々の腹痛。それも余りに酷いもので、もどしもしましたが、長男が言うには「お父さんがもどしたのを初めて見た」というくらいなもの。
 
 薬を飲んでもダメで、トイレから一歩も出られない状態。
 
 ふと思い出して家内に、「藍草のお茶を飲ませて」と頼む。
 
 今、毎日のように藍の乾燥葉を作っているので、それをお茶にしてもらったわけです。

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 もうダメかと想い、「神様、痛いです。助けてください」と懇願したくらいの痛みが、あら不思議、藍草のお茶を飲んでしばらくして全く消え去りました。
 
 藍草は昔から薬草と云われ、だから藍染は薬草染めとも云われます。特に、痛み止めは一大特徴で、歯痛と腹痛に効くと伝えられています。
 
 四国では、お遍路さんが香川に入るとうどんをご馳走され、徳島にはいると腹痛の時のために藍の乾燥葉を頂いたそうです。
 
 
 それを思い出して、藁にもすがる思いでお茶にして飲んでみたわけですが、驚くほどの効用。
 
 私、救われました。
 
 藍草を育てていて良かったと、心から思った次第ですが、大量には必要在りませんから、少しでも藍草を栽培なさっている方は、是非とも乾燥葉にして保存なさり、お茶でお召し上がりになることをお勧めします。
 
 一節によりますと、ピロリ菌が消えるとも云われています。

2016年8月17日 (水)

徳川家のご先祖様

 徳川家康の先祖は新田義貞の新田氏だと、家康の祖父清康が言ったらしい。

 足利尊氏の「足利氏」と同じように、「新田氏」は源氏の直流で、いわば武家の本家筋。だから、源頼朝と同じように、足利尊氏も徳川家康も征夷大将軍になれた。一方、天下を取ったように見える秀吉は、氏素性がハッキリしないから征夷大将軍になれず、関白となった。

 では、新田氏はどこの人かというと、今で云う群馬県太田市。尊氏の足利市とは、渡良瀬川を挟んで隣同士。

 そこに、世良田東照宮がある。

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 門のある不思議なたたずまい。

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 本殿は、やはり東照宮です。

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 新田氏の始祖の義重の子新田義季(よしすえ)がこの辺りを治め、利根川沿いの「押切」を開拓して徳川と称し、名も「徳川義季」とした。

 徳川家は、南北朝時代に徳川郷を追われ、流れ流れて岡崎にたどり着き、松平と名を変えた。その七代目が家康。

 家康は、三河を統一したとき、新田義季にならって徳川家康と称した。

 これが、松平が徳川になり、家康が征夷大将軍になれた物語。

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 この辺りは落ち着いた雰囲気のある良い場所ですが、私は初めてお参りさせていただきました。

 太田市は新田義貞だけれど、その終末は悲劇。確かに義貞を滅ぼした足利尊氏は天下を取ったけれど、新田の子孫の徳川も天下を取った。

 太田市は、その辺りをもっと面白く語っても良いと思うけれど、もう一つ、太田市は藍草の産地でもあった。利根川の向こうは渋沢栄一の深谷という、これもまた藍草の一大産地。面白そうです。

2016年8月15日 (月)

藍畑 藍草

 紺邑辺りだけかも知れませんが、涼しい夏です。お日様さへ照りません。

 そんななか、頃合いを見計らって、藍草の刈り取りをしています。

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 この日は追肥。バケツに漢方を入れて手で持ち、ひしゃくでまいたのですが、後から筋肉痛が酷いことに。

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 乾燥させた藍草を茎と葉に分け、葉を細かくする作業をしています。

 これ、もっと良い方法があるでしょうが、無骨にやっています。

 

 奥に干してあるのは正絹の反物と絹の腹巻き。

 両方ともご注文ですが、お日様がもっと欲しいところです。

2016年8月10日 (水)

染め屋仕事

 私は昨年から考え方が変わりまして、人様に藍甕をお貸しして藍染、それも本染めの体験をしていただこうと。それ以前は、自分で建てた染め液に、人の手が触れるだけでも嫌でした。

 それからは、様々な人たちが藍染体験にいらっしゃっています。

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 写真は、お隣群馬県太田市の農業齋藤さん。

 彼の命題は「健康」だそうで、農法も有機無農薬。

 藍草も育て始め、その内、藍師や染め師になるかも知れません。

 素手で染めましたから、手は真っ青。青くなるのがお嫌な方にはもちろん、手袋も用意してあります。

 1日では染め上がりませんでしたので、1日おいてまた来るそうです。

 

 染めの体験ともう一つは、染めの受注をしています。

 本染めの色をお求めの方のためです。

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 左から刺し子用糸染め三色。

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 そして、刺し子用の布三色。

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 縹、藍色、濃紺に染め分けました。

 

 手前にあるのは、藍草の乾燥葉の一部。つまり、藍農家も始めちゃったわけです。

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 畑でも乾燥させています。

 やることがありすぎて夕方にはクタクタでしたが、佐野市街地まで夜は会議でお出掛け。

 帰ってきたらオリンピック!

 忙しいこと(^_^;)



 

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